10 / 24
第3章 人魚姫の願い
9.シャープペンシルの思い出
しおりを挟む
今日のプールサイドは人で賑わっていた。
水泳部の練習が行われる日で、辺りには多くの生徒――ほとんどが女の子だけど――が泳いでいた。
彼女らは真剣でいながらも楽しそうで、明るい雰囲気がプールの中を包んでいた。
わたし、すいは皆の様子を見つめている。
何人かの生徒がわたしの前を通り過ぎる。でも、彼女たちはわたしに気づくはずもなく歩いて行ってしまう。
やっぱりそうなんだな。
わたしは人前で姿を見せることはない。
次の日は、水泳部は休みのようだった。
午前中のうちに湊くんが、遅れて灯里さんがプールに現れる。
ふたりは各々と泳いでいて、視界の先で灯里さんがプールに飛び込んだところだった。
午後になると空が曇りがちになってくる。いつの間にか空模様が変わっていく姿は、まるでなんだか泣きそうに思えてしまった......。
灯里さんのことを、彼女の存在を。なんて表現したらよいのだろう。
よくわたしのことを気にかけてくれた人だった。それだったのに、彼女との思い出はふとした方向に曲がっていってしまう。
去年の灯里さんとの出会いを思い出していた。
◇◇◇
「湊ー!」
高校生の生活がはじまったばかり。
4月のある日、わたしは湊くんのことを呼び捨てで呼んだことがあった。しかも、いきなり教室の中で。
同じ塾に通っていただけ。
それが、高校の入学式の日に顔を合わせるなんて思いもしなくて。ましてや同じクラスになるなんて思いもしなくて。
たまに同じ電車で登校することがあった。もちろんどちらかを置いていくこともなく一緒に歩いていく。
昨日こんなことがあったね、今日は何があるかな。
こんなことを話しているだけでもまったく退屈じゃなかった。
わたしたちの関係に名前なんてなかった気がする。ただ、一緒のふたり。
だから、高校生最初のオリエンテーションである遠足で彼を同じグループに誘いたかったからこう呼んだ。
名前を呼ばれた湊くんは目を丸くしていた。
わたしははじめてクラス中の視線が自分に集まっていたことを知る。
くすくすと笑っている生徒たちの中に、西原さんの姿があった気がする。
ゴールデンウイークが終わると、少しずつクラスの生徒たちはお互いを認知するようになってくる。その中で生まれていたのは、わたしへ向けたある疑問だった。
「ねえ、結城さんってさ」
......こう女の子たちに呼びかけられることはたくさんあって。
「成瀬くんと付き合っているの?」
続きを紡ぐ文章は全く同じだった。
「そ、そんなことないよ!」
わたしは身振り手振りで慌てて否定する。これがもはや日常茶飯事になっていた。高校生になってもあるなんて、わたしはまだ続くのかと気が滅入ってしまう。
それでも彼女たちの追従はとどまることを知らない。だからとばかりに、質問を投げかけてくるのだ。
「じゃあなんでさ、シャーペンがお揃いなの?」
「か、関係ないもん!!」
わたしは机の上で出しっぱなしになっていたものを慌ててペンケースにしまい込んだ。
なんだか、見られていたら嫌だから。
その気持ちをはじめて味わうことになってしまった。
これは、塾の先生がわたしたちふたりにくれたアイテムだった。
高校受験が本格化してくると、主要の教科も学べる塾へ、より厳しいところへと鞍替えをしていく子たちでいっぱいだった。
いつの日にか、この英会話教室には湊くんとわたししか残っていなかった。
それでも、先生の夢は高校へと生徒を送り出すこと。その願いを叶えたわたしたちに贈られたのが、シャープペンシルだった。
ふたりで一緒に歩いてきたね。
これからもがんばってね。
その願いを込めて、色違いのデザインを揃えてくれた。
恋なんてしたことのないわたしが、恋をしていると思われる。
その引き金を引いたのは、たぶんわたし自身なんだと思うけど。そこにはなんとも形容のしがたい感情がたくさんあった。
「すい、おはよう」
「......おはよう」
わたし、先に行くね。
同じ時間帯の電車で通学していても、わたしはひとり構わず歩いていった。
いつか、塾の先生が湊に告白しないの? って聞いてきたことがあった。もちろん彼が休みの日を狙って。冗談交じりの瞳は茶目っ気で揺れているみたいだった。
わたしが彼を意識したはじめて。でも恋なんてまだ知らなかった。
同じクラスで、同じ時を過ごしているから。
それだけで満足するべきなんだろう。
ある日の放課後、わたしは部活の帰りに教室に立ち寄ったところだった。
本当は湊くんと話したい。そんなもやもやを抱えたまま帰りの準備をしていると、教室で雑談をしている子たちから声をかけられた。
「ねえ、結城さんさ......」
わたしはいつものように怯えた瞳を投げかけていて。
でも、気が付くと全く違う光景が浮かんでいたのだった。
「それから言おうとしている質問、何万回と聞いたわ。
少しはすいちゃんが困っているって気づかないの」
なにが起きたのかわからなかった。
気が付くと、いつの間にか教室に入っていた西原さんがその子の腕をつかんでいたのだ。
「......西原には関係ないでしょ」
そう声をかけられても、彼女はきりっとした表情で睨み返す。
鋭いまなざしが作る迫力に負けて、皆は早々と帰宅してしまった。
「......あ、あの」
わたしなんかの為に、なんか巻き込ませてしまって。本当は感謝を伝えたいのに、ありがとうは小声になってしまった。
「気にしないでいいんだよ、あんなの言わせておけばいいんだ」
そう言って西原さんは口角を上げた。
「それに、そのペン捨てちゃいけないよ。
もらったものなんでしょ」
「うん、そうだね」
すっかり気を取り直したわたしは大きく頷いた。
「それにしても、私もおしゃれなお揃いしてみたかったな」
「え、西原さんって付き合っている人っているの」
わたしの早とちりに、彼女は一瞬真顔になって、吹き出すように笑い出した。
「いないよ、そんな人。
でも、男子はちょっと苦手なだけで、お揃いに憧れはあるんだ」
わたしたちはくすくすと笑いあった。
「さあ、結城さんも帰ろうか」
校舎から出たわたしはとなりに歩く西原さんの姿をちらりと見た。
夕陽に照らされた彼女は、まるで黄金の織物を身にまとっているみたいな王子様。髪の毛の毛先からきれいに染まっていて、その姿は息を飲むような美しさだった。
「......ん、どしたの」
わたしはつい彼女の顔をまじまじと見ているのが恥ずかしくなって、慌てて視線を歩く方向に戻した。
「......もし、なんだけどさ。
西原さんのこと、灯里さんって呼んでもいいかな」
「もちろんだよ、すいちゃん」
この日、新しい友達ができた。次第に付き合っているという噂も消えていく。
さわやかなそよ風がわたしたちを包んでいた。
水泳部の練習が行われる日で、辺りには多くの生徒――ほとんどが女の子だけど――が泳いでいた。
彼女らは真剣でいながらも楽しそうで、明るい雰囲気がプールの中を包んでいた。
わたし、すいは皆の様子を見つめている。
何人かの生徒がわたしの前を通り過ぎる。でも、彼女たちはわたしに気づくはずもなく歩いて行ってしまう。
やっぱりそうなんだな。
わたしは人前で姿を見せることはない。
次の日は、水泳部は休みのようだった。
午前中のうちに湊くんが、遅れて灯里さんがプールに現れる。
ふたりは各々と泳いでいて、視界の先で灯里さんがプールに飛び込んだところだった。
午後になると空が曇りがちになってくる。いつの間にか空模様が変わっていく姿は、まるでなんだか泣きそうに思えてしまった......。
灯里さんのことを、彼女の存在を。なんて表現したらよいのだろう。
よくわたしのことを気にかけてくれた人だった。それだったのに、彼女との思い出はふとした方向に曲がっていってしまう。
去年の灯里さんとの出会いを思い出していた。
◇◇◇
「湊ー!」
高校生の生活がはじまったばかり。
4月のある日、わたしは湊くんのことを呼び捨てで呼んだことがあった。しかも、いきなり教室の中で。
同じ塾に通っていただけ。
それが、高校の入学式の日に顔を合わせるなんて思いもしなくて。ましてや同じクラスになるなんて思いもしなくて。
たまに同じ電車で登校することがあった。もちろんどちらかを置いていくこともなく一緒に歩いていく。
昨日こんなことがあったね、今日は何があるかな。
こんなことを話しているだけでもまったく退屈じゃなかった。
わたしたちの関係に名前なんてなかった気がする。ただ、一緒のふたり。
だから、高校生最初のオリエンテーションである遠足で彼を同じグループに誘いたかったからこう呼んだ。
名前を呼ばれた湊くんは目を丸くしていた。
わたしははじめてクラス中の視線が自分に集まっていたことを知る。
くすくすと笑っている生徒たちの中に、西原さんの姿があった気がする。
ゴールデンウイークが終わると、少しずつクラスの生徒たちはお互いを認知するようになってくる。その中で生まれていたのは、わたしへ向けたある疑問だった。
「ねえ、結城さんってさ」
......こう女の子たちに呼びかけられることはたくさんあって。
「成瀬くんと付き合っているの?」
続きを紡ぐ文章は全く同じだった。
「そ、そんなことないよ!」
わたしは身振り手振りで慌てて否定する。これがもはや日常茶飯事になっていた。高校生になってもあるなんて、わたしはまだ続くのかと気が滅入ってしまう。
