上 下
16 / 24
第4章 夏の日の真実

15.既視感

しおりを挟む
 コバルトブルーが視界を占める。
 僕はその中を泳いでいた。
 腕を伸ばして、足をきれいに折って。視界の先を見開いて、しっかりと見つめていた。
 水の中だと分かっているのに、怖いという意識はなく、この先何があるんだろう。興味が僕の心を締め付けている。
 その意識を共有しよう。
 僕は興奮を隠しきれないまま、となりを泳ぐ姿に視線を送る。
 人魚姫の彼女はこちらに向かって微笑んでくれた。
 
 そして彼女は言ったんだ、そろそろ上がろうかって。
 
 次に浮かんだ光景は、何もない路地裏だった。
 人魚姫はいつしか足を生えていて、まるで人間のよう。そして、こちらに響くような声で言ったんだ。
「湊くん、一緒にいるの楽しいね」
 そうだねと、となりに歩く少女に向かって声をかける。
 とくに特徴のない景色なのに、僕たちは楽しんでいる。
 小さな花壇に咲く花たち、物陰に入っていくすずめたち。そんな光景のひとつひとつで会話しているから。
 その雰囲気を彩るように、そよ風が流れていた。
 
 やがて、僕たちはとある交差点に出くわす。
 交差点で立ち止まると、ひときわ強い風が僕たちを揺らした。
 慌ててスカートを押さえる少女。飛んでいく彼女のハット。これで、夏が終わる......。
 そよ風は、ときに暴れてしまうから。
 
 こんな言葉が脳裏に浮かびつつ、僕は勢いよく飛び起きた。
 
 ・・・

 ベッドから体を起こしてみると、すでに朝日は力強くカーテン越しに降り注ぐ。
 それでもいつも起きる時間にはだいぶ早いのに、もう布団をかぶる気にはなれなかった。
 不思議な夢を見ていたみたいだ。
 エアコンはつけているのに、じっとりと汗をかいている。
 ハットが飛んでいかなければ、そよ風が吹いていなければ......。
 夢の先には見れなかったのに、なぜだかその直前のことをなかったようにと願っていた。
 
 居間に行った自分はカレンダーを一枚めくった。
 そこに現れる文字を目にした瞬間、少し首をかしげてしまう。
 8月。
 ちょっとした既視感。この月は何があったかと思い出してみる。
 皆はまだ夏休みの最中だから宿題に追われているだろう。
 一般的には帰省の時期だろうけど、自分の家はどこにも行くところはない。
 だから、お盆というイベントがあったとしても、自分にはほど遠い出来事でしかなかった。
 
 はやく起きてしまった分、やることがないと困ってしまう。
 仕方なく宿題でも進めようかと思ったけれど、参考書が見つからない。本棚やデスクなど、ありとあらゆる所を捜索していった。
 でも参考書は見つからなかった。すると、普段使わない引き出しから出てきたものに、首をかしげてしまった。
 
 人魚をモチーフにしたネックレス。
 
 アクセサリーの類なんて、自分は持っていない。
 でもこれはなんだか女の子が持っていそうなアイテムだ。
 どうしてここにあるんだろう......。
 かしげていた首は、ふと鳴り出したスマートフォンによってもとの位置に戻される。でも、ネックレスのことも8月のことも、ここで忘れてしまった。

 ・・・

 電話をかけてきたのは村上だった。
 彼はまず、アニメ『ソラノアリア』の話題を振ってくる。
 ヒロインに萌えたとかバトルシーンが迫力あるとか。楽しい話題なのに、一方的に話すものだからちょっとスマートフォンを耳から離してしまいそうだ。
 自分の意識が通じたのか、彼はやっと本題を切り出した。
「ところで湊くん、今年はどうするかい?」
 去年、村上の友人のつてでその日限りのバイトをしたことがあった。海の家には大勢の客が訪れるから、日雇いで参加してくれるだけでもありがたく思われるという。
「今年はどうしようかなあ」
「あんまりお金が必要じゃない感じか? そうだとしても、あったら何かと役に立つんだよ。
あ。いやいや、人助けだと思ってさ......」
 こうしてプレゼンをされてしまうと、けっきょく参加してしまうのだ。

