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第十章 強がり
しおりを挟む追ってきた敵の魔力を見失ってしまったフィアとシストはとりあえずパーティ会場に戻ることにした。これ以上森に立ち尽くしていても意味はないし、もしかしたら会場に手がかりが残っているかもしれない。とにかく帰ろう、と歩き出したのだった。
来たとき同様、普通に帰れると思っていた二人だが。
「なんでこんなにいろいろ出てくるんだよ?! 行きはこんなに出てこなかっただろ?!」
剣を振るいながら、シストが叫ぶ。刹那飛びかかってきた魔獣を剣で叩き斬った。
二人は森に住んでいる小さな魔獣と戦っていた。行きには襲ってこなかった魔獣たちが二人を襲ってきた理由に二人は気づかない。
「はぁ……はぁ……ッ」
息も荒く、魔獣をなぎ払うフィア。その顔色は先刻より悪くなっていた。普段なら容易に振りまわすことができる自分自身の魔術剣さえ、重く感じる。くらくらと目の前が回っているかのような感覚。自分の体の中で一体何が起きているのか、本人でさえも理解できていなかった。
そんなフィアを集中的に襲ってくる魔獣たち。実力的にいえば、シストの方がフィアより低いはず。それなのに、倒しやすそうなシストよりもフィアを襲うのは、奇妙なことであった。当人たちは気づく余裕すら、無かったけれど。
魔獣たちの目的はフィア。正式にいえば、”天使である”フィアを標的にしているのだ。行きよりも弱っているフィアを殺そうと攻撃を仕掛けてきたのである。
人間に危害を加える悪の魔獣にとって、清浄な天使の魔力は毒である。天使にとって悪魔の魔力がそうであるように。だから、この森に住んでいるような邪悪な魔獣にとって天使は憎い。天使の魔力に触れれば、それだけで邪悪な魔獣は消滅してしまう。
できることなら、一人でも多くの天使を殺したい。しかし、普段は天使の方が圧倒的に強いため、大人しくしている。そうする他、ないからだ。力関係を理解できないほど頭が悪い魔獣はこの世界で生き残ることができない。
しかし、今は状況が違う。どういう訳かフィアはとてつもなく弱っている。その上、この森は魔獣たちにとっては本拠地(ホーム)だ。何故フィアが弱っているのかは一切理解できないが、この状態なら、魔獣たちの方が有利。それを悟った魔獣たちはこれが好機とばかりに一斉に襲ってきたのである。フィアを、天使を、殺すために。
……しかし、フィアは一人ではない。もし一緒にいたのがただの人間なら、或いはフィア一人だったら、きっとフィアを殺せていただろう。しかし、フィアもシストも騎士であり、ただの民間人とは訳が違う。シストだって、十分に強い騎士だ。剣術も魔術も、フィアほどではないかもしれないが、ヴァーチェとして活躍できるレベルの騎士。そうともなれば、その力のほどはある程度想像がつく。魔術も剣術も達者なヴァーチェの騎士であるシストとフィアが一緒にいれば、フィアが多少弱っていようとも、フィアたちの方が有利になるのである。
二人は暫し襲ってくる魔獣と格闘していたが、痺れを切らしたのか、やがてシストが思わず叫んだ。
「だーっ! もうキリがない!」
辺りの生態系を壊すのは気が進まないからといって魔力なしで魔獣を追い払っていた二人だが、相手のしつこさには流石に参る。倒しても倒しても、次の魔獣が群がってくる。強さは大したことない魔獣とはいえ、数があると倒すのに苦労する。倒しては群がる、群がってくるから倒すを繰り返しているうちにシストもうんざりしたらしい。シストはまだ数の多い魔獣を睨みつけた。淡い紫の瞳に、少し気圧されて魔獣たちが一歩退く。
「とりあえず、さっさと此処を抜けるぞ。この森から出りゃ、追ってこないだろ!」
シストは剣を構え直す。”斬るため”の武器から”魔術を使うため”の武器へ魔術剣を変化させる。フィアも、そっと息を吐き、頷いた。
「同感だ。これ以上此処で戦うことに、意味を感じない」
シストの意見に同意すると、フィアも同様に剣を構え、シストと背中合わせに立つ。この立ち位置なら、一面を魔術の範囲にできる。シストはちらりとフィアを見て、笑った。
「背中合わせに立つと、お前、本当に背が低いな」
「余計な御世話だ」
可笑しそうに笑いながら軽口をたたくシストを睨みつけ、フィアは深く息を吸った。
二人は剣を前に突き出し、一気に魔力を解放する。
「凍て付け、氷結霧!!」
