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第十三章 笑顔

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 アルが頷いたのを見て、ルカは口を開いた。

「フィアが持っているのは、普通の魔力じゃないんだ」
「どういう、ことですか?」

 こてん、と首をかしげるアル。普通の魔力じゃないとはどういう意味なのだろう。そんなアルの問いかけに、ルカは少し苦笑して、言った。

「細かく、順を追って説明する必要がありそうだな」

 ルカはアルに説明する。フィアの力のこと、フィアが持つ、人並み外れた力は、彼女の中を流れる天使の血による物だということを。
 ……本当は、全てを明かすことを少し迷っていた。勿論、アルの人柄は、ルカだってよく理解している。優しくて穏やかで、信用できる人間だと。フィアも彼のことは大切な友人だといっていたし、信頼もしているようだった。

 しかし、アルだって人間だ。人間は、自分以上の……否、人並み外れた力を持つものを恐れる傾向がある。もしかしたら、もしかしたら、アルも、そうかもしれない。自分よりずっと強い力を、人とは違う魔力を持つフィアを、恐れるかもしれない。大切な親友に恐怖心を持たれてしまったら、きっとフィアは傷つくだろう。それを思えば、話さない方がいいのかもしれない、とも思ったのだ。
 しかし、アルの瞳は真っ直ぐで……何が起きても、絶対に受け入れてみせるという強い意志が宿っていた。だから、ルカは話すことにしたのだ。彼女の、秘密を。

 天使の力を持つフィアは、悪魔の魔力には弱い。フィアを攻撃したのは、悪魔族のものだと報告を受けた。最近、世間を騒がせている連続襲撃事件の犯人も、恐らく同一と見て間違いないだろう。それも、厄介な話に、この城の周辺でばかり起きている。
 今回フィアが護衛を勤めていたレナが襲われたのは、偶然なのか必然なのかは、不明だ。しかし、彼女を庇ってフィアは悪魔族の攻撃を受けた。だから今回このような状態になったのだ。
アルは静かにルカの話を聞いていた。フィアが、他人より強い魔力を持っていることは、彼も知っていた。その理由を理解して、頭の中で整理していく。
 フィアは天使の力を持っていること。その所為で今こうなっていること。本来ならほんの少し悪魔の魔力に触れられただけで動けなくなってしまうはずであったこと……
 最後まで説明し終えると、ルカはフィアの方を見た。未だ目を閉じたままのフィア。先程よりは呼吸も安定しているが、意識は戻らない。

「まぁ、それにしてもよく二時間動けたよな。この体で……流石というか、なんというか」

 少し呆れたようにルカが言う。無理に動かず途中で倒れてしまうことだって出来ただろうに、そうしなかったのは偏に、騎士としての矜持故、なのだろう。
 そんなルカの言葉に小さく頷き、アルは呟くように言った。

「だから、フィアはこんなに……」

 そのまま静かにフィアの頭を撫でた。そんなアルの頬につっと一筋、涙が伝う。ルカはアルが突然泣き出したことに驚いて、慌てた様子で訊ねた。

「……おい、なんでお前が泣くんだ?」

 その言葉にアルはふるふると首を振った。

「フィアの心のSOSの意味、わかった気がして……」

 そう答えるのと同時に、アルは本格的に泣き始めた。大きな黄色の瞳からぽろぽろと大粒の涙が零れ落ちる。ぐすぐすとしゃくり上げる様子は、まるで子供だ。
 そんな様子を見つめたルカは困ったようにふっと笑ってアルの頭に手を置いた。

「そうやって泣いてくれる友達がフィアには必要だと思ってたんだ。俺は、小さい頃に彼奴と別れてこの騎士団に入団した。彼奴の両親が死んだときも、すぐに駆けつけてやることさえできなかった」

 あのときのことは、今でも忘れられない。騎士として駆けつけてやるまで、傍にいってやることが出来なかった。助け出してやることもできず、泣いているフィアをただ見ていることしか、出来なかった。
 友人といえる人間も傍には居なかった。頼れる相手が、いなかった。だからこそ、こうして今傍に居るアルが居てくれるのが、ルカにとっては、安心できるのだ。
 ルカはふっと微笑む。そして、優しくアルを撫でながら、言った。

「俺なんかが言っていいことじゃないのかもしれないけど……フィアの事を支えてやってくれ。彼奴は、俺にだって頼ってくれない。何でも自分一人で抱え込もうとする。
 今まで、他人に頼るってことをしてこなかったから、頼り方がわからないんだよ。一人で生きていけるように、力をつけたつもりでいるんだ」

 確かに彼は強くなった。あの時、死んだ親を思って泣いていた無力な少女ではない。それでも、全てを自分で背負えるはずが無い。誰かに頼ってほしいのだけれど……フィアは、それがとても苦手なのだ。だから、とルカは言う。 

「こんなことをお前に頼むのは、無責任かもしれないけど、本当は彼奴、弱いからさ、傍にいて、支えてやってよ」

 ルカは誰よりもよく知っている。いつも強がっている自分の従妹が、元々はとても弱く、脆い女の子だということを。孤独を好むフリをするくせに、本当は誰より寂しがり屋だということを。ルカはそんな従妹の力になりたくて守ってやりたいと、いつも手を差し伸べる。それでも、その手をとろうとしない、意地っ張りなのだということも。
 ルカの言葉を聞き、アルは顔をあげ、ぐいぐいと涙を拭って頷いた。

「僕で力になれるなら、僕はフィアを守りたいです」

 傍に居る。ちゃんと守る。自分に出来る限り、彼の……フィアのことをちゃんと、支えるから。涙まじりの声で、アルはそういう。

「よし。頼むな」

 ルカは微笑むとアルの頭をぽんぽん、と叩いて、歩き出した。ドアに手をかけ、部屋を出ようとして……振り返る。そして悪戯っぽく笑いながら、言う。

「とりあえず、フィアが目を覚ましたら怒鳴っといて。無茶ばっかりしやがって! って」

 アルは一瞬きょとんとした後、すぐに笑って、了解です! という。もう一滴だけ、アルの頬に涙が伝い落ちていく。ルカはそれを見て微笑むと、今度こそ部屋から出ていった。

***

 アルと別れたルカは自分の部屋に戻ると壁に拳を叩きつけた。ガツン、と痛そうな音が響いた。

「くそっ!」

 血が滲みそうなほど強く、唇を噛みしめる。

―― 僕がフィアを守ってあげるんだ!

 思い出すのは、舌足らずな口調でそういう幼い頃の自分の姿だ。身体に不似合いな大きな剣を持って、守ってみせると、何度も何度も誓ったその言葉は、想いは、今でも変わっていない。

―― 頼りないけど、頼りにしててあげる。

 悪戯っぽく笑って、そう返した、幼い少女。自分の傍で笑っていた、優しく、可愛く、少し意地っ張りな女の子を守りたいと、ルカはずっと思っていた。守ることができると、信じていた。
 しかし、現実はそんなに甘くなかった。フィアは両親を失い、苦しんだ。泣いているフィアに声をかけることさえ、あの日のルカにはできなかった。
 どうしたらいい。ルカが迷っているうちに、彼女は自分なりに考えた。どうしたらいいのか。両親を失った今、自分が取るべき行動は? 考えて考えて、その末に彼女が出した答えは、誰かに頼ることではなく、自分自身が強くなること。その結果が、騎士団への入団希望だった。
 本当は、そんな必要はないと、いってやりたかった。”俺が守るから”と、”お前はただ、そこで笑っていればいい”と、そう言ってやりたかった。それでも、彼女自身が強さを求めるのなら、協力しようと、ルカはそう思ったのだ。例え険しい道であったとしても、フィアが困った時、自分が傍にいて、守ってやればいいと……
 しかし、突きつけられるのは、己の無力さ。

「また俺は、フィアを守れなかった……」

 最近目撃されていたのが悪魔族の者である可能性があることは、ルカも知っていた。だからルカはシストにフィアの護衛を命じたのだ。フィアが悪魔族の魔力に弱いことを知っていたから。傍にいて、守って欲しいと思い、シストに頼んだ。半ば職権乱用だと思いながらも。
 本当は自分が行きたかった。自分が、守りたかった。しかし、雪狼という一つの部隊を率いる者として、勝手な行動はできなかったのだ。下手を打てば、上官に気にいられているとしてフィアに批判がいってしまう。
 誰かと一緒にいれば、彼女が危険な目に遭うことはないだろう、そう思っていたのに、うまくいかなかった。依頼者が狙われ、それを庇ったフィアは、結局今、こうして苦しんでいる。
 無論、シストを責めるつもりはない。フィアが決めて、行動した結果なのだから。 けれども……どうしても、不安になってしまう。悔やんでしまう。フィアを、この任務に赴かせたことを。
 ベッドで眠っていたフィアの青白い顔。タキシードの肩を染めていた赤い血。苦しげな呼吸。その様子を見ているのが、ルカにとっても辛いことだった。
 いつもそうだ。俺は……気付いた時にはいつも遅い。守りたい、と口で言うのは簡単だ。しかし、それを実現するとなると、相当の努力を要する。守ることは、簡単ではない。壊す方が、手放す方が余程楽だ。しかしルカは、それをしたくないからと、今まで強くなってきたのだ。
 ずっと昔から決めてきたことだ。フィアのためなら、何だってしてみせる、と。覚悟も、決意も、揺るがない。
 ルカはきつくきつく拳を握った。僅かに血の滲んだ拳。真っ直ぐに鏡を見据えたその瞳には、強い光が宿っている。

