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第二十二章 暗殺者
しおりを挟むフィアの斬撃を受け止めた敵は小さく舌打ちをする。血の気が多いなあ、と嗤うそれに構うことなく、フィアは連続攻撃を仕掛ける。彼が間違っても、仲間たちの方へ行かないように。
敵が狙っているのは、明らかにアルだ。恐らく、この中で一番力が弱いからだろう。アルは防御魔術を使うことができるが、その障壁は、物理的な攻撃に弱い。今はアネットがアルを庇うようにして立っているため大丈夫だろうが、今自分が相手取っている敵は相当の実力者だとフィアは悟っていた。もしかしたら、隙を突かれて攻撃されてしまうかもしれない。そうなった場合、アルでは防ぎきれない。下手をしたら、殺されてしまうかもしれない。それを危惧して、フィアは彼らの方へ敵が行かないように戦い、アネットはアルを庇えるように立っているのである。アルの黄色の瞳が不安げに魔族とフィアの戦闘を見つめていた。
フィアは隙あらばフィアを躱してアルたちの方へ向かおうとする敵に剣で応戦しながら、訊ねた。
「何故俺を狙わない?」
目の前にいるのは自分だ。自分だけを狙えば良いのに、何故そうしないのか。そんな彼の問いかけに、フード姿の敵はにやりと笑って、答えた。
「何でって、君自身を殺すよりそっちの方が面白そうじゃん? 僕、君みたいに綺麗な顔した人が嘆く姿とか見るの好きなんだよね」
フィアは、緩く笑いながら言う敵を見て顔を歪めた。
「……笑えない趣味だな」
悪趣味だ、と吐き捨てるように呟くとフィアは舌打ちして強く敵の鎌を打ち返した。サファイアブルーの瞳に怒りの炎が燃えている。その表情を見て、魔族は満足そうに笑った。
「ふーん。泣き顔もいいけど、憎悪に燃える顔ってのもなかなかイイね。君のお仲間を傷つけようとしたから怒ってるのかなぁ? なかなか、綺麗だよ。良いもの見ちゃった」
そう言いながら、敵は笑みを浮かべる。無邪気な声音と背格好から、恐らくフィアやアル達よりも年下の、少年なのだろうが……それにしては力も魔力も強すぎる。ただの人間でないことは間違いないが、それならば、眼前に居るこれは、一体何なのだろう。
「……貴様、何者だ」
幾度目かの衝突の後、フィアは冷たい声で聞いた。その問いかけに、フードの奥の黒い瞳がぱちぱちと瞬く。その後、少しも怯むことなくけらけらと笑い続ける敵。そして……彼はぐっとフィアに顔を近づけて、口を開いた。フードの奥に光る瞳は、闇夜のような漆黒。
「暗殺者、とでも名乗っておこうかな。失敗しちゃったけどね」
囁くような声音で、眼前の彼は言う。突然顔を近づけられたことに驚いて、フィアは飛びのきながら、叫んだ。
「近寄るな!」
フィアの拒絶の言葉を聞き、暗殺者と名乗った敵は喉の奥で笑った。
「ふうん。近づいたらどうすんの? 殺す? 君が、僕を?」
揶揄うようにそう言った敵はフィアの剣の切っ先を躱し、彼の手首を掴む。途端に苦痛に歪むフィアの顔。ぐらりと視界が歪み、耳鳴りに襲われる。悪魔属性の魔力を持つ者に触れられたときの症状に耐えきれず剣を落としたフィアを見て、暗殺者は嘲るように笑った。
「僕に触れられただけで力失うような君が僕を殺すのは不可能だよ。僕だって、弱くないんだ。それは見たら、こうして戦ってたらわかってくれるよね? 今の君に、勝ち目はないよ。
……ああでも、気を失わないのは流石だね。少しは強くなったのかな?」
暗殺者は揶揄うようにそういって嗤う。
「こ、の……っ!」
フィアは眼前の敵を憎憎しげに睨みつけ、荒く息を吐く。言われていることは、全て事実だ。今のフィアに、抵抗する術はない。対立する魔力に蝕まれ、満足に動くことさえも出来ないのだから。
そんな彼の様子を見ると、敵は嬉しそうに口元を歪め、嗤った。
「ほっそい手だね。僕が力を込めたら折れるかな。君の、この手は」
見た目よりも強い力で、手首を握りしめられた。ミシミシと、骨が軋む。
「うぐ、ぁああ!」
フィアが苦痛に顔を歪め、声を上げる。その声が甘美な音楽であるかのように、心地よさそうに目を細めて、暗殺者は嗤った。
「良い声。ねぇ、もっと聴かせてよ」
力の抜けたフィアの耳元に口を近づけ囁く。まるで、楽しむかのような表情を浮かべながら。フィアは顔を歪めながら相手を睨むのが精一杯だ。意識を保つことに集中するだけで、酷く精神力を使う。
―― その刹那。
ひゅ、と空気を切る音。暗殺者と名乗った少年に向かって振り下ろされる剣。驚いたように少年はフィアの手を離し、飛び退いた。フィアはよろめき、その場に座り込みながら、“乱入者”に視線を向けた。
剣を抜いたのは勿論アネットだ。彼の大振りな剣は少年に掠ったが、ダメージを与えられるものではなかったらしい。
「チッ、外したか」
舌打ちしつつ、アネットが呟いた。怒りに燃える赤い瞳で、フードの敵を睨みつける。その様子を見て、口元に笑みを浮かべる、少年。
「残念でした。そんなに簡単には当たらないよ。僕、こう見えて結構強いし、素早さにも自信はあるからね。……何ならもう一回試してみる?」
今度は当たるかもよ、と揶揄うように言う声には、確かな自信の色が滲んでいる。アネットより、フィアより明らかに年下であろうその少年は、先刻から少しも怯む様子を見せない。寧ろ、このまま戦ったとしても、有利なのは自分だとでも言いたげだ。それほどまでに、自分の実力に自信があるのだろう。
アネットは暫くその相手を睨みつけてから、小さく頷いた。剣を一度降ろし、落ち着こうとするかのように、深く息を吸い込んでから、言葉を紡いだ。
「あぁ、簡単には当たらないかもな。……でも」
アネットはフィアを庇うように前に立つと、剣を少年に突き付け、凄むように言った。
「仲間に手を出す奴に容赦はしねぇ」
確かな怒気を含んだ声。その声は、普段のそれよりも数段低い。炎が燃えているかのような真紅の瞳で、敵を睨みつけるアネットはまるで獣のようだと、フィアは思った。標的に襲いかかる寸前の、獣。狩りをしている最中の肉食獣のような、鋭い視線。普段人懐っこく笑っている彼の姿を知っているからこそ、その姿に、驚く。僅かに、怯んでしまうほどに。
そんなアネットの様子を見て、少年は大袈裟に肩を竦めた。その口元には相変わらずに人を食ったような笑みを浮かべたまま。
「おぉ怖い。まっ、今日のところは帰ろうかなぁ。イイ顔もたくさん見れたしね」
そう呟くのと同時、少年はひらりと空中に浮かんだ。浮遊魔法は悪魔属性魔術使いの十八番だ。逃げるつもりなのだろう。アネットはそれを見ると、舌打ちをして剣を向け、飛びかかろうとする。
「待て!」
届くはずのない高さまで浮遊している魔族に向かって、アネットは剣を振るう。それは虚しく宙を抉るばかりで、その様を見た少年は、愉快そうに笑い声をあげた。
「ばぁか、待てといわれて待つ奴がいると思う?」
くすくすっと黒フードの魔族は笑った。上空の風に、フードがふわふわと揺れる。
「くそ!」
悔しそうに舌打ちをして追いかけようとしたアネットをフィアが止めた。
「アネット、やめておけ。行くだけ無駄だ。彼奴らは逃げるのが速い。
ルカとシストが奴らを追いかける任務を任されていたはずなのに、今此処にいるということは大方逃げてきたんだろう。
任務を一つ終えたばかりの俺たちが今追っても、無駄な体力を使うだけだ」
「でもよぉ……!」
フィアは冷静に止めるが、アネットは腑に落ちない様子だ。彼の性格上、目の前に敵がいるというのにそれを追いかけない、というのは許せないことらしい。しかし、フィアは駄目だの一点張り。今追いかけたところで、要らぬ体力を使うだけだ、と。
フィアとアネットがそんな会話を繰り広げているのを見下していたその少年は浮遊したまま、笑みを浮かべながら、言った。
「僕、ロシャっていうんだ。名前なんて形式上のモノだけど、一応教えてあげるね。またいつか会うことがあったら名前で呼んでよ。次また雑種、だなんて呼んだら、今度こそ殺しちゃうからね?」
そう言い残して、ロシャと名乗った少年は闇に溶けるように、姿を消す。鈍色に光る巨大な鎌だけが、鮮明な残像を残していた。
***
「居なくなった、か……っ」
彼が姿を消すのを見るとフィアは荒く息を吐き、その場に座り込んだ。先刻まで、悪魔属性を帯びたモノに触れられていたダメージは、確かに彼の体を蝕んでいる。
「フィア、大丈夫?!」
慌ててアルが駆け寄る。ロシャとフィアの戦闘は凄まじく、到底割って入ることは出来なかったし、彼らのやり取りの間は茫然と見守っていることしか出来なかった。その不甲斐なさに眉を下げながら、せめて自分に出来ることはしようと、彼はフィアの不調を和らげようと、そっと触れる。フィアは心配そうに自分を覗き込む彼を安心させようとするかのように微笑み、頷いて見せた。
「あぁ、この前と違って怪我はしていない。問題ない。アルは、平気か?」
「え?」
問いかけるフィアに、アルはきょとんとする。何故自分を心配してくれるのか、というように小さく首を傾げれば、フィアは苦笑して、言った。
「元はと言えば狙われたのはアルだろう、怪我はなかったか?」
一応、彼に攻撃が行かないように防いだつもりではあった。しかし、想定していたよりもロシャの戦闘能力は高かったために、彼が巻き込まれていないか、不安だったのである。彼自身の方が余程辛いだろうに自分の心配をしている親友を見て、アルは首を振り、ぎゅうと抱きついた。
「僕は平気だよ。フィアが居なかったら、僕はきっと死んでた。ありがとう。でも、僕の所為で、危険な目に遭わせて、ごめんね」
恐らく、突然襲われたという恐怖とフィアを危険な目に遭わせてしまったという申し訳なさが綯交ぜになって、溢れたのだろう。泣きじゃくりながら何度も謝るアル。フィアはそんな彼に優しく微笑んで見せた。
「泣くなよ、アル。俺、お前の御蔭で助かったんだ」
「え?」
意味がわからず、きょとんとするアルに、フィアは右手を見せた。アルが渡したブレスレッドが白い光を放っている。アルがブレスレットに込めた魔力の発動を示す、癒しの光だ。
「これ、アルがかけてくれた守りの魔術だろう?
御蔭で悪魔の魔力が少し遮断されているみたいだ。
だから、俺は気を失わずに済んだし、すぐに体も動くようになった。
ありがとう、アル。俺を、守ってくれて」
もしもあの敵に触れられていたなら、気を失っていただろう。そうなればアルやアネットを守ることはおろか、自身の身を守ることすらできなかったはずだ。そうならなかったのは、アルが作ってくれた抑制機のおかげ。それにかけられた“おまじない”は、フィアの魔力の暴走を防ぐだけでなく、フィア自身を邪悪な魔力から守ってくれたようだった。
「お前の御蔭で助かった。ありがとう、アル」
フィアは優しい声で言った。そしてくるりとふり向き、ロシャが消えた空間を睨んでいるアネットにも声をかける。
「アネットもありがとうな。お前、本当に強いよ」
「……奴を倒せなかったのは納得いかないけどな」
溜息混じりにアネットはそういう。不服そうな顔をしている彼を見て、フィアは苦笑した。
「無理に倒す必要はなかったさ。結果的に俺は無事だった訳だし」
そう言った後フィアは剣をしまい、明るく言った。空気を変えようとするように。
「さて。帰る前に少し寄り道して行ってもいいか?」
仲間たちにそう問うて、フィアは緩く首を傾げる。
「え? 僕は構わないけど……」
「何処に行くんだ?」
不思議そうな顔をしている仲間二人の言葉を聞き、フィアはスッと村の方を指差した。そのまま、穏やかに笑って見せる。
「竜は全て倒したと直接伝えたい人がいるんだ」
***
アレクの元に任務完了の報告をし、東西南北すべての竜の討伐が終わったことを確認した後、三人はコトス村に向かった。フィアが寄り道をしたかったのは、他でもない、コトス村だったのである。
道中、たくさんの村人に礼を言われた。騎士様の御蔭でこの村の平和が守られたと、これでいつものように穏やかな生活を続けられる、と礼を告げられた。そんな言葉を受け取りながら、三人は照れくさそうに表情を綻ばせていた。
そんな街の中を抜け、三人が辿り着いた先は、一軒の家。そこには、一人の少女が居た。彼女は近づいてくる人影の正体に気がつくと、ぱっと顔を輝かせた。
「あ! お兄ちゃんだ!」
