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第6章 その瞳は、悲し気ながらも強く輝いていた

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(たまきside)

 私はホテルの窓から茨城の土地を眺めていた。
 良く晴れた青い空は澄みきっていて、遥か遠く、どこまでも続いている。東京にも空はあるけれど、何だか違うものみたいに見えた。
 ワンワン!
 そうだね、ペッパーは散歩に行きたいかな。私は浴衣から着替えて、町をぶらりと歩くことにした。

 ・・・

 広いながらも渋滞が見られない静かな車道。
 シャッターが下りているところもある、どこかのんびりした商店街。湿気のない、少し冷たい空気が包み込む空間。
 都会の喧騒も好きなんだけど、久しぶりに味わうことのできた和みの味わい。長閑のどかっていうやつだろうか。
 商店街を抜けて、住宅街に入っていった。所々に畑や果樹園が見られ、歩道は誰ひとりとも歩いていなかった。
 私とペッパーだけの足音が響いているリズムは私の耳に小気味よく届いている。歩くのは嫌いじゃない。ペットボトルのお茶さえあればどこまでも歩ける気がした。
 目の前にある坂を登ってみようか、ねえペッパー。君も歩くの好きだよね。
 そう考えた瞬間、ペッパーは勢いよく走りだしてしまった。
「きゃあ!」
 ペッパーどうしたの、と考える間もなくついて行くのがやっとだった。
 ここでリードを手放したら大変なことになる。必死に手を力強く握って、だけれども彼にされるがままについていくしかできなかった。
 ペッパーはあるところへ飛び込んでいった。
 そこは坂道の途中にあるお寺だった。ペッパーが飛び込んでしまったので、私も仕方なく入ってしまう。
 ワンワン!
 彼は焚火を見ながら、しっぽをふりふりと喜ばしている。私は膝に手をついて息を整える余裕しかなかった。
「これはこれは、いかがなされましたか?」
「そのう、こんにちは」
私は恥ずかしがりながら顔を上げて、お寺の住職に小声で挨拶した。

 ・・・

 ペッパーは良く焼けた焼き芋を少しずつ食べている。
 住職と私は並んで話していた。もちろん、手の上には焼き芋が置かれている。
「これは自分が食べるつもりでしたが、良ければお嬢さんもどうぞ」
「申し訳ございません、犬を散歩していたら入っちゃって......。
その上、私の分まで」
 私は気づかれないようにため息をついた。小柄な私はこんなに食べられないんだけどなあ。
「自然な巡り合わせというやつかもしれませんねえ」
 ペッパーを見ながらこうつぶやく住職に、そうですねと相づちを打った。
「ええ。
ドラマでは良く、偶然とか必然という言葉で表現されるのですが。
皆それぞれの行いが少しずつつながるものですなあ。
例えば、左に曲がることを止めて直進してみるとか」
 ......それに近しい言葉を以前、聞いたことがあった。
「そう。
ちょっとした行いが巡り合わせに繋がるのですよ」
 あのお客様は"普段行かない道を歩いて「piyo-piyo」を見かけた"と言ったっけ。そして、私はたまたま雨宿りをしてマスターと出会ったんだ。
「今、頭をよぎった方がいるでしょう。
その方は少しずつあなたに影響を与えます、ワンちゃんが自分に吠えたように。
人間はみんなつながっているのですよ」
 ちょうどペッパーがこちらを向いて、ワンと返事をした。
 ちょっとお待ちなさい、と住職は建物に入っていった。しばらくして、ある袋を持って出てきた。
「今日出会ったことの印に、これを差し上げましょう」
 その袋には、ころころとした栗がたくさん入っていた。

 ・・・

 それから一週間過ごして、だいぶリフレッシュできたと思う。
 帰り道の電車がまた私の身体を揺らした。
 車窓の向こうに目をやると、綺麗な夜空が広がっていた。星が瞬く世界を久しぶりに見た気がする。
 都会では味わえない、旅情の醍醐味だと思った。
 その様子をみながら、ぽつりとつぶやいた。
「私、怖いんだ......」
 それは、小さくて重い命からくる言葉だと思う。
 