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第五章 勇者の目指す先
しおりを挟む「リオ、本当にノープランで出てきたんだな」
リオニスがシュライクと共に街を出た最初の夜。至極冷静な声で、至極真面目な顔でシュライクにそう言われた。と言うのも、今後の動きの相談をしておくべきだとシュライクが言い出したからで。旅立ちのきっかけやらなにやらは話していたが、今後の方針などは確かに決めていなかった、とリオニスが白状したためである。
実際に考えてみれば、完全にノープランなのだ。凡その道筋は地図を見て考えてきたが、あくまでも大体は、と言うレベル。何処か立ち寄りたい場所や興味深い場所、或いはその魔王とやらの影響が大きい場所などがあれば立ち寄ろうと思っていたという程度なのである。仲間が必要ではないか、と言うのもシュライクと出会ってから考えたことで、それまでは完全に一人で動くつもりでいた。
「……そう言われると何も言い返せないな」
「行先と目的だけで出てきたってことか。それはそれで凄いなぁ」
そう言って、シュライクは笑う。ぱちぱちと爆ぜる薪の様子を見ながら、彼は"改めてなんだけどさ"とリオニスに言った。
「俺その予言を聞いたことないのよな。何て言われたんだ?」
彼の言葉に頷いて、リオニスは自分が告げられた予言を彼に伝えた。禁じられた土地にて魔王が目覚めた。腕に勇者の証の痣のある少年がこの世界を救う。世を支配する魔王を倒す、と言うもの。
「それだけか?」
「あぁ、それだけ」
怪訝そうな顔をするシュライクにリオニスは苦笑を浮かべて頷いた。いついつまでにだとか、どのようにだとか、そんな細かいところは告げられていない、曖昧な予言だった。
「まぁ、それを信じた街の人たちの期待の視線や雰囲気に耐えかねてとりあえず街を出たというのが正解だよ。
いつまでにどうしなきゃいけないかも、どうしたら良いのかも俺自身わかってない」
リオニスはそういうと投げやりに肩を竦めた。
「なるほどなぁ。俺たちはあんまり、その魔王の影響? とかも感じてなかったしな」
シュライクはそう呟いて一つ息を吐き出した。確かにルビアの近くに奇妙な魔獣が出ることはあまりなかったようだし、街の人間の気性が荒いのは元々だし、不安がっている様子もなかったな、とリオニスは思い出しながら言う。
「今のところはまだそこまで大きな影響は出ていないみたいだけどな。
魔獣が狂暴化してたり、変異したりしてるって話はちょいちょい聞いてるけど」
リオニスの言葉を聞いてそっかぁ、と頷いたシュライクはふと顔を上げる。そして、口を開いた。
「変な獣か……あー、バカみてぇにでかい熊とかか?」
「あぁ、そういうのだな。何だ、見たことあったのか」
リオニスも何度か倒した。通常の獣よりサイズが大きかったり、草食獣のはずなのに鋭い牙や爪を持っていたりする、強すぎる悪の魔力によって変質してしまった獣。それの討伐依頼と言うのは少なくなく、報酬金も良いことが多かったためにリオニスもしばしば引き受けていたのだが……まさかそれが、自分が倒すべき魔王とやらの影響であるとは、当時はさっぱり考えもしなかったな、と思う。
ともあれ、だ。先刻彼はあまり魔王の影響を感じたことはないと言っていたはずだが、そうした獣を見たことはあるのか、とリオニスは問う。それを聞いてシュライクはこともなげに頷いて、口を開いた。
「おう、今目の前に居るな」
そう言われてリオニスは一瞬固まる。それと同時、シュライクに強く体を引っ張られ、ぶん投げられた。何とか受け身を取り体を起こし、先刻まで自分が居たところに視線を向ければ、そこには巨大な熊が立ち塞がっていた。低く唸る声が響く。それに対峙しているシュライクを見てリオニスは剣を抜いた。
「っ、先に言えよ!!」
全く気が付かなかった。音も気配もなかった、気がする。否、油断していただけか? 背を冷や汗が伝うのを感じながらリオニスは剣を握りしめる。
緊張しているリオニスとは対照的にシュライクは愉快そうにからからと笑っている。
「はははっ、丁度良いじゃねぇか、夕飯ゲットだ!」
そういうと同時にシュライクは鋭い蹴りをその魔獣に向けて繰り出した。大柄の熊は存外素早くその攻撃を躱すと、逆に大きな手でシュライクを叩き落とそうとする。リオニスはそんな彼の援護のために剣を振りかぶり、シュライクの反対側から魔獣に斬りかかりながら、叫んだ。
「熊肉は固いから嫌だ!」
確かに倒した魔獣は食料になるが、熊はあまり美味しかった記憶がない。リオニスのそんな言葉にシュライクは闊達に笑った。
「好き嫌いするんじゃねぇや!」
そう言いながらシュライクは一度体勢を整え直すと、強く地面を蹴って熊の背後から飛び掛かった。そのまま首に組み付くと、華奢な腕で魔獣の首を締めにかかる。その華奢な体の何処にそんな力があるのか、と言うくらいの力で締め上げられて、魔獣は唸りを上げながらその腕を鋭い爪で引き剥がそうとした。
「っ、シュライク!」
リオニスが声を上げ、斬れた彼の腕からぱっと鮮血が散るが、シュライクは一瞬顔を歪めただけで腕を緩めるどころかさらに力を込めた。にいと勝気に笑って見せる。
「俺をナメんなよ!」
そう声を上げると同時、ごきりと鈍い音がして、獣の腕がぶらりと下がる。そのまま、ずしんと地面に魔獣の体が倒れた。……首の骨が折れた音だったのだとリオニスが理解するまでに少し時間がかかった。
地面に降りたシュライクは先刻獣に引っかかれた腕を見てうぇ、と声を上げる。
「うわ、流石に血まみれかー」
ぼたぼたと彼の腕から血が落ちる。痛みにと言うよりはその汚れに顔を顰めている様子のシュライクを見てリオニスは顔を青褪めさせ、剣を収めると彼に駆け寄った。
「大丈夫か? みせてみろ!」
そう言いながらリオニスは彼の服の袖を捲る。思ったよりは浅いがすっぱりと切れている。縫う必要まではないはずだが、と思いながらリオニスは深々と溜息を吐き出す。彼を引きずって焚火の傍まで戻ると、自身の鞄をあさり始めた。
「俺も応急手当くらいしかできないぞ……」
「おう、頼む!」
そう言って明るく笑うシュライク。リオニスはそれを見て小さく笑った。
「お前、本当強いな……剣使う暇もなかったぞ」
「おう! 素手でもあんなもんだ! 英雄みたいだっただろ?」
シュライクは嬉しそうに笑ってそう言った。その言葉にリオニスは頷きながら少しだけ眉を下げた。
一応剣を振ってはみたが、獣にあたって傷をつけるより先にシュライクが自身の体術で仕留めていた。恐らく、毛皮が分厚いために剣はあまり効果がなかったであろうことを推測すれば今回はシュライクが居てくれて助かった、と言う他ない。そもそも自分はあの獣の気配にすら気づけなかったのだから。そう思いながらリオニスは肩を落とした。
「あぁ、俺よりよっぽど勇者らしいよ」
自嘲気味にそう言いながらリオニスはやっと探し当てた応急手当セットを開けて、消毒液でシュライクの腕の傷を消毒した。そんな彼の伏せた目を見つめながら、シュライクはぱちぱちとネモフィラ色の瞳を瞬かせる。それからふっと苦笑を漏らしていった。
「……リオ、時々めちゃめちゃ卑屈だな」
そう言いながら彼はリオニスの顔を覗き込む。少し驚いた顔をする彼を見てにっと笑うと、彼は自分の手当てをしてくれている"仲間"に言う。
「リオは自分が想ってるよりちゃんと勇者出来てると思うけどな。
少なくとも、俺にとっては頼もしい仲間だぞ? お前が行こうって言ってくれたから俺も出てきたんだからな!」
自信持ってくれよ、と笑うシュライク。それを聞いたリオニスは幾度も瞬きをする。それから少し照れたように表情を綻ばせる。
「……おう、ありがとな」
ルビアに居る時、シュライクの"家族"たちと居る時もそうだったが、こんな風に誰かに褒められるというか、認められることはなかったものだから、照れ臭い。誰かに認められるというのは幸せなものだな、と思いながらリオニスはシュライクの傷の手当てを進めたのだった。
***
「んぅう、固ってぇ……」
先刻倒した獣を何とか解体し、夕食とすることにした。巨大な熊は二人で食べるにはあまりに多すぎるが、残った分は放っておいても野生の獣の餌になるし問題はない。問題はない、のだが……美味いとは言い難かった。やたらと筋肉質な肉は固く、咀嚼して飲み込むにもなかなか苦労する。
「もう少し、こう、食い方ないもんかな……」
凝った料理は作れない二人だ。今はシュライクが負傷しているのもあって、そのあたりにあった木の枝に肉を突き刺し焚火で炙るという至極原始的な食べ方をしている。確かに煮込んだりすればもう少し違うのかもしれないが……そう思いながら、リオニスは苦笑を漏らし、言った。
「シュライク、地味に舌が肥えてるんだよ、スワローのお蔭で」
旅人の食事なんて大体こんなものだ、とリオニスは理解している。こんな風に自分で仕留めた獣を食うこともあればその辺りの池や川などで魚を釣ることもある。果実や木の実を食べることもあるが、いちいち調理することは稀だ。まともな料理はと言えば、大きめの街についたときに宿屋や食事処で食べるくらいである。ずっとあの家で、質素とはいえ工夫のなされたスワローの料理を食べていたシュライクからすると物足りないかも知れないな、とリオニスはいう。
それを聞いたシュライクはふっと目を細める。
「そうだなぁ」
そう呟く彼は少し、懐かし気な顔をする。あの街を出てまだ大して時間も経ってはいないのだがずっと一緒に居た家族だ。離れるとやはり寂しいのだろう。出発早々に里心をつかせてしまったかとリオニスは視線を揺るがせる。
「……ごめん」
彼が詫びるのを聞いて、シュライクはけらけらと笑った。そして傷のない方の手でばんばんとリオニスの背を叩いて、言った。
「謝るなよなー、俺が行くって決めて出てきたんだからさ!」
「折角魔王の討伐なんて凄い役目に選ばれた勇者様に同行出来るんだ、俺も楽しみなんだぞ!」
彼はそう言って、無邪気に笑う。年相応の笑顔を向けてくれる彼は、確かに自分を仲間だと言って、笑ってくれる。それが嬉しくて、リオニスは表情を綻ばせた。
「ふは、そうだな。うん、それらしくなれるように、俺も頑張るよ」
そう言って、リオニスは残っていた熊の串焼きを口に押し込む。それを見たシュライクは少し顔を顰めて、"まぁそれにあたって一つ"と言葉を紡いだ。
「とりあえず熊は当分食わねぇ」
「……そうだな」
激しく同意だ、とリオニスは苦笑を漏らしたのだった。
***
夕食を終えたところで、シュライクはふうっと一つ息を吐いて、リオニスに問うた。
「さて、腹も膨れたところで……さしあたって何処に向かおうとかあるのか?」
「あぁ、仲間探しとシュライクが大きな街を見てみるのが良いかと思って決めたルートがあって……」
リオニスはそう言いながら地図を広げる。自分たちが居るのが大体この辺りだ、と指した後、彼はその指を滑らせて、ある街に向かわせた。シュライクはそれを見て目を細める。
「スフェイン、って読むのか、この街」
「そう。星読みの街とかって言われてるらしいな。
最近あの辺りで地震とか巨大な魔獣の被害が多く出てるって記事も見たし、調査がてら行ってみようかって思ってるんだけど、良いか?」
リオニスが定めた目的地……それはスフェイン。国内でも有名な、"星読みの街"だと聞いているその街の付近では最近原因不明の地震や大型魔獣の被害が出ているとルビアで聞いた。恐らく魔王の影響なのだろうし、様子を見に行く必要があるだろう、とリオニスは言う。
「行くのは全然構わないんだけどさ、星読みってなんだ?」
シュライクは首を傾げてそう問いかける。街を出たことのない彼からすれば、全てが新しく、知らない物事なのだろう。ネモフィラ色の瞳がまるで星のようにきらきらと煌めいている。
「占い、っていうのかな。星の導きでどうこう、っていう……宗教みたいなのがあってさ」
「ふわっとしてんなぁ」
リオニスの説明にシュライクはけらけらと笑う。リオニスは決まり悪そうに頬を引っ掻いて、溜息を吐き出した。
「俺もあんまり詳しくは知らないんだよなあ……」
リオニスはそう言って肩を竦める。親にも捨てられ、孤児院で育ったリオニスはお世辞にも信心深い方とは言い難い。幾つか有名な宗教団体の名前を知っている、と言う程度である。"星読教団"と言う名もその有名な団体の一つだった。
星を読み、力を得る。星への感謝を捧げることで幸福に暮らすことが出来る。そんな教えを守る敬虔な信徒が多い街だという話だけ聞いたことがある。魔力の多い人間が多く生まれる、或いは育つ街と言うのは幾らかあるが、その中でもスフェインは……
「確か、治癒魔法が得意な人間が多いらしいから、もし一緒に来てくれる奴が居たら、と言うのも目的の一つだな」
「おぉ、なるほど! 確かに治癒術師は必要不可欠だよな!」
シュライクも表情を輝かせ、同意を示す。それを聞いたリオニスは苦笑を漏らして彼の腕を小突く。
「お前がこんな無茶しでかすことが早めにわかって良かったよ。俺の手当てじゃ限界があるからな……」
「はは、ごめんごめん」
今一つ反省してなさそうな仲間の言葉に苦笑を浮かべながら、リオニスはそっと地図を撫でて"目的地は決定だな"と呟いたのだった。
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