「守ってみせる。俺の命に代えても……」

***

 フィアは夢を見ていた。幼い頃の記憶を映像化したような夢だった。
 長い髪を揺らして走る少女。キラキラと光る、蒼い大きな瞳。……幼い頃の自分(フィア)の姿だった。幸せだった頃の記憶が浮かんでは消える。強い父、優しい母、明るい従兄……フィアは、そんな家族が大好きだった。ずっと、傍にいたいと心から願っていた。ずっと傍にいられると、何の根拠もなく、思っていた。
 不意に、場面が変わる。燃え盛る村。悲鳴を上げ、逃げ惑う人々。巨大な火竜。その口から吐き出される、暴力的な炎。赤に染まる視界。体を襲う熱気。恐怖。その中を、フィアは両親とともに逃げていた。逃げても逃げても、行方を炎に塞がれ、逃げられる道は、限られていて。

「フィア! 危ない!」

 家から抜け出そうとしていたとき、落ちてきた燃える木材。自分を突き飛ばして守ってくれた父。すぐに、その姿は見えなくなって。先に逃げろ、という言葉を最後に、声も聞こえなくなって。

「大丈夫よ。怖くないからね」

 そう言って自分を抱きしめた後、父を助けに行った母。母が戻ってくると信じてその場に立ち尽くしていた自分。
 だんだん燃え方が激しくなる部屋の中。火の回りきった家の中、唯一燃え方が弱かったキッチンの棚に怯えて隠れていることしかできなかった、弱い自分……

「ごめんなさい」

 フィアは……夢を見ているフィアは、呟いた。謝り続けた。何度も、何度も。壊れた人形のように。

―― ゴメンナサイ……

 父に、母に詫びた。何も出来なくてごめんなさいと。怯えていることしか出来なくてごめんなさい、と。助けられなかった。自分が強ければ、未来は変わっていただろうか? フィアは何度も考えた。悩んだ。自分に力があったなら、と……
 フィアは涙をこぼしながら、何度も何度も謝った。

―― フィア……フィア……?

 遠くに誰かの声を聞いて、フィアはゆっくりと目を開けた。

***

 フィアの蒼い瞳に映ったのは、不安げに涙で潤んでいる、親友の黄色い瞳。

「……アル?」

 掠れた声でフィアが名を呼ぶと、見る見るうちにアルの瞳から涙が溢れ出した。

「フィアっ!」

 がばっとフィアに抱きつくアル。フィアは驚いたが、ベッドに寝ているため、避けることもできない。慌てながら、フィアはアルを抱きとめた。

「わっ」
「フィアの、馬鹿ぁっ! 何、無茶、してるんだよぉ……っ」

 アルは泣きながら、フィアの体をポカポカと殴った。ルカとの約束……無茶をして、と伝える役目は忠実に守った。……泣きながら、だが。フィアは少し驚いた顔をした後、何となく状況を察した。そして、アルを抱きしめ、言う。

「……すまない」

 詳細はわからないが、相当心配をかけたらしいことは、わかる。だから、素直に謝った。

「謝らないでよぉ。馬鹿ぁ……」

 馬鹿馬鹿、と繰り返しながら、アルは泣く。泣きじゃくるアルを宥めながら、フィアは苦笑した。

「じゃあ、どうしたらいいんだ?」

 どうしたら、お前に謝らずに感謝と詫びの言葉を伝えたら良いだろう? フィアはそういいながら、優しく彼の頭を撫でる。そして、穏やかに微笑みながら、彼が落ち着くのを待っていた。

