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第三十五章 予言
しおりを挟む木の上で月を見ながら懐かしそうに昔のことを話していたアルは微笑みながら、隣にいるフィアに問いかけた。
「あれからもう七年も経つんだね。懐かしいな。僕も少しは強く……あれ? フィア?」
反応がないことに気付き、アルがフィアの方を見る。と、フィアがアルの肩に寄りかかるようにして眠っていた。話すのに夢中になっていて、気が付かなかったが、そういえば先程から微かに肩に重みを感じていた。それは、フィアが肩に寄りかかっていたかららしい。
―― いつもと逆、だね。
そう思いながらアルはくすっと笑って、そっとフィアの体を抱き寄せた。
「とにかく、下に下りないと……」
このままでは下に落ちてしまう。そう呟いてから目を閉じて、意識を集中させる。先日ジェイドに習ったばかりの魔術を使って、地面に降りよう、と考える。このまま木の上で眠るには少し安定が悪い。落ちて怪我をしてしまうと困る。
「空中遊泳」
魔力を集中させながら小さく呟けば、ふわりと浮かびあがるアルとフィアの体。アルはフィアを抱えたまま、ゆっくりと地面に向かって降りていく。夜風に、アルの白髪とフィアの亜麻色の髪がふわふわと揺れた。
今のところ、安定している。少しは治癒以外の魔術も上手くなったかな、と嬉しく思いながら降りていると……
「アル!」
「え、わぁっ?!」
不意に名前を呼ばれ、アルの集中力が切れた。アル程度の魔術では、意識を集中させていなければ魔術が途切れてしまう。途端に落下する二人。そんなに高いところではなかったのがせめてもの救いだった。
ぼすっと音を立てて地面に落ちる。どうにか、フィアは落とさずに済んだが、流石に痛い、とアルは眉を寄せる。驚くべきことに、フィアが目を覚ます様子はない。ぐっすり寝入ってしまっているようだった。
「大丈夫か? 魔術使ってたんだな、悪い」
慌てて駆け寄ってきた黒髪の彼……ルカは、アルに手を差し出した。すまなそうに眉を下げている。
「いたた……あ、はい。大丈夫です」
アルはそう返して、ルカの手を取る。仕事が終わって戻ってきたばかりらしく、黒髪が汗で額に張り付いていた。ルカはアルの返答を聞いてほっとした様子で息を吐いてから、笑った。
「はぁ、良かった。仕事終わって帰ってきたら、フィアが酒飲んだってシストに訊いて、焦って探してたんだ。アルが一緒でよかったよ。連れ出してくれたんだな」
安堵した表情を浮かべる彼を見て、アルはルカに訊ねた。
「やっぱり、フィアにお酒飲ませちゃいけないのって……」
「あぁ。お前が予想している通り。男装して此処にいるってことを忘れちまうみたいでな……前にやった時は俺が部屋でふざけて飲ませたんだけど……いやぁ、あの時は焦った」
その時の状況を思い出したのか、ルカは苦笑気味にそう言う。彼がそう言うということは、きっと余程のことだったのだろう。そう思いながらアルもつられたように笑った。
ルカはアルが抱きかかえているフィアを受け取ると、軽々と抱きあげた。
「俺が部屋に連れていくよ。多分此奴、朝になったら全部忘れてると思うけど、気にしないでやってくれ」
「あはは。本当にお酒弱いんですね、フィア」
アルはフィアにも駄目なものがあるなんて、といって、可笑しそうに笑った。ルカはそんなアルの頭を一度撫でて、微笑み、言う。
―― これからも、よろしく頼む。
そんないつもかけられる言葉と同時に一瞬見えた真剣な表情にアルは驚いた。ルビー色の瞳が、いつもと違う光り方をした気がしたのだ。まるで、任務に赴く直前のように。
「ルカ様……?」
その表情の意味を訊ねる間もなく、ルカは歩いていってしまった。アルは不思議そうに首をかしげながら、遠ざかっていく背中を見つめた。
「ルカ様、どうしたんだろう……?」
様子が、おかしい気がする。実際、彼から伝わってきた感情は暗いもので。しかしアルの能力では、その理由まではわからない。
アルは少し心配そうな顔をしながら、遠ざかるルカの背中を見つめていた。
***
静かな廊下に、ブーツの靴音が響く。遠くに聞こえる宴会の喧騒。それを聞きながら、ルカは抱いている自分の従妹の寝顔を見た。
「呑気な顔して寝てやがる……」
そう呟いたルカはふっと笑った。一度眠ってしまったフィアは、そう簡単には目を覚まさない。目を覚まして今の状況に気付いたら、大暴れするところだろう。
―― 離せルカ、恥ずかしいだろうが!
