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第二十五章 勇者と取り戻した欠片
しおりを挟む「っ、あぁ……そうだ」
炎に包まれる師の姿を見つめ、元の姿に戻ったオズワルドは呆然としながら、声を漏らした。
「貴方は、貴方の名は、キサナ……キサナ・ヴィオレトイド……偉大な魔法使い。……私の、魔法の師」
噛み締めるように、オズワルドは呟く。かけがえのない、師の名を呼びながら。
師が自分の記憶を奪った理由が、漸くわかった。彼は、自分を守ろうとしてくれたのだ。オズワルドに王国の使者を殺したと言う重罪を忘れさせ、自分自身が、自分一人が完全にその罪を背負うことができるように。そして……師が自分の所為で死んだのだと言う残酷な現実を忘れさせるために、彼は優しく温かな思い出すら消し去ろうとした。
完全に記憶が消えなかったのは、オズワルド自身の魔力の強さ、そして……想いの強さ故。かけがえのない師のすることを反射的に理解した彼は、その魔法を拒んだのだ。その結果、完全に彼を忘れることができなかった。
忘れたいはずがなかった。自分にとっては命の恩人であり、育ての親であり……唯一無二の師であった彼のことを。
「キサナ、キサナ……っ」
燃え盛る炎に巻かれる、大切な人。音を立てて燃え盛る業火の中にいる彼は、もう生きているのか死んでいるのかすらわからない。届くはずのない幻影に、オズワルドは手を伸ばす。思い出したその名を何度も何度も呼びながら。榛の瞳から零れた涙が、ぽつりぽつりと落ちていく。
「私のせいで……あぁ」
貴方が死ぬ必要など、なかったのに。愚かだったのは魔法の制御ができなかった自分なのに。それなのに、どうして貴方は……――
その場に蹲り、涙を零すオズワルド。その名を、優しい声が呼んだ。
「オズ」
「……リオニス?」
何故。掠れた声で問いかけるオズワルド。涙に濡れた榛色の瞳を見つめ、リオニスは言った。
「オズの所為じゃないよ。そんな風に思ったら、あの人が気の毒だ」
彼の言葉に、オズワルドは大きく目を見開いた。
「君も、見て……?」
見ていたのか。そんな問いかけに、少し申し訳なさそうに眉を下げたリオニスは頷く。
「ごめん。オズの大切な想い出なのに……でも、俺も見れて良かった。知れて、良かった。わかったから、オズにこうして声をかけられる」
全てを見て、全てを知ったから。だから伝えられる言葉があると、リオニスはそう言う。
「オズのことが大切だったから、守りたかったんだ。大切な弟子で、家族だったから……だから、オズを失うのが嫌だったし、オズが悲しんだり苦しんだりする姿を見たくなかった。とびきり優しくて残酷な、お前の師匠のエゴだよ」
大切で、大好きだったから、失いたくなかった。自分の所為で師匠が死んだと苦しむ弟子を見たくなかった。だから、あの大魔法使いは、最高で最悪な行動を取ったのだ。大切な愛弟子の身も心も守るために。
そんなリオニスの言葉にオズワルドは目を伏せる。そして、掠れた声で言った。
「……あぁ、わかっている、わかっているとも……私は、あの人の弟子だ」
彼の思考も優しさも、わかっている。嫌と言うほどに、わかっている。それでも、と彼は震える声で、言った。
「それでも……失いたくなかった」
嘆くようにそう言いながら、彼は師の方へ手を伸ばす。今ならばまだ届く、そう言いたげに。その表情はまるで親に置いて行かれた子供が不安がるようなそれだ。手を取って。連れて行って。そう願う彼の心が軋む音が聞こえた気がした。
自分を守るためだったとしても、忘れさせないでほしかった。貴方に生きていてほしかった。そう願わずにはいられなかった。
このまま、心が壊れて仕舞えば、きっと悪魔の思う壺だ。今頃舌舐めずりをして、この様子を見ているのだろう。最強の魔法使いが堕ちる時を今か今かと待ちながら。
しかし、勇者がその手をそっと握る。そしてゆっくりと、首を振って見せた。そちらに行くな、と言うように。
「俺たちも、同じだよ。大切な仲間だから、失いたくない」