***

 暫くして、アルは泣きやみ、フィアから離れた。どういうわけか、顔が赤い。おろおろと視線を彷徨わせながら、彼は言う。

「ご、ごめん。フィア、怪我人なのに……」

 記憶が曖昧だったのか、フィアは一瞬怪訝そうな顔をした。

「怪我? あ……っ!」

 すぐに思い出す。自分を撃ち抜いた謎の魔力。苦しくなる呼吸。どんどん冷えていき、上手く動かない体。遠くなっていく、シストの声。漸く全てを思い出したのか、フィアははっとしたように自らの肩を見た。傷はすっかり塞がっている。服を脱がさなければ、傷を見ることが出来ないに決まっている。つまり……バレてしまっただろうか。そう思いながら、決まり悪そうに、半ば怯えたように、アルを見るフィア。そんな彼の視線に、アルはにこりと笑って、言った。

「大丈夫。傷は治ってるよ。でも、あんまり無理すると痛むだろうから気をつけてね。お大事に」

 その言葉だけを発したアルに、フィアは驚いたようだった。サファイアの瞳を瞬かせる。

「アルが、治してくれたのか?」

 狼狽しているのを悟られないようにするかのように暫し間を開けてから、フィアはアルに訊ねた。アルはこくりと頷く。そして、真っ直ぐにフィアの目を見つめ、言った。

「僕、フィアの事嫌いにならないよ。フィアが女の子でも」

 その言葉に、驚きで目を見開くフィア。やはりバレていたか、という僅かな焦りが見て取れた。そんな彼の様子に、アルは、申し訳なさそうに言う。

「ごめんね。傷を診るときに、どうしても見えちゃって。でも、誰にも言わないよ」

 アルは穏やかに微笑み、まだ少し怯えている様子のフィアの口元に指を当てた。フィアの口の端を指先でくいっとあげながら、アルは言う。

「ね? 僕、フィアの笑った顔が大好きなんだ。だから、そんな顔しないで?」

 僕も力になるよ、とそう言って、アルは笑う。フィアは彼の言葉に何度か瞬きをした後、微笑んで、ありがとう、といった。そして、ぽつぽつと話す。ずっとずっと、悩んできたことを。ずっとずっと、心に秘めてきたことを。

「俺、ずっと迷っていたんだ。アルには、本当の事をちゃんと話すべきなんじゃないかって。それに、他にも色々ありすぎて……少し、弱っていた。だから、助かったよ、お前がいてくれて。ありがとう」

 優しさに、暖かさに救われたのだ、と。フィアはそういって、綺麗に微笑む。心からの、穏やかな笑顔を浮かべながら、かけがえのない親友を見つめる。フィアの言葉を聞いて、アルは嬉しそうに頷いた。本当の意味での記憶の共有。それが嬉しかった。
 そして、ふと思い出したようにフィアに訊ねた。

「ああ、そうだ。さっき、魘されてたみたいだけど、大丈夫?」

 そう言われて、フィアは軽く首を振った。

「え? あぁ。平気だ。昔の夢を見ていただけだから」

 フィアは困ったように笑った。昔の夢、と言われてアルはフィアの過去を思い出した。大切な家族を失う、それはきっと心に深い傷を刻んで消えない記憶だろう。今でも、夢に見てしまう程に。いつもは冷静なフィアが、目を伏せ、悲し気な表情を浮かべてしまうほどに。
 一瞬躊躇うような表情をした後、アルはベッドに座っているフィアの頭に手を置いた。驚きで蒼い瞳を見開いて、フィアは首を傾げる。

「アル?」

 一体どうしたんだ、と少し困惑したように、フィアは言う。

「えへへ。いつもと立場が逆だね」

 アルは照れ臭そうに笑いながらフィアの頭を優しく撫でた。ほんの少しだけ、躊躇いながら。それを受け、驚いたように瞬きをしていたが、ふわりと微笑んで、フィアは頷く。

「ふふ、本当だな。いつもなら俺がアルの頭を撫でているのに」
「僕を撫でてくれるフィアの手、好きだよ。優しくて、あったかくて、ほっとするんだ。……ね? フィアもほっとする?」

 フィアの蒼い瞳を覗き込みながらアルが訊ねると、フィアは穏やかな表情で頷いた。

「あぁ。怖かった夢を忘れられそうなほどに、な」

 その言葉に、アルは表情を輝かせる。そして、子供のように無邪気な笑みを浮かべて、言った。

「よかった!」

 そういって照れ笑いをする親友を見つめながら、秘密を共有することで”本当の親友”になれた気がするな、とフィアは思っていた。

―― ありがとう。俺を……”本当の俺”を、受け入れてくれて。
 
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