基礎的な氷属性魔術だが、このレベルの魔獣には、それで十分だった。氷属性魔力は辺りが寒ければ寒いほど、威力が上がる。氷属性同士の魔術が同時発動すれば、その威力は何倍にでも跳ね上がる。殊に、フィアのように強力な氷属性魔術が使えるものとなれば尚更だ。
魔術の発動と同時、一面が氷に覆われる。魔獣たちは氷の彫像になっていた。その様を見た二人は剣を下し、一息つく。
「うわぁ一瞬だな。やっぱすげぇなお前の魔力」
シストは口笛を吹いた。氷漬けになった無数の魔獣。その光景は異様であり、かつ二人の強さを表している。二人の魔力に恐れをなした生き残りの魔獣たちはあっという間に姿を消していた。
それを確認してからフィアは静かに剣を鞘に納め、言う。
「感心してる場合か。さっさと、抜けるぞ」
「おう」
シストも頷いて剣をしまった。
一歩踏み出した途端、肩にとてつもない痛みを感じたフィアは息を呑んで、肩を押さえた。ずきずきと痛む肩と、ぐらぐらと歪む視界。立っていることさえ困難なほどの、眩暈。傍にあった木に掴まり、何とか倒れることは防げた。ちらり、と肩を見れば、止まっていても可笑しくないはずの血はまだ流れているようで。
剣を振り回したのが悪かっただろうか。戦っている間は全く気にならなかったのだけれど。冷静に考えようとする思考さえも鈍ってしまう。考えることを全身が拒否しているかのようだった。一歩一歩踏み出すたびに視界が歪み、吐き気がする。すぐにでも意識を失いそうで。
しかし、いつ襲われるかわからないこの状況で倒れるわけにはいかない。挙句、こんなところで急に倒れたら、一緒にいるシストはきっと困惑するだろう。仲間に心配をかける……否、迷惑をかけることは、フィアのプライドが許さなかった。
いうことをきかない身体を叱咤して。自分より幾分前を行くシストの背中を追いかけながら、フィアは必死に森の外を目指した。
***
森を抜け、二人はパーティー会場に戻った。やっとのことで、というのが正解だ。本当なら、もう少し早く戻ってこられたはずなのだが、などと思いつつ、シストは息を吐いた。
「あー、やっと抜けた。酷い目にあったな」
新鮮な空気を吸い込みながら、シストが思いきり伸びをする。
此処はパーティー会場の廊下だ。先刻の襲撃騒ぎの後に帰ってしまった客もいたものの、まだ残っている者もいるようだ。煌びやか光が満ちていて、貴族たちのお喋りが微かに聞こえてくる。いかにも平和的な光景に、シストは思わず表情を緩めた。元来、戦いよりもこういった穏やかな光景を見るのが好きな性質らしい。
シストはそうだ、と声をあげ、フィアの方を振り向いた。怪我をしていた仲間(フィア)のことを思い出して。
「フィア、お前肩の傷を……」
医者に診せた方がいいんじゃないか、という言葉は続かなかった。彼の方へ振り向いたシストが見たのは、硬い大理石の床に倒れこむフィアの姿。驚いた顔をするシストの目の前で鈍い音を立てて、フィアは倒れたのである。
「フィア?!」
動転したようにシストは叫び、倒れたフィアを抱き起こした。浅く息を吐くフィアの顔色は酷く悪い。先刻森の中で見た時よりも、ずっとずっと。そして、その体に触れて、ハッとする。
「なんだよ、この冷たさ……!」
震える声で、シストは呟く。思わずぞくりとした。氷を思わせるほどにフィアの体は冷たく冷え切っていた。”死”を思わせるほどに。
「おい、フィア! クソっ! 誰か……ッ」
「やめ、ろ」
医者を呼んでくれと叫ぼうとしたシストを止めたのは、フィア本人だった。掠れた声で、フィアは彼を窘める。
「シスト、黙れ……煩い」
シストの服をきつく握りながら、声を絞りだすようにフィアはいう。蒼い瞳が必死に訴えていた。騒ぐな、と。それを見て、シストは驚いたような心配そうな顔をして、言った。
「何言ってんだお前……いつからこんな……毒でも、喰らったのか」
シストにもわかっていた。これは、ただ事ではないということくらい。ただ攻撃を食らったくらいで、傷を負ったくらいで、こんな状態になるはずがない。フィアはシストの問いに、途切れ途切れに答えた。
「最初から……と答えなければならないな。此処を出るときには……気づいていた。攻撃で……毒を、食らったかもしれないと」
ふっと微笑むフィアにシストは顔を歪めた。
「馬鹿! なんでそんな無茶を……」
もっと早く言えばよかったのに、とシストは言う。もっと早く言えば。もっと早く、伝えていれば。フィアが無茶をするのを、止められたかもしれない。それが酷く、悔しくて。