どうか行かないで。そう願いながら、リオニスはそっとオズワルドの手を自身の手で包み込んだ。小さく震える、冷たい手。それを暖めようとするように握りしめながら、彼は言葉を紡いだ。
「これは俺のエゴだ。オズが居ないと嫌なんだ。折角出会えた、大切な仲間だ。此処に、夢の中に置いていきたくない」
此処で終わる方が彼にとっては幸福なのかもしれない。夢の中で果てる方が良いのかもしれない。取り戻してしまった記憶を抱いて、思い出してしまった罪を抱いて生きることは、彼にとって辛いことだろう。けれど……それでも、彼を此処においてはいけない、とリオニスは言った。これは自分の我儘だ、と。
オズワルドは顔を上げて、リオニスの顔を見る。真剣そのものの表情をしていた彼は精一杯の笑みを浮かべた。
「一緒に、行こう。辛いときは俺が支えるから。俺だけじゃない。シュライクも、ユスティも、ロレンスも居る。きっとみんな、お前のことを支えるよ。大切な仲間だから」
泣きそうな笑顔で、リオニスは言う。オズワルドはそんな彼を見つめ、まだ潤んだままの瞳を瞬かせた。そして小さく首を傾げ、消え入りそうな声音で問いかける。
「……大切な仲間、と思ってくれるのか。師を死なせた罪人の、私のことを」
弱々しい声だった。最強の魔法使い、と呼ばれる存在とは到底思えないような、迷子になった子供のような声。それを聞いたリオニスは真っ直ぐに彼を見つめたまま、言った
「オズはオズだよ。俺たちと一緒に行きたいと願ってくれた、優しくて頼もしい魔法使いだ」
迷いない、真っ直ぐな言葉。嘘なんて微塵も感じない、心からの言葉。
"強い魔法使い"として必要としているのではない。"仲間になってくれたオズだから"置いていけない、と彼は言うのだ。
その言葉を、信じて傍に居て良いのだろうか。傍に居たいと願って良いだろうか。……幸せになりたいと、そう願って良いのだろうか。
オズワルドがそう思うのと同時、ふわり、と風が吹いた。
―― 行っておいで。私の弟子なら世界を救うくらいしてみせておくれ。
そんな声が、聞こえた気がした。
きっと、気のせいだ。だってこの夢は自分を喰らおうとした夢魔の見せる悪夢のはず。けれど……確かにその声が聞こえた気がして。
もしかしたら、今もまだ彼に守られているのかもしれない。そう思いながら、オズワルドは泣き笑いの表情を浮かべた。それを見て、リオニスも笑う。そして、強く強く、オズワルドの手を握った。
「さぁ、帰ろう。皆んな、オズを待ってる」
彼の胸元でペンダントが光る。此方に来て、戻ってきて、と呼びかけるように。その光に導かれるように、二人は歩みを進めた。
***
ふ、と目が開く。眩しすぎる光に思わず目を閉じて、ゆっくりと開ける。小さく声を漏らせば、すぐ傍ではっと息を呑む音が聞こえた。
「オズ!」
「オズワルド!」
心配そうに覗き込んでくる三つの顔。それを見て、オズワルドは目を細めた。
「……ユスティニア、ロレンス、シュライク」
そっと名を呼ぶと彼らは少し安堵したように表情を綻ばせた。
「オズ」
おはよう。そう呼びかけながら少し遅れて視界に入り込んだのは、先刻まで夢の中で共にいた、優しい勇者。どうやら自分より先に目を覚ましたらしい彼の優しいライラック色の瞳を見つめ、オズワルドは目を細める。
「リオニス」
おはよう。そう返せば、彼も安心したように笑った。
寝かされていたのは清潔だが少し硬いベッドの上。そこに体を起こそうとすれば、慌てたように優しい手が背を支えてくれた。
「よかった……記憶の混乱は? 体の不調は? 何か少しでも変なところがあったら言ってください」
そう矢継ぎ早に問いかけるのは今にも泣き出しそうな顔をした星読みの魔法使いだ。薄い涙の膜に覆われた橄欖石の瞳を見つめ、オズワルドは首を振り、答えた。
「大丈夫だ、ありがとうユスティニア」
まだ少しぼんやりするが、それはあくまでもずっと眠ってしまっていたことによるものだろう。記憶が混乱することも、体調不良を感じることもない。問題ないと応じるオズワルドを見つめ、シュライクが眉を下げながら、問うた。
「本当か?」
酷く心配そうな、最年少の仲間の声。
