113 / 159
【第四章】対エージェント編『・・・!』
第113話 ほーりゅう
しおりを挟む
わたしは京一郎に言われた通り、ジプシーのそばについているだけで良いのかなと不安になりながら、ドアを開けて部屋の中へ戻った。
わたしと口喧嘩するとき以外は、ほとんど普段から無表情無言のジプシーだ。
本人からは、いまどういう状態なのか教えてくれないだろう。
そして、たぶんわたしには、読み取ることもできないだろうな。
でも、京一郎も大げさだなあ。
命の保障はできないなんてさ。
ある意味、過去に出会った事件のほうが危ないくらいだったんじゃないのかなぁ。
なんて思いながら部屋の中を見渡すと、さっきまでベッドで横になっていたはずのジプシーが上体を起こし、Tシャツをかぶっていたところだった。
「ちょっと! なにやってんのよ? 夢乃に安静って言われていたじゃない。まさか、いまから行動を起こす気?」
思わず声をかけたわたしを、着終わったジプシーは相変わらずの無表情で一瞥してくる。
けれど、その眼は、わたしに焦点が合っていない。
やっぱり。
わたしを無視する気なんだ。
なので、ベッドから降りた彼の動きをとめようと、わたしはジプシーに駆け寄って手首をつかむ。
そして、その身体のあまりの冷たさに絶句した。
つかまれた手を見て、ジプシーは、そこではじめてわたしの存在に気がついたかのように、わたしのほうへ視線を移す。
感情がこもらない、他人を寄せつけない突き放した瞳。
それどころか、その瞳には、この世界なにもかもが映っていないように思われた。
恐怖を感じたわたしは、つい怯んで手を放した。
無意識に後ずさる。
けれど。
そんなわたしの背中に、ジプシーは右手を回す。
そして、わたしの髪のなかに左手の指を滑りこませると、そのままわたしの頭を自分の胸に抱き寄せた。
反射的に、両手でジプシーの胸を押しのけようと考えたけれど。
髪の内側へさしこまれた彼の左手の指の冷たさに、待てよと思いなおした。
たしか京一郎が、ジプシーはショック症状を起こしているって言っていなかったっけ?
わたしはショック症状ってあまり理解していないけれど、ここでいま不用意に彼を拒絶したら、もしかしたらショックに輪をかけることになっちゃうの?
そして、じっとして考えているあいだに、わたしは気がついた。
ジプシーの冷たい指先が、ひどく震えている。
絶対に、普通の状態じゃない。
そんなことがわかってしまうと、ますますここで突き放すのが、ためらわれた。
そこでわたしは、思考の方向を変えてみることにした。
もしかしたら、ジプシーってわたしを、あったかい犬とか猫を抱いている気分になっているんじゃない?
この身体の冷たさから考えると、わたしってかなりあったかいだろうし。
ほら、わたしのこの髪なんて、正真正銘の純毛よ?
京一郎も、たしかショック症状の人は、体温低下を防ぐために保温しないといけないって言っていなかったっけ?
きっとジプシーはわたしから熱を奪い、気がすんだら解放してくれるはずだ。
だとしたら、あと、わたしにできることって、なにかな?
ショックを受けているジプシーを、落ち着かせること?
