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憎悪
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七奈美の名を広めても、不安を鈴音は感じた。
そのころには、もう教師は逃げ腰になっていた。白々しい表情で、さも年長者らしく鈴音をなだめる。
「職員会議のときに、誤解されるような振る舞いをしないようにと、教職員全員に通達があった。しばらくは噂が静まるまで、こうして会わないほうがいい」
どうやら七奈美の噂は、職員室の知るところとなっているようだ。
噂に教師が絡んでいるために、無視するわけにはいかなかったのだろう。
教師の口からバレることはないと思ったが、自分の相手が鈴音ではなく七奈美になっていることに、疑問を持つだろうか。
そう思いつつ、保身に走った教師を、鈴音は自分から切り捨てた。
女子生徒のほうが七奈美だと思われたまま、噂が沈静化すればいい。自分は安全なまま、七奈美は評判を落とした。そう考えていた鈴音だが、ふと、気がついた。
七奈美は、噂をたてられても変わらないことに。
変わらず、親友らしき栞がそばにいる。
変わらず、マイペースで過ごしている。
変わらず、凛とした立ち姿を保っている。
根も葉もない噂だから、黙っていれば、そのうち皆の記憶から薄れていくだろう。そう悟っているようだった。
噂を聞きつけた力也が、さらに七奈美へ興味を持ったことにも、腹が立った。忠太と軽口を叩いているところも、偶然立ち聞きした。
鈴音は、七奈美に対する決定的な蔑みが欲しかった。
「ちょっと、あたし困ったことがあって。噂になっているみたいなのよね……。あたしが教師に迫ってるって」
鈴音は、頼れる相手は忠太しかいないのだと、上目遣いで彼をみつめた。
面倒なことは、できるだけ避けて通りたいタイプの彼だ。だが、忠太は、力也には逆らえない。そして、力也の彼女である鈴音にも逆らえない。
鈴音の強制的な頼みごとに、忠太は渋々協力する。そして、鈴音の思惑通りに、クラスメイトの前で、力也は七奈美を罵倒した。クラスメイトからの冷たい視線を浴びた七奈美を目にして、ようやく鈴音は満足した。久しぶりに、気持ちが晴れ晴れとする。
次の日、力也の言葉を聞くまでは。
「ビッチで性悪の七奈美を、呼びだしてみないか?」
よりによって、力也は鈴音の前で口にした。
さすがに、そばにいた忠太や英二がひく気配がしたが、それに気づかないところが、単細胞でバカであると思う所以だ。
「力也さん、呼びだしって」
「俺の気がおさまらないんだよなぁ。大事な彼女にケチつけられてよ。あんな清純そうなフリをして、本人はとんだアバズレじゃねぇか。そうだ。相手の教師の名前を吐かせようぜ」
「理由もないのに、七奈美が、相手の教師の名前を教えるとは思えないですけど」
「ふぅん、理由か。理由を作ればいいわけだ……」
力也の目が光る。
しばらく考えた力也は、ふと、窓の外へ視線を向けた。眼下では、校庭を他クラスの男子たちが走り回っている。
「隣のクラスの連中がやってるの、ドロケイだよな? 高校生にもなって、まだあんな遊びをやってんのか」
「そうですね。あれ、幼稚っぽいですね。力也さん」
だが、ジッと眺めていた力也が、いいことを思いついたように声をあげる。
「これだ。今日の放課後に七奈美を、あの遊びに誘う。七奈美が逃げて、俺が追いかける。捕まったら罰ゲームで、教師の名前をしゃべらせたらいい」
「――ドロケイって、勝ち負けがはっきりしている遊びじゃない気がしますけど?」
忠太の言葉に、力也がバカにしたように告げる。
「そんなものは、ただの口実だって。要は、独りぼっちの七奈美を呼びだして、俺らが遊んでやるのよ」
そして、鈴音がいるにも関わらず、忠太と英二に向かって、下卑た笑いを向けた。
力也の考えていることなど、鈴音がわからないわけがない。自分がいても、力也は逃げる七奈美を捕まえたら、彼女の貞操を犯すことまで考えているはずだ。
それがわかったうえで、鈴音の中で、波立つ感情がせめぎ合う。
そして、力也が七奈美に手をだすことを嫌悪する気持ちよりも、七奈美が泣き叫ぶ姿を見たい気持ちが勝った。
冷めた表情の鈴音に気づかないまま、みっともない笑い声を立てて、力也は忠太や英二に話し続けている。
「いつも七奈美にひっついている女、安藤な。あいつも呼びだした七奈美についてきたら、一緒にゲームに巻きこんじゃおうぜ。とっつきにくい優等生が、どんな顔で逃げまわるのか楽しみだな」
結局、その放課後の呼びだしに、安藤栞がついてくることはなかった。
七奈美が危険を察知して栞を遠ざけたのだと、同じ性である鈴音は考える。自分が犠牲になっても親友を逃がす、天使のような七奈美がやりそうなことだ。
理不尽な遊びを強いられ、力也から逃げる羽目になった七奈美。
毎日放課後に待ち伏せされ、強制的に追いかけられる。不幸中の幸いは、運動神経のいい七奈美は足が速かったことと、隠れる七奈美を探しだす頭が、力也になかったことだ。
追いかけだして一週間ほど経ったころだろうか。
力也が七奈美を追いかけたとき、逃げる彼女の滑稽さに、鈴音は思わず、囃したてながら笑い声をあげてしまったことがあった。聞いていても、はっきりと鈴音の声だとわからないだろう。だが、いま改めて考えると、最初に放送で流された音は、あのときのものだとわかる。七奈美は証拠として、録音していたのだ。
こうやって、一年後に脅すつもりで残していたとは思えない。だが、一度も捕まらずに逃げ切っていた七奈美は、録音したと思われる次の日の放課後、ついに力也に追い詰められたはずだ。そして、おそらく彼女は力也に捕まることよりも、飛び降りることを選んだのだ。
自分を巻きこんで。
一年経ったいまも、こうやって巻きこまれて。
鈴音は、あんな遊びを言いだした力也が、つくづく憎らしく思っている。
――男が、憎い。
あたしを弄んで逃げた教師も。
自分のことしか考えていない力也も。
役に立たない忠太も英二も。
どいつもこいつも!
使えない男!
たいしたことのない男!
ろくでもない男!
そのころには、もう教師は逃げ腰になっていた。白々しい表情で、さも年長者らしく鈴音をなだめる。
「職員会議のときに、誤解されるような振る舞いをしないようにと、教職員全員に通達があった。しばらくは噂が静まるまで、こうして会わないほうがいい」
どうやら七奈美の噂は、職員室の知るところとなっているようだ。
噂に教師が絡んでいるために、無視するわけにはいかなかったのだろう。
教師の口からバレることはないと思ったが、自分の相手が鈴音ではなく七奈美になっていることに、疑問を持つだろうか。
そう思いつつ、保身に走った教師を、鈴音は自分から切り捨てた。
女子生徒のほうが七奈美だと思われたまま、噂が沈静化すればいい。自分は安全なまま、七奈美は評判を落とした。そう考えていた鈴音だが、ふと、気がついた。
七奈美は、噂をたてられても変わらないことに。
変わらず、親友らしき栞がそばにいる。
変わらず、マイペースで過ごしている。
変わらず、凛とした立ち姿を保っている。
根も葉もない噂だから、黙っていれば、そのうち皆の記憶から薄れていくだろう。そう悟っているようだった。
噂を聞きつけた力也が、さらに七奈美へ興味を持ったことにも、腹が立った。忠太と軽口を叩いているところも、偶然立ち聞きした。
鈴音は、七奈美に対する決定的な蔑みが欲しかった。
「ちょっと、あたし困ったことがあって。噂になっているみたいなのよね……。あたしが教師に迫ってるって」
鈴音は、頼れる相手は忠太しかいないのだと、上目遣いで彼をみつめた。
面倒なことは、できるだけ避けて通りたいタイプの彼だ。だが、忠太は、力也には逆らえない。そして、力也の彼女である鈴音にも逆らえない。
鈴音の強制的な頼みごとに、忠太は渋々協力する。そして、鈴音の思惑通りに、クラスメイトの前で、力也は七奈美を罵倒した。クラスメイトからの冷たい視線を浴びた七奈美を目にして、ようやく鈴音は満足した。久しぶりに、気持ちが晴れ晴れとする。
次の日、力也の言葉を聞くまでは。
「ビッチで性悪の七奈美を、呼びだしてみないか?」
よりによって、力也は鈴音の前で口にした。
さすがに、そばにいた忠太や英二がひく気配がしたが、それに気づかないところが、単細胞でバカであると思う所以だ。
「力也さん、呼びだしって」
「俺の気がおさまらないんだよなぁ。大事な彼女にケチつけられてよ。あんな清純そうなフリをして、本人はとんだアバズレじゃねぇか。そうだ。相手の教師の名前を吐かせようぜ」
「理由もないのに、七奈美が、相手の教師の名前を教えるとは思えないですけど」
「ふぅん、理由か。理由を作ればいいわけだ……」
力也の目が光る。
しばらく考えた力也は、ふと、窓の外へ視線を向けた。眼下では、校庭を他クラスの男子たちが走り回っている。
「隣のクラスの連中がやってるの、ドロケイだよな? 高校生にもなって、まだあんな遊びをやってんのか」
「そうですね。あれ、幼稚っぽいですね。力也さん」
だが、ジッと眺めていた力也が、いいことを思いついたように声をあげる。
「これだ。今日の放課後に七奈美を、あの遊びに誘う。七奈美が逃げて、俺が追いかける。捕まったら罰ゲームで、教師の名前をしゃべらせたらいい」
「――ドロケイって、勝ち負けがはっきりしている遊びじゃない気がしますけど?」
忠太の言葉に、力也がバカにしたように告げる。
「そんなものは、ただの口実だって。要は、独りぼっちの七奈美を呼びだして、俺らが遊んでやるのよ」
そして、鈴音がいるにも関わらず、忠太と英二に向かって、下卑た笑いを向けた。
力也の考えていることなど、鈴音がわからないわけがない。自分がいても、力也は逃げる七奈美を捕まえたら、彼女の貞操を犯すことまで考えているはずだ。
それがわかったうえで、鈴音の中で、波立つ感情がせめぎ合う。
そして、力也が七奈美に手をだすことを嫌悪する気持ちよりも、七奈美が泣き叫ぶ姿を見たい気持ちが勝った。
冷めた表情の鈴音に気づかないまま、みっともない笑い声を立てて、力也は忠太や英二に話し続けている。
「いつも七奈美にひっついている女、安藤な。あいつも呼びだした七奈美についてきたら、一緒にゲームに巻きこんじゃおうぜ。とっつきにくい優等生が、どんな顔で逃げまわるのか楽しみだな」
結局、その放課後の呼びだしに、安藤栞がついてくることはなかった。
七奈美が危険を察知して栞を遠ざけたのだと、同じ性である鈴音は考える。自分が犠牲になっても親友を逃がす、天使のような七奈美がやりそうなことだ。
理不尽な遊びを強いられ、力也から逃げる羽目になった七奈美。
毎日放課後に待ち伏せされ、強制的に追いかけられる。不幸中の幸いは、運動神経のいい七奈美は足が速かったことと、隠れる七奈美を探しだす頭が、力也になかったことだ。
追いかけだして一週間ほど経ったころだろうか。
力也が七奈美を追いかけたとき、逃げる彼女の滑稽さに、鈴音は思わず、囃したてながら笑い声をあげてしまったことがあった。聞いていても、はっきりと鈴音の声だとわからないだろう。だが、いま改めて考えると、最初に放送で流された音は、あのときのものだとわかる。七奈美は証拠として、録音していたのだ。
こうやって、一年後に脅すつもりで残していたとは思えない。だが、一度も捕まらずに逃げ切っていた七奈美は、録音したと思われる次の日の放課後、ついに力也に追い詰められたはずだ。そして、おそらく彼女は力也に捕まることよりも、飛び降りることを選んだのだ。
自分を巻きこんで。
一年経ったいまも、こうやって巻きこまれて。
鈴音は、あんな遊びを言いだした力也が、つくづく憎らしく思っている。
――男が、憎い。
あたしを弄んで逃げた教師も。
自分のことしか考えていない力也も。
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