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第十一章 秘密

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「フィア、遅いなぁ……」

 騎士の棟の一角で、アルは溜息をついていた。頬杖をついて、ちらちらと窓の外を気にしては溜息の繰り返し。窓の外に人影が見えようものなら、慌てて窓に駆け寄って確認。それが待ち人ではないと悟ると、目に見えて肩を落として椅子に戻る。先程からそれをひたすらに繰り返していた。その様子はまるで飼い主を待つ子犬か何かのようで、周りにいる人間は微笑ましくそれを見守っているのだが……アルはそれを気にする様子もなく、外を見つめていた。
 窓の外を見つめたまま、時折小さく溜息を吐く。その手には綺麗なブレスレットが握られていた。

「せっかく上手に作れたのになぁ」

 指先でそれを突いてから、小さく呟くアル。アルが持っているのは彼が作った抑制機だった。
 アルの家は魔術石を使ったアクセサリーを作る小さな工房だった。決して大きな店ではなかったため、たくさんのものを作って売る、ということは出来なかったが、彼の両親が作る魔術器具の品質は良く、街でもなかなかの評判だった。そんな家で生まれ育ったアルも両親に教わってよく作っていたのである。元々、そういう細かい作業は得意なタイプだったらしく、今ではこのレベルの魔術器具を作ることができるようになっていた。
 この間の決闘でフィアはペンダントを壊してしまったとアルに話していた。アルは、少しでもフィアの力になりたいと思った末に、こう提案したのだ。

―― なら、僕が作ってあげるよ!

 その言葉を聞いたフィアは驚きと同時に、嬉しそうな顔をしていた。普段はポーカーフェイスを装うフィアも、アルと一緒にいると表情が緩む。素直に笑ったり、照れたりするのは、本当の意味で仲のいい相手に対してだけだ。少し一緒にいるだけの同じ部隊の仲間には、滅多に笑顔など見せない。怒ったような顔か、困ったような顔を見せるのがせいぜいだ。
 だからこそアルにとっては、フィアのそんな表情を見ることができたのが嬉しくて、一生懸命作ったのだ。大切な大切な親友のため。大事な大事な仲間のため。少しでも、彼の力になれるように、と思いをこめて、アルはそれを作り上げた。
 戦うとき、傍にいることは出来ない。草鹿の騎士のアルが戦いに出るのは、炎豹の任務についていくときくらいだ。それを思うと、これから先、危険な任務にも挑むことになるであろうフィアのことが心配でもあった。
 フィアの強さは、アルだってよく知っている。それと同時に、彼が少々無理をしやすい性格だということも知っていた。だから、だからこそ、こういう形でも、フィアの力になりたいとそう思いながら、アルは自分に作れる最上級の抑制機を作り上げた。
 やっと完成して、それを渡そうと思って部屋に行けば、仕事で留守。若干がっかりしたアルだったが、それなら帰ってくるのを待とうと思い、アルは何度も窓の外を見ていた。しかし、フィアもシストもなかなか戻ってこない。任務終了の時間は依頼者の都合にもよるからとは聞いていたものの、待ち遠しいことにかわりはなかった。一度部屋に戻ろうか、とも何度も考えたが、自分が部屋に戻っている間に彼らが帰ってきたら、と思うと、戻ることもできず。そんなわけでアルはフィアたちの帰りを今か今かと待っていたわけだ。
 そんなことを繰り返して、どれくらいの時間が経った頃だろう。

「ん?」

 アルは窓の外に人影を見つけた。また、別の騎士だろうか? 先程から期待して窓に駆け寄っては、違う騎士でがっかりしていたアル。大して期待はせずに、その影を見た。

「フィア?」

 否、違う。そのシルエットは、フィアよりずっと背が高く、髪も長かった。待ち人本人ではないようだが……

「シストさん……?」

 その影の名前を、アルは呟いた。
 そういえば、シストさんもフィアと一緒に出かけたっけ、とぼんやり思い出す。でも、何故彼一人で歩いているのか? アルは考える。
 人影は一つだけだ。一緒に任務に行ったはずのフィアが傍にいないとは、どういうことだろう。別々で帰ってくるのだろうか。悠長にそんなことを考えていたアルだが……すぐに気付いた。此方へ向かって歩いてくる、走ってくるシストが何か……否、”誰か”を抱き抱えていることに。

「フィア!?」

 アルは叫んで立ちあがった。此処からでは、それがフィアであるという確信は持てない。でも、総合すればすぐにつく、予想。アルの大声に周りにいた仲間たちが驚く。

「どうした、アル」

 驚いた仲間たちはアルに訊ねる。アルはそれに答えもせずに椅子にかけてあった白衣を羽織って、部屋を飛び出した。後ろから仲間に引き止められても止まることなく走り出して。雪狼や他の部隊にとっての鎧が草鹿の白衣。仕事は終わりと脱いでいたそれを身に付けたアルは立派な騎士だ。

***

「シストさん!」

 アルはドアの前まで来ていたシストの元に駆け寄った。そしてシストの腕に抱かれているフィアを見て、息を呑む。医療部隊のアルが見れば、フィアの状態が酷く悪いことはすぐにわかった。

「フィア、フィア! 大丈夫?!」

 名前を呼び、軽く頬を叩き、その肌に触れる。名を呼んでも、返事をしない。返事はおろか、反応すら返さない。酷く冷たいその肌に、アルは唇を噛んだ。
 嗚呼、駄目だ。自分が動揺していては。自分は、医療部隊の騎士なのだから。自分は、仲間たちの命を守るための部隊の騎士なのだから。そう考えながら、アルは一つ息を吸う。そして、気持ちを落ち着けてから、アルはシストに訊ねた。

「何があったんですか?」

 その言葉にシストは顔を歪め、首を振る。

「俺もよくわからない……毒、だと思う。敵の攻撃を一発肩に食らってる」

 シストの返答に、アルは驚きと焦りの混ざり合ったような顔をした。

「毒?! それは、どれくらい前の話ですか?」
「…………」

 シストは黙り込んだ。彼は草鹿の騎士ではないが、それでも一応毒や魔力に関する知識はある。毒を受けて、あまり長い時間が経つと、命が危ないということも。だからこそ、言葉に詰まった。

「シストさん?」

 アルが答えないシストを不安げに見つめる。本当は、アルだって予想がついているはずだった。シストがすぐに、返事をしない理由は……
 シストは、フィアが敵の攻撃を受けた時間を思い出しつつ、答えた。

「二時間くらい、前だ。おそらく、な」

 シストの言葉を聞いたアルの黄色の瞳が大きく見開かれる。小さな医師の顔はさっと青褪めた。
 すっかり意識を失くしている、親友。浅く速い呼吸を繰り返す彼は一体どれほどの苦痛を堪えていたことだろう。
 シストの返答にアルは暫し動揺していたが、深呼吸をするとシストを見た。そして、しっかりとした口調で、シストに言った。

「とにかく、僕にできることをします。シストさんは? 怪我とか、してませんか?」

 その真っ直ぐな瞳は、紛れもなく医療従事者のそれだった。もう、迷いはない。その変化に若干驚きつつ、シストは小さく頷いた。

「あぁ。俺は無傷だ」

 魔獣とは散々戦ったが、一度も攻撃を受けることはなかった。傷を負ったのは、パーティ会場で依頼者であるレナを何者かから庇った、フィアだけだ。
 シストの返事に、アルは微笑んだ。良かった、といって。シストはその反応に目を丸くした。アルにとってフィアが親友であることは、シストも知っている。そのフィアが今、命の危機に晒されているかもしれない。そんな状況でも、自分の心配をするアル。流石は草鹿の騎士、というべきなのか、アルの人格故か。こんなに純粋な者も、珍しいかもしれない。だからこそ、フィアも此奴に惹かれているのかもしれない。そう思いながら、シストはアルの真剣な瞳を見つめていた。

「シストさん? 大丈夫ですか?」

 ぼうっとしていたシストにアルが心配そうに声をかける。丸い黄色い瞳が、僅かに潤んでいるように見えた。これではいけない、というように小さく首を振ると、シストは微かに笑って答えた。

「ごめん、平気だ」

 少し、落ち着こう。自分が動揺していたって、どうしようもない。そう思いながらのシストの返答にほっとしたように頷いてから、アルはシストに指示を出した。

「じゃあ、シストさん。僕、フィアの治療を始めます。草鹿のセラ、ジェイド様、わかりますか? あの方を呼んできてください。多分……僕一人じゃ、手に負えないから」

 アルは一瞬泣きそうな顔をしてそういったが、すぐに表情を引き締める。自分が泣いている場合ではない。そう思ったかのように。
 シストはわかった、と返事をした。そのままアルにフィアを渡そうとして……笑う。

「部屋までは俺が運ぶよ。幾らフィアが軽いっていっても、お前には無理だろ」
「えぇ。お願いします」

 いつもなら、僕にだってできます! とムキになるアルも、今日は素直に頷いた。それだけ、フィアの容体が悪いということだろう。
 シストは壊れ物を扱うかのように、フィアを抱き上げ、部屋に向かう。アルはその後ろについて歩いていった。

***

 部屋に着くと、シストはフィアをベッドに寝かせた。此処まで連れてくる間も、フィアは身じろぎ一つしなかった。聞こえるのは、苦しげな呼吸だけで。
 シストがベッドにその体を横たえると、アルが小さく礼を言った。アルに向かって小さく首を振ると、シストはフィアの額を一撫でしてごめんなと謝った。哀しげで、申し訳なさの滲んだ声で。

「シストさん?」

 どうして貴方がそんな顔をするんですか? そうアルが問いかけようとするより先、シストはフィアの額から手を離して、いった。

「ジェイド様、探してくる。フィアを、よろしくな」

 不思議そうな顔をするアルに曖昧な笑みを向けて、シストはジェイドを探すために部屋を出て行った。その背を見送ってから、アルはフィアの治療に取り掛かった。

「……ごめんね、フィア」

 アルは謝罪の言葉を口にしてから、フィアの服に手をかけた。
 アルが謝ったのはフィアが普段肌を見られるのを嫌がるのを知っているからだ。着替えるときでさえ、人前で服を脱ぐような真似は絶対にしない。事故などで服が濡れてもそのままでいることが多いくらいだ。以前、理由を訊ねたことがあるが、苦笑気味に”他人に肌を晒したくないんだ”という言葉が返ってきた。それも尤もなことだと思い、アルも深くは聞かないようにしていた。しかし、今は仕方ない。彼が拒む理由はわかるが、服を脱がせないことには、治療も出来ないから、とアルはフィアの服を脱がせ……気付いた。

「……え?」

 男である自分たちとは違う、丸い肩。そして、布が巻かれている胸……それは、明らかに膨らみをもった胸を強制的に押さえつけている様子で……
 アルは反射的に、目を逸らした。図らずとも見えてしまったそれに、気づいてしまった事実に、否が応でも心拍数が上がる。

「う、嘘」

 上ずった声を、あげる。アルの中で全てが繋がった。普段フィアが体を見せるのを嫌がる理由、他の騎士より背が低い理由、そして……男性というには無理があるような、女性的な声や顔立ちも。

「フィア、女の子だったんだ」

 それは、彼……否、”彼女”の身体を見た今、紛れもない事実で。
 当然、アルは、当然驚いていた。騎士団は、女子禁制の男性社会。それはアルも知っていた。本来ならば、これは許されないこと。しかし、嫌悪感は少しも湧かなかった。
 寧ろ、やっぱりフィアは凄い、とさえ思った。男社会の此処で、泣き言一つ言わず、男として生きてきたフィアの姿を、ずっと見てきたから。それと同時に、自分がフィアを守らなくては、という決意も生まれた。フィアが女だから、ではない。そんな秘密を背負ってきたフィアを、大切な親友を、自分も傍で支えたいと、強く強く思った。
 それは、アルがフィアのことを本当の意味で理解しているからだ。以前、フィアが語った、彼が騎士になった理由。あれは本物だった。彼が本気で強さを求め、本気で騎士になりたかったのだということを、アルは理解していた。

―― 僕がフィアの秘密、守ってあげるからね!

 アルはそう思いながら、深く息を吸った。そして相変わらずに目を閉じたままのフィアに、そっと触れる。

「フィア、僕もフィアの力になりたい。僕でも、君の力になれるよね?」

 そう呟きながら、アルはフィアの肩の傷を診た。まだ微かに出血している痛々しいその傷は、何かが貫いた傷だった。

「毒では、なさそう。そんな気配も様子もない。でも傷も、よくわからないな……銃弾でも、矢でもない。銃創に似てはいるけれど……魔術による傷かな、毒の痕跡はない」

 アルは少しだけ、安堵した顔をした。というのも、”毒にやられた”というシストの言葉が間違っていると証明されたからだ。魔術には色々な特性があるが、唯一操れない物、それが毒なのである。しかし、どうやら毒を受けたことが原因でフィアがこうなっている訳ではないらしいということが診察の結果理解出来て。

「なんでこんなに衰弱してるのかは分からないけど、毒じゃないのなら、僕にも何とかできる!」

 そう呟いたアルはフィアの肩の傷に手を翳した。目を閉じ、意識を集中させる。白い光がフィアの傷を包み込んだ。傷が痛むのか、フィアが顔を歪めて、小さく呻いた。軽い傷ならば痛みなく治す事も容易だが、この程度まで酷い傷になってしまうと少々痛みを伴う。ごめんね、と呟きながら、アルはフィアに注ぎ込む魔力を強くした。
 真っ白い光が強く、優しく、フィアの傷を包む。暫くして、傷は塞がった。毒でないのなら、これで傷に関しては問題ない。出血は酷かったようだが、輸血が必要なほどではないだろう。ふぅと一つ息を吐き出すと、アルは急いでフィアの服を戻した。シストやジェイドが来る前に戻さなくては、フィアの秘密がばれてしまう。それだけは、避けなければならないと思った。

 服をしっかり整えて布団をかけなおすと、アルは冷たいフィアの手に自分の手を重ねた。そこから少しずつ自分の魔力を送り込む。そして、強く、強く祈った。

「フィア……お願い。早く目を覚まして」
 
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