きらめく水面に、思い出は棲む

卯月ゆう

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第3章 人魚姫の願い

9.シャープペンシルの思い出

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 今日のプールサイドは人で賑わっていた。
 水泳部の練習が行われる日で、辺りには多くの生徒――ほとんどが女の子だけど――が泳いでいた。
 彼女らは真剣でいながらも楽しそうで、明るい雰囲気がプールの中を包んでいた。
 わたし、すいは皆の様子を見つめている。
 何人かの生徒がわたしの前を通り過ぎる。でも、彼女たちはわたしに気づくはずもなく歩いて行ってしまう。
 
 やっぱりそうなんだな。
 わたしは人前で姿を見せることはない。
 
 次の日は、水泳部は休みのようだった。
 午前中のうちに湊くんが、遅れて灯里さんがプールに現れる。
 ふたりは各々と泳いでいて、視界の先で灯里さんがプールに飛び込んだところだった。
 午後になると空が曇りがちになってくる。いつの間にか空模様が変わっていく姿は、まるでなんだか泣きそうに思えてしまった......。
 
 灯里さんのことを、彼女の存在を。なんて表現したらよいのだろう。
 よくわたしのことを気にかけてくれた人だった。それだったのに、彼女との思い出はふとした方向に曲がっていってしまう。
 去年の灯里さんとの出会いを思い出していた。

 ◇◇◇

「湊ー!」
 高校生の生活がはじまったばかり。
 4月のある日、わたしは湊くんのことを呼び捨てで呼んだことがあった。しかも、いきなり教室の中で。
 同じ塾に通っていただけ。
 それが、高校の入学式の日に顔を合わせるなんて思いもしなくて。ましてや同じクラスになるなんて思いもしなくて。
 たまに同じ電車で登校することがあった。もちろんどちらかを置いていくこともなく一緒に歩いていく。
 昨日こんなことがあったね、今日は何があるかな。
 こんなことを話しているだけでもまったく退屈じゃなかった。
 わたしたちの関係に名前なんてなかった気がする。ただ、一緒のふたり。
 だから、高校生最初のオリエンテーションである遠足で彼を同じグループに誘いたかったからこう呼んだ。
 名前を呼ばれた湊くんは目を丸くしていた。
 わたしははじめてクラス中の視線が自分に集まっていたことを知る。
 くすくすと笑っている生徒たちの中に、西原さんの姿があった気がする。

 ゴールデンウイークが終わると、少しずつクラスの生徒たちはお互いを認知するようになってくる。その中で生まれていたのは、わたしへ向けたある疑問だった。
「ねえ、結城さんってさ」
 ......こう女の子たちに呼びかけられることはたくさんあって。
「成瀬くんと付き合っているの?」
 続きを紡ぐ文章は全く同じだった。
「そ、そんなことないよ!」
 わたしは身振り手振りで慌てて否定する。これがもはや日常茶飯事になっていた。高校生になってもあるなんて、わたしはまだ続くのかと気が滅入ってしまう。
 それでも彼女たちの追従はとどまることを知らない。だからとばかりに、質問を投げかけてくるのだ。
「じゃあなんでさ、シャーペンがお揃いなの?」
「か、関係ないもん!!」
 わたしは机の上で出しっぱなしになっていたものを慌ててペンケースにしまい込んだ。
 なんだか、見られていたら嫌だから。
 その気持ちをはじめて味わうことになってしまった。
 
 これは、塾の先生がわたしたちふたりにくれたアイテムだった。
 高校受験が本格化してくると、主要の教科も学べる塾へ、より厳しいところへと鞍替えをしていく子たちでいっぱいだった。
 いつの日にか、この英会話教室には湊くんとわたししか残っていなかった。
 それでも、先生の夢は高校へと生徒を送り出すこと。その願いを叶えたわたしたちに贈られたのが、シャープペンシルだった。
 ふたりで一緒に歩いてきたね。
 これからもがんばってね。
 その願いを込めて、色違いのデザインを揃えてくれた。
 恋なんてしたことのないわたしが、恋をしていると思われる。
 その引き金を引いたのは、たぶんわたし自身なんだと思うけど。そこにはなんとも形容のしがたい感情がたくさんあった。
「すい、おはよう」
「......おはよう」
 わたし、先に行くね。
 同じ時間帯の電車で通学していても、わたしはひとり構わず歩いていった。
 いつか、塾の先生が湊に告白しないの? って聞いてきたことがあった。もちろん彼が休みの日を狙って。冗談交じりの瞳は茶目っ気で揺れているみたいだった。
 わたしが彼を意識したはじめて。でも恋なんてまだ知らなかった。
 同じクラスで、同じ時を過ごしているから。
 それだけで満足するべきなんだろう。

 ある日の放課後、わたしは部活の帰りに教室に立ち寄ったところだった。
 本当は湊くんと話したい。そんなもやもやを抱えたまま帰りの準備をしていると、教室で雑談をしている子たちから声をかけられた。
「ねえ、結城さんさ......」
 わたしはいつものように怯えた瞳を投げかけていて。
 でも、気が付くと全く違う光景が浮かんでいたのだった。
「それから言おうとしている質問、何万回と聞いたわ。
少しはすいちゃんが困っているって気づかないの」
 なにが起きたのかわからなかった。
 気が付くと、いつの間にか教室に入っていた西原さんがその子の腕をつかんでいたのだ。
「......西原には関係ないでしょ」
 そう声をかけられても、彼女はきりっとした表情で睨み返す。
 鋭いまなざしが作る迫力に負けて、皆は早々と帰宅してしまった。
「......あ、あの」
 わたしなんかの為に、なんか巻き込ませてしまって。本当は感謝を伝えたいのに、ありがとうは小声になってしまった。
「気にしないでいいんだよ、あんなの言わせておけばいいんだ」
 そう言って西原さんは口角を上げた。
「それに、そのペン捨てちゃいけないよ。
もらったものなんでしょ」
「うん、そうだね」
 すっかり気を取り直したわたしは大きく頷いた。
「それにしても、私もおしゃれなお揃いしてみたかったな」
「え、西原さんって付き合っている人っているの」
 わたしの早とちりに、彼女は一瞬真顔になって、吹き出すように笑い出した。
「いないよ、そんな人。
でも、男子はちょっと苦手なだけで、お揃いに憧れはあるんだ」
 わたしたちはくすくすと笑いあった。
「さあ、結城さんも帰ろうか」
 校舎から出たわたしはとなりに歩く西原さんの姿をちらりと見た。
 夕陽に照らされた彼女は、まるで黄金の織物を身にまとっているみたいな王子様。髪の毛の毛先からきれいに染まっていて、その姿は息を飲むような美しさだった。
「......ん、どしたの」
 わたしはつい彼女の顔をまじまじと見ているのが恥ずかしくなって、慌てて視線を歩く方向に戻した。
「......もし、なんだけどさ。
西原さんのこと、灯里あかりさんって呼んでもいいかな」
「もちろんだよ、すいちゃん」
 この日、新しい友達ができた。次第に付き合っているという噂も消えていく。
 さわやかなそよ風がわたしたちを包んでいた。
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