 封筒に入った給料を手渡しでもらう。
 それをしぶしぶ受け取りながらも、僕は困った顔を隠しきれない。
 となりにいる村上がちらりとこちらを覗き込んでいうことは、
「おや、湊くんは何か不満げかな」
 などと茶化して聞いてくる。
 特に不満はないのだけど、正直な話稼いだお金の使い道がないのだ。去年は何か必要にせまられてこの海の家でバイトをしていたような気がする......。
 
 となりに立ったまま、彼はまたもや一方的に語る。
「まあ、ホールと厨房じゃ差があるからな。
水着のお姉ちゃんたちを見てて楽しかったし」
 それを言われても回答に困る。
 一日中フロアを勤めていた彼は、お客さんをずっと楽しませていた。
「この子、高校生なのに大学生みたい!」
「連絡先交換しようよ! え、だめなの?」
 こんな声が厨房の中にまで届く。
 別に羨ましいわけでもなかったが、村上の社交性の高さに目を見張るものがった。
 けっこう一生懸命に楽しんでいた彼が、ここで小さなため息をついた。
「ここに西原が来てくれたら嬉しかったんだけどな」
 え......、なんだか相づちを打とうとしていた自分も言葉を失ってしまった。いつも水着なら見ていると思うのだけど。
「いいや、違うんだよ湊くん。
学校の水着じゃ毎日見てて飽きるだろ、ここでビキニにハーフパンツとか召してたら最強じゃないか」
 今年こそは海に誘いたい、という彼のコメントを頭から一方的に追い出した。
 無理やり話題を変えてトークを広げる。
「なんていうか、このお金を何に使おうかって悩んでて」
「なるほどな、よくわかるよ」
 彼の誘いに乗って、駅まで歩いていくことにする。
 視界に映る空はオレンジと青が混ざった不思議な色、マンダリンだろうか、えんじ色だろうか。なんとも形容し難い色が浮かんでいた。
 歩きながら、村上は告げる。その表情には今まで見たことのない真剣なものが浮かんでいた。
「湊くんさ、進路の希望表もらっているだろ」
 その質問の意味を理解して、僕は軽く息をのんだ。
 実際、受験は来年だとしても現段階の意識を答えるために提出しなければいけない。
 多くの生徒がおそらくは進路を決めきれないまま提出することになるだろう。僕もその中のひとりだったりする。
 それでも、一握りの生徒は今信じている道を進む。
「オレさ、アニメの仕事をしてみたいと思ってるんだ」
「アニメ......?」
 前にプールで出した話題そのままだった。
「そう、高校入るころから思ってたんだ。
お前もオレも、アニメやゲームを楽しんでるじゃん。
だから、その世界に飛び込んでみたいと思っててな」
 シンプルな動機だ。それでいて、力強さを感じる雰囲気があった。
「ただ、大手の専門学校に行くとなると、そこそこのお金が必要なんだ」
 なるほど、信じた道を進んでほしいなって思う。

 電車の窓に、遠くで光る花火が見えた。
 村上は関心したように、今年の行われるであろう大会を期待している。
 高校近くの由緒ある神社から打ち上げる花火は圧巻で、毎年大勢の客が集まる。去年は彼とふたりで行ったのだが、人ごみに疲れてしまった印象しかなかった。
「それでも、みんなで行けたら楽しいだろうなあ。疲れも吹き飛ぶと思うんだ」
 彼の中で、夏は楽しい季節としてイメージ付けされている。
 それで、自分はどうだっただろうか。

 ・・・

 すいが水泳を教えてくれるようになって、二週間ほど経った。
「ありゃ、もうちょっとだったよね」
 となりのレーンから様子をうかがっているすいが自分に向かって声をかけた。
 軽く泳げるようになった僕は、バタ足でもかまわないから泳ぎ切ることを目標としていた。それでもまだプールの端から端までを泳ぐのは難しく、途中で力尽きてしまう。
 とはいえ、泳ぎはじめた頃からしたら考えられないほどの進歩を遂げていた。自分でもそう呼んでよいと思う。
 あの頃の僕が、今の自分を見て何を思うだろう。
「次はもうちょっと泳げるようになるよ」
 すいはそう言ってガッツポーズをしてみせた。その満面の笑みにこちらも微笑みを返す。
「......ん、どしたの湊くん。
疲れてなきゃもう一本泳ぐ?」
「ああ、だいじょうぶだよ」
 ふと真顔になってしまったみたいだ。表情を作り直してみる。
 スタート位置まで戻っていく最中にすいに気づかれないように小さなため息をついた。ここだけの話、漠然とした不安もどこかに潜んでいる気がして。
 練習の合間に、家にいるときなどに、彼女が教えてくれたことを思い返すことが増えた。
 顔を水につけるところからはじまって、すいにタッチするようなゲーム感覚の仕掛けも施されていた。それはもちろん楽しくて、まるで育ってきた英会話教室の雰囲気そのままみたい。
 とはいえ、実際足を動かすなど実践的なことは具体的な説明に欠ける気がしていた。
「......ねえ、湊くん。
上手く言えないけれど、何かが変わった」
「何か、ってなんだろう」
 泳ぎ終わった自分に向けて、すいは不思議そうな顔をする。その表情は、まるで訝しげに覗くみたいに。
「ポーズ、じゃなくてフォームっていうの」
 ......説明しようとして、つい言葉を失った。
 この秘密の授業に、もう一人のコーチが登場するなんて本当はありえないことだから。
 自分でプール行ってきたと言えば、少しは楽になるのかもしれない。でもそんなことはすでにお見通しだ。
「嘘はやめてよね。
湊くんすぐわかっちゃうし、きみのそんなところは見たくないよ」
 つい彼女の言い回しも少し冷たくなっていた。
「......西原だよ」
 もう仕方がないと、すいがいない時に足の動かし方を教えてくれたと説明するしかなかった。
「......なんで灯里さんが出てくるのよ」
「だって、すいそんな具体的なところまで教えてくれなかったじゃない」
「だってじゃないでしょ......」
 もう話の穂先はつぎ足すことができなかった。
 ふたりして、水面に視線を下ろしてしまう。
 
 すいが顔を上げる。
 ゆっくりと、彼女が口を開く......。
「ねえ、西原さんのこと、どう思っているの?」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

2番目の1番【完】

綾崎オトイ
恋愛
結婚して3年目。 騎士である彼は王女様の護衛騎士で、王女様のことを何よりも誰よりも大事にしていて支えていてお護りしている。 それこそが彼の誇りで彼の幸せで、だから、私は彼の1番にはなれない。 王女様には私は勝てない。 結婚3年目の夫に祝われない誕生日に起こった事件で限界がきてしまった彼女と、彼女の存在と献身が当たり前になってしまっていたバカ真面目で忠誠心の厚い騎士の不器用な想いの話。 ※ざまぁ要素は皆無です。旦那様最低、と思われる方いるかもですがそのまま結ばれますので苦手な方はお戻りいただけると嬉しいです 自己満全開の作品で個人の趣味を詰め込んで殴り書きしているため、地雷多めです。苦手な方はそっとお戻りください。 批判・中傷等、作者の執筆意欲削られそうなものは遠慮なく削除させていただきます…

貴方の事なんて大嫌い!

