上 下
8 / 24
第2章 二度目の青春

7.いつか捨てた恋

しおりを挟む
 今日もひとしきり体を動したあと、少し休憩をとることにした。
 プールサイドに上がって、スポーツドリンクを流し込むように飲んだ。けっこう喉が渇いていたみたいだ。
「すいはなにか飲まなくてだいじょうぶなの?」
「うん、だいじょうぶだよ」
 そういえばすいはプールサイドに上がっても自分みたいに飲み物を飲んでいなかった。別に本人が飲まないというなら構わないけれど、なんだか気になってしまう。
 前にもあったから。無理して学校に登校しては、周りに心配されてすぐに帰宅してしまった。
 すいにだいじょうぶだよと言われても、なんだか不安になってしまう。
 それでも、しぶしぶ納得するしかなかった。
 自分の心配をよそに、すいは勢いよく立ち上がった。
 
 けのびはいずれの泳法でも基礎となる、スタートライン的な位置づけだ。まさしく蹴って伸びること。それがどの競技でも活かされる。
「そうだね、今までは小さな村を転々としているのかもしれない。
だから、これからは魔王の城に入るみたいなレベルアップが必要なんだよ」
 すいは右腕を掲げる。
 すいの例えは、RPGのゲームをあまりやってこなかった僕にはピンと来なかった。けれども、ここから先は重要なことが教えられるのだ、ということはわかった。
「バタ足でもクロールでも、最初はけのびからはじまるよ」
レーンの壁際に立ったすいはまず見本を見せてくれた。
 腕を前に伸ばすように立ち、その腕を水中に沈めながら両足で壁を蹴りこむ。
 そのまま体をそろえて伸ばせばある程度まで距離を進むことができる。
「じゃあ湊くんもやってみようか」
 彼女に続いて自分もレーンに立った。
 思いっきり壁を蹴りこんだ。そのまま手足を伸ばそうとする。
 けれども、すいがやってみせたように前には進まず数メートルも進んだかわからなかった。
「ああー、最初はこんな感じだよね」
 目の前のコーチは初心者だからねと軽く頷いている。
「これからだよ、練習すればできるようになるって。
今は全然できない湊くんでもさ」
 そしてこちらに見せるように体の前にガッツポーズを作ってみせる。
 本人には悪気がないとは思っているだろうが、たまにショックになる一言を放ってくる。
 さすがに落ち込んでしまうから止めてほしい。
「これから、きみはドルフィンです」
「......は?」
 続いて口にしたのはよくわからない一言だ。
「ほら、水族館のイルカってジャンプしてから深く入水するでしょ。
けのびで腕を伸ばす時も同じでさ、下へ向けて沈めていく感じだよ」
 さっき引っ張って浮いた時も水面を見てたでしょ、となるほど思い出せる説明だ。
「まあ。やってみようか。
体が慣れてしまった方が良いかもしれないね」
すいに促されて、改めてレーンに立つ。
 意識して腕を水の中につけて、続けて体を滑らせるように入水した。
 壁を蹴る動作に違いがあったどうかはわからなかったものの、結果として少し先へ進むことができた。
 なるほどと感心する。自分にもできるんだなって。

「よし、じゃあわたしもやろうっと!」
 すいは威勢のいい声を上げると、自分の横のレーンに並んだ。
 彼女はこちらに顔を向けながら腕を肩からぐるぐると回している。
「どっちが遠くまで伸びるか競争しようよ」
 なるほど、それは楽しいアイディア。
 これが村上だったら、アイスの一本でも賭けて勝負したくなるものだ。でも、純粋な気持ちで臨んでみたい。相手がすいだから。
「よーいドン!」
 すいの掛け声とともに水中に潜り込む。
 でも、そこそこの距離しか進まなくて、あっという間に起き上がってしまった。
 頭ひとつぶん先で顔を出したすいが、こちらを向いてにこにこ微笑んでいる。
 けのびを覚えだしたばかりだから難しいのかもしれないけれど、正直残念な気持ちだった。
 しかしながら、もう一回勝負しても結果は同じでしかない。
「じゃあ、最後にもうひとつだけ勝負といこうか!」
 負けるわけにはいかない。そうだ、今の自分はドルフィンなんだ......。
 息を大きく吸い込んで、腕を伸ばして。
 顔は言われたとおりに水中をのぞき込んだ。いや、もっと首自体を下げよう。自分の体が見えるかもしれない。そんな視線を作りながら体勢を整えていった。
「ぷはっ!」
 ふたりはほぼ同時に顔を出した。
 自分の方が長く進んだわけでもなかったが、その距離はとても近くほぼ互角といっても良いくらいだった。
「湊くんやるじゃん!
次はわたしの方がもっと伸びるんだからね」
 などと言い出した張本人が仕返しを食らって頬を赤らめていた。