それでも彼女たちの追従はとどまることを知らない。だからとばかりに、質問を投げかけてくるのだ。
「じゃあなんでさ、シャーペンがお揃いなの?」
「か、関係ないもん!!」
わたしは机の上で出しっぱなしになっていたものを慌ててペンケースにしまい込んだ。
なんだか、見られていたら嫌だから。
その気持ちをはじめて味わうことになってしまった。
これは、塾の先生がわたしたちふたりにくれたアイテムだった。
高校受験が本格化してくると、主要の教科も学べる塾へ、より厳しいところへと鞍替えをしていく子たちでいっぱいだった。
いつの日にか、この英会話教室には湊くんとわたししか残っていなかった。
それでも、先生の夢は高校へと生徒を送り出すこと。その願いを叶えたわたしたちに贈られたのが、シャープペンシルだった。
ふたりで一緒に歩いてきたね。
これからもがんばってね。
その願いを込めて、色違いのデザインを揃えてくれた。
恋なんてしたことのないわたしが、恋をしていると思われる。
その引き金を引いたのは、たぶんわたし自身なんだと思うけど。そこにはなんとも形容のしがたい感情がたくさんあった。
「すい、おはよう」
「......おはよう」
わたし、先に行くね。
同じ時間帯の電車で通学していても、わたしはひとり構わず歩いていった。
いつか、塾の先生が湊に告白しないの? って聞いてきたことがあった。もちろん彼が休みの日を狙って。冗談交じりの瞳は茶目っ気で揺れているみたいだった。
わたしが彼を意識したはじめて。でも恋なんてまだ知らなかった。
同じクラスで、同じ時を過ごしているから。
それだけで満足するべきなんだろう。
ある日の放課後、わたしは部活の帰りに教室に立ち寄ったところだった。
本当は湊くんと話したい。そんなもやもやを抱えたまま帰りの準備をしていると、教室で雑談をしている子たちから声をかけられた。
「ねえ、結城さんさ......」
わたしはいつものように怯えた瞳を投げかけていて。
でも、気が付くと全く違う光景が浮かんでいたのだった。
「それから言おうとしている質問、何万回と聞いたわ。
少しはすいちゃんが困っているって気づかないの」
なにが起きたのかわからなかった。
気が付くと、いつの間にか教室に入っていた西原さんがその子の腕をつかんでいたのだ。
「......西原には関係ないでしょ」
そう声をかけられても、彼女はきりっとした表情で睨み返す。
鋭いまなざしが作る迫力に負けて、皆は早々と帰宅してしまった。
「......あ、あの」
わたしなんかの為に、なんか巻き込ませてしまって。本当は感謝を伝えたいのに、ありがとうは小声になってしまった。
「気にしないでいいんだよ、あんなの言わせておけばいいんだ」
そう言って西原さんは口角を上げた。
「それに、そのペン捨てちゃいけないよ。
もらったものなんでしょ」
「うん、そうだね」
すっかり気を取り直したわたしは大きく頷いた。
「それにしても、私もおしゃれなお揃いしてみたかったな」
「え、西原さんって付き合っている人っているの」
わたしの早とちりに、彼女は一瞬真顔になって、吹き出すように笑い出した。
「いないよ、そんな人。
でも、男子はちょっと苦手なだけで、お揃いに憧れはあるんだ」
わたしたちはくすくすと笑いあった。
「さあ、結城さんも帰ろうか」
校舎から出たわたしはとなりに歩く西原さんの姿をちらりと見た。
夕陽に照らされた彼女は、まるで黄金の織物を身にまとっているみたいな王子様。髪の毛の毛先からきれいに染まっていて、その姿は息を飲むような美しさだった。
「......ん、どしたの」
わたしはつい彼女の顔をまじまじと見ているのが恥ずかしくなって、慌てて視線を歩く方向に戻した。
「......もし、なんだけどさ。
西原さんのこと、灯里さんって呼んでもいいかな」
「もちろんだよ、すいちゃん」
この日、新しい友達ができた。次第に付き合っているという噂も消えていく。
さわやかなそよ風がわたしたちを包んでいた。
0
お気に入りに追加
5
あなたにおすすめの小説
放課後はネットで待ち合わせ
星名柚花(恋愛小説大賞参加中)
青春
【カクヨム×魔法のiらんどコンテスト特別賞受賞作】
高校入学を控えた前日、山科萌はいつものメンバーとオンラインゲームで遊んでいた。
何気なく「明日入学式だ」と言ったことから、ゲーム友達「ルビー」も同じ高校に通うことが判明。
翌日、萌はルビーと出会う。
女性アバターを使っていたルビーの正体は、ゲーム好きな美少年だった。
彼から女子避けのために「彼女のふりをしてほしい」と頼まれた萌。
初めはただのフリだったけれど、だんだん彼のことが気になるようになり…?
深海の星空
柴野日向
青春
「あなたが、少しでも笑っていてくれるなら、ぼくはもう、何もいらないんです」
ひねくれた孤高の少女と、真面目すぎる新聞配達の少年は、深い海の底で出会った。誰にも言えない秘密を抱え、塞がらない傷を見せ合い、ただ求めるのは、歩む深海に差し込む光。
少しずつ縮まる距離の中、明らかになるのは、少女の最も嫌う人間と、望まれなかった少年との残酷な繋がり。
やがて立ち塞がる絶望に、一縷の希望を見出す二人は、再び手を繋ぐことができるのか。
世界の片隅で、小さな幸福へと手を伸ばす、少年少女の物語。
優秀賞受賞作【スプリンターズ】少女達の駆ける理由
棚丘えりん
青春
(2022/8/31)アルファポリス・第13回ドリーム小説大賞で優秀賞受賞、読者投票2位。
(2022/7/28)エブリスタ新作セレクション(編集部からオススメ作品をご紹介!)に掲載。
女子短距離界に突如として現れた、孤独な天才スプリンター瑠那。
彼女への大敗を切っ掛けに陸上競技を捨てた陽子。
高校入学により偶然再会した二人を中心に、物語は動き出す。
「一人で走るのは寂しいな」
「本気で走るから。本気で追いかけるからさ。勝負しよう」
孤独な中学時代を過ごし、仲間とリレーを知らない瑠那のため。
そして儚くも美しい瑠那の走りを間近で感じるため。
陽子は挫折を乗り越え、再び心を燃やして走り出す。
待ち受けるのは個性豊かなスプリンターズ(短距離選手達)。
彼女達にもまた『駆ける理由』がある。
想いと想いをスピードの世界でぶつけ合う、女子高生達のリレーを中心とした陸上競技の物語。
陸上部って結構メジャーな部活だし(プロスポーツとしてはマイナーだけど)昔やってたよ~って人も多そうですよね。
それなのに何故! どうして!
陸上部、特に短距離を舞台にした小説はこんなにも少ないんでしょうか!
というか少ないどころじゃなく有名作は『一瞬の風になれ』しかないような状況。
嘘だろ~全国の陸上ファンは何を読めばいいんだ。うわーん。
ということで、書き始めました。
陸上競技って、なかなか結構、面白いんですよ。ということが伝われば嬉しいですね。
表紙は荒野羊仔先生(https://www.alphapolis.co.jp/author/detail/520209117)が描いてくれました。
12年目の恋物語
真矢すみれ
恋愛
生まれつき心臓の悪い少女陽菜(はるな)と、12年間同じクラス、隣の家に住む幼なじみの男の子叶太(かなた)は学校公認カップルと呼ばれるほどに仲が良く、同じ時間を過ごしていた。
だけど、陽菜はある日、叶太が自分の身体に責任を感じて、ずっと一緒にいてくれるのだと知り、叶太から離れることを決意をする。
すれ違う想い。陽菜を好きな先輩の出現。二人を見守り、何とか想いが通じるようにと奔走する友人たち。
2人が結ばれるまでの物語。
第一部「12年目の恋物語」完結
第二部「13年目のやさしい願い」完結
第三部「14年目の永遠の誓い」←順次公開中
※ベリーズカフェと小説家になろうにも公開しています。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
好きな人がいるならちゃんと言ってよ
しがと
恋愛
高校1年生から好きだった彼に毎日のようにアピールして、2年の夏にようやく交際を始めることができた。それなのに、彼は私ではない女性が好きみたいで……。 彼目線と彼女目線の両方で話が進みます。*全4話
愛のかたち
凛子
恋愛
プライドが邪魔をして素直になれない夫(白藤翔)。しかし夫の気持ちはちゃんと妻(彩華)に伝わっていた。そんな夫婦に訪れた突然の別れ。
ある人物の粋な計らいによって再会を果たした二人は……
情けない男の不器用な愛。
【完結】カワイイ子猫のつくり方
龍野ゆうき
青春
子猫を助けようとして樹から落下。それだけでも災難なのに、あれ?気が付いたら私…猫になってる!?そんな自分(猫)に手を差し伸べてくれたのは天敵のアイツだった。
無愛想毒舌眼鏡男と獣化主人公の間に生まれる恋?ちょっぴりファンタジーなラブコメ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる