Heart

星蘭

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第二十六章 勇者と歓待の村

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 一番古い記憶は、錆び付いた牢の中から見える景色だった。自分を覗き込み笑う、大人の笑顔。欲に塗れた笑顔だった。
 綺麗な顔、美しい瞳。容姿を褒められる一方で、自分は無価値なものだと何度も何度も言われた。
 お前には何もできない。魔法も、演技も、戦闘もできない役立たず。生きている価値などお前にはないと、何度も何度も、言われ続けた。
 嗚呼、そうなのだろう。自分は無価値な存在なのだ。いつしか、そう思うようになっていた。
 無価値な自分を買って、飼ってくれているこの人たちに見放されたら、自分はきっと死んでしまう。そう思って必死に役に立とうとした。けれど、全て上手くいかなかった。

―― 役立たずのお前に出来る唯一のことを教えてやろう。

 脳内に響く、そんな声。幼い頃からずっとずっと信じてきた、その言葉。
 自分に出来る唯一のこと。それを、自分は今もこなせているだろうか。彼らはそんな自分を、ずっと傍においてくれるだろうか。

嗚呼、どうか、どうか。

―― ボクを……



***



 最近よく見るようになった夢を思い出していた。幼い頃の記憶。それを思い返すようになったのは、オズワルドが夢魔の魔法で過去の夢に閉じ込められたあの日からだ、とロレンスは思う。
 彼は強い。辛い自分の過去と向き合って、前を向いて進んでいる。そんな彼を尊敬すると同時に……少し羨ましいと、ロレンスは思っていた。自分にも彼のような強さがあれば、と。そう思わずにはいられなかった。

「ロレンス、集中!」

 鋭い声で呼びかけられてはっとする。そうだ、今はぼうっとしている場合ではない。そう思いながら、ロレンスは竪琴を構え直し、指先で弾き慣れた旋律を奏でる。その音に乗せて出力される自分の魔力を、上手に仲間に届けるために。

「リドス・ファルコ!」

 銀髪の少年が、呪文を叫ぶ。吹き抜ける風が、強く地面を蹴った剣士の加速を助ける。そしてそのまま、勇者リオニスは大きく振りかぶった剣を襲い来る魔獣たちに振り下ろした。

「フレア・ドラコニス」

 濃紺の髪を揺らした魔法使いが唱える静かな呪文と同時に放たれた魔法が怯んだ魔獣たちを覆う。燃え盛る炎の中、獣の咆え声が響く。その中からなんとか抜け出そうとする獣の姿を見て、ロレンスは二色の瞳を細める。

「させないよ」

 オズワルドの魔法を強化するためにまた音を奏でる。刹那、広がった炎が逃げ出そうとしていた魔獣を絡めとった。

 良かった、これで少しは役に立てただろうか。そう思いながら、ロレンスはふっと息を吐く。その時だった。

「ロレンス!」

 警告の意を込めたリオニスの声。それに驚いて身を引こうとするが、ごく僅かにタイミングがずれた。
 獣の鋭い爪が、ロレンスの腕を抉る。ぱっと飛び散った鮮血が地面に散った。思わず顔を歪めながら、ロレンスは魔道具である竪琴を取り落とす。

 拙い、と思う。すぐ傍には、自分に狙いを定めた獣。恐らくオズワルドの魔法に巻き込まれなかった個体だろう。このままでは、喰いつかれる。痛いだろうな、とロレンスは覚悟を決め、ぎゅっと目を瞑った。

「伏せろロレンス!」

 鋭く、よく通る声に従って、ロレンスは体勢を低くした。その刹那、ロレンスに喰いつこうとしていた魔獣の体が吹き飛んだ。ロレンスはその光景に二色の瞳を大きく見開いた。

「シュライクの蹴りは凄まじいな……」

 そんなリオニスの少し引いたような声で、ロレンスはシュライクが魔獣を蹴り飛ばしたのだと理解した。

「感心するのは後だ、まだ囲まれている」

 冷静に注意するのは、この仲間の中で最年長の魔法使い。彼は魔獣の数を目視で確認すると、一つ息を吐き出した。

「ユスティニア、皆の防御を」

 一気に片を付ける、と呟き、魔道具である杖を構え直す魔法使い……オズワルド。彼は険しい顔をして、生き残りの魔獣たちに視線を向ける。

「はい!」

 彼が何をするつもりなのかを理解したらしいユスティニアは表情を引き締めて、頷いた。

 ユスティニアの防御魔法が発動し、仲間達を守護する。それを見たオズワルドはすぅと一つ息を吸い込んで……

「フレア・ドラコニス!」

 歌い上げるような声で、彼は叫ぶ。その瞬間、迸った炎が今度こそ全ての魔獣を包み込んだ。一頭たりとも逃がさない、そんな意志を込めて。
 ばちばち、と炎が爆ぜる音だけがその空間に残る。ふうと息を吐き出したリオニスは念のために周囲に視線を投げてから、言った。

