Knight Another Story ―― 色褪せぬ記憶 ――

星蘭

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第二十章 Matador

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Matador(Liberté 150)



 ベッドサイドの手すりを掴んで、立ちあがる。少し傷を負った方の足に力が入ると同時、リスタは盛大に眉を寄せた。ぐっと唇を噛み、耐えようとする。しかし体を支えるための手を離し、普通に立とうとした瞬間、酷い痛みが襲った。

「い、ててて、痛っ」

 悲鳴を上げて、リスタはベッドに座り込む。そんな兄に、クオンは慌てて駆け寄った。心配そうに眉を下げながら、彼はリスタに言う。

「兄さん、無理はしちゃ駄目だから……」

 漸く傷も塞がった。骨もおおよそ繋がっただろうから、とリハビリを開始したのである。
 しかし……やはり、傷が傷だ。随分長く寝込んでいたこともあって、立ち上がるのすら上手くできない様子だった。
 痛みに眉を寄せ、ぐったりしている兄をクオンは心配そうに見つめる。ジェイドはそんな彼らの様子を見て苦笑まじりに言った。

「クオン、甘やかしすぎも良くないですよ。……無理をするな、は僕も同意ですが」

 そう言いながら彼は一つ溜息を吐き出す。そして軽くリスタの足を撫でた。

「今日はここまでにしましょう」

 此処まで酷い傷を負う騎士も、そうそういない。命に別状がなかっただけ良かったが、それでも暫くは熱を出すこともあったし、心配なことも多い患者であったのは事実だ。主治医としてもあまり、無理をさせたくはなかった。

「あぁ、そうするよ……ありがとう、ジェイド」

 リスタはそう言って笑う。緩く首を振って見せたジェイドは、心配そうな声音で言った。

「あまりに辛かったら言ってくださいな、薬はありますから」

 あまりに痛みが酷ければ、痛み止めを飲めば良い。ジェイドはそう告げて、病室を出ていく。リスタはひらひらと彼に向かって手を振った後、ベッドに転がった。

「く、ぅ……」

 寝転がった時の衝撃で足が痛み、小さく呻く。傷は塞がったために出血するようなことはなくなったが、それでも力を入れると痛い。少し動かした程度ならば大丈夫だが、力を込めたりするとやはり駄目だ。
 クオンはそっと、リスタの足を擦る。悲し気に眉を下げながら、彼は言った。

「痛い、よな」

 ぽつりと呟く声はあまりに弱弱しくて、嘘を吐こうとも思えない。まるで彼自身も傷を負っているかのような雰囲気だ。リスタは苦笑混じりに頷いた。

「そりゃあ、まぁな」

 クオンが心配するといけないからと思って言ってはいないのだが、怪我はリスタが思っていたより酷いものだったらしい。
 一度無理をして動こうとした際に、脅しのように怪我の程度を語られた。皮膚を裂かれ、文字通り骨を砕かれた状態の人間が無理をするのではない、と。歩けなくなっても良いのなら無茶をすれば良い、とも。……それを聞いて以来、無理をしようとは思えない。
 そんな兄の返答にクオンは一層悲し気な顔をする。リスタはそんな彼の手をそっと撫でて、宥めるように言った。

「でもクオがそんな顔する必要はないぞ。俺はお前や、他の仲間を守れたならそれで良い」

 酷い怪我をした奴はいなかったよな? とリスタは彼に問いかける。クオンはその問いかけに小さく頷いた。
 リスタが庇ったあの少年は転んだ時に擦りむいただけで済んだ。他の騎士たちもリスタが早いうちに撤退を促していた御蔭で、酷い怪我をしないで済んでいる。名采配だった、と他の統率官たちにも評価されたと、クオンも聞いている。
 しかし、だ。その代償がこの傷、というのは……少々重すぎるような気もした。だって、兄はこの傷の所為で……――

「……兄さん」

 悔しく、ないのか。或いは憎くないのか、と。そう問いかけたかった。
 もしあの時、あの少年がもっと早く退いていたなら、きっと彼はこんなに酷い怪我はしなかった。彼の所為で、と思ったりしないのだろうか、と。
 けれどもすぐに思い直す。彼の、リスタの性格は他でもない自分がよく知っている。優しく穏やかで、他人思いの兄だ。昔から、彼の方がずっと大変だろうに、弟である自分のことを心配してくれていたのだから。

「ん?」

 どうした? と問い返される。自分にそっくりな、銀色の瞳。それを見つめ返して、クオンはゆっくりと首を振った。

「……ううん、何でもない」

 何でもないよ兄さん。そう返して、クオンは微笑む。
 せめて、彼をこれ以上心配させることがないようにしよう。そう思いながら。

***

 それから、数日が経過した。
 リハビリはなかなか、進まない。歩きたいとは思うのだが、少し足を付けようものならば痛みが足に走り、その場に座り込んでしまう。放っておいても骨が痛むような感覚をおぼえる時もある。皮膚は皮膚で引き攣れるようだし、本当にまた歩けるようになるのだろうかと不安になることも多々あった。
 ベッドに腰かけて、溜息を一つ吐き出して、ズボンの上からそっと、足を擦る。弟(クオン)や主治医(ジェイド)がいるところでは平気だと笑っていたけれど、実際のところ、なかなか精神的にも厳しかった。
 騎士として復帰することは絶望的。そもそも、もう一度立って歩けるかも今の状況だとわからない。そうした状態で平然としていられるほど、リスタも強くはない。
 もし、このまま歩けなくなったらどうしようか。弟に迷惑をかけるのは、嫌だ。そんなことをぼんやりと考えていた、その時。

