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第七章 勇者と星の呟き
しおりを挟む深い森の奥。駆ける魔獣の足音を追う。地面に落ちた木々を、木の葉を踏みしめ、走る音。獣は逃げきれないと理解し、足を止める。それに追いつくと同時、リオニスは剣を鋭く振るった。
「はぁああっ!」
斬りつけられた魔獣は甲高い悲鳴を上げ、地面に崩れる。痙攣し、必死に立ち上がろうとするその獣の首にリオニスはもう一度深々と剣を突き立て、とどめを刺した。
仲間が斬られたことに激高したもう一頭の魔獣はリオニスの傍に居た丸腰の人間……シュライクに飛び掛かった。鋭い牙が、爪が、彼に迫る。
「スティラ・ポラリス」
静かな声での詠唱と同時、シュライクの前に薄い障壁が張られる。静かな湖面のように澄んだそれに魔獣は突撃する。ぴきり、と軽い音が響くが、障壁が破られることはない。魔獣は無様に地面に転がり、唸った。それを見て、シュライクは笑みを浮かべ、強く地面を蹴る。
「よ、っと!」
鋭く振りぬかれた彼の脚が、起き上がりかけていた魔獣の脳天を蹴りつける。ボールのように飛んだ魔獣の体は木の一本に叩きつけられ、ぐったりと動かなくなった。
辺りを見渡したシュライクは小さく頷き、リオニスの方へ歩み寄る。リオニスも剣に付着した血を拭い取り鞘に納めると、一つ息を吐き出した。
「やっぱり少し強かったな」
「魔王の影響、ってやつかねぇ」
彼らは滞在している街……星読みの街の傍の森の中の魔獣の掃討作戦を行っているところだった。幸い、巣を作って住み着いているような魔獣はあまり多くなく、一度討伐してしまえば暫く安全だろうと思えた。
しかし、戦ってみて思ったのは、やはり普段相手にしていた魔獣に比べて強かったということだ。魔王を倒す勇者だと告げられたリオニスですらまだ今一つピンと来ていないが、これがきっと魔王の影響なのだろう。そう思いながら、リオニスは眉を寄せる。まだ、魔王が住むという禁じられた土地からは離れている。そんな場所ですらこうならば、もっと近いところでは……そう考えると、少し旅路を急いだ方が良いかも知れない、と彼は密かに思う。
「お疲れ様でした」
そんな思考を遮り響いたのは優しく穏やかな声。顔を上げれば、先刻シュライクを守るための障壁を張ってくれた人物……星読みの青年、ユスティニアが居た。リオニスは彼に笑いかけて、礼を言った。
「ありがとうな、ユスティ。助かった」
そんな彼の言葉にユスティニアも嬉しそうに表情を綻ばせた。橄欖石色の瞳を細め、緩く首を傾げながら彼は問うてくる。
「どういたしまして。お怪我はありませんか?」
「大丈夫だ! 凄いな、ユスティ、さっきの障壁、完璧だった!」
シュライクはそう言って闊達に笑うと、ばんばんとユスティニアの背を叩いた。けほけほと噎せる彼を見て苦笑を浮かべつつ、リオニスは言う。
「流石、優秀だって言われるだけのことはあるな。ポラリス、だっけ?」
リオニスの言葉を聞いて、ユスティニアは少し驚いたような顔をした。幾度か瞬いてから彼は少し照れ臭そうにはにかんで 首を傾げた。
「教主様から聞きました?」
「あぁ、少しだけだけどな」
星読みの街に滞在し始めて数日が経った頃、ユスティニアがリオニス達の"仕事"に同行するようになった。と言うのも、ユスティニアは今星読みの館に暮らしている魔法使いたちの中でも一番強い力を持つ魔法使い……ポラリス候補であるため、役に立つだろうとのことだった。
ポラリス……沈むことのないその星の名前は、この館で暮らす敬虔な信徒たちの中で最も相応しい者に与えられる名なのだという。そしてそのポラリスに選ばれた魔法使いはやがて最高位の星読みの魔法使いとして教主に特別な仕事を与えられ、館の最奥にある神聖な場所で一生を過ごすのだという。星を読み、人々に、世界に、星々の力を分け与える神聖な仕事なのだ、とユスティニアは聞いているようだった。
「僕の両親もポラリスだったらしいです」
得意げに、ユスティニアは言った。得意げで、しかし何処か少し寂し気な様子だったのは、かつてポラリスの名を与えられた彼の両親と彼とがその役目のために離れ離れになってしまったためだろう。両親と言う存在を知らないリオニスではあるが、親と別れるというのは子としては寂しいものなのだろうという想像くらいはついた。
だからこそ、彼を元気づけてやりたくて、リオニスは彼に言った。
「じゃあ、きっとユスティもこのままきっと立派なポラリスになるんだろうな」
「気が早いですよ。僕はまだまだ修行中の身ですからね」
能力もまだまだですし、と言いながら彼は首を振った。少し照れたようにはにかむ彼は、やはり実年齢より幾分幼く見える。自分自身もそうであるため、リオニスは勝手にユスティニアに親近感を覚えていた。
「大丈夫だよ、ユスティはきっとうまくやっていける。仲間になってほしいくらいだよ」
少し冗談めかして、リオニスは言う。実際、半分は冗談だが、半分は本気だった。この街に立ち寄った理由の一つに、回復や防御が出来る仲間を探すことがあった。折角こうして親しくなれたのだからユスティニアに来てほしいという気持ちは勿論ある。しかしそれが叶わないということも、リオニスは重々承知の上だった。
想定した通り、ユスティニアは少し困ったように笑った。それから緩く首を振り、彼は言う。
「そのお言葉は嬉しいのですが……一緒にはいけません。僕には、星読みとしての仕事がありますから」
館に住み、ポラリスを目指して精進する信徒でなければ頷いていた、と彼は言った。しかし両親の代からずっと星読みの館に住み、星読みとしての修行をしてきた、そしてポラリスとして期待されている自分は今更その役目を放り出してはならないと思っている、と。
「そうだよな、困らせるようなこと言ってごめん」
リオニスは素直にそう言って詫びる。ユスティニアは軽く首を振って見せた後、空を見上げてふっと息を吐き出した。
「そろそろ戻りましょう。日が暮れる前に戻らなくては叱られてしまいますから」
「あぁ、もうそんな時間かぁ……」
シュライクは露骨につまらなそうに言う。最近は魔獣の討伐などの仕事にユスティニアが同行してくれるため、一緒に過ごす時間は長くなってはいたが、相変わらず戒律に従った生活のため、どうしても物足りなく感じてしまう。親しくなればなるほど、共に過ごしたい、仕事以外でも会話を交わしたいと思ってしまうのは致し方のないことである。尤も、それが本来は戒律違反であるため、リオニスが"無茶を言うなよ"とシュライクを宥めることになるのだが。
しかし、ユスティニアもシュライクと同じように思っているようで、時折彼の方から夜に一緒に過ごすことを提案してきたり、共に外に出かけたりすることもあった。その時は決まって、彼は二人から他の街の話を聞きたがった。幼く無邪気な子供のように。やはり物心つく前から教団のあの館で過ごしてきた彼からすれば、外を知りたいという欲求は強いのだろう。
今日も、そうだった。帰るか、と伸びをするシュライクを見つめ、ほんの少しだけ迷うような顔をしてから、"あの"とユスティニアが口を開いた。
「お二人を誘いたい、とずっと思っていた場所があって。今日、一緒にいかがですか? とても綺麗に星が見える場所があるんです」
そんな誘いを、彼は紡ぐ。それを聞いて、シュライクはぱぁっと顔を輝かせた。
「へぇ! 行ってみてぇな!」
彼は夜の景色を見るのが好きだ。故郷に居た頃から、時折スワローやクロウと一緒に星を見て過ごしていたと言っていた。酒こそまだ嗜めない年齢の彼らではあるが、大切な仲間たちと一緒に星を眺めて過ごすというのは楽しかったのだろう。
すっかり乗り気の彼を見て、ユスティニアも嬉しそうに表情を綻ばせた。
「良かった。今日は特に星が綺麗に見えるはずなんです。ご案内しますよ」
「良いのか?」
リオニスは少し気遣うようにそうユスティニアに問いかける。自分やシュライクが外に出る分にはそこまで問題はないはずだが、星読教の教徒である彼が夜間外出する理由を作ってしまうのは拙いだろう。彼からの申し出であるし、事実今までも何度か夜間に街や街周辺の案内をしてくれている。それに本来はこうして必要以上に会話をすること自体が戒律違反であるのだから今更、と言う気もするのだが、それでも気にかかった。
リオニスのそんな心情は伝わっているのだろう。ユスティニアは少し困ったように眉を下げる。それから、唇の前に指を立て、言った。
「良くはないのですが……内緒、ですよ?」
そう言って微笑む彼は悪戯な子供のようで。本人がそう言って笑うなら、とリオニスも微笑んだのだった。
***
教団の人々がすっかり寝入ったであろう時刻に三人は外へ出る。ユスティニアが案内してくれたのは、街の外れにある小高い丘だった。背の高い木々や建物のないその場所は確かに空を見上げるには絶好の場所だ。漆黒の天鵞絨を広げたような夜空には細かく砕けた宝石を散らしたように星々が煌めいている。それを見ると思わず感嘆の声が上がる。
「すげぇ」
「綺麗だな」
シュライクとリオニスがそう感想を漏らすと、ユスティニアは嬉しそうに微笑んだ。
「良かった。お気に入りの場所なんです」
「って、ことは何度か来てるんだな。夜の外出は駄目なんじゃなかったっけ?」
悪戯っぽく笑ってシュライクが言うと、ユスティニアは決まり悪そうに頬を引っ掻いて笑った。どうやら図星らしい。くつくつと喉の奥で笑いながら、リオニスはふっと息を吐く。それから、夜空を見上げて言った。
「でも、星から力をもらうとかいうのに夜に出かけられないのは勿体ないな」
星読みの魔法使いたちは星から力を貰っているのだという。それなのに戒律で眠らなければならないために星を見て夜を過ごすことが出来ないのは少し……否、かなり勿体ない気がした。シュライクもやや鼻息荒く頷きながら言う。
「こんなに綺麗なのになぁ。勿体ねえよ!」
「ふふ、そうですね。でも、仕方ないです。戒律ですから。……僕は、こうして破ってしまっていますけどね」
そう言って、ユスティニアは微笑んだ。素直にそう言って微笑む彼を見て、シュライクは唇を尖らせ、彼の額を軽く小突いた。
「真面目だなぁユスティは。夜に外で遊ぶのも楽しいんだぞ」
「そうなのですか?」
ぱちぱちと橄欖石の瞳を瞬かせ首を傾げる彼を見つめ、シュライクは明るく頷く。
「おう! 夜にしか開かない店があったりもするしな!」
そう言って、シュライクは語る。夜に賑わう酒場の話、まだ彼らには少し早い夜の蝶の館の話を。シュライクたちはまだ子供だからなかなかそうした店に紛れ込むことはできなかったが、時折機嫌の良さそうな酔っ払いに賭けを持ち掛けて夕飯を奢ってもらったりしたことはあるのだそうだ。シュライクらしいな、とリオニスはくつくつと笑った。そう言った店など存在しないこの街に住むユスティニアからすれば全く想像もつかない世界の話のようで、彼は大きく目を見開いて、彼の話を聞いていた。
「ユスティ達みたいな敬虔な信徒たちからすれば穢れ、って思われるかもしれないけどな」
リオニスはそう言って笑う。この街の人々は皆正しく、真っ直ぐだ。規則正しい生活は間違いなく魔力を強くするだろうし、信仰も大きな力を生むことはリオニスにも理解できる。しかし……やはり、この街の潔癖さは息苦しく、物足りない、勿体ないと思ってしまう。そんな自分たちはやはり、"穢れて"居るのかもしれないなと思いながら彼は笑う。ユスティニアはそんな彼の言葉に苦笑を漏らし、首を振った。
「こんなことを言ってはそれこそ罰が当たってしまうかもしれませんが……僕は決して、外の世界や貴方たちに触れることを穢れと思いたくないのです。
確かに僕たちとは考え方が違う、信じるものが違う、けれど……同じ、人間なのですから。
リオニスやシュライクは、僕にとって……その、友人、だと思っているので、そんな人たちのことを穢れ、と思いたくはないのです」
ぽつぽつとそう語る彼は、少し寂し気だった。困ったように笑う彼の言葉はきっと、彼の信仰からすれば間違ったもの。しかし、そんな彼の言葉が嬉しくて、リオニスとシュライクはわしゃわしゃと彼の綺麗なプラチナブロンドの髪を撫でつけた。やめてください、と言いつつユスティニアは何処か嬉しそうに笑っていて、二人は暫しその手触りの良い髪を撫で続けた。
一頻り撫でられ、くしゃくしゃになってしまった髪を手櫛で整えながら、ユスティニアはふっと息を吐き出した。それから、リオニスの方へ視線を向けて、口を開いた。
「ねぇ、リオニス。冒険、と言うのは楽しいものですか?」
そんな問いかけにリオニスは目を丸くする。それを幾度か瞬かせてから、首を傾げた。
「いきなりどうしたんだ?」
「いえ。僕も本当にポラリスに選ばれるのなら、外に出ることはなくなってしまうだろうな、と思って」
緩く首を振ったユスティニアは少し寂し気に笑いながらそう言った。ポラリスに選ばれるのは名誉なこと。無論、選ばれるのならそれほど嬉しいことはないけれど、もしそうなったならば、リオニスやシュライクのように外を旅することは一生ないということになる。だから知りたかったのだ、とユスティニアは言った。
「魔王を倒すための旅、なのでしょう? 恐ろしくはないのですか?」
そう問われて、リオニスは目を伏せる。彼の真っ直ぐな問いは、少し痛い。そう思いながら、リオニスは一つ息を吸い込んで口を開いた。
「俺も、別に使命感とかで出てきた訳じゃないから初めは全然乗り気じゃなかったんだけど……」
自分などが勇者に選ばれた理由などわからない。それが本当なのかと問いたくなる気持ちは今でもある。決して使命感に燃えて出てきたとは言い難く、どちらかと言えば旅立たなければならないという義務感から旅立った形だと、リオニスはユスティニアに語った。それから、ふっと笑みを浮かべて、言葉を続ける。
「でも、今は、楽しいと思ってるよ。シュライクやユスティにも出会えたしな」
渋々始めた旅だった。けれど、今は旅立ってよかった、と思い始めている。旅立ってすぐにシュライクに出会い(尤も、出会いは碌なものではなかったけれど)、共に旅をすることになった。歩みを進める中でこの街に辿り着いて、ユスティニアにも出会い、今まで知らなかった星読みについて詳しく知り、こうして一緒に過ごすことが出来ている。それは旅に出なければ一生出会うことのなかった、知ることのなかった世界だ。それを見ることが出来たのは存外楽しい物だと思っている、とリオニスは不器用に語った。そして、そんな気恥しい話を聞いてにやにやと笑っている"仲間"の頭を小突いて、彼は言う。
「シュライクも、初めは街に残りたいって言ってたんだけど一緒に来てくれたんだ」
それに頷いたシュライクは自分が旅立つまでの過程を語る。偶然通りかかったリオニスの荷物を盗もうとして失敗し、取引の形で暫し共に過ごした。その中でリオニスの旅の目的を知り、力だけでは大切なものを守ることが出来ないと知り、ずっと共に過ごしていた"家族"に背を押され旅立ちを決めたのだと語る。
「俺はこの旅が終わったら故郷に孤児院を作るんだ!
子供たちが大人になってからも困らないような勉強が出来る居場所をな。それを作るための修行みたいな旅なんだぜ!」
得意げに胸を張り、シュライクは言う。それから、少し悪戯っぽく笑ってリオニスの肩を小突きながら、言葉を続けた。
「後、リオはどうしてもちょっと頼りないから鍛えてやってる」
戦闘面がなぁ、などと笑うシュライク。リオニスはそれを聞いて少し渋い顔をした。
「お、おい……」
否定はしきれない。剣術はいざ知らず、体術の訓練ではまだシュライクに勝ったことがない。シュライクより体も大きく年も上、戦闘経験だって多いはずなのに、体の使い方はシュライクの方が圧倒的に上手く、なかなか勝てないのである。
そんな二人のやり取りを聞いて、ユスティニアはくすくすと笑う。
「ふふ、確かにリオニスは少し優しすぎるかもしれませんね。勇者様、と言うには」
「うぅ、そう言われるとなぁ……もう少し貫禄がつけば良いんだけど」
そう言ってリオニスは肩を落とす。旅立つときからずっと思っているが、自分は到底"勇者"と名乗れる器ではないと思うのである。子供と見間違えられるような幼い容貌。体格は大分鍛えてはいるものの筋骨隆々とは言い難い。勇者だ、と名乗っても子供の冗談と捉えられかねない、と言うのは少し……リオニスとしては、心配なところだった。
落ち込んだ顔をしているリオニスを見てまぁまぁ、と笑いながらシュライクは彼の肩を叩く。
「俺はそんなリオが好きだぜ! だからついてきたんだからな! 自信持てよ!」
彼は真っ直ぐにそんな好意を言葉にする。それを聞いたリオニスは大きく目を見開き、少し照れたように頬を赤く染めながら、苦笑混じりに応じた。
「ありがとう、シュライク」
シュライクの言葉は真っ直ぐすぎて、時々眩しいと感じる。どうにも卑屈になってしまいがちな自分にとって彼は精神的な支柱になってくれている気がするな、とリオニスは思った。そう言う意味でも、彼がこうして自分の旅に同行してくれたことに感謝している。
「いつもお前の言葉に元気づけられてるよ」
改めて感謝の言葉を伝えれば、シュライクは少し驚いたようにネモフィラ色の瞳を見開く。それから、少し照れたように笑って頷いた。
そんな二人のやり取りを見つめて、ユスティニアは何処か羨まし気に目を細めている。
「……もし」
小さく声が漏れる。リオニスにもシュライクにも聞こえない、星の煌めきよりも小さな呟き。それは、星を読む信徒の叶わない願い。叶わない、とわかっているからこそ、彼は自身を戒めるようにゆるゆると首を振った。
「ん、ユスティ、どうかしたか?」
不思議そうに問いかけるシュライクに笑顔を向けて、ユスティニアは穏やかに微笑んで、首を振って見せたのだった。
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