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第5章 あの日に待ってる
21.願いの粒子だったなら
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「いいじゃん、オレ好きだよそういうの」
村上はアイスコーヒーを飲みながら楽しそうな瞳をこちらに向けている。
すいのことが気になって仕方ないから、しばらく経った日に村上に相談してみた。
「聞いているうちは狐か狸にでも出会ったんじゃないかと思ったけど、そうでもないみたいだなあ」
「今どき狐とか狸とかってないでしょ......」
山に行けば狸がいるけれど、なにかされたなんてニュースは聞いたことがない。
「まあまあ、でも青春モノのアニメでも観てる感じじゃん。主人公じゃん」
けれども、彼の説明はどちらかというと半分アニメに偏っていた。これは人選を間違えたのだろうか。
「でもさ、別にお前が変なことを言ってるようには思えないからさ。
信じるよ」
そう言ってもらえると、少しは楽になってくる。
ここで、村上はグラスを取ろうとしていた手を止めた。
「......ちょっと気になるんだけど。
お前たちが会ってたのって、本当にプールだけなのか?」
そう言われて我に返った。
少しの沈黙が流れる。カフェで流れているジャズのBGMが今まで以上にくっきりと聞こえた。
そうだと答えると、村上は意味ありげな微笑をしてこちらを見た。
「会ってることは事実なんだろ? そこに意味はあるんだと思う。
それを実感しての、なんか絆みたいなものがあるんじゃないか。それは大切にしなきゃいけない気がするんだ」
アニメみたいに青臭くてごめんと彼は言う。
実際、『ソラノアリア』というアニメに出てくる主人公の剣は、光輝いて形状を変える、まさしく"変身"と呼ぶにふさわしいものだった。最終的に明かされた設定は、剣自体がいったん粒子化し再度形作られるのは、主人公の"願い"を具現化したものとされている。
これはもちろん架空の話だが、僕は見てきたものもその通りなんだと思う。
......僕たちはそれぞれ小さな存在だった。
ふとしたきっかけで出会って、一緒に歩くようになった。いろんなことを見て聞いて、お互いに成長していく。
僕のとなりにはきみが、きみのとなりには僕がいる。その大切さに気付けたとき、人生が瞬くんじゃないかって思えるんだ。
すいの身体が、願いの粒子で出来ていたとするなら。
僕は、きみのことを受け止めないといけない。
その輝きが消えるまで抱きしめてあげないといけない。
人生は大切な人に見送られて終わる。だから、すいも自分が見送らなきゃいけない。
......たとえ、彼女が消えて何も残らなくなってしまっても。
青春を楽しめよ! こう声をかけられて村上と別れた。
・・・
夏が終わる。
その気配を肌で感じつつ学校に向けて歩いていく。もうお盆を過ぎてしまった時期は、夕方になるとなんだか涼しく感じてしまう。
普段は蒸し暑い季節だから、慣れない空気につい首をすぼめて歩いてしまう。ポケットに突っ込む手が、あるものに触れた。
今日忘れてはいけないものを握る手に力を込めた。これから迎えるであろう大切さを、切なさを心に握りしめて。
暗く沈んでしまいそうな夕日をバックに僕は高校へと入っていった。忘れ物をしたとだけ言ってしまえば実に楽に入れてしまって、なんだか拍子抜けしてしまう。