「これで全部だな」
「あぁ、やっぱりオニキスに近づくと魔獣の群れに遭う確率も上がるんだなぁ」

 そう呟きながら、シュライクは小さく笑って、頬に跳ねた返り血を手の甲で拭った。

 今の戦闘は、森の中を抜けようとしていた時に魔獣の群れが襲ってきたために起きたもの。魔獣自体の強さは大したことがなかったものの、数が相当多かった挙句、随分と気が立っている様子だった。きっと魔王の復活に伴う影響なのだろう、というのはオズワルドの分析だ。
 一行は少しずつだが魔王が根城にしているという土地、オニキスに近づいていた。それまでも魔獣や魔族による襲撃はあったものの、これほど激しいものではなかったし頻度も決して多くはなかった。こういう事態も多くなってきたな、と言うのは彼ら共通の感想だった。

「すみません、防御が手薄になっていて……!」

 蒼い顔をして駆け寄ってきたユスティニアはロレンスの腕を診る。深く切れたらしい腕の傷からはぼたぼたと紅色が滴り落ちている。それを見て唇を噛みしめる彼を見て、ロレンスはふっと笑って見せた。

「ボクは平気だよ。リオたちに怪我は、ない?」

 緩く首を傾げるロレンスを見て、リオニスはひらひらと手を振って見せる。

「俺たちは全く、なんともないよ」
「うわ、痛そうだな……」

 ロレンスに歩み寄ってきたシュライクも、顔を歪めながらそう言った。自分自身の傷にはあまり頓着しない彼だが、仲間の傷には人一倍敏感で、まるで自分が傷つけられたような顔をする。

「待ってくださいね、今すぐに治癒を……」

 そう言いながら彼の傷に触れようとするユスティニア。しかしそんな彼の手を他でもないロレンスがそっと包んだ。そして、ゆっくりと首を振る。

「良いよ、ユスティ。キミも、相当魔力を消耗しているだろう」

 先程の戦闘はそれなりに激しいものだった。仲間達の防御を担うユスティニアは常に気を張りながら、仲間達に防御の魔法を使っていた。それを補佐する役割を担うロレンスはその大変さも魔力の消費の激しさもよくよく知っている。そんな魔法を駆使して疲れ切っているユスティニアにこれ以上負担を強いる訳にはいかない、とロレンスは言った。

「で、でも……」

 ユスティニアは困ったように眉を下げた。彼の言葉は真実だ。疲れているのは間違いないし、魔力の余裕も正直ない。しかし、だからと言ってロレンスの腕の傷を放っておくこともできない。
 多少無理をすれば魔法をかけられるから、と彼の腕に触れようとするユスティニアを、今度はオズワルドが止めた。

「ロレンスの言う通りだ、ユスティニア。今すぐに治癒魔法を施さなければならないような傷ではない。手当をして、少し休める場所を探そう」

 それが互いのためだ、と冷静に言葉を紡ぐオズワルドを見て、ユスティニアは一瞬何か言い返そうとしたが……すぐに、口を噤んだ。そして一つ息を吐き出した。

「……すみません」

 がくりと肩を落とし、落ち込んだように目を伏せるユスティニア。そんな彼に穏やかに笑いかけて、ロレンスは口を開いた。

「謝ることじゃあないよ。そもそも、ボクが自分の身すら守れなかったのが悪いのだし」

 そう言いながら、ロレンスは穏やかに微笑む。そんな彼の表情と言動に、リオニスは表情を硬くした。そして、僅かに咎めるような声音で言う。

「誰が悪い、って話じゃないだろ」

 今に始まった話ではないのだが、ロレンスはすぐに、こういう言い方をする。自分が全て悪い、と。嫌味でもなく、本気でそう思っている声音で。そんな彼の自分を大切にしない言動が、時折気になった。彼が元々置かれていた環境が環境だから、と言う理解はしていたが……やはり、仲間としては気になってしまう。