わたしはそう考えると、彼の背中におそるおそる腕を回す。
そして、あやすようにやさしく手のひらで、ポンポンと背を叩いた。
胸に引き寄せられている頬や耳から伝わる彼の鼓動が、とても速い。
しばらくすると、わたしを抱きしめているジプシーの両腕の力がゆるんだ。
ほら、思った通りだ。
そう考えたわたしは、ほっとしながらジプシーを見あげた。
顔をあげたわたしは、唇を重ねられていた。
なにが起こっているのかわからず呆然としているわたしに、ゆっくりと何度も角度を変えながら唇に触れてくる。
いまの彼の体温と同じで冷たい唇だと思ったとたんに、はっと気がついた。
両手でジプシーの胸を押しのけようとするけれど、わたしの頭を支える手も背中に回された腕も、びくともしない。
こぶしを作って力をこめる。
抗議の声をあげようと口を開いた瞬間、彼の舌が深く入りこんできた。
一瞬、身体の中心に電流が走るような初めての感覚に混乱する。
思わず奥へ逃げるわたしの舌を、ジプシーは執拗に絡めとっていく。
身動きがとれずに、いつの間にかわたしは力が抜けた。
頭の芯がしびれるような長い口づけに、まぶたを閉じて翻弄される。
ふいに部屋へ響いたドアのノック音に驚いたわたしは、両手で力一杯ジプシーを突き飛ばしていた。
おとなしくなっていたわたしに油断したのか、よほど勢いがあったのか。
吹っ飛んで背中からベッドに倒れるジプシーの顔を見ることができず、わたしは身をひるがえしてドアへ向かう。
ドアを細く開けて京一郎を確認したわたしは、急いで外へ滑りでた。
後ろ手で素早く閉める。
でも、怖くて、顔をあげて京一郎の目を見ることができない。
わたしの態度に対して不思議そうな顔をしているであろう京一郎のそばで、トラがわたしへ向かって言った。
「親父の許可をもらってきた。だから、俺も最後まで一緒に行動するよ」
わたしは、そろそろと視線をあげて、笑いかけてきたトラの顔を見る。
まだ付き合いの浅いトラは、わたしの表情を読めないだろう。
でも、勘の良い京一郎は、わたしの態度を不審に思っているのではないだろうか。
「わたし、もう行くね。約束通り、これからはできるだけ近寄らないようにはするから」
それだけを一息に告げると、京一郎がなにかを口にする前に、わたしは廊下を駆けだした。
「ほーりゅう、見つけた!」
「なにをしているの? こんな廊下で。壁に向かって頭を抱えてしゃがみこんでいたら変な人よ」
あの場から走って逃げだしてきたのはいいけれど。
瑠璃たちのところにも戻りづらいなあと座りこんでしまっていたら、向こうから発見されてしまった。
「で、どうだったの? あの警察の人たちとは話ができたんでしょう?」
瑠璃の言葉に、わたしは立ちあがりながらスカートのしわをのばしつつ、力なく返事をした。
「うん……。仕事だから関わってくるなって」
「そうでしょうね。それが普通よ。ほーりゅう、あなたも今回は旅行できているんだから、彼らの仕事のことは気にしないで楽しみなさいって」
瑠璃の言葉にうなずきながらも、わたしはぼんやりと考えていた。
ジプシーのことは、いくら腹黒で性格が悪くて無口で無表情でひどいことをする奴でも、友だちとして好きだと思っていた。
そして、絶対に恋愛対象にはならないと思っていたのに。
――なぜだろう。ジプシーとのキス。
驚いたけれど、じつはそんなに嫌じゃなかった。
なのに、こんな状況のせいなのだろうか。
そのファーストキスで幸せな気持ちにもなれなかったわたしって、心中複雑……。
わたしと口喧嘩するとき以外は、ほとんど普段から無表情無言のジプシーだ。
本人からは、いまどういう状態なのか教えてくれないだろう。
そして、たぶんわたしには、読み取ることもできないだろうな。
でも、京一郎も大げさだなあ。
命の保障はできないなんてさ。
ある意味、過去に出会った事件のほうが危ないくらいだったんじゃないのかなぁ。
なんて思いながら部屋の中を見渡すと、さっきまでベッドで横になっていたはずのジプシーが上体を起こし、Tシャツをかぶっていたところだった。
「ちょっと! なにやってんのよ? 夢乃に安静って言われていたじゃない。まさか、いまから行動を起こす気?」
思わず声をかけたわたしを、着終わったジプシーは相変わらずの無表情で一瞥してくる。
けれど、その眼は、わたしに焦点が合っていない。
やっぱり。
わたしを無視する気なんだ。
なので、ベッドから降りた彼の動きをとめようと、わたしはジプシーに駆け寄って手首をつかむ。
そして、その身体のあまりの冷たさに絶句した。
つかまれた手を見て、ジプシーは、そこではじめてわたしの存在に気がついたかのように、わたしのほうへ視線を移す。
感情がこもらない、他人を寄せつけない突き放した瞳。
それどころか、その瞳には、この世界なにもかもが映っていないように思われた。
恐怖を感じたわたしは、つい怯んで手を放した。
無意識に後ずさる。
けれど。
そんなわたしの背中に、ジプシーは右手を回す。
そして、わたしの髪のなかに左手の指を滑りこませると、そのままわたしの頭を自分の胸に抱き寄せた。
反射的に、両手でジプシーの胸を押しのけようと考えたけれど。
髪の内側へさしこまれた彼の左手の指の冷たさに、待てよと思いなおした。
たしか京一郎が、ジプシーはショック症状を起こしているって言っていなかったっけ?
わたしはショック症状ってあまり理解していないけれど、ここでいま不用意に彼を拒絶したら、もしかしたらショックに輪をかけることになっちゃうの?
そして、じっとして考えているあいだに、わたしは気がついた。
ジプシーの冷たい指先が、ひどく震えている。
絶対に、普通の状態じゃない。
そんなことがわかってしまうと、ますますここで突き放すのが、ためらわれた。
そこでわたしは、思考の方向を変えてみることにした。
もしかしたら、ジプシーってわたしを、あったかい犬とか猫を抱いている気分になっているんじゃない?
この身体の冷たさから考えると、わたしってかなりあったかいだろうし。
ほら、わたしのこの髪なんて、正真正銘の純毛よ?
京一郎も、たしかショック症状の人は、体温低下を防ぐために保温しないといけないって言っていなかったっけ?
きっとジプシーはわたしから熱を奪い、気がすんだら解放してくれるはずだ。
だとしたら、あと、わたしにできることって、なにかな?
ショックを受けているジプシーを、落ち着かせること?
わたしはそう考えると、彼の背中におそるおそる腕を回す。
そして、あやすようにやさしく手のひらで、ポンポンと背を叩いた。
胸に引き寄せられている頬や耳から伝わる彼の鼓動が、とても速い。
しばらくすると、わたしを抱きしめているジプシーの両腕の力がゆるんだ。
ほら、思った通りだ。
そう考えたわたしは、ほっとしながらジプシーを見あげた。
顔をあげたわたしは、唇を重ねられていた。
なにが起こっているのかわからず呆然としているわたしに、ゆっくりと何度も角度を変えながら唇に触れてくる。
いまの彼の体温と同じで冷たい唇だと思ったとたんに、はっと気がついた。
両手でジプシーの胸を押しのけようとするけれど、わたしの頭を支える手も背中に回された腕も、びくともしない。
こぶしを作って力をこめる。
抗議の声をあげようと口を開いた瞬間、彼の舌が深く入りこんできた。
一瞬、身体の中心に電流が走るような初めての感覚に混乱する。
思わず奥へ逃げるわたしの舌を、ジプシーは執拗に絡めとっていく。
身動きがとれずに、いつの間にかわたしは力が抜けた。
頭の芯がしびれるような長い口づけに、まぶたを閉じて翻弄される。
ふいに部屋へ響いたドアのノック音に驚いたわたしは、両手で力一杯ジプシーを突き飛ばしていた。
おとなしくなっていたわたしに油断したのか、よほど勢いがあったのか。
吹っ飛んで背中からベッドに倒れるジプシーの顔を見ることができず、わたしは身をひるがえしてドアへ向かう。
ドアを細く開けて京一郎を確認したわたしは、急いで外へ滑りでた。
後ろ手で素早く閉める。
でも、怖くて、顔をあげて京一郎の目を見ることができない。
わたしの態度に対して不思議そうな顔をしているであろう京一郎のそばで、トラがわたしへ向かって言った。
「親父の許可をもらってきた。だから、俺も最後まで一緒に行動するよ」
わたしは、そろそろと視線をあげて、笑いかけてきたトラの顔を見る。
まだ付き合いの浅いトラは、わたしの表情を読めないだろう。
でも、勘の良い京一郎は、わたしの態度を不審に思っているのではないだろうか。
「わたし、もう行くね。約束通り、これからはできるだけ近寄らないようにはするから」
それだけを一息に告げると、京一郎がなにかを口にする前に、わたしは廊下を駆けだした。
「ほーりゅう、見つけた!」
「なにをしているの? こんな廊下で。壁に向かって頭を抱えてしゃがみこんでいたら変な人よ」
あの場から走って逃げだしてきたのはいいけれど。
瑠璃たちのところにも戻りづらいなあと座りこんでしまっていたら、向こうから発見されてしまった。
「で、どうだったの? あの警察の人たちとは話ができたんでしょう?」
瑠璃の言葉に、わたしは立ちあがりながらスカートのしわをのばしつつ、力なく返事をした。
「うん……。仕事だから関わってくるなって」
「そうでしょうね。それが普通よ。ほーりゅう、あなたも今回は旅行できているんだから、彼らの仕事のことは気にしないで楽しみなさいって」
瑠璃の言葉にうなずきながらも、わたしはぼんやりと考えていた。
ジプシーのことは、いくら腹黒で性格が悪くて無口で無表情でひどいことをする奴でも、友だちとして好きだと思っていた。
そして、絶対に恋愛対象にはならないと思っていたのに。
――なぜだろう。ジプシーとのキス。
驚いたけれど、じつはそんなに嫌じゃなかった。
なのに、こんな状況のせいなのだろうか。
そのファーストキスで幸せな気持ちにもなれなかったわたしって、心中複雑……。
0
お気に入りに追加
33
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/essay.png?id=5ada788558fa89228aea)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
江戸時代改装計画
華研えねこ
歴史・時代
皇紀2603年7月4日、大和甲板にて。皮肉にもアメリカが独立したとされる日にアメリカ史上最も屈辱的である条約は結ばれることになった。
「では大統領、この降伏文書にサインして貰いたい。まさかペリーを派遣した君等が嫌とは言うまいね?」
頭髪を全て刈り取った男が日本代表として流暢なキングズ・イングリッシュで話していた。後に「白人から世界を解放した男」として讃えられる有名人、石原莞爾だ。
ここはトラック、言うまでも無く日本の内南洋であり、停泊しているのは軍艦大和。その後部甲板でルーズベルトは憤死せんがばかりに震えていた。
(何故だ、どうしてこうなった……!!)
自問自答するも答えは出ず、一年以内には火刑に処される彼はその人生最期の一年を巧妙に憤死しないように体調を管理されながら過ごすことになる。
トラック講和条約と称される講和条約の内容は以下の通り。
・アメリカ合衆国は満州国を承認
・アメリカ合衆国は、ウェーキ島、グアム島、アリューシャン島、ハワイ諸島、ライン諸島を大日本帝国へ割譲
・アメリカ合衆国はフィリピンの国際連盟委任独立準備政府設立の承認
・アメリカ合衆国は大日本帝国に戦費賠償金300億ドルの支払い
・アメリカ合衆国の軍備縮小
・アメリカ合衆国の関税自主権の撤廃
・アメリカ合衆国の移民法の撤廃
・アメリカ合衆国首脳部及び戦争煽動者は国際裁判の判決に従うこと
確かに、多少は苛酷な内容であったが、「最も屈辱」とは少々大げさであろう。何せ、彼らの我々の世界に於ける悪行三昧に比べたら、この程度で済んだことに感謝するべきなのだから……。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる