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第4章 夏の日の真実

14.西原

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 体育棟の入り口で空を見つめていた。
 夕立はあっという間に自分たちの体を濡らしてしまい、慌ててプールの着替えを終わらせた僕は今ここにいる。
「どうしようねえ、成瀬くん傘持ってきた?」
 同じように制服に着替えた西原が自分のとなりに並んで、同じように空を見上げる。
 僕は首を横に振って返事に変えた。
 どうしようか、雨は一向に止む気配がない。
「仕方ないからお茶でもしていこうよ」
「そうだね」
 お茶、といっても校舎の中にある自販機。
 もちろん彼女の言葉に他意はないのが分かっているから、なんだか安心してしまう。
「それで、きみが水泳がんばってるのって、どういう風の吹き回しなの」
 ベンチに横並びに座ると、西原は興味深い瞳を自分に投げかけた。
 最初は授業のためだった。
 それからすいと出会って、一緒にいるのが楽しくなって。
「......別に体を動かせるようになると、動かしてみたくなるものだよ」
 すいのことは、自分だけの秘密にしておきたい。だから当たり障りのない言葉を告げておく。
「それなら町のプールでもいいかもだけどね。
だからって、普段から真面目なきみが学校に忍び込むの、なんだかギャップが面白いね」
 褒めているのかけなしているのかわからない。
 どう返そうかと思っていると、彼女は言葉を重ねて褒めていると強調してくれる。
「そうやって、無邪気にがんばる姿っていいよね」
「うん、ありがとう」
 お互いに飲み物を一口飲んだ。
「私、この時間がいちばん好きなんだ。
一生懸命に泳いで、終わったらここだったりコンビニで一本買って飲むんだ。そしたら今日もがんばったなって思えるから」
「そうなんだね、でも毎日のように部活があって大変だね」
 西原は一瞬真顔になって、息を吐きだすようにして答えた。
「8月の終わりには試合があるんだよ。
 水泳部に入ったからには記録に挑戦してみるものなんだ。勝負するところはそこだから」
 自分のためだよ、って彼女は答えてくれる。
 そこには彼女なりの決意があった。

 ◇◇◇

 小学校の休み時間。
 クラス中の熱い視線が私たちを囲んでいる。
 これから行われるのは、ふたりの真剣勝負。ただの腕相撲なんだけど、小学生の時分としては、ひととき話の火種が燃えたらそれを決着して決めようと気合を入れるものだ。
 その決着はあっという間だったかもしれない。でも、長い時間をかけたような勝負は私の勝ちに終わった。
「ふふっ、また私の勝ちね!」
「まったく、西原ったら......。次は俺が勝つからな」
 望むところよ、そう言って熱い試合は終わりを迎えた。
 小学生も高学年となれば男子も女子も身体の差が出てくるような時期だろう。
 人一倍強い体力のある私は、スポーツ競技はもちろん腕相撲でも並みの男子に勝つ子だった。

 そして、その自慢は午後の授業から動き出す。
 とあるクジを引いた私は、近くにいた女の子に話しかけられた。
「西原さんと同じチームになってよかったよ、今年もがんばろうね!」
 小学生の私は、夏を迎えるたびにこう声をかけられていたっけ。
 来週行われるのは、一学期の最後に毎年行われるプール大会だ。
 特に水泳はスイミングクラブに通っていたこともあって、自慢の競技だった。
 だから私ががんばって泳げばチームを優勝に導ける。
 声をかけられるたび、私はくすぐったい面持ちになりながら小さな気合を入れるのだ。
 今年も絶対に勝てるんだ。
 
 でも、勝者がいるということは、その逆もまた然りだった。
 そのことまで私は理解できていただろうか。
 
 プール大会当日。プールサイドを意気揚々と歩いていた私の耳に、びっくりする声が飛んでくる。
「ああ、今年は俺のチーム負けだな。だって西原が居ないんだもの」
 その声を聞いて、ふと足を止めてしまった。
 私はその声の主をぼんやりと見つめる。それはこの間腕相撲で勝った子、私がぼんやりと恋心を抱いていた相手だった。
 サッカー部のエースだったのに。
 勝負すらはじまっていないのに、こんなに簡単に負けを実感してしまうなんて。
 私が勝つということは、だれかの喜びを奪ってしまうんじゃないだろうか。
 私が体育に強くなければよかったのだろうか。
 いくら強く成長したって、誰かが負けるんだな。
 スイミングクラブから話が上がっていた、オリンピックを目指せる中学校はその時点で諦めた。

 ◇◇◇

 だから、私のためだけにがんばるんだ。
 そう語る西原は少し息を吐きだした。溜まっていた緊張をすべて出し切るみたいに。
「一秒でも速くってよく言われるけどさ。
そんなこと考えるたびに私はすぐ壁にぶつかってしまうんだ」
 小さく頷きを返す。なんだか言葉を紡ぐのはいけない気持ちになっていた。
「きみを見てたらさ、純粋にがんばるのいいなって思えてきた。
私、この頃伸び悩んでてさ。
今になってやる気が出てきたんだ」
 きみのおかげだよ、ありがとう。
 彼女が笑顔になるのを、そういえばはじめて見た気がする。
「ねえ、今度カフェとか出かけない? いつもがんばってるからご褒美したいんだ」
「いいね」
 とは言いつつ、泳ぎたい気持ちもあった。やっぱり、僕はすいに会いたいんだと思う。
 どう返そうか考えているところで、西原がベンチに置いていた飲み物を倒してしまう。コーラは床に倒れて、あっという間に飲み口から液体がこぼれていく。
「いけない、拭くの持ってこなきゃだ」
 慌てて席を立つ西原をよそに、自分はその場に立ち尽くしていた。
 じわりと広がる液体。そこから目を離せない。
 自分の脳裏に思い浮かぶのは、過去の日に見たことがある光景。
 <あの日>のことを思い出しそうだった......。
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