「あぁ。……何故?」
本当に体調は問題ないのだが、とオズワルドは首を傾げる。それと同時に、色白な手が伸びてくる。少しかさついた指先が、そっと目元をなぞる。
「泣いてるから、オズ」
平気? そう問いかけるのは、緩く首を傾げる楽士。それを聞いて、オズワルドはゆっくり瞬く。
頬を伝い落ちる水の感覚と、クリアになる視界。なるほど、自分は泣いていたのか。そう理解した彼は、少し困ったように笑った。
「……悲しい訳では無い。ただ、嬉しいんだ。あの人を思い出せたこと、それに……幻影とはいえ、あの人を見送れたことが」
あれはただの幻影だ。悪魔が見せた夢。夢魔の夢はほぼ現実そのままに再生されるとはいうが、きっと細かなところは違うのだろう。実際はもっと哀しい最後だったのかもしれない。自分が知らないだけで、彼は自分を恨んで死んでいったのかもしれない。けれど、きっとあれが現実だったと信じられるのは、それまで育ててくれた、キサナへの信頼があるからだった。
そんな現実じみた夢の中でとはいえ、かつて自分を育て、愛してくれた師を見送ることができた。それが嬉しかったのだ、とオズワルドは言う。
それを聞いてロレンスは目を細める。そしてふっと息を吐きながら、言った。
「オズは、やっぱり強いよ」
そう言いながら、ロレンスはそっとオズワルドの髪に触れた。綺麗な海色と薔薇色の瞳を見つめ返せば、彼は穏やかに目を細めて、言った。
「記憶と向き合って、それでも戻ることを選んだ。君は、本当に強いよ」
それを聞いて、オズワルドはゆっくりと瞬く。そして穏やかに微笑むと、何処か得意げに言った。
「育ての親が、勇敢で優しい魔法使いだったから、な」
彼に恥じない自分でありたい。そう言って微笑む彼を見て、ロレンスも穏やかに表情を綻ばせたのだった。
***
一行が身を寄せていたのは、オズワルドが夢魔に襲われた場所からほど近いところにあった街の宿屋だった。あんな魔法をかけられたオズワルドには心身に大きな負担がかかっただろうし、ずっと魔法を使っていたユスティニアやロレンス、気を張っていたシュライクも疲れているだろう、と言うことでゆっくり出来る場所に移動した形である。もう少し休んでいた方が良い、と言う仲間達の言葉に甘え、オズワルドはベッドに腰かけたまま、ゆっくりと過ごしていた。
そんな彼の傍に控えめに歩み寄ってきたのは、先刻まで買い出しに出ていたユスティニアだ。彼は一冊の本を手にしている。その表紙をそっと撫でながら、彼は言う。
「キサナ・ヴィオレトイド……記録に残っていました。かつて国の意志に逆らった大罪人として中央都市で処刑された、大魔法使いだと」
名前さえわかってしまえば、幾らでも情報を得ることは出来る。そう思ったユスティニアは、オズワルドの師のことを調べたらしかった。それを聞いて、オズワルドはそうか、と短く返し、ユスティニアが手にしていた本を受け取った。
そこに描かれていたのは、オズワルドが知る彼とは随分と異なる、残酷で冷淡な魔法使いだった。国の意志に逆らい、国からの使者を殺め、中央都市に恐慌を齎した魔法使い……そんな記述。
「良いのですか。貴方の師は、本当は……」
ユスティニアは眉を下げ、そう問いかける。オズワルドの過去と師匠の話は、仲間達全員が聞いていた。それを聞く限り、彼はこの本に記載されているような魔法使いではないはずだ。オズワルドはそんな彼を慕っていた。師の魔法の作用で記憶を失うことを拒むほどに。そんなかけがえのない師が悪く思われ続けるのはきっと辛いだろう、とユスティニアは言う。
それを聞いたオズワルドは一度目を伏せる。それからふっと息を吐き出して……
「良い、とは言えない。私の所為でキサナにそんな汚名を着せてしまったことは、悲しい。だが……」
彼はそこで一度言葉を切る。そして悲しげに微笑みながら、言葉を続けた。
「だが今更自分がしたことだと言ったところで誰も信じないだろう。キサナがかけた魔法を私が解くことはきっとできないし……できたとして、私がそれで罰されるようなことがあれば、キサナがしてくれたことが無駄になってしまう」
キサナの魔法は強力だ。オズワルドが関わった人間全てから記憶を消し、使者殺しを自分の仕業であると全ての人間に誤認させた。それほどの魔法を覆せるとは到底思えない。仮にできたとしても、本当の犯人であるオズワルドが罰されるだけだ。キサナの名誉を回復することは出来るだろうが……それをキサナが望まないであろうことは、オズワルドが一番良くわかっていた。彼は、弟子を守るためだけにあれほどの魔法を使ったのだから。
オズワルドはそっと自分の胸に触れる。そして、誓うような声音で言った。
「この罪は、私だけのものだ。私が抱えて、生きていくよ」
覚えているのは自分だけで良い。オズワルドはそう言った。思い出した彼の名も、顔も、自分の罪も、もう二度と忘れない。自分が全て背負って、持っていく。彼は真剣な声音でそう言った。
それと同時、彼の背にずしりと重みが乗る。う、と小さく呻いた彼の肩に顎を乗せた少年のよく通る声が響いた。
「水臭いこと言わずにさ、辛いときはちゃんと辛いって言えよ!」
仲間なんだからさ、と笑う銀髪の少年……シュライク。彼はに、と明るく笑っている。
「思い出話、たくさん聞かせてください」
ユスティニアもそう言って、微笑む。
「亡くなった人が戻ってくることはありません。でも、想い出を語ることは出来ます。新しい記憶を作ることは出来ずとも、心の中にある記憶を磨くことは出来ます」
穏やかで優しい声で、ユスティニアは言う。嗚呼、彼も両親を亡くしていたのだったか。そう思いながらオズワルドは榛色の瞳を細め、頷いた。
「たくさん、キミの師匠のことを教えて。そうしたらボクが歌にして、歌おう」
そう言いながら、ロレンスは竪琴を鳴らす。思わずはっとするような、美しい音。指先で柔らかな音を奏でながら、彼は歌うように言った。
「きっといつか、歴史の記述は変わるよ。今までもたくさんあったのだから。英雄が悪人になってしまうこともあれば、大罪人が聖人となることだってある」
一度演奏を止めた彼は顔を上げ、オズワルドを見る。そして優しく目を細めながら、言った。
「ボクが歌うよ。優しくて強い、君の師匠のこと。ボクは何も特別なことは出来ないけれど、歌うことは出来るから」
そう言って、ロレンスは微笑む。オズワルドはそんな彼に表情を緩めて、頷いた。
「ありがとう、ロレンス。……それと」
一度言葉を切った彼は、先刻から自分からは話しに混ざろうとしないもう一人の仲間の方へ視線を向けた。
「リオニスも、ありがとう」
そんなオズワルドの声に、傍で仲間達の様子を見ていたリオニスはライラック色の瞳を瞬かせる。突然礼を言われたことに動揺したように視線を揺らしている彼を見て、オズワルドはくすりと笑った。
「私を、迎えに来てくれてありがとう。きっと、君が来てくれなければ、私はあのまま、あの夢の中で壊れていたことだろうから」
知らされた残酷な現実と、目の前で炎に包まれる師の姿。それを見て壊れなかったのは、現実に戻ることを選べたのは、他でもないリオニスの言葉があったからだった。自分を必要としてくれる仲間が居る。そう思えたからだ、とオズワルドは言う。
「いや、でも俺がオズのところに行けたのはユスティのお蔭だし……」
そう言いながら、リオニスは困ったように笑った。自分は特別なことをした訳ではない、と。
「でも自分が行くと真っ先に言ったのは、リオニスでしたよ」
「そうだぜ?」
ユスティニアとシュライクがすかさずそう声を上げる。それを聞いてリオニスはぱちりと瞬く。
「心配しなくても、リオニスはボクたちにとっては立派な勇者様だよ。ボクはいつか、キミの冒険も歌にしたいと思っているんだ」
駄目かな。そう言ってこてりと首を傾げるロレンス。曇りのない瞳で見つめられて、リオニスは眉を下げ、頭を掻いた。
「……まいったな」
こんなに真っ直ぐ褒められたり認められるのは慣れない。そう言って照れたように笑うリオニス。その姿を見て仲間達は笑う。久しぶりに全員分揃った笑い声は静かな宿屋の中、賑やかに響いていた。
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