「うん、でも……」

 ロレンスが彼に何か言いかけた時だった。がさり、と少し離れた茂みが揺れる。はっと息を呑んだ一同が武器を構え直す。……が、そこから姿を現したのは人間だった。

「驚いた、お強いのですね」

 目を丸くしてそう呟く青年は背に矢筒を背負っている。どうやら狩人か何からしい。

「獣を狩るのは得意なのですが流石にあの魔獣の群れはどうにもならないと隠れていたのですが……貴方方のお蔭で、助かりました」

 彼曰く、いつものように狩りに出てきたものの出会ったのは獲物に出来るような一般的な獣ではなく、魔獣であった。これではどうにもならない、と帰ろうとしたが、群れが大きすぎてそれすら叶わず、途方に暮れていた時、偶然リオニス達がその群れと会敵したようだった。どうやら、知らず知らずのうちに、彼のことを助ける結果になっていたらしい。
 彼を巻き込んで傷を負わせるようなことがなくてよかった、とオズワルドが安堵の表情を浮かべた。周囲に誰も居ないと思い、仲間だけを守る魔法をかけて全てを焼き払おうとしていたのだから、その安堵も尤もなものである。

「旅のお方ですか?」

 そう問いかけながら、狩人らしき青年はリオニス達の顔を見る。

「え、えぇ、まぁ」

 リオニスは彼の言葉に頷く。それを聞いた青年は嬉しそうに笑った。そして、傷を負っているロレンスに一瞬視線を向けた後、彼らにある提案をした。

「近くが私の村なんです。休んでいきませんか?」

 怪我の手当てもできますし、と控えめになされた提案。それを聞いて、彼らは小さく頷いたのだった。


***


 出会った青年についていくと、ほどなくして小さな村に辿り着いた。その道中、身分を明らかにすれば、狩人の青年は目を真ん丸に見開いていた。

「まさかかの有名な勇者様の一団だったとは……」

 そんな話はすぐに村中に知れ渡る。随分と頭を低くした村長は彼らに村の中を案内しながら、言った。

「何もない村ではありますが、どうぞゆっくりなさってください。あぁ、楽士様の手当てもお任せください。どうやら皆様相当お疲れのようですから。夜になったらお食事をご用意いたします」

 あれよあれよという間に村にある宿屋の中で一番大きな部屋に通される。宿は質素なものではあるものの、ベッドは広く大きく、しっかりと人数分ある。ロレンスはきちんと手当をするために、と村の中の診療所に連れて行かれて別行動だ。手当が済んだら宿屋まで連れてきてくれるという。

「あ、ありがとうございます」

 半ば恐縮しながら、リオニスは礼を言った。至れり尽くせり、と言うのはこういうことを言うのだろう。勇者となり、街を出てから確かにそれなりに尊敬されたり感謝されることは多かったが、此処までの対応をされることはなかった。ありがたいを通り越して少し怖いくらいだった。

 折角だから、と彼らは村の中を見て回った。何処に行っても頭を下げられる。子供たちには旅の話を教えてほしいとせがまれ、大人たちには何かと菓子や花やを渡される。別にこの村のために何をした訳でもないのに、である。
 随分と親切な村だ。何故そんなにも良くしてくれるのか、と言うリオニスの問いかけに、村人たちは"来客が珍しいからだ"と答えた。挙句それが世界を救う勇者一行ともなれば、この反応も当然のことだ、と。

「喜び過ぎて舞い上がっているように見えるかもしれませんね、申し訳ない」

 そう言って、村長は苦笑していた。謝るようなことではないと返しつつ、リオニスはやはり少し恐縮していたのだった。



***



 元々魔力の消費が大きかった上に妙な歓待を受けて気疲れしたのか、ユスティニアは宿に戻ると眠ってしまった。リオニスも少し疲れて、ベッドに腰かけながら一つ息を吐く。

「……なぁリオ」

 そう声をかけたのは、シュライクだ。いつもならば新しい街や村に来るとはしゃぎまわる彼が、今日は酷く静かだった。今も、その声色はいつものそれよりも随分と硬い。どうした? とリオニスが首を傾げると、シュライクは少し迷うように目を伏せた後、口を開いた。

「ちょっと、村の様子おかしくないか?」

 そう問われて、リオニスはライラックの瞳を見開く。そしてじっとシュライクを見つめながら、問うた。

「シュライクも、そう思ったか?」

 リオニスの言葉に、シュライクは迷いながら小さく頷いた。

「うん……これ、っていう確証はねぇんだけど」

 そう言いながら、シュライクは顔を歪める。がしがしと頭を掻く彼は、少し戸惑ったような表情を浮かべて、溜息を吐き出した。

「幾ら客が久しぶりって言ったって、極端すぎるような気がしてさ。まぁ、こんな田舎に有名人がくりゃああいう反応になるのも仕方ないのかもしれないけど」

 そこで一度言葉を切った彼は迷うように視線を揺らす。

「親切なだけだと思うし……疑いたくは、ないんだけどさ」

 そう言いながら、彼は肩を竦めた。
 育った環境が環境だけに人を信じられないだけかもしれない。そう思えども、あの歓待ぶりは少し、気味が悪い。シュライクはそう言う。

 リオニスはその言葉に少し迷ってから、小さく頷いた。

「警戒はしておこう。人もそうだけど……獣や魔獣、魔物に襲われるリスクは十分あるしな」

 真剣な表情でそう言ったリオニスはふぁ、と一つ欠伸をした。どうやら、自分も随分と疲れているらしい。そう思いながら苦笑を漏らせば、シュライクがくつくつと喉の奥で笑った。

「でけぇ欠伸」

 眠そうだな、と額を小突かれ、リオニスは軽く肩を竦めた。

「仕方ないだろ。……俺も疲れてるみたいだ。暫く村に泊まっていって良いって言われているし、ゆっくり体を休めよう。オズもまだ本調子じゃないだろ?」

 そう言いながら、リオニスはもう一人の仲間……オズワルドの方へ視線を向ける。先程から随分と静かな彼はどうしたのか、と思ったのだが……

「あれ、オズ?」

 反応がない。見れば、ベッドに腰かけ、壁にもたれ掛かったままの彼は目を閉じていた。どうやら、眠ってしまっているらしい。

「オズも寝ちゃったか」

 警戒心の強い彼がこんな風に寝入ってしまうことは珍しい。余程疲れているのだろう。それと同時、自分たちの前でこうして気を抜いてくれるのは、仲間として気を赦してくれている証の気がして、ほんの少し嬉しい。そう思いながら目を細めたリオニスは……ふと、気づく。

「甘い、匂い……?」

 すん、と鼻を鳴らすリオニス。何の匂いかわからない、甘い香り。こんな香りはずっとしていただろうか? 

―― くらり、と意識が揺らぐ。

「リオ? おい、リオ!」

 遠く、自分を呼ぶシュライクの声を聞きながら、リオニスは意識を手放した。


*** 


「リオ、リオ!」

 不意に眠ってしまったリオニスの肩を揺らしながら、シュライクは呼びかける。深く寝入ってしまっているらしい彼は、全く目を覚まさない。先日、オズワルドの夢の中に入っていったときに似た、眠り方。あの時はユスティニアの魔法の作用で眠っているだけだとわかっていたから、全く心配はしなかった。オズワルドを連れて帰ってきてくれると信じることが出来た。しかし今は違う。

「クソ、やっぱり、なんかおかしいよな……!?」

 冷静に考えれば、おかしいのだ。幾ら疲れているからと言って、こんなに不自然に眠りに落ちることなど、あるはずがない。皆疲れているからだという言葉で片付けてしまった自分を恨みたくなる。

 リオニスと出会って、他人ヒトを信じることが出来るようになった。あんな土地で生まれ育って、歪んだ道を歩きかけていた自分を正しい道へ呼び戻して一緒に旅をしてくれている勇者に感謝している。けれど、今ばかりは……故郷ルビアに居た頃の警戒心が残っていれば、と思わざるを得ない。出会ったばかりの、決して裕福とは言えないであろう村の人間がこうも親切にしてくれることなど、あるはずがないと思えていれば……結果は違っていたのかもしれない。

 一度リオニスの体をベッドに寝かせて、シュライクは時計を見る。ロレンスと別れてから、もう随分と時間が経っている。確かに彼の腕の傷はそれなりに深いものではあったが、治療にそんなに時間がかかるとは思えない。治療が終わったら宿まで送る。そう言っていたはずなのに。

「ロレンスも帰ってこない……絶対、おかしい!」

 村の奴らに話を聞かないと。そう思いながら立ち上がったシュライクは、ドアへ向かう。しかしその手がドアノブに届くより先に、くらりと意識が揺れた。

「っ、う……」

 真っ直ぐに立っていられず、シュライクはその場に膝をつく。必死に立ち上がろうとするが、体が言うことを聞かない。視界がだんだんに、暗くなっていく。

「く、そ……!」

 誰へともつかない悪態をついて、シュライクも意識を手放した。

 
 
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