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第6章 その瞳は、悲し気ながらも強く輝いていた
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(梨央side)
十一月は最後の週、僕は今日も「piyo-piyo」に入っていった。
今日は木枯らしが吹いている。店内に入ると、凍える身体が温まっていく。
「いらっしゃいませ。
今日も寒いですね」
マスターはいつも微笑んで出迎えてくれる。相変わらずの癒しの空間だ。
本当に、この場所がいつまでもあれば良いなって思うんだ。
今日は豪華にオムライスを頼むことに朝から決めていた。
そういえば、来店してから全く食べていないことには苦笑するが、なんて言ったって最後の晩餐だと思っているから。
最初に来た様に、部屋の一番角の席からキッチンを見ることにした。
マスターは特大の中華鍋を振ってチキンライスを作っている。
微かに聞こえてくる掛け声、どことなく喜んでいるような表情、いつの間にか馴染みのあるこの光景が今の僕を作っているんだな。
・・・
テーブルの上に運ばれてきたのは、オーソドックスなオムライスだった。
「オムライスは何を隠そう、わたくし玉井たまきが一番好きな卵料理でございます。
各家庭や洋食店など、様々なバリエーションがありますね。
中でも一番好きなのは、やはりチキンライスとトマトケチャップの組み合わせでしょうか」
うんうん。共感して思わず頷いてしまった。
「ふふふ。
同じですか、私もとても嬉しいのです。
オムライス発祥のお店を自負している店舗はいくつかありますが、実のところは多すぎて不明です。
大正時代の文献に"トマトソースで調理したチャーハンを薄焼き卵で包んだ"というレシピが紹介されています」
へえ、そんな昔から存在するんだ。
「また、東京の日本橋にある老舗の洋食店ではチキンライスの上に半熟のプレーンオムレツを載せて、切れ目を入れて全体を包み込むスタイルがありますね。
確か"タンポポオムライス"という名称だったと思います」
これが「piyo-piyo」の、たまきさんのオムライス......。
神々しく輝いているように、恍惚なものに見えてしまった。
半熟の卵焼きであってもふんわりとチキンライスが包まれていた。この繊細な仕上がりはどうやって作られているのだろうか。
スプーンで一口すくってみる。
とろとろの卵とトマトケチャップの酸味が効いたご飯の味は、まるでハーモニーのような美しい音楽を聴いているような気分にさせてくれた。
本当に美味しい......。
"ああ、オムライス" まるで、松島の風景を題材にした俳句が出てくるようだった。本当にそれ以外の言葉が出てこなかったんだ。
「本当に美味しい、っていう凄い笑みを浮かべてますねえ。
私としても嬉しいのですよ」
たまきさんは微笑みながらホットコーヒーを運んできてくれた。その味も、少し深みがあって本当に美味しかった。
ついに、最後の時間が迫ってきていた......。
僕は座っているまま身体をたまきさんの方へ向けて話しはじめた。
「あの、マスター。
すみません、ちょっとお話が......」
「はい、なんでしょうか」
彼女はコーヒーを置いたままその場に立ってくれた。
真剣な顔つきで、僕の瞳をしっかりと覗き込んだ。僕の言おうとしていることが重要だろうと感じ取ったようだ。
「今、他のお客様はいらっしゃいません。
どうぞお話しください」
僕はコーヒーを一口飲んで語りだす。
「うちの会社、オンライン事業を進めていて。
実は、来月からテレワークを始めます......」
家で仕事するんです、と言うと彼女は困ったように眉を曲げてしまった。
「そう、ですか......」
そのままうつむいてしまう。
「最初にお店に来てくださった日、ちょっとした嬉しい違和感を覚えました。
ずっと後になって気づいたのですが、私は"おおきに"って言ってましたね。
私、東京に出るときに言い方を直したから、自然に関西弁が出ることって滅多になくて......」
僕は彼女の次の言葉を待った。
「やっと分かったんです......。
あの日から、梨央さんに惹かれていたんだなって思いました。
お店に来て頂けること、私にとっての癒しなんです」
もう来れないんですね、上目遣いの彼女の瞳はそう訴えかけていた。僕は声に出さずに頷くしかなかった。
「私の仕事は、マスターとしてお料理を届けること。
ずっと続けられると思っていたのに、こんな日が訪れるとは思っていなかった。
梨央さんに作るのは特別だって思っていたから。
私、あなたのことが......」
彼女の言葉を僕はしっかりと受け止めた。でも、その返答は決まっているのに僕の口から出てくることはなかった。
......なんだかごめんなさい。
・・・
お店のドアをくぐった。
命への感謝、そのつながり。
いただきますの大切さ。
食べる楽しみ。
たくさんのことを、彼女は教えてくれた。
ヒヨコのプレートも自慢が書かれた黒板も今日で見ることは最後だ。ふあふあの卵料理を食べれないこと。たまきマスターに会えなくなること。
もう残念で仕方なかった......。
あとひとつ溜められなかったスタンプカードは、いつまでもそのままだろう。
僕の脳裏に、ドアチャイムの鐘の音が永遠と響いていた......。
さあ、午後の仕事に戻ろう。
十一月は最後の週、僕は今日も「piyo-piyo」に入っていった。
今日は木枯らしが吹いている。店内に入ると、凍える身体が温まっていく。
「いらっしゃいませ。
今日も寒いですね」
マスターはいつも微笑んで出迎えてくれる。相変わらずの癒しの空間だ。
本当に、この場所がいつまでもあれば良いなって思うんだ。
今日は豪華にオムライスを頼むことに朝から決めていた。
そういえば、来店してから全く食べていないことには苦笑するが、なんて言ったって最後の晩餐だと思っているから。
最初に来た様に、部屋の一番角の席からキッチンを見ることにした。
マスターは特大の中華鍋を振ってチキンライスを作っている。
微かに聞こえてくる掛け声、どことなく喜んでいるような表情、いつの間にか馴染みのあるこの光景が今の僕を作っているんだな。
・・・
テーブルの上に運ばれてきたのは、オーソドックスなオムライスだった。
「オムライスは何を隠そう、わたくし玉井たまきが一番好きな卵料理でございます。
各家庭や洋食店など、様々なバリエーションがありますね。
中でも一番好きなのは、やはりチキンライスとトマトケチャップの組み合わせでしょうか」
うんうん。共感して思わず頷いてしまった。
「ふふふ。
同じですか、私もとても嬉しいのです。
オムライス発祥のお店を自負している店舗はいくつかありますが、実のところは多すぎて不明です。
大正時代の文献に"トマトソースで調理したチャーハンを薄焼き卵で包んだ"というレシピが紹介されています」
へえ、そんな昔から存在するんだ。
「また、東京の日本橋にある老舗の洋食店ではチキンライスの上に半熟のプレーンオムレツを載せて、切れ目を入れて全体を包み込むスタイルがありますね。
確か"タンポポオムライス"という名称だったと思います」
これが「piyo-piyo」の、たまきさんのオムライス......。
神々しく輝いているように、恍惚なものに見えてしまった。
半熟の卵焼きであってもふんわりとチキンライスが包まれていた。この繊細な仕上がりはどうやって作られているのだろうか。
スプーンで一口すくってみる。
とろとろの卵とトマトケチャップの酸味が効いたご飯の味は、まるでハーモニーのような美しい音楽を聴いているような気分にさせてくれた。
本当に美味しい......。
"ああ、オムライス" まるで、松島の風景を題材にした俳句が出てくるようだった。本当にそれ以外の言葉が出てこなかったんだ。
「本当に美味しい、っていう凄い笑みを浮かべてますねえ。
私としても嬉しいのですよ」
たまきさんは微笑みながらホットコーヒーを運んできてくれた。その味も、少し深みがあって本当に美味しかった。
ついに、最後の時間が迫ってきていた......。
僕は座っているまま身体をたまきさんの方へ向けて話しはじめた。
「あの、マスター。
すみません、ちょっとお話が......」
「はい、なんでしょうか」
彼女はコーヒーを置いたままその場に立ってくれた。
真剣な顔つきで、僕の瞳をしっかりと覗き込んだ。僕の言おうとしていることが重要だろうと感じ取ったようだ。
「今、他のお客様はいらっしゃいません。
どうぞお話しください」
僕はコーヒーを一口飲んで語りだす。
「うちの会社、オンライン事業を進めていて。
実は、来月からテレワークを始めます......」
家で仕事するんです、と言うと彼女は困ったように眉を曲げてしまった。
「そう、ですか......」
そのままうつむいてしまう。
「最初にお店に来てくださった日、ちょっとした嬉しい違和感を覚えました。
ずっと後になって気づいたのですが、私は"おおきに"って言ってましたね。
私、東京に出るときに言い方を直したから、自然に関西弁が出ることって滅多になくて......」
僕は彼女の次の言葉を待った。
「やっと分かったんです......。
あの日から、梨央さんに惹かれていたんだなって思いました。
お店に来て頂けること、私にとっての癒しなんです」
もう来れないんですね、上目遣いの彼女の瞳はそう訴えかけていた。僕は声に出さずに頷くしかなかった。
「私の仕事は、マスターとしてお料理を届けること。
ずっと続けられると思っていたのに、こんな日が訪れるとは思っていなかった。
梨央さんに作るのは特別だって思っていたから。
私、あなたのことが......」
彼女の言葉を僕はしっかりと受け止めた。でも、その返答は決まっているのに僕の口から出てくることはなかった。
......なんだかごめんなさい。
・・・
お店のドアをくぐった。
命への感謝、そのつながり。
いただきますの大切さ。
食べる楽しみ。
たくさんのことを、彼女は教えてくれた。
ヒヨコのプレートも自慢が書かれた黒板も今日で見ることは最後だ。ふあふあの卵料理を食べれないこと。たまきマスターに会えなくなること。
もう残念で仕方なかった......。
あとひとつ溜められなかったスタンプカードは、いつまでもそのままだろう。
僕の脳裏に、ドアチャイムの鐘の音が永遠と響いていた......。
さあ、午後の仕事に戻ろう。
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