そう、その家はアリサの家。母と一緒に庭の手入れをしていた彼女は嬉しそうにフィアに駆け寄る。アリサの母にも竜の討伐が完了したという知らせは届いていたらしく、深々とお辞儀をされた。フィアは駆け寄ってきたアリサを抱きあげ、微笑んだ。
「危ない竜は俺たちが全て倒した。これで森に花摘みに行くこともできるな」
もう安心だ、とフィアが言えば、彼女は花が咲いたように笑って、頷く。
「ありがとうお兄ちゃん! ……と、お兄ちゃんのお友達?」
アリサはフィアの肩越しにアルとアネットを見た。アルは人懐っこく笑ってアリサに手を振って見せ、アネットもにかっと笑みを浮かべる。フィアは小さく頷いて、二人を紹介した。
「そう。白い髪の方がアル、赤髪はアネット」
二人とも、俺の大切な友人だ。そうフィアが語るのを聞いて、二人は少し照れたように首を竦める。普段クールでそうした発言を滅多にしないフィアからの素直な言葉は、少し聞いていて照れ臭い。
アリサはそれを聞いて頷くと、ふと思い出したように、フィアの方を向いた。
「お兄ちゃんのお名前は?」
そう問われて、フィアは一瞬きょとんとした。ゆっくりと蒼の目を瞬かせ、そう言えば名乗っていなかったな、と苦笑する。
「すまない、まだ自己紹介していなかったな。俺はフィア。フィア・オーフェスという」
淑女相手に名乗り忘れるとはな、とフィアは肩を竦める。アリサはそんな彼を見てくすくすと笑いながら首を振って、言った。
「ううん。いいの、今教えてくれたから。……ねぇ、フィアお兄ちゃん。アリサね、決めたの」
目をきらきらとさせながら、アリサはフィアを見つめている。決めた、とは何をだろう? そう思いながらフィアは彼女を地面に下して、問いかけた。
「何を決めたんだ?」
そんな彼の問いかけに、幼い少女は頬を赤く染めた。少しもじもじとした後、はにかんだような笑みを浮かべる。そして、まるで、一世一代の告白をするように、言った。
「アリサね、大きくなったらフィアお兄ちゃんのお嫁さんになるの!」
彼女の言葉に、フィアは勿論、アルとアネットも驚いた顔をした。アルは大きく目を見開いて固まり、アネットは声を殺して笑い出す。フィアはアネットを軽く睨んでからアリサの方へ向き直り、言った。
「ありがとうアリサ。まだ半人前の身の上でこんなに素敵な婚約者が出来るとは、嬉しいな」
フィアは少し困ったように笑いながらアリサの頭を撫でた。子供扱いをするフィアに向かって、本気だよ? とアリサは頬を膨らませていう。その後ろでアリサの母親が頭を下げていた。アネットは顔を伏せたまま笑っている。
彼女の言葉は、純粋に嬉しい。そうも自分を慕ってくれることは騎士として誇らしいことではあるし、実際に騎士が助けたり、かつて護衛を務めたりした相手と結婚することは決して珍しいことではなかったから。しかしそれはそれとして、フィアとアリサの婚礼は、どう足掻いても無理である。年の差はともかくとして、フィアもアリサも女性。実際に結婚するというのは、なかなか難しい話である。
しかし、そんなことを知らせるために秘密を明かすわけにもいかない。子供を裏切るのは気が引けるが、ここは素直に頷いておくのが最善の策だ。とフィアは自分に言い聞かせた。
一通り挨拶を終えると、フィアは微笑んで、アリサに別れを告げた。
「では俺たちはそろそろ帰る。アリサ、元気でな」
まだ小さな頭にぽん、と手を置けば、フィアを見上げる幼い少女。残念そうに眉を下げ、彼女は問う。
「もう帰っちゃうの?」
「あぁ。俺たちも仕事があるからな。そろそろ城に戻らなくては」
そう答えるフィアを見て、アリサは少し寂しそうな顔をしたが、すぐに笑顔になった。彼女は迷子になった時も泣いていなかったな、とフィアは思った。
「アリサは強い子だな」
ぽんぽん、と優しくアリサの頭を撫でながらフィアが言う。
「えへへー、フィアお兄ちゃんに褒められちゃった!」
嬉しそうに笑うとアリサはフィアにもう一度抱きつき、ついでのようにアネットとアルの手を握ると母の隣に戻り、手を振った。三人はアリサ達に手を振り返しながら、城に向かって歩きだしたのだった。
***
アリサたちと別れて暫く歩いた後。フィアは不機嫌そうな顔をして、隣を歩く仲間の肩を小突いた。
「アネット、いつまで笑っているつもりだ」
相変わらず笑っているアネットを睨みつけ、フィアは言う。しかしアネットは笑いを止めるどころか、揶揄うように言った。
「はははっ! 良かったじゃねえか、ちゃんと男って認識して求婚してくれる子がいて! なかなか可愛い子だったし。将来有望だな!」
アネットはそう言って笑う。普段女っぽいと言われているフィアが幼い女の子に求婚されたのが余程面白かったらしい。アルは“真実”を知っているため、複雑そうな顔をしていたが。
フィアとしても笑われる理由は理解しているが、こんなに笑われると流石に、気分が良くない。軽くアネットを小突きながら、彼は不服そうな声音で言った。
「笑いすぎだ。子供の言葉を真に受けて、そんなに笑うことはないだろうが」
「いや、マジであのプロポーズ受けとけよ。そのうちお前、男に結婚申し込まれるかも……イテッ! 叩くなよ!」
悪かったって、と首を竦めながら謝るアネットを見て、フィアは溜息を吐いた。
「まったく……勇ましく竜に向かっていたあの時のアネットは何処に行ったのやら……」
小さな声でぼやく。相変わらず笑っていたアネットには聞こえなかったようで、彼は不思議そうに首を傾げた。
「なんか言ったか?」
「いや、別に?」
あの時のアネットの瞳とは違うものな、と思いながらフィアは肩を竦める。ロシャと名乗った魔族に剣を突き付けていたアネットの瞳には強い炎が燃えていた。今、自分をこうして揶揄っている彼と同一人物なのかと不思議に思う程、あの時の彼は勇ましく、凛々しく……恐ろしくさえあって。
相手が強い力を持っていることは、アネットも理解していたはずだ。フィア自身も危険だと警告した。危ないとわかっていたはずなのに、それでも彼はフィアを助けようとしていた。それほどまでに、彼は仲間を思う気持ちが強いのだろう、とフィアは改めて思う。これまで城で見てきた、いつもは破天荒なアネット。しかし彼は一人の、立派な炎豹の騎士なのだと改めて感じることが出来た。
それだけではない。アルが、自分のことを本当に大切な友人なのだと思ってくれているということも再確認できた。歩きながら自身の腕を見れば、彼がくれたお守り……ブレスレットが光っている。
今まで知らなかったことを知ることができた、とフィアは思う。苦手だった竜も、仲間と一緒なら、怖くなかった。否、正式に言えば恐怖心は消すことが出来なかったけれど、それでも退くことなく戦い続けることができたのは、間違いなく仲間が傍にいてくれたからに他ならない。
―― この任務に参加してよかったな……
フィアは改めてそう思い、表情を綻ばせた。
「フィア? どうかした?」
少しぼうっとしているように見えたらしく、アルにそう声をかけられた。不思議そうに首を傾げている親友に向けて、何でもないと答えてから、フィアは改めたように二人に言う。
「今回は、ありがとう。お前たちと一緒に任務に来られて、良かった」
そんなフィアの言葉にアルは嬉しそうに微笑んで、こちらこそ、と返す。アネットはといえば素直な彼の言動に驚いたのだろう。一瞬ぽかんとした後、にやっと笑って、言う。
「お前がそんなこと言いだすなんて……やめろよ、今から大雨とか嫌だぞ?」
冗談めかした声でアネットが笑いながら言うと、フィアはすぅっと目を細めた。そして隣を歩いていたアネットの手を強い力で握り、それに流し込むように自身の魔力を放出した。
「冷たあっ?! ちょ、フィア、ギブギブ! 俺が悪かったから!」
手が凍っちまう! と悲鳴を上げるアネットを他所に、フィアは魔力を放ち続けている。アルはそんな彼らの様子を見て苦笑を漏らしながら、フィアに声をかけた。
「フィア、その辺にしてあげて? アネットさん痛がってるし」
「……反省しろよ、アネット?」
アルに免じて赦してやる、といいながらフィアは彼の手を離す。アネットは溜息まじりに呟いた。
「俺、絶対お前みたいなのとは結婚しねぇ」
「俺からお断りだ」
そんな会話をしながら歩く三人を撫でるように、優しい風が吹き抜けていった。
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