頬を赤く染めて、普段あげることのないような大声で抗議する従妹を思い浮かべ、ルカはくすりと笑った。
今までずっと、一緒に生きてきたのだ。離れていた期間もあるとはいえ、フィアの反応は簡単に目に浮かぶ。
「……ルカ」
フィアを抱いたまま歩いていたルカを静かで落ち着いた声が呼び留めた。騒がしい宴会の部屋から少し離れた廊下は、やたら静かだ。響いた声にルカは振り向いて、呼びとめた人物を見た。
長い白衣、落ち着いた表情。翡翠の瞳の彼が、真っ直ぐにルカを見つめていた。
「ジェイドか。どうした?」
微笑んでルカが問う。しかし、ジェイドはいつものような穏やかな笑みを浮かべることなく、逆に一瞬表情を歪めた。普段笑みを崩さない彼にしては、珍しい表情だ。
「……どうした、ではありませんよ。どうして……どうして、そんな何事もなかったような顔をしていられるのですか」
ジェイドはいつもより少し低い声でそう問うた。誰か、他の人間にこの会話を聞かれることを恐れているかのように。ステンドグラスの窓から入ってくる風に、翠緑色の長い髪が揺れる。真っ直ぐにルカを見据えるジェイドの翡翠の瞳。ルカはそれを見つめ返してから、フッと笑って、答えた。
「予言はあくまで予言、だろ?」
そう言って、ルカは肩を竦める。
「えぇ。僕も”只の予言”なら……街の占い師の予言なら、きっと貴方と同じ反応をしたでしょうね。しかし、今回ばかりはそう言っていられない。……今までに一度だって、アンバーの予言が外れたことがありますか?」
不安と、悲しみとが綯交ぜになったような声色で、ジェイドは言う。ルカは返答しない。黙り込んだルカを見つめたまま、ジェイドは言葉を続けた。
「僕が言っている言葉の意味が判らない、なんてことはないでしょう」
真っ直ぐにルカを見つめるジェイドの翡翠色の瞳が哀しげに揺れる。声も、いつになく悲痛なものだ。
……ルカも、ジェイドの言葉の、表情の意味は理解していた。だからこそ、返答は出来なかった。理解できているからこそ。わかっているからこそ、的確に言葉を紡ぐことができない。ルカはそっと顔を伏せた。
眠っているフィアの亜麻色の髪をそっと片手で撫でる。
静かに眠る彼は、知らない。今この場で、ルカとジェイドが話していることを。彼らが危惧していることを。静かに眠る大切な家族を撫でながら、ルカはそっと目を閉じて、思う。
―― 俺だって、外れてくれたらと思っているさ。
仲間の騎士たちが騒ぐ声が、遠くから聞こえていた。まだ宴会は続いているのだろう。この静かな廊下だけがその世界から切り離されてしまっているかのようだ。遥か彼方から聞こえてくるようなその声は、まるで、夢の中の音のようでもあった。
***
―― 遡ること数十分。
女王に呼ばれ、各部隊の部隊長たちは集まっていた。女王と暫く話をした後、女王は自室に戻っていき、その後もセラだけで話していた。取り留めもない話……自分の任務や、部隊や、仲間の話だ。いつものように、他愛のない話をしている時間は、部隊を束ねる統率官(リーダー)達にとっても、楽しい時間だった。
仕事が終わったというルカが合流した時だった。
「……アンバー、そろそろ話せよ」
合流するなり、ルカはそう言った。真剣な瞳で、ルカが見つめているのは、琥珀の瞳の彼。アンバーは軽く肩を竦めて、そうだね、と力なく笑っている。そんな彼らの様子に、他の騎士たちは怪訝そうな顔をした。
「話すって、何をですか?」
「俺たちさっぱり分からないんだけど」
ジェイドとアレクが戸惑いながら、そう言う。ルカは二人の問いかけには答えず、アンバーを見た。アンバーは困ったように笑った後、クオンを見て、首を傾げた。
「クオンはあんまり驚いていないね、今から何の話するか、予測ついてるの?」
「……大体の話はルカに聞いてたからさ」
表情を消して、クオンが答える。そんな彼の返答に、アンバーはへらりと笑った。
「表情に出さないところは流石、風隼の潜入捜査員だね」
アンバーはそう言うと、椅子に座り直し、ふぅ、と息を吐いた。そして、仲間たちを見て、口を開く。
「本当は言うつもりはなかったんだけど、ちゃんと皆に言った方がいいってルカも言ってるし、皆に関係ないことでもないからね……今此処で、ちゃんと、話しておくよ」
ただ事ではないアンバーの雰囲気に、セラたちの表情が強張った。普段どちらかというと呑気な彼の真剣な表情は一層、事態の深刻さを窺わせる。
机の上に腰かけていたアンバーは、ひょいっと立ち上がって、言った。
「単刀直入に言うね。今日僕が宴会をやろうって言いだしたのはね、これから先、そういうことをする余裕がなくなりそうだったから、なんだ」
その言葉で、セラたちははっとした表情を浮かべた。アンバーの能力を思い出したため、である。
「……何か、見えたのですね。未来が」
ジェイドが呟くように言う。その言葉にアンバーは頷いた。
水兎のセラ、アンバーには特殊な能力がある。所謂、予知能力。読んで字のごとく、未来に起きることを見ることができる能力だ。尤も、遠い未来をそう簡単に知ることができるはずはなく、自分の意志と関係なしに働くことの多い魔術ではあるのだけれど。
一般的に、予知能力は一種の占いに近いもので、予知された内容は曖昧で不確実。非常に扱いにくい能力のはず。しかし、アンバーのそれは違う。明確で、確実。その能力のおかげで、何度も危機を回避してきた。
しかし、未来を知る、というのは便利であると同時に……深い恐怖を与えるものでもある。特に、アンバーほどの正確性を持つ予知能力ともなると……
「……何が見えたってんだよ。勿体ぶらずにさっさと言えよ」
眉を寄せ、アレクが急かす。そんな彼をちらりと見て、アンバーは、さらりと答えた。
「この国の終焉」
「は……ッ?」
まるで、明日の天気でも告げるかのような口調で答えるアンバーに、アレクとジェイドは目を見開き、固まる。大よその話を知っていたと見えるクオンとルカは、静かに俯いた。
「……嘘でしょう、アンバー。貴方の得意な冗談、ですよね」
ジェイドは動揺した様子で、アンバーに言う。眼鏡の向こうの瞳が、揺らいでいた。
「らしくないぜ、ジェイド。お前も知ってるだろ。アンバーがこういう嘘はつかないってこと」
クオンは静かな声で、ジェイドの言葉を否定した。クオンの銀灰色の瞳には苦痛の色が滲んでいた。信じたくない、でも信じるしかないという、苦しみの色が。
アンバーは、ジェイドに向かって静かに首を振った。
「冗談だよ、って笑えたら良かったんだけどね。残念ながら、全部本当だよ。僕も信じたくない。でも、事実なんだ。流石に、いつ起きることかはわからないけれど……この国は、近い未来に滅びるんだ。その未来が、見えてしまったんだ」
アンバーの琥珀色の瞳が、哀しげに揺れた。
「具体的に、何が起こる? 国が亡ぶ、っていったって、原因は色々あるだろう」
一つ息を吐いてから、アレクが訊ねた。明るい茶色の瞳には、いつもどおりの鋭い光が宿っている。もう何事にも動じない、というように。一瞬は酷く驚いていたが、すぐに冷静になるあたり、流石は戦闘慣れした騎士である。戦場では、動揺は怪我に……下手をすれば、死に直結する。
「知っていれば防げることもある。そうだろう」
一瞬生じた動揺を振り払うかのように、強い口調で言うアレク。その姿を見て、アンバーは微かに笑みを浮かべた。そしてそのまま近くにあったグラスを手に取り、中の液体を舐める。小さく揺れるワイン。アンバーはそれを暫し見つめた後で、真っ直ぐに仲間たちに視線を移して、言った。
「僕もよくわからないんだ。でも……悪魔属性の魔術使いが関係しているみたい」
「悪魔……?」
クオンはルカを見た。他のセラたちも、つられたように、ルカに視線を向ける。ルカは彼らにフィアの能力の事を話していた。いざという時……例えば、フィアの魔力が暴走した時などに力になってもらえるように、と。
彼らの反応を見て、アンバーは小さく頷いた。
「そう。天使の魔力を持つルカの従弟、フィア君に近づいているあの種族だよ。奴らが僕らの国を滅ぼす……それくらいしか見えなかった。
此処からは僕の推測だけど……彼らがどういう目的か、僕らに戦いを挑んでくるんだと思う。彼らと戦う僕たちの姿が、見えたんだ」
「し、しかし、それだけじゃわからないでしょう? この国が滅ぶかどうかは……あくまで、戦っている姿が見えたというだけならば」
まだ信じたくないらしく、ジェイドは言う。アンバーは首を振り、ジェイドを見つめ、最後の一言を放った。
「見たんだ。見えてしまったんだよ。全てが破壊され、崩れ去ったこの国の姿を……」
それを聞かされてしまっては、もう否定することができない。そして、アンバーの予言は確実だ。それを理解しているために、ジェイドもそれ以上言葉を重ねることはなく、俯いてしまう。黙り込んでしまった一同に、アンバーは言った。いつものように、明るく笑って。
「だからさ、せめてそれまでに明るい記憶がほしいでしょう? だから僕、今日こうやって皆を集めたんだ。皆楽しそうで、良かった。
……あーあ。予知能力なんて、持つものじゃないね。何も知らなかった方が、きっと幸せだったのに……」
いっそ、何もわからないまま滅ぶ方が、幾らか楽だろう。そう言って、アンバーは苦笑した。
「……抗う、手段は」
ジェイドは掠れた声でアンバーに問う。アンバーは困ったように笑って、肩を竦めた。
「……あるのかもしれないし、ないのかもしれない。曖昧な返答になってしまって申し訳ないけれど、僕程度の予知能力では何をどうしたらその未来を変えられるか、まではわからないんだ」
そこで一度言葉を切ったアンバーは仲間たち一人ひとりを見て、微笑んだ。
「皆も、ごめんね。暗いものを持たせちゃって。でも、少なくとも皆には……この未来を、知っておいて欲しかった。そのうえで、これから先どうするのかを、考えてほしい、って思ったんだ。或いは、皆なら……何か、良い手段が浮かぶかもしれない、って思ってね」
この話を共有した理由は、大きく分けて二つ。一つはこの話をすることで、未来が変わる可能性を考えたから。今までを考えると限りなく低い確率ではあるが……未来は、ささやかな要因によって変わるものだ。だから語った、というのが一つ。
そしてもう一つの理由は、仲間たち、殊更セラの騎士たちは何も知らず滅ぶことを良しとしない気質だと知っていたからだ。セラ達は、多くの騎士の命を背負っている。その中にはまだ年若い者も多い。上手くすれば国外に逃がすことも出来るかもしれない。そうでなくとも故郷に帰し、家族と過ごさせることも出来るかもしれない。そうした手段をとることも一つの手だ、とアンバーは言った。
―― まぁそれは、完全に僕の、エゴなんだけどね。
言葉尻は、涙を堪えているかのように、微かに震えていた。少しでも、気持ちを明るくしようとしているかのように、必死に笑顔を保つ彼。セラたちはわかっていた。その笑顔が、酷く無理をして作っているモノだということ。だから、笑顔に痛々しささえ感じてしまう。
きっとアンバー自身も、仲間たちが気付いていることを知っているのだろう。それでも、その笑顔を崩そうとはしなかった。
***
少しして話は終わり、というように、アンバーは部屋を出ていった。すれ違いざまにルカの肩をつついて、伝える。
―― ルカは僕と一緒に来て。
通信魔術でルカにそう伝えるアンバー。驚いた顔をしたルカを見据え、アンバーは小さく頷いた。
「……わかった」
ルカは小さく彼に向かって、頷いた。他のセラ達には聞かせたくない、或いは聞かせられない話、なのだろう。
ざわめくセラたちの心を他所に、外の世界は酷く静かなままだった。そう、いつもどおりのままに。
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