でも、ここからはいつも以上に厳しいミッションだ。部活の片づけをしているバレーボール部に見つからないように物陰に隠れる。そして、日が完全に落ちた頃、僕は階段を上っていった。
冷たい風が流れるプールサイドに、やはりすいはここに居た。ワンピースを着た姿のまま、水面の上に浮いている。
「やあ、湊くん! 今日はちゃんと来てくれたね」
「当たり前じゃん、来ないといけなかったから......」
今日はこの短い人生の中で、いちばん大切な日。すいの命日に、自分なりのお墓参りをするんだ。
僕ははにかんで答えた。それなのに、すいと出会えたのに喜びの表情を作れなかった。
すいは僕の表情にかまわず、人魚姫の姿になってこちらに向けて泳いでくる。プールの縁で勢いよくジャンプすると、僕のはるか高くへと飛び跳ねた。
たくさんの水しぶきがすいの身体にかかっている。それは薄暗い夜の中でもきらめいていて、彼女の姿を彩っているようだった。
こちらを見下ろして言うのは、
「さあ、湊くんも泳ごうよ!」
そうして僕の腕を取ると、無理やりにプールの中に誘った。
僕はどこから着水しただろう。服を着ているのも関わらず、全身が水の中に入ってしまった。
息苦しさを覚えつつも、水中で目を開いた。昔に見たようなコバルトブルーが視界を占める。
いつにも増してきれいだと思った。今までだったら死を覚悟するような色だ。でも、今は違う。きみがとなりに居るから、泳ぐ楽しさを知っているから。
この光景の中にずっといたい......。
少しずつ体が浮いてくる。
いわゆる背浮きの状態で、僕は夜空を見上げていた。
不思議と空に浮かぶ色を見つめてしまう。ただ単に黒一色とは思えず、パレットの上でいろんな色を混ぜて作り上げたような感じがしていた。
学校の明かりが消え、辺りの住宅や街灯だけが照らし出す空はえも言われぬ美しさだった。
「このまま空を見ててね。そのうち楽しくなってくるから。
ここはわたしだけの秘密の場所なんだよ」
となりにはすいが浮かんでいる。彼女も同じように体を伸ばして空を見上げている。
僕は、そっと触れるすいの手を握り返した。
自然と作り上げた恋人つなぎ。それが僕たちの関係だと気づいたから。
だからこそ、失うことが怖いんだ......。
すいは身体と己の想いを切り離して、魂だけが現代に帰り来る存在だ。お墓参りで手を合わせたら相手が天に戻ってしまうから、すいもいなくなってしまう。
静かなプールに、会話の花が咲く。まるで浜辺できれいな貝殻を拾い上げるように、大切な言葉たちをひとつひとつを心の中にしまっていった。
「わたし、海行きたかったなあ」
「そうだね、けっきょく話が流れたから。あの時は僕が泳げないなんて茶化すからさ」
そうだったね、とすいがくすくすと笑う。
「泳げなくても楽しめると思うよ、水を蹴り上げるだけでもいいもんね。
あの時は、わたし何も考えられなかったから」
「いや、僕だってごめん」
「ううん、わたしもだよ」
「カフェで別れてから、わたし後悔しかしてなかった。なんて謝れば良いか分からなくて、スマホに文章打ってもすぐ消して」
すいはこちらに顔を向けながら告げてくれた。
「......やっぱり言葉で言わなきゃダメだって」
すいは、来るべきタイミングをずっと待っていたんだ。
それなのに、いきなり終わりを告げられてしまった。風が運んできたたったひとつの偶然から。よりによって、僕たちが出会った交差点で。
「出会ったのも交差点だったよね。
湊くんが声をかけてくれたんだ。よく覚えてるよ」
そうなんだ、すごいねと相づちを返す。
「当たり前だよ!
はじめて塾に行ける日だからいちばん可愛い服出して出かけて行ったんだ。それなのに迷子になっちゃってさ、わたし馬鹿だなって思ってたの。
どうしようもないところだったんだよ」
すいは出会った日のことを意気揚々と話す。
あんなに近いところで迷子になるには苦笑するが、そんなに塾が楽しみだったんだな。
新しいところで学べる機会があるって、楽しいことだと思う。学校が苦手だった僕がそう思うんだから、間違いないだろう。
......ここで、ふとしたことに気づいた。
学校が苦手だったと自分は思った。ということはまさか、すいもそう感じていたのだろうか。彼女が話しているのを遮ってちょっとだけ聞いてみる。
「......ねえ、すいって学校はどうだったの?」
無理して話さなくていい、と添える僕にすいはかまわないと答えて話してくれた。話しはじめる彼女の表情に、今まで見たことのない寂しさを感じていた。
「......わたし、学校が嫌いになったの」
村上はアイスコーヒーを飲みながら楽しそうな瞳をこちらに向けている。
すいのことが気になって仕方ないから、しばらく経った日に村上に相談してみた。
「聞いているうちは狐か狸にでも出会ったんじゃないかと思ったけど、そうでもないみたいだなあ」
「今どき狐とか狸とかってないでしょ......」
山に行けば狸がいるけれど、なにかされたなんてニュースは聞いたことがない。
「まあまあ、でも青春モノのアニメでも観てる感じじゃん。主人公じゃん」
けれども、彼の説明はどちらかというと半分アニメに偏っていた。これは人選を間違えたのだろうか。
「でもさ、別にお前が変なことを言ってるようには思えないからさ。
信じるよ」
そう言ってもらえると、少しは楽になってくる。
ここで、村上はグラスを取ろうとしていた手を止めた。
「......ちょっと気になるんだけど。
お前たちが会ってたのって、本当にプールだけなのか?」
そう言われて我に返った。
少しの沈黙が流れる。カフェで流れているジャズのBGMが今まで以上にくっきりと聞こえた。
そうだと答えると、村上は意味ありげな微笑をしてこちらを見た。
「会ってることは事実なんだろ? そこに意味はあるんだと思う。
それを実感しての、なんか絆みたいなものがあるんじゃないか。それは大切にしなきゃいけない気がするんだ」
アニメみたいに青臭くてごめんと彼は言う。
実際、『ソラノアリア』というアニメに出てくる主人公の剣は、光輝いて形状を変える、まさしく"変身"と呼ぶにふさわしいものだった。最終的に明かされた設定は、剣自体がいったん粒子化し再度形作られるのは、主人公の"願い"を具現化したものとされている。
これはもちろん架空の話だが、僕は見てきたものもその通りなんだと思う。
......僕たちはそれぞれ小さな存在だった。
ふとしたきっかけで出会って、一緒に歩くようになった。いろんなことを見て聞いて、お互いに成長していく。
僕のとなりにはきみが、きみのとなりには僕がいる。その大切さに気付けたとき、人生が瞬くんじゃないかって思えるんだ。
すいの身体が、願いの粒子で出来ていたとするなら。
僕は、きみのことを受け止めないといけない。
その輝きが消えるまで抱きしめてあげないといけない。
人生は大切な人に見送られて終わる。だから、すいも自分が見送らなきゃいけない。
......たとえ、彼女が消えて何も残らなくなってしまっても。
青春を楽しめよ! こう声をかけられて村上と別れた。
・・・
夏が終わる。
その気配を肌で感じつつ学校に向けて歩いていく。もうお盆を過ぎてしまった時期は、夕方になるとなんだか涼しく感じてしまう。
普段は蒸し暑い季節だから、慣れない空気につい首をすぼめて歩いてしまう。ポケットに突っ込む手が、あるものに触れた。
今日忘れてはいけないものを握る手に力を込めた。これから迎えるであろう大切さを、切なさを心に握りしめて。
暗く沈んでしまいそうな夕日をバックに僕は高校へと入っていった。忘れ物をしたとだけ言ってしまえば実に楽に入れてしまって、なんだか拍子抜けしてしまう。
でも、ここからはいつも以上に厳しいミッションだ。部活の片づけをしているバレーボール部に見つからないように物陰に隠れる。そして、日が完全に落ちた頃、僕は階段を上っていった。
冷たい風が流れるプールサイドに、やはりすいはここに居た。ワンピースを着た姿のまま、水面の上に浮いている。
「やあ、湊くん! 今日はちゃんと来てくれたね」
「当たり前じゃん、来ないといけなかったから......」
今日はこの短い人生の中で、いちばん大切な日。すいの命日に、自分なりのお墓参りをするんだ。
僕ははにかんで答えた。それなのに、すいと出会えたのに喜びの表情を作れなかった。
すいは僕の表情にかまわず、人魚姫の姿になってこちらに向けて泳いでくる。プールの縁で勢いよくジャンプすると、僕のはるか高くへと飛び跳ねた。
たくさんの水しぶきがすいの身体にかかっている。それは薄暗い夜の中でもきらめいていて、彼女の姿を彩っているようだった。
こちらを見下ろして言うのは、
「さあ、湊くんも泳ごうよ!」
そうして僕の腕を取ると、無理やりにプールの中に誘った。
僕はどこから着水しただろう。服を着ているのも関わらず、全身が水の中に入ってしまった。
息苦しさを覚えつつも、水中で目を開いた。昔に見たようなコバルトブルーが視界を占める。
いつにも増してきれいだと思った。今までだったら死を覚悟するような色だ。でも、今は違う。きみがとなりに居るから、泳ぐ楽しさを知っているから。
この光景の中にずっといたい......。
少しずつ体が浮いてくる。
いわゆる背浮きの状態で、僕は夜空を見上げていた。
不思議と空に浮かぶ色を見つめてしまう。ただ単に黒一色とは思えず、パレットの上でいろんな色を混ぜて作り上げたような感じがしていた。
学校の明かりが消え、辺りの住宅や街灯だけが照らし出す空はえも言われぬ美しさだった。
「このまま空を見ててね。そのうち楽しくなってくるから。
ここはわたしだけの秘密の場所なんだよ」
となりにはすいが浮かんでいる。彼女も同じように体を伸ばして空を見上げている。
僕は、そっと触れるすいの手を握り返した。
自然と作り上げた恋人つなぎ。それが僕たちの関係だと気づいたから。
だからこそ、失うことが怖いんだ......。
すいは身体と己の想いを切り離して、魂だけが現代に帰り来る存在だ。お墓参りで手を合わせたら相手が天に戻ってしまうから、すいもいなくなってしまう。
静かなプールに、会話の花が咲く。まるで浜辺できれいな貝殻を拾い上げるように、大切な言葉たちをひとつひとつを心の中にしまっていった。
「わたし、海行きたかったなあ」
「そうだね、けっきょく話が流れたから。あの時は僕が泳げないなんて茶化すからさ」
そうだったね、とすいがくすくすと笑う。
「泳げなくても楽しめると思うよ、水を蹴り上げるだけでもいいもんね。
あの時は、わたし何も考えられなかったから」
「いや、僕だってごめん」
「ううん、わたしもだよ」
「カフェで別れてから、わたし後悔しかしてなかった。なんて謝れば良いか分からなくて、スマホに文章打ってもすぐ消して」
すいはこちらに顔を向けながら告げてくれた。
「......やっぱり言葉で言わなきゃダメだって」
すいは、来るべきタイミングをずっと待っていたんだ。
それなのに、いきなり終わりを告げられてしまった。風が運んできたたったひとつの偶然から。よりによって、僕たちが出会った交差点で。
「出会ったのも交差点だったよね。
湊くんが声をかけてくれたんだ。よく覚えてるよ」
そうなんだ、すごいねと相づちを返す。
「当たり前だよ!
はじめて塾に行ける日だからいちばん可愛い服出して出かけて行ったんだ。それなのに迷子になっちゃってさ、わたし馬鹿だなって思ってたの。
どうしようもないところだったんだよ」
すいは出会った日のことを意気揚々と話す。
あんなに近いところで迷子になるには苦笑するが、そんなに塾が楽しみだったんだな。
新しいところで学べる機会があるって、楽しいことだと思う。学校が苦手だった僕がそう思うんだから、間違いないだろう。
......ここで、ふとしたことに気づいた。
学校が苦手だったと自分は思った。ということはまさか、すいもそう感じていたのだろうか。彼女が話しているのを遮ってちょっとだけ聞いてみる。
「......ねえ、すいって学校はどうだったの?」
無理して話さなくていい、と添える僕にすいはかまわないと答えて話してくれた。話しはじめる彼女の表情に、今まで見たことのない寂しさを感じていた。
「......わたし、学校が嫌いになったの」
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