フィアは暫しシストを見つめた後、呼吸を整えて、言った。
「シストが俺の立場なら、同じことをしていた……だろう?」
フィアの蒼い瞳がシストに問いかける。シストは答えることができなかった。フィアに言われたことが、事実だったから。自分の仲間が何か大きな任務に向かおうとしている。ただ事ではなさそうで、人数がいた方が有利かもしれない。挙句、向かう先は暗い森。その状況で仲間を放っておくことはできなかったとフィアはいう。シストも、きっと同じ行動をとっただろう。ディアロ城の騎士は、”絆”を何より大切にしているのだ。
苦しげにしつつ、フィアは身体を起こした。肩が痛むのか、一瞬僅かに表情を歪めたが、すぐに淡く笑みを浮かべて、彼はいう。
「……此処は、貴族の場所だ。これ以上騒いで、雰囲気を壊したくない。帰ろう。俺たちのいるべき、場所に」
フィアは自分を抱いているシストを押しのけて、ふらふらと立ち上がる。シストは慌ててそれを止めようとした。
「おい、これ以上無理すんな! 俺が……」
抱きとめようとしたシストの手をフィアが勢いよく叩く。キッと鋭く睨んで、フィアは言った。
「此処を出るまでは自分で歩く。お前に姫抱きされているのを誰かに見られるくらいなら、パーティーに最後まで出て、お嬢様方と踊る方がマシだ」
冗談なのか本気なのかわからないことを言うと、フィアはシストの制止も聞かず、歩き出した。そんなフィアの様子に困惑しつつ、シストはフィアを追う。
「なんて強情な奴。しんどいくせに……顔、真っ青じゃねぇか……」
シストはそう呟いた。状態が悪いことは一目見れば十分すぎるほどよくわかった。それなのに、フィアは自分を頼ろうとしない。辛いという言葉さえ、吐かなかった。ただ、行くぞと言って、真っ直ぐに歩きだした。それを止めさせる暇さえも、与えることなく。
きっとそれが、彼の矜持。騎士として、この貴族の居場所を穢さないための行動なのだとシストは自身を納得させ、速足にこの場を離れようとする意地っ張りな騎士の背中を追った。
***
二人はさも当たり前のように会場を出て、暫く歩いた。途中でパーティ客に声をかけられれば穏やかな笑みを返しつつ歩くフィアを心配そうに見つめながら、シストもその後を追った。いつ倒れるかと気が気ではなかった。しかし、フィアは倒れるどころかふらつくこともなく真っ直ぐに歩いていく。ともすれば本当は何でもないのでは、と思えるほどに。
だが、シストは気づいていた。時々、フィアの顔に浮かぶ、苦痛の色。それなのに笑顔を浮かべ続けるフィアが痛々しい。それでも、自分が手を差し伸べようとしたり、声をかけようとしたりすれば、鋭い視線を向けられる。悟られるような真似をするな、といわんばかりに。そんな彼の様子を見ながら、シストは、人知れず拳を固く握っていた。
もう此処なら誰にも見られないというところまで歩くとフィアは再び倒れた。シストはそれを抱きとめ、声をかける。
「フィア!」
今度は幾ら呼んでも、もう目を開けない。ぐったりして、声をかけても反応しない。完全に意識を失ってしまったようだ。シストは舌打ちする。
「無茶しやがってこの野郎……毒にやられたなら、なんで先に言わねぇんだよ」
そう呟きながら、シストはフィアを抱き上げた。その予想外の軽さに驚きつつ、これはいよいよ馬で来るべきだったな、と後悔しつつ急いで走りだした。
草鹿の騎士ではないシストでも、ちょっとした医療知識くらいはあった。優れた治癒術でも、毒物だけは除けないということは、常識で。毒にやられたのなら命が危ない。今のフィアの状況を見るだけでも、それを十分に感じられる。冷たい身体、青白い顔、荒い呼吸。見ているだけで辛くなってくる。
シストは抱き上げている少年の華奢な体を強く、抱きしめる。自分の体温を分けようとするかのように。そして、強く強く祈った。
―― 死ぬなよ。フィア。
縁起でもない話だが、ないと言い切れない。そう思えば、祈らずにはいられなかった。抱いているフィアの身体は、それこそ死人のように冷たい。力を失った体は、酷く軽くて、抱いているのが人間であることを忘れてしまいそうなその感覚に、恐怖さえも浮かんだ。此処まで呑気にフィアを働かせていた自分を恨みながら、シストは走った。
目指すのは、彼らの居場所……
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