ヲワイ

くにざゎゆぅ

文字の大きさ
上 下
19 / 34

噂の真実

しおりを挟む
 足音を立てずに軽やかに、廊下を小走りで進んでいく。

「冗談じゃないわ。なんであたしまで、力也の遊びに付き合わなきゃなんないのよ。七奈美の亡霊でも成りすましでも、ひとりで勝手に追っかけりゃいいのよ。あたしは、知~らないっと……」

 そうつぶやきながら、校庭のほうへ走りでると、すぐにくるりと、近くの入り口から校舎へ戻る。

「衣川さぁん……。どこにいったの……?」

 遠くで、困ったような神園の呼ぶ声が響いた。
 鈴音は、その声をもとに、わざと遠回りをして三年一組の教室の前まで戻る。ここに、自分のカバンを置きっぱなしにしていたからだ。

 黒板のお祝いアートを担当した三年一組は、一階の、廊下の一番端の教室だ。
 鈴音は、廊下の左右を見回す。そして、誰の姿も見えないことを確認して、静かに細く教室のドアを開いた。

「七奈美の恨みは、力也がひとりで背負えばいいの。あたしは、関係ないもぉ~ん」

 意地悪そうな笑みを浮かべた鈴音は、教室に一歩、そろりと足を踏みいれる。
 その一瞬。

 鈴音は背後から、長い髪を引っ張られた。

 驚きすぎると声がでないものだ。
 あっという間もなく、ゆるく閉じられたドアの向こう側から、髪をぐいぐい引っ張られる。
 自慢の髪に引っ張られる後頭部が、硬いドアと壁に挟まるように押しつけられた。

「い! 痛い! 痛いってば!」

 振り向けない。後ろから引っ張られる髪が痛い。動けない。どのような状態なのかわからない。パニックになりながら、鈴音は悲鳴をあげる。

「鈴音」

 耳もとに涼しげな、ソプラノの声が響いた。
 一瞬、鈴音は、髪の痛みと呼吸を忘れる。

「なあ、鈴音。あなたも無関係やない。自分でわかってるんやろ? わたしは、教師となんか付きおうてなかったわ。ほら、聞いてあげるから、懺悔してみ?」
「ざ、懺悔?」

 鈴音の声が、裏返って掠れる。
 すると、涼しげだった声は、さらに温度を下げ、ひやりとした質感を帯びて、鈴音の耳朶をなであげた。
 鈴音の背に、ぞわりとした悪寒が走る。

「噂。流したん、鈴音やろ? 白状して、悔い改めてみ?」

 落ち着いたような声は、感情が感じられなかった。
 じわりじわりと、鈴音の心臓を締めるように責める。鈴音の呼吸が速く浅くなる。肌理の細かい白い額に、じっとりと汗の粒が浮かんでくる。

「あ、あたしが、噂を流したって、し、証拠があるの?」

 苦しい呼吸のあいま、とぎれとぎれに鈴音は抵抗した。
 それを、声は一蹴する。

「十河忠太くん。あなたから噂を知らされて、強制的に力也くんへ言わされたって、白状してくれてん」
「――使えない男……」

 鈴音は、小さく舌打ちをした。
 実際のところ、忠太は、あとから七奈美が鈴音の噂を流したということしか、口にしていない。だが鈴音は、この件に関する噂全体のことだと、勝手に思いこんだらしい。
 せきを切ったように、一気に話しだした。

「だって、あたしが教師と付き合ってるのが、バレそうになったんだもん。ちょうど、力也が七奈美に色目を使っていたし。腹が立ったから、教師と付き合っているのが、あたしだってバレる前に、七奈美で噂にしちゃおうって思っただけだもん。飛び降りまで追いこんだのは、あたしじゃないもん!」
「――教師と付き合っていたのって、鈴音、あなただってことやんな?」
「そう言っているでしょ! ほら、話したから、さっさと髪を放してよ! 痛い!」
「まだや」
「嘘つき! 放してくれるって言ったぁ!」

