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第十章 勇者と温かな関係
しおりを挟む静かな星読みの街も、昼間は少し活気付く。開いた店を巡りながら、リオニスとシュライクは旅の支度を整えていた。此処に来るまでに消費してしまった薬や包帯、携帯食料をはじめとする消耗品、そして血で汚れてしまった服の替えなども購入することにする。質素倹約を旨とする星読教の教徒たちの街らしく、質素なデザインのものが多かったが、その方が戦いもするシュライクやリオニス達には丁度良かった。
リオニス達が勇者だということを知っている街の人々は何かと気にかけてくれ、おまけを渡してくれたり祈りを捧げてくれたりと甲斐甲斐しかった。星読みの館の魔法使いたちは外の世界との接触を禁止されていたが、街の人々はそうではないのだったな、と今更のように思った。
昨夜あんな騒ぎがあったことはまるで何も知らない街は、いつも通りだ。現場である星読みの館ですら、いつも通りだったくらいだ。教主があの後ユスティニアのことをどう説明したかは知らないが、館を出るときは相変わらず無言の信徒の一人が深々と礼をして送り出してくれた。
「服とか、頓着がまるでなかったからなぁ……」
新しく購入した服に腕を通したシュライクは少し落ち着かない表情を浮かべている。元々着ていた物に近いデザインのシャツとズボンを選んではいたが、それは当然新品な訳で、今までシュライクが着ていたぼろぼろのそれとは着心地が違うだろう。そんな彼の様子を見て、リオニスはくつくつと喉の奥で笑った。
「あんまりぼろぼろの服だと宿や店に入れてもらえない、と言うこともあるからな。ある程度ちゃんとした服を着ててくれ」
リオニスはそう言って笑う。実際、中央に近づいて行くにつれて、そう言った宿も増えてくるだろう。宿賃が高くなることは想像がつくし、浮浪者のような恰好では泊めてすらもらえない宿や店も少なくないということを知識としては知っている。それを聞いてシュライクはげ、と声を漏らす。露骨に嫌そうな顔をしている彼の頭を小突いた。正装(フォーマル)が必要になることは今のところないと考え普段着だけを用意したが、もしも必要になるようなら、シュライクはそれを着るのを拒みそうだな、と考えて、リオニスは心の中で苦笑した。
「リオニス、シュライク、買い物は終わりました?」
丁度その時、後ろから柔らかな声が聞こえた。振り向けば、そこには穏やかに微笑む新しい仲間……ユスティニアが居て。リオニスは穏やかに笑って、頷いて見せた。
「あぁ、大体終わったな。ユスティは旅支度、終わったか?」
ユスティニアもまた、旅支度をしていたはずなのだ。旅立てば当分、この街に戻ってくることはない。旅に必要なものを纏めて持ってくるから、その間に買い物を済ませておくと良い、と言う彼の言葉にリオニス達は従った形である。ユスティニアはその言葉に微笑んで、頷いた。
「終わりました。とは言っても、大した荷物はないのですけれど」
苦笑しつつユスティニアが持っている鞄は確かに小さなもの。曰く、治癒魔法を使う程ではない傷の手当のための道具などが入れてあるのだそうだ。彼らしい旅支度だな、とリオニスは笑った。
「教団の方はどうなったんだ?」
シュライクは一番気になっていた部分をズバリと問う。ユスティニアは一瞬大きく目を見開いた後、ふわりと笑って、言った。
「えぇ。仲間には教主様が上手く説明してくださいました。罰としての追放を兼ねて、勇者様に同行して布教の旅に出る、と」
なるほど、確かに上手い言い方だ。強い力を持ったポラリスの彼は、戒律を破った罰として街から追放する。その力を使い、勇者様の役に立つことで罪を灌ぐのだ、と教主は他の信徒たちに伝えたようだった。どうやら、ラースはユスティニアの言葉に従って教主としての振舞いを続けているらしい。ユスティニアはそのことに安堵しているようだった。
「じゃあそろそろ発つか」
暗くなる前にある程度のところまで進んでしまいたい。そんなリオニスの言葉に小さく頷いたユスティニアは小さく声を上げると、鞄を開いた。
「僕からお二人にプレゼントしたいものがあるんです」
そう言って、彼は何かを取り出した。差し出されたのは、ペンダントとブレスレット。シルバーのチェーンでできたそのどちらにも綺麗な青と金の宝石……ラピスラズリが填まっていた。そのペンダントをリオニスに、ブレスレットをシュライクに手渡しながら、ユスティニアは少しはにかんで、言った。
「僕が作ったものなのであまり見栄えは良くないかもしれませんが……」
「え? これ、手作りなのか?!」
そうは思えない出来栄えだ。そう思いながらリオニスは大きく目を見開いて、手渡されたペンダントを見つめた。
シルバーチェーンのトップには満天の星空を思わせるような美しいラピスラズリが填まっている。ラピスラズリは、いつもユスティニアが身に付けているロザリオにもついている宝石だ。一見ただのアクセサリーのようだが、それからは柔らかく、優しい魔力を感じとれる。それがユスティニアの魔力であることは一目瞭然だった。
「少し魔力を込めて原石を磨いただけですが……魔道具としての役割を果たすはずです。是非身に付けておいてください。助けていただいたお礼です」
ユスティニアはそう言って、ふわりと微笑んだ。それを聞いて、シュライクはぱちぱちとネモフィラ色の瞳を瞬かせると、小さく首を傾げた。
「助けてくれたお礼、って……寧ろ助けられたのは俺たちの方だと思うんだけど」
シュライクはそう言いながらリオニスを見る。その言葉でリオニスもまた小さく頷いて見せた。あの時、自分たちを助けたのは確かにユスティニアだと、そう思う。
しかしユスティニアは穏やかに微笑んだまま、ゆるゆると首を振った。
「あの時、僕が諦めず魔法を使えたのはリオニスが僕を信じてくれていたから、そして僕が貴方たちと戦おうと思えたのはシュライクが後は任せろと笑ってくれたからです」
確かに形としては、自分が魔法を使ったことで彼らを助けたことになるのだろう。しかし、ユスティニアにとってはそんな彼らの方こそ、自分を救ってくれた恩人なのだ。リオニスの激励で自分は魔法を使うことが出来たし、シュライクが頼もしく笑いかけてくれたから自分も彼らを守ろうという覚悟が決まったのだ。だからそのお礼に、と彼は微笑むのだ。
「リオニスのは剣を振るうときに邪魔にならないようペンダントに、シュライクのはブレスレットにしました。ただのアクセサリーに見えるかもしれませんが頑丈な素材で出来ていますので、戦闘にも邪魔にならないはずですよ。
僕の魔力を込めてありますので、ちょっとした呪術や魔法の類への耐性も上がるかと」
ご迷惑でなければ、とユスティニアは言う。それを聞いたリオニスとシュライクはまた顔を見合せて……笑った。そして、彼に貰ったアクセサリーを身に付ける。揃いの宝石がきらり、と煌めく。それを見ると何だか擽ったいような心境になって、彼らは互いに笑い合った。
「ありがとうユスティ!」
明るく笑って、シュライクは拳を突き上げる。
「なんか、良いな! 仲間、って感じして」
リオニスもそう言いながら、ペンダントトップを空に翳した。
「仲間、ですか。ふふ、確かに、そうですね」
ユスティニアは噛みしめるようにそう呟いて、ロザリオを握りしめながらふわりと笑みを浮かべたのだった。
***
旅支度を整えた三人はそのまま街を発つ。街を一歩出たところでユスティニアは街の方へ振り返る。生まれ育った街。一生離れることがないだろうと思っていたその街を見つめ、彼は一度手を組み合わせる。祈るように暫し目を閉じていた彼だったが、やがて目を開け、リオニス達の方を見た。そして、明るく笑みを浮かべる。
「行きましょう、リオニス、シュライク。足手纏いにならないように頑張りますね!」
そう言って笑うユスティニア。その瞳に灯るのは僅かな不安と大きな期待で。シュライクはにかっと笑って、その背を叩いた。
「此方こそよろしくだ、行こう!」
「おい、お前が仕切るのかよ!」
可笑しそうに笑いつつ、リオニスも胸の中が暖かくなるのを感じる。
旅立ちは一人だった。誰に見送られる訳でもなく、急き立てられるように自棄になっての旅立ちだった。けれど、今は二人も仲間が居る。仲間達(パーティ)と呼ぶには少ないのかもしれないけれど、これまで誰かと特別親しくしたことがなかったリオニスにとっては二人が共に旅をしてくれるということがとても幸福なことに感じるのだった。
「それで、この後は何処に向かうのですか?」
歩き出しながら、ユスティニアはそうリオニスに問いかける。リオニスはそれに頷き、答えた。
「そもそもの予言が曖昧だし、被害の状況の確認もしたい。中央都市に向かおうと思うんだ」
事の発端……中央都市アレキシアの予言者の(リオニスにとっては)無責任且つ曖昧な予言を確かめるべきだ、と言うのがリオニスの出した結論だった。星読みの街の周囲にも確かに影響は出ているようだったが、それが果たして魔王の影響によるものなのかも今一つ、はっきりしない。中央には国中のあらゆる情報が集まっている訳だし、そこで現在の状況を確かめること、そして予言の詳細を聞くのが一番だと思った、とリオニスは言う。
「確かに、それが良いかもな」
シュライクも真面目な顔をして頷く。彼はリオニスが旅立つことになったきっかけの予言を聞いたことがなかったという。だから、改めて聞いてみたいという想いもあるのだろう。そこまで考えたところでふと、リオニスはユスティニアに問いかけた。
「そういえば、ユスティは聞いたことがあったのか? 予言について」
教主……ラースは勇者の存在を知っていたようだけれど、とリオニスは言う。ユスティニアはその言葉に小さく頷いた。
「一応は、と言う感じです。外の世界の予言者が魔王の目覚めと勇者の存在を示した。その勇者はきっと星の導きでこの世界を守ってくれるだろう、その勇者様のためにも私たちはより熱心に祈るべきだ、と言った旨のことを」
星読教での予言の扱いはそうだったらしい。あくまでも"外の世界でのこと"であり、それに干渉できない彼らは祈り続けること……つまりはいつも通りの生活をすることが重要である、と伝えられていたようだ。あの街の人々や星読教の教主……ラースにとっては勇者本人が訪ねてくること自体、想定外の出来事だったのだろうな、とリオニスは思う。まさかその来訪が原因で自身が悪魔と契約を交わし信者たちを騙し続けていたことを暴かれるとも思っていなかっただろうけれど。
「スフェインでは知れてた、ってことはこれから中央に近づいて行けば知らない、って人間の方が珍しくなるかもしれないなぁ」
どうやら、外れの街……シュライクの故郷であるルビアまでは届いていなかった予言の噂も、中央に近ければ形はどうあれ伝わっているようだ。これから訪れるところでは痣を見られれば、或いは自分から身分を明かせば、"あぁあの予言の"と言われる可能性がある訳だ。
―― ……自分からわざわざ明かしたいとは思わないのだけれど。
そう思いながらリオニスは溜息を吐き出し、そっと自分の腕を擦った。
「未だに今一つ俺が勇者だ、ってのがピンと来てないんだよ、俺自身が」
ぼやくようにそう言うリオニスを見て、ユスティニアは橄欖石の瞳を瞬かせた。
「そうなのですか?」
彼は教主から"勇者様の手伝いをするように"と言われて彼らと行動を共にしていたため、リオニスを勇者だと最初から知っていた訳で、その自覚がない、と言うリオニスの発言が不思議だったようだ。リオニスは苦笑いを浮かべながら、軽く肩を竦めた。
「この痣一つで勇者、って言われてもなぁ。ユスティも知ってるだろ? 俺が別に特別な剣士じゃないってことは」
戦えない訳ではない。剣術にはそれなりの自信がある。しかし、特別優れた力を持っている訳ではない、と言うのがリオニスの自己分析だった。シュライクのような人並外れた怪力がある訳でも、童話に出てくる勇者のような必殺技がある訳でもない、ごく普通の剣士なのだ。それはユスティニアも共に戦って知っているはずだ、とリオニスは言う。
それを聞いたユスティニアは少し考え込む顔をした後、ふっと息を吐いた。
「確かに、リオニスは特別ではないのかもしれませんね。でも、きっと人生ってそういうものなんだと思いますよ」
「その心は?」
シュライクに促され、ユスティニアは少し眉を下げて笑いながら、言った。
「僕だって、一番優秀な魔法使いだと、そう言われて育ちましたが……そんな自覚、僕にはありませんでしたから。特別か、そうでないかなんて、結局ただの記号でしかないのでしょう。リオニスも勇者、と言う肩書を与えられていますが、勇者である以前に"リオニス・ラズフィールド"と言う一人の人間でしょう。特別である必要はない、と言うか、それだけで特別であるというか……」
優しく穏やかで大人びた声で、ユスティニアは言葉を紡ぐ。シュライクもリオニスも言葉を挟むことなく、それを聞いていた。それはまるで、教会で聴く説法のようだった。
ユスティニア自身もそう思ったのだろう。
「……なんだか説教臭くなってしまいましたね」
少し眉を寄せたユスティニアはそう呟いて、小さく咳ばらいをする。そして、笑みを浮かべるとリオニスを見て、言った。
「それに、僕は貴方を確かに恰好良い勇者様だと思っていますから。それだけで特別、ではありませんか?」
唐突にそう言って微笑むユスティニアに、リオニスは思わず足を止め、固まる。純粋無垢な瞳で見つめながらあっさりとそんなことを言う彼に、リオニスはどぎまぎと視線を揺らす。
「な、何言い出すんだよ……」
「あれ、僕今何か可笑しなこと言いました?」
戸惑うリオニスを見てユスティニアは不思議そうに首を傾げる。彼は別にリオニスを揶揄おうと思った訳ではなく、本気で、心からそう思っているだけなのである。リオニスもそれが十二分によくわかっている。彼の言葉が嬉しくない訳では勿論なく、こうも真向から褒められることが今まであまりなかったために免疫がないだけなのだ。
シュライクはそんな二人のやり取りを見てくすくすと笑った。それからリオニスの肩を叩いて、言った。
「たまーにやたら卑屈なんだよリオは! ユスティももっと言ってやってくれ!」
な、と笑うシュライクは悪戯っ子のような表情を浮かべている。ユスティニアはそんな彼の思惑には気付かず、純粋無垢な瞳をリオニスに向けたまま、穏やかに微笑んで言葉を紡いでいく。
「そうなのですね。僕にとってリオニスは命を救ってくれた張本人であり、僕に世界を教えてくれた人だというだけでも十分特別な存在なのですが……」
「だよなぁ。それに別に弱い訳でもないんだぜ? あの悪魔と戦ってるときだって恰好良かったよな?」
「えぇ、剣技も十分に素晴らしかったと思いますよ。僕は逆にああして戦うことは不得手ですので……」
そんな二人のやり取りを聞くリオニスの頬はどんどん赤く染まっていく。シュライクはそれを見て愉快そうに笑いながらユスティニアを煽っている。リオニスはまるでよく熟れた林檎のように紅になった頬を隠すようにぷいと前を向くと、叫ぶように言った。
「褒め殺しはやめろ!! 恥ずかしくて死ぬ!」
これ以上聞いていたら比喩ではなく本当に顔から湯気が出そうだ。タチが悪いのはユスティニアの言葉は本当に心からそう思って言ってくれているとわかること、そしてシュライクも揶揄っているようで本当に自分を慕ってくれているとわかってしまうことである。
「先行くぞ!」
歩みを進めていく勇者。その姿を見てシュライクはけらけらと笑い、ユスティニアは不思議そうに瞬く。
「そんなくだらない死因で勇者が居なくなったら喜劇にもならねぇな!」
そう言って笑いながら、シュライクはユスティニアの手を引き、先をどんどんと歩くリオニスを追いかける。自分の手を取り走り出す"仲間"の手を見て、聖なる魔法使いは一瞬驚いたように目を見開いた後、心から幸福そうに微笑んだのだった。
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