「酷い姿ですねぇ」

 不意にすぐ近くで声が聞こえて、びくりと肩を跳ねさせた。慌ててそちらへ視線を向けて、大きく目を見開く。
 驚いたクオンの瞳に映ったのは、淡い水色の髪の男性。久し振りに見た、友人の顔だった。

「カルセ!?」

 思わぬ来訪者に大きな声をあげてから、慌てて口を塞ぐ。此処は医療棟だ。他に入院している患者もいるかもしれない。迷惑になってはならない、と。
 そんな彼の慌てた様子を見て、カルセはくすくすと笑った。相変わらずの彼の姿にリスタはゆっくりと瞬いて、問いかけた。

「どうして、此処に?」

 彼が訪ねてくることは決して珍しいことではなかったけれども、ここ最近は何処か遠くの国にいっていたとかで会っていなかった。そんな彼がこうして自分のところにやってきたのは少なからず驚くべきことで。
 リスタの顔を見て、カルセは微笑む。そして軽くリスタの頭を撫でて、言った。

「ジェイドから連絡を貰ったので来たのですよ。
 まったく……私が居た頃から貴方は無理をしがちではありましたが」

 そういって、カルセは溜息を一つ。そしてリスタの姿を改めて見ると、軽くその足を押した。
 大分治ったとはいえ、傷である。流石に、リスタは声を上げた。

「いてててっ、やめ、カルセ!」

 やめろ! と悲鳴じみた声を上げる彼。カルセは苦笑を漏らし、手を離した。そして軽く彼の額を小突く。

「……貴方のその性格は死なないと治らないのですね、きっと」

 呟くように、彼は言う。傷は見えないが、先程の痛がり方と、ジェイドの話を聞く限り……随分と酷い傷であったらしいことくらいは、想像がつく。
 騎士の仕事をしている以上怪我をすることは十分考えられたけれど、まさかこんな傷を負うとは。危うく切断の危機だったという話も、ジェイドから聞いている。
 ……命があって良かったと、生きているリスタの姿を見て思った。もうこれ以上、大切な人間を失うのは嫌だった。

「……本当に、良かった」

 そう呟くカルセを見てリスタは銀の瞳を瞬かせる。
 いつも見てきた毅然とした態度とは違う雰囲気。それはきっと、自分が彼を相当心配させてしまった証でもあって。
 リスタが口を開こうとした、その時。

「お、考えることは一緒だったか」

 またドアが開いて、そんな声が聞こえた。その声の主は、カルセもリスタもよく知った声で。その声の主の姿を見たリスタは大きく目を見開いて。

「スファル!」

 思わず、また大きな声を上げた。
 そう。来訪者はもう一人の友人、スファルで。彼はくっくっと笑いながらカルセとリスタを見る。

「ほら土産」

 そう言いながらクッキーの缶をリスタに押しつけ、彼は笑った。

「ちょうど城に用事があってな。
 アレクに会いに行ったらお前が酷い怪我したって聞いてよ。何で連絡よこさねえかなぁお前は」
 
 そう言いながらスファルはリスタの額を叩く。カルセより幾分力が強い彼だから少々痛いが、その痛みさえも何だか嬉しくて、リスタは小さく笑った。

「はは、ごめんごめん。
 でもご覧の通り、リハビリ出来るようにはなってるからさ」

 そういいながら笑うリスタだが、カルセはそれを聞いて溜息を吐き出して、いった。

「……リハビリが必要なレベルの怪我をすることが問題だといっているのですよ」

 そもそもの話で、と彼は眉を寄せる。それは御尤もだとリスタは亀のように首を竦めた。実際のところ彼の言う通りだから文句は言えない。怪我をしないのが第一である。
 そんな二人のやり取りを見て、くつくつとスファルは愉快そうに笑う。久しぶりに見た橙の瞳は穏やかに細められていた。
 スファルも、リスタの姿を見て少なからず安堵していた。アレクにリスタの話を聞いた時、少なからず驚いたし、心配した。危うく死にかけたということに違いはないらしいし、ベッドの上に転がったままのリスタの様子を見て肝が冷えた。思いの外元気そうで安心した、というのが実際の気持ちだ。
 任務の中で怪我をする可能性は戦闘部隊の騎士であったスファルはよくよく知っているし、戦闘部隊でないリスタたちが怪我をする可能性も勿論理解している。しかし実際自分のよく知る騎士が此処までの怪我をするのを見ると……不安にもなるし、心配にもなるのだった。