 暴れる鈴音の髪を引っ張りながら、しばらく考えこんだらしい。
 おもむろに、七奈美の声は話しだした。

「あなたが教師と交際していたやん? 相手の教師って、誰やのん? どうしてバレそうになったん?」
「そんなこと、な、七奈美に関係ない」
「関係あるわ。あなたがわたしの噂、ばらまいたんやろ? わたし、自分の噂やのに、相手の教師の名前さえ知らんねん。それって、おかしいやろ?」

 やわらかなイントネーションの方言で、耳打ちするように鈴音へささやいた。
 さらさらと心地よく響くその声が、鈴音の感情を、ざらざらとやすりのように削っていく。
 抗えない気持ちにされて、鈴音は、震える口を開いた。

「で、でも、先生の名前は、言いたくない。せ、先生と一緒に、資料室にいて。そのときの、先生の会話が、外に漏れていて……。聞かれた生徒から、教師と付き合っている生徒を特定しようって話になっているって。だから、あたしだってバレる前に……」
「生徒のほうが、鈴音やとバレる前に、わたしを――七奈美を生贄にして、噂として広めたんや?」
「ちょっとした出来心だったの。七奈美を、飛び降りまで、自殺まで追いこむ気なんて、全然なかったの!」
「鈴音。あなた本当に、わたしが自殺したんやと思っとうのん?」

 ヒヤリと、声は鈴音に切りこんだ。
 髪を持つ手に、無意識に力がこもる。

「本当に、自殺? あなたたちが、飛び降りるように追い詰めたんやろ?」
「い、痛い! ――違う。あたしじゃない……」

 震える声で、鈴音は告げた。

「屋上まで追いかけていったのは、力也だもん! だから、力也に捕まりたくなかった七奈美が、手すりの向こうへ逃げて……。勝手に手すりを乗り越えた七奈美が、足を滑らせて落ちたじゃない? そうよ、殺したんじゃない! あれは事故よ!」

 すると、ふっと、髪をつかんでいた手から力が抜けた。

「――なんで」
「え?」
「なんで、あの出来事のあと、そう言ってくれへんかったん? 自殺やなくて事故やって」
「だって……」
「あのあと、お母さんは、娘は自殺やって周りから言われて、すごく泣いてん。事故でも悲しい。でも、自殺やって言われたあと、残された身内のトラウマって、そうとうのもんやと思うねん」

 しんみりと告げた声に、言い返すチャンスだと思ったのだろうか。
 鈴音が声をあげた。

「だって! あたし、まだ生きてるもの! 死んじゃった人には悪いけど、事件に関わりたくないって思うの、普通の感覚じゃないの? 自殺なら、七奈美ひとりで飛び降りたことになるけど、事故なら、なんでそんなところに行ったんだって聞かれちゃうじゃない!」
「――それで?」
「七奈美が落ちたのは、追いかけた力也のせいだってことになったら、今度は、なんで追いかけたんだって言われるでしょ? 力也は単細胞でバカだから、絶対あたしのためだって言うはずよ。そしたら、あたしが先生と付き合っていたことが、みんなに知られちゃう!」
「――なんて、自分勝手で自己中心的なんやろ」

 そうつぶやく声が聞こえ、ぐいっと髪が引っ張られた。
 鈴音は悲鳴をあげる。

「でもまあ、ええわ。知りたいことが聞けたし。話の流れが見えてきたわ。やっぱり、噂からして原因は、あなたたちグループのせいやわ」

 そうささやくと、ようやく髪をつかんでいた手を放した。
 急に引っ張られていた力がなくなり、鈴音は前に倒れこむように両ひざと両手をつく。
 声の主が、もう教室前にいないことを気配で感じながら、鈴音はじっと、その場から動けずにいた。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

【完結】Amnesia(アムネシア)~カフェ「時遊館」に現れた美しい青年は記憶を失っていた~

紫紺
ミステリー
郊外の人気カフェ、『時游館』のマスター航留は、ある日美しい青年と出会う。彼は自分が誰かも全て忘れてしまう記憶喪失を患っていた。 行きがかり上、面倒を見ることになったのが……。 ※「Amnesia」は医学用語で、一般的には「記憶喪失」のことを指します。

この欠け落ちた匣庭の中で 終章―Dream of miniature garden―

至堂文斗
ミステリー
ーーこれが、匣の中だったんだ。 二〇一八年の夏。廃墟となった満生台を訪れたのは二人の若者。 彼らもまた、かつてGHOSTの研究によって運命を弄ばれた者たちだった。 信号領域の研究が展開され、そして壊れたニュータウン。終焉を迎えた現実と、終焉を拒絶する仮想。 歪なる領域に足を踏み入れる二人は、果たして何か一つでも、その世界に救いを与えることが出来るだろうか。 幻想、幻影、エンケージ。 魂魄、領域、人類の進化。 802部隊、九命会、レッドアイ・オペレーション……。 さあ、あの光の先へと進んでいこう。たとえもう二度と時計の針が巻き戻らないとしても。 私たちの駆け抜けたあの日々は確かに満ち足りていたと、懐かしめるようになるはずだから。

ハイブリッド・ブレイン

青木ぬかり
ミステリー
「人とアリ、命の永さは同じだよ。……たぶん」  14歳女子の死、その理由に迫る物語です。

秘められた遺志

しまおか
ミステリー
亡くなった顧客が残した謎のメモ。彼は一体何を託したかったのか!?富裕層専門の資産運用管理アドバイザーの三郷が、顧客の高岳から依頼されていた遺品整理を進める中、不審物を発見。また書斎を探ると暗号めいたメモ魔で見つかり推理していた所、不審物があると通報を受けた顔見知りであるS県警の松ケ根と吉良が訪れ、連行されてしまう。三郷は逮捕されてしまうのか?それとも松ケ根達が問題の真相を無事暴くことができるのか!?

『違う景色が見たかった』

神在琉葵(かみありるき)
ミステリー
私には書けない!と言っておきながら、なぜだか書いてしまいました。 ひっそりと開催されているミステリー祭りに、こっそりと参戦… ミステリー(推理)要素のうす~い、なんちゃってミステリーです。

ミノタウロスの森とアリアドネの嘘

鬼霧宗作
ミステリー
過去の記録、過去の記憶、過去の事実。  新聞社で働く彼女の元に、ある時8ミリのビデオテープが届いた。再生してみると、それは地元で有名なミノタウロスの森と呼ばれる場所で撮影されたものらしく――それは次第に、スプラッター映画顔負けの惨殺映像へと変貌を遂げる。  現在と過去をつなぐのは8ミリのビデオテープのみ。  過去の謎を、現代でなぞりながらたどり着く答えとは――。  ――アリアドネは嘘をつく。 (過去に別サイトにて掲載していた【拝啓、15年前より】という作品を、時代背景や登場人物などを一新してフルリメイクしました)

ヘリオポリスー九柱の神々ー

soltydog369
ミステリー
古代エジプト 名君オシリスが治めるその国は長らく平和な日々が続いていた——。 しかし「ある事件」によってその均衡は突如崩れた。 突如奪われた王の命。 取り残された兄弟は父の無念を晴らすべく熾烈な争いに身を投じていく。 それぞれの思いが交錯する中、2人が選ぶ未来とは——。 バトル×ミステリー 新感覚叙事詩、2人の復讐劇が幕を開ける。

赤い部屋

山根利広
ホラー
YouTubeの動画広告の中に、「決してスキップしてはいけない」広告があるという。 真っ赤な背景に「あなたは好きですか?」と書かれたその広告をスキップすると、死ぬと言われている。 東京都内のある高校でも、「赤い部屋」の噂がひとり歩きしていた。 そんな中、2年生の天根凛花は「赤い部屋」の内容が自分のみた夢の内容そっくりであることに気づく。 が、クラスメイトの黒河内莉子は、噂話を一蹴し、誰かの作り話だと言う。 だが、「呪い」は実在した。 「赤い部屋」の手によって残酷な死に方をする犠牲者が、続々現れる。 凛花と莉子は、死の連鎖に歯止めをかけるため、「解決策」を見出そうとする。 そんな中、凛花のスマートフォンにも「あなたは好きですか?」という広告が表示されてしまう。 「赤い部屋」から逃れる方法はあるのか? 誰がこの「呪い」を生み出したのか? そして彼らはなぜ、呪われたのか? 徐々に明かされる「赤い部屋」の真相。 その先にふたりが見たものは——。

処理中です...