 ・・・

「ついに本番となりました! バタ足をしてみよう!」
 すいはハッピーバースデーの歌を歌うように、わーっと拍手をした。
 自分もつられてパチパチ手を合わせる。しかしながら、いざ泳ぐとなると緊張してしまう。
「まずは湊くんやってみて。
けのびで進まなくなってきたら、足を動かすようにするんだ」
 言われた通り、見よう見まねでけのびからバタ足をはじめてみる。
 けれでも、水をどれだけ蹴ってもほとんど前には進まなかった。
「なるほど、わかったわ」
 すいに止められて少し練習を止めると、まずはいったん上がろうと諭された。
 プールサイドの縁に座ってみる。
「ちょっとわたしが足の動きをやってみるから見ててね。
こうやって、足全体を動かすんだ」
 すいが足の動きを見せてくれる。それは膝から曲げるのではなく、足全体を一本の棒のように、太ももの付け根から動かしていた。
「そうだね、しならせるようにって本では表現されているよ。
でも、わたしがやってみて思うのは、人魚の尾っぽのようかもしれないなって」
 なるほど、人魚みたいかもしれないか。
 すいならではの意見だと思うし、前に彼女がプールの中を泳いでいるのを見たことがあったが尾をこまめに動かしていたっけ。

 ここで、僕は我に返った。
 すいが人魚姫の姿になるのは、自分のこの目でしっかり見た。そのせいかもしれないが、彼女のことには慣れてしまった。
 一度はいなくなったすいと、今再会しているから。
 もしかしたら、僕は絵本の世界に飛び込んでしまったと思うから。
「ほらほら、どんどん泳ごうよ」
 その思考から抜け出せないまま、僕はレーンの壁際に戻っていく。
 
 異変が起きたのは、バタ足を何本も続けて泳いだときだった。
 ふと、右足に痛みが走りつってしまう。
 
 慌ててしまった僕は何をすればいいかもわからず、無我夢中で手足を動かすしかなかった。
 いつのまにか、すぐ目の前に水面が映っていた。
 視界の縁で、異変を察知したすいがこちらにやってくるのが見える。
 辺りは光に包まれて、何が起きたかわからなかった。

 ・・・

 気が付いたら、すいの顔がすぐ目の前にあった。
「だいじょうぶ?」
 そうやって、上目遣いにすいがのぞき込んでいる。
 彼女の瞳はうるんでいて、心配する雰囲気がありありと浮かんでいる。
「え......。
僕はどうしたの?」
「湊くん急に溺れちゃったから、わたしが止めに入ったんだよ」
 気が付くと、すいに抱きしめられていた。
 いつの間にか彼女は人魚姫の姿に変身していて、視界の縁にワンピースや尾が見えている。
「......人魚の姿になるとはやく水の中を動けるから、間に合って良かった。
水飲んでないみたいだね、苦しい?」
 彼女の問いに首を横に振って答える。
「今浮いているから、まだじっとしてて......」
 ......全身の力を抜いて。体を動かすと、すぐ沈んじゃうから。
 すいはそう語りながら、自分の背中をさすってくれる。
 お互い水に濡れて冷たいはずなのに、触れている肌は不思議と温かった。
 その体は、その手は。自分の心も温めてくれる。
「うう、よかったあ」
 次第にうるんでいる瞳から雫が零れ落ちる。
 すいは流れている涙を止めようともせず、自分の体に顔をうずめた。
「......なんで泣くの、僕は無事だったよ」
「......無事だからに決まっているからじゃない」
 きみが泣かないからじゃない、そう小さくつぶやいていた。
 
 すいはいつも自分の目の前にいた。
 よく休み時間とか話していて、タイミングが合えば一緒に帰ったりしていて。
 それでいて授業のプリントは自分が良く教えていた。
 当たり障りのない日常が、僕たちの間柄だったのに。
 