柊 月
恋愛
ティリアーナには想い人がいる。 しかし彼が彼女に向けた言葉は残酷だった。 これは不器用で素直じゃない2人の物語。

彼氏と親友が思っていた以上に深い仲になっていたようなので縁を切ったら、彼らは別の縁を見つけたようです

珠宮さくら
青春
親の転勤で、引っ越しばかりをしていた佐久間凛。でも、高校の間は転校することはないと約束してくれていたこともあり、凛は友達を作って親友も作り、更には彼氏を作って青春を謳歌していた。 それが、再び転勤することになったと父に言われて現状を見つめるいいきっかけになるとは、凛自身も思ってもいなかった。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話

矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」 「あら、いいのかしら」 夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……? 微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。 ※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。 ※小説家になろうでも同内容で投稿しています。 ※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。

可愛すぎるクラスメイトがやたら俺の部屋を訪れる件 ~事故から助けたボクっ娘が存在感空気な俺に熱い視線を送ってきている~

蒼田
青春
 人よりも十倍以上存在感が薄い高校一年生、宇治原簾 (うじはられん)は、ある日買い物へ行く。  目的のプリンを買った夜の帰り道、簾はクラスメイトの人気者、重原愛莉 (えはらあいり)を見つける。  しかしいつも教室でみる活発な表情はなくどんよりとしていた。只事ではないと目線で追っていると彼女が信号に差し掛かり、トラックに引かれそうな所を簾が助ける。  事故から助けることで始まる活発少女との関係。  愛莉が簾の家にあがり看病したり、勉強したり、時には二人でデートに行ったりと。  愛莉は簾の事が好きで、廉も愛莉のことを気にし始める。  故障で陸上が出来なくなった愛莉は目標新たにし、簾はそんな彼女を補佐し自分の目標を見つけるお話。 *本作はフィクションです。実在する人物・団体・組織名等とは関係ございません。

ずぶ濡れで帰ったら彼氏が浮気してました

宵闇 月
恋愛
突然の雨にずぶ濡れになって帰ったら彼氏が知らない女の子とお風呂に入ってました。 ーーそれではお幸せに。 以前書いていたお話です。 投稿するか悩んでそのままにしていたお話ですが、折角書いたのでやはり投稿しようかと… 十話完結で既に書き終えてます。

姉らぶるっ!!

藍染惣右介兵衛
青春
 俺には二人の容姿端麗な姉がいる。 自慢そうに聞こえただろうか?  それは少しばかり誤解だ。 この二人の姉、どちらも重大な欠陥があるのだ…… 次女の青山花穂は高校二年で生徒会長。 外見上はすべて完璧に見える花穂姉ちゃん…… 「花穂姉ちゃん! 下着でウロウロするのやめろよなっ!」 「んじゃ、裸ならいいってことねっ!」 ▼物語概要 【恋愛感情欠落、解離性健忘というトラウマを抱えながら、姉やヒロインに囲まれて成長していく話です】 47万字以上の大長編になります。(2020年11月現在) 【※不健全ラブコメの注意事項】  この作品は通常のラブコメより下品下劣この上なく、ドン引き、ドシモ、変態、マニアック、陰謀と陰毛渦巻くご都合主義のオンパレードです。  それをウリにして、ギャグなどをミックスした作品です。一話(1部分)1800~3000字と短く、四コマ漫画感覚で手軽に読めます。  全編47万字前後となります。読みごたえも初期より増し、ガッツリ読みたい方にもお勧めです。  また、執筆・原作・草案者が男性と女性両方なので、主人公が男にもかかわらず、男性目線からややずれている部分があります。 【元々、小説家になろうで連載していたものを大幅改訂して連載します】 【なろう版から一部、ストーリー展開と主要キャラの名前が変更になりました】 【2017年4月、本幕が完結しました】 序幕・本幕であらかたの謎が解け、メインヒロインが確定します。 【2018年1月、真幕を開始しました】 ここから読み始めると盛大なネタバレになります(汗)

処理中です...