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プロローグ
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そろそろ肌寒く感じられる九月の終わりごろ。
一年生の教室からでた、すぐの廊下の大きく開かれた窓際で、ふたりは並んで運動場を見下ろした。
「ねえ、男子は元気だね」
安藤栞は、窓枠に両腕を乗せて視線を下に向けたまま、隣の小坂七奈美へささやいた。
「そお?」
ふわりとした雰囲気の返事に、栞は続けた。
「そろそろ涼しくなってきたけど、動いたら暑くなるじゃない? 制服の上を脱いで、袖をまくって。それでも走り回って遊ぶのね」
「ふふっ。ここから見ていたら、子犬みたいやわ」
やわらかい方言でそう返した七奈美は、クシャリとしたキュートな笑みを栞に向けた。
少しキーが高い七奈美の声が、栞の耳に涼しげに流れこむ。
その心地よさに、栞も口もとをゆるめながら、話を続ける。
「あの男子たちが遊んでいるゲームって、あれだよね。たしかドロケイか、ケイドロか、順番がわからないけど。二手に分かれて、逃げるチームを追いかけて捕まえる遊び」
「そうそう。いとこからドロケイ、聞いたことあるわ」
七奈美が、栞の言葉を受けて、少し小首をかしげた。
ショートカットの栞は、肩口から二の腕にかけてさらさらと流れる七奈美の黒髪を、羨望と賛美のまなざしで見つめる。
陽を浴びて、まるで天使の輪のようにきれいな光を弾いていた。
「その遊びの名前を聞いて、いつも疑問に思うのん。泥棒と刑事なのか、泥棒と警察なのか。刑事か警察かで、漢字が変わると思わん?」
「七奈美って、変なところが気になるよね」
「そうかな。ふふっ」
ひとしきり肩を揺すって笑った七奈美は、言葉を続けた。
「でも、わたしの住んでいた地域では、本当はドロケイともケイドロとも言わへんねん。小学校のころ、クラスですごく流行ったから、わたしも遊んだしルールも同じやったけど、あの遊びは別の名前で呼んでてん」
そして七奈美は、その名前を口にした。
聞きなれない言葉に、栞は目を丸くする。
「へぇ! 初めて聞いた。なんで? その名前にどんな意味があるの?」
「さあ。わたしにもわからへんけど。小学校でも中学校でも、みんなそう呼んでてん」
笑みを浮かべたまま、七奈美は肩をすくめる。
そして、視線を窓の外へ向けると、ついっと空を見上げた。
しばらくふたりで並んで、太陽の陽を浴びる。
ふと、七奈美が小さな声で口ずさみだした。
「どー、みそ、らーみら、どー、れそ、どー……」
栞も知っているその曲は、『錨を上げて』という名の行進曲だ。
七奈美が音階で歌うのは、小学校の音楽会で、縦笛で合奏したからだと言っていた。旋律が気にいった曲だから、いまでも何気ないときに、ふと口をついてでるのだ、と。
きれいなソプラノで歌う友を、栞は、穏やかな気持ちで眺めた。
抜けるほど白い肌を持ち、手首や足首が折れそうなほど細く、はかなげに見える、栞の傍らに舞い降りた天使。
高い空から吹いてくるそよ風が、窓際に立つ彼女の髪をふわりと舞いあげる。
赤いセーラースカーフの端をはためかせる。
紺色のひだスカートのすそを揺らす。
温和な性格で控えめで、清楚な美人で、やわらかな方言で、男女問わず、クラス一番の人気者で。
そんな彼女の歌声を、栞は、特等席でひとり占めしている気分になる。
彼女の整った美しい横顔を見つめて、その優しい声を聞きながら、栞は、ずっとこの幸せが続くものだと、根拠もないのに信じていた。
ずっと。
この先も。
何年経っても、続くと信じていた。
穢れなき天使が地上に叩きつけられるなんて、夢にも思わずに。
一年生の教室からでた、すぐの廊下の大きく開かれた窓際で、ふたりは並んで運動場を見下ろした。
「ねえ、男子は元気だね」
安藤栞は、窓枠に両腕を乗せて視線を下に向けたまま、隣の小坂七奈美へささやいた。
「そお?」
ふわりとした雰囲気の返事に、栞は続けた。
「そろそろ涼しくなってきたけど、動いたら暑くなるじゃない? 制服の上を脱いで、袖をまくって。それでも走り回って遊ぶのね」
「ふふっ。ここから見ていたら、子犬みたいやわ」
やわらかい方言でそう返した七奈美は、クシャリとしたキュートな笑みを栞に向けた。
少しキーが高い七奈美の声が、栞の耳に涼しげに流れこむ。
その心地よさに、栞も口もとをゆるめながら、話を続ける。
「あの男子たちが遊んでいるゲームって、あれだよね。たしかドロケイか、ケイドロか、順番がわからないけど。二手に分かれて、逃げるチームを追いかけて捕まえる遊び」
「そうそう。いとこからドロケイ、聞いたことあるわ」
七奈美が、栞の言葉を受けて、少し小首をかしげた。
ショートカットの栞は、肩口から二の腕にかけてさらさらと流れる七奈美の黒髪を、羨望と賛美のまなざしで見つめる。
陽を浴びて、まるで天使の輪のようにきれいな光を弾いていた。
「その遊びの名前を聞いて、いつも疑問に思うのん。泥棒と刑事なのか、泥棒と警察なのか。刑事か警察かで、漢字が変わると思わん?」
「七奈美って、変なところが気になるよね」
「そうかな。ふふっ」
ひとしきり肩を揺すって笑った七奈美は、言葉を続けた。
「でも、わたしの住んでいた地域では、本当はドロケイともケイドロとも言わへんねん。小学校のころ、クラスですごく流行ったから、わたしも遊んだしルールも同じやったけど、あの遊びは別の名前で呼んでてん」
そして七奈美は、その名前を口にした。
聞きなれない言葉に、栞は目を丸くする。
「へぇ! 初めて聞いた。なんで? その名前にどんな意味があるの?」
「さあ。わたしにもわからへんけど。小学校でも中学校でも、みんなそう呼んでてん」
笑みを浮かべたまま、七奈美は肩をすくめる。
そして、視線を窓の外へ向けると、ついっと空を見上げた。
しばらくふたりで並んで、太陽の陽を浴びる。
ふと、七奈美が小さな声で口ずさみだした。
「どー、みそ、らーみら、どー、れそ、どー……」
栞も知っているその曲は、『錨を上げて』という名の行進曲だ。
七奈美が音階で歌うのは、小学校の音楽会で、縦笛で合奏したからだと言っていた。旋律が気にいった曲だから、いまでも何気ないときに、ふと口をついてでるのだ、と。
きれいなソプラノで歌う友を、栞は、穏やかな気持ちで眺めた。
抜けるほど白い肌を持ち、手首や足首が折れそうなほど細く、はかなげに見える、栞の傍らに舞い降りた天使。
高い空から吹いてくるそよ風が、窓際に立つ彼女の髪をふわりと舞いあげる。
赤いセーラースカーフの端をはためかせる。
紺色のひだスカートのすそを揺らす。
温和な性格で控えめで、清楚な美人で、やわらかな方言で、男女問わず、クラス一番の人気者で。
そんな彼女の歌声を、栞は、特等席でひとり占めしている気分になる。
彼女の整った美しい横顔を見つめて、その優しい声を聞きながら、栞は、ずっとこの幸せが続くものだと、根拠もないのに信じていた。
ずっと。
この先も。
何年経っても、続くと信じていた。
穢れなき天使が地上に叩きつけられるなんて、夢にも思わずに。
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