 今、すいにすべてを任せていた。そばにいてほしいと思った。
 
 はじめて、自分の心が鳴った音がした。
 いつか捨てた恋がまた目覚めようとしていた。
 
 すいの正体が何者かなんてどうでも良いと思った。
 ここに来れば出会える訳だし、その幼い感じのする声をいつだって聞くことができる。
 それに、人魚姫の姿になるのだってアニメのように、願いが結晶となっている証拠なのかもしれない。
 きっと、そうだ。
 僕たちは二度目の青春を謳歌していることには変わりないのだから。
 
 ふたりはしばらくそのまま水面に浮かんでいた......。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

【新編】オン・ユア・マーク

笑里
青春
東京から祖母の住む瀬戸内を望む尾道の高校へ進学した風花と、地元出身の美織、孝太の青春物語です。 風花には何やら誰にも言えない秘密があるようで。 頑なな風花の心。親友となった美織と孝太のおかげで、風花は再びスタートラインに立つ勇気を持ち始めます。 ※文中の本来の広島弁は、できるだけわかりやすい言葉に変換してます♪ 

脅され彼女~可愛い女子の弱みを握ったので脅して彼女にしてみたが、健気すぎて幸せにしたいと思った~

みずがめ
青春
陰キャ男子が後輩の女子の弱みを握ってしまった。彼女いない歴=年齢の彼は後輩少女に彼女になってくれとお願いする。脅迫から生まれた恋人関係ではあったが、彼女はとても健気な女の子だった。 ゲス男子×健気女子のコンプレックスにまみれた、もしかしたら純愛になるかもしれないお話。 ※この作品は別サイトにも掲載しています。 ※表紙イラストは、あっきコタロウさんに描いていただきました。

Toward a dream 〜とあるお嬢様の挑戦〜

green
青春
一ノ瀬財閥の令嬢、一ノ瀬綾乃は小学校一年生からサッカーを始め、プロサッカー選手になることを夢見ている。 しかし、父である浩平にその夢を反対される。 夢を諦めきれない綾乃は浩平に言う。 「その夢に挑戦するためのお時間をいただけないでしょうか?」 一人のお嬢様の挑戦が始まる。

夢で死んでしまう君が、現実で死んでしまわぬように

桐条京介
青春
その日見たのは、クラスメートの美少女が事故死するリアルな夢だった。 転校してきた初日に、大樹が「初めまして」と挨拶した直後に平手打ちを見舞ってきた美少女こと瑞原愛美。 その愛美に関する夢を翌日以降も見て、事故死以外のものが現実になっていき、大樹は不安になって愛美へ忠告する。 そのかいあって事故の現場へ近づかないようにしてもらえたが、今度は違う場所で愛美が事故死する夢を見てしまう。 夢のはずなのにどこまでも現実になろうとする事故。愛美とその家族の確執による身の破滅。助け続ける間に、片想い中の少女との間で揺れ動く気持ち。 祖父に貰った人形に見守られながら、大樹は青春というにはあまりにも血と死のにおいが濃い日々を駆け抜けていく――。

大好きな志麻くんに嫌われるための7日間

真霜ナオ
青春
琴葉ノ学園の学園祭では、『後夜祭で告白すると幸せになれる』というジンクスがあった。 高校最後の学園祭を終えた嶋 千綿(しま ちわた)は、親友の計らいで片想い相手の藤岡志麻(ふじおか しま)と二人きりになる。 後夜祭の時間になり、志麻から告白をされた千綿。 その直後、偶発的な事故によって志麻が目の前で死亡してしまう。 その姿を見た千綿は、ただこう思った。 ――……ああ、"またか"。 ※ホラー作品に比べてまろやかにしているつもりですが、一部に多少の残酷描写が含まれます。

奇想天外!?集う人々の学園生活

双夢 剣
青春
れっきとした?学園モノの小説です。 閑話の下の初日からご覧下さい Twitterの自分のフォロワーさんの 考えたキャラクターや、オリジナルの キャラクターが繰り出す、彼らの物語。 投稿頻度は大体一定です。(毎週土曜日) 楽しんで貰えると大変嬉しいです!

処理中です...