「スファル? どうかしたか?」

 珍しく黙り込んでいたスファルを不思議に思ったのだろう。リスタは小さく首を傾げて、彼に問いかける。スファルははっとした顔をした後、笑顔で首を振った。

「何でもねぇよ。思ったより元気そうで安心した」

 ただそれだけだ、と彼が返すとリスタは一瞬目を丸くした後、少しはにかんだように笑った。心配させてしまったのは申し訳ないが、やはりそれと同時に心配してもらえたことが嬉しくて、照れ臭い。それが昔からの友人となると、より一層、である。
 彼らの様子を見て目を細めていたカルセは小さく、息を吐き出した。

「さて、と……私はそろそろ帰るとしますね。
 また来ますから、リスタ、あまり無理をするんじゃありませんよ」

 そう言って微笑んだカルセは一度、そっとリスタの頭を撫でる。その手は相変わらず優しく、大きくて、安心する。今もこの手で、たくさんの命を救っているのだろう。そしてこれからも、救っていくのだろう。そう思いながらリスタはこくんと頷く。

「わかった。心配させてごめんな」
「そこはありがとう、でいいんですよ」

 全く貴方は、と微笑むカルセ。穏やかな藍色の瞳は深い海のようだ。全てを包み込んで癒すようなその視線。それで見つめられ、優しい声で言葉をかけられるだけで、きっと大丈夫だと安心できる。
 一度目を伏せたリスタは、唇を開いた。

「……俺さ」
「ん?」

 二人の友人は真剣な表情で、リスタを見る。

「俺、もう歩けないかもしれないって、思ってたんだ。
 ジェイドにも、命が助かったのが奇跡的だとか、足が残せて良かったとか言われるレベルの怪我だったし」

 目を覚ました時に見た弟の顔から、大体自分がどの程度の傷を負ったかは理解出来た。目を覚ましたことに心底安堵した顔。ジェイドも同じような顔をしていた。他人の表情や雰囲気を読み取るのは、部隊柄得意なことだ。自分の傷が相当酷いものであったことも、その経過が芳しいものでないことも理解できてしまったのだと、そうリスタが言うのを聞いて、スファルは目を伏せた。カルセは相変わらずの表情だが、その瞳が微かに揺らいでいる。
 リスタはそんな二人を見つめ、笑った。

「……でも、カルセやスファルが来てくれて話してるうちに、まだ頑張れるかな、って思ったよ」

 大切な友人。彼らと一緒に過ごしているうちに、まだ頑張れるような気がしてきた。彼らも、頑張っている。自分も頑張らなければならないな、という想いが湧いてきて。

「だから、ありがとう。此処に、俺のところに来てくれて」

 そうリスタは言葉を締めくくった。
 それを聞いてスファルとカルセは顔を見合わせた。そして、笑い合う。

「何も礼を言われることではねぇんだけど」

 少し照れたように頬を掻きながら、スファルは言う。

「どういたしまして」

 穏やかに笑って、カルセも言う。そんな二人の様子は、少しも変わらない。この城で共に笑い、学び、戦って過ごしてきた時のままだ。それを感じられるだけで幾分元気づけられる。離れてしまっても友人であることに変わりはないということが、実感できたから。
 ぽん、と軽く頭に手を置かれた。いつものように、頭を撫でてくるカルセ。彼は柔らかく、けれども芯のある声で、リスタに告げた。

「無理をしろとは言いません。
 寧ろ貴方はもう少し、自分の体を大切にするべきです。でも」

 そこで一度、彼は言葉を切った。そして真っ直ぐに、彼の銀灰の瞳を見つめながら言う。

「負けないで」

 貴方がもう一度歩きたいと思うなら。貴方が諦めたくないと思う気持ちがあるのなら。そうカルセは言って、一度軽くリスタの頭を撫でると、その手を離した。
 彼らしい励ましだ、と思う。彼は決して、無理をさせない。それは患者に対してもそうだし、友人、仲間に対してもそうだ。無理が祟って命を落とした大切な人があるからだろう。
 けれども、"諦めること"を良しとはしない。まだ頑張れるなら、否……諦めたくないのなら、負けるなと優しく、温かく、けれども心強い声でそういうのだ。
 スファルも彼の言葉に穏やかに橙色の瞳を細めている。彼がきっと、一番良くカルセのことを知っているだろう。そして、リスタのことを案じ、思っているところは一緒だ。

「俺も応援してるからな」

 いつでも連絡してこいよという言葉と一緒に渡されたのは彼の、警察官としての名刺。その所属が自分とは違っていることにまだ少し寂しさを感じはするけれど、それでも彼らがこの城から旅立ったあの日ほどではない。

―― まだ、彼らのことを追いかけていたい。

 リスタは改めてそう思いながら、一度目を閉じる。
 微かに聞こえる自分の鼓動。そうだ、まだ自分は生きているのだから。まだ、立ち止まる訳にはいかない。諦めたくない。リスタはそう思いながら、目を開ける。そして変わらずそこにいる友人たちに、改めて"ありがとう"と感謝の言葉を告げた。








第二十章 Fin
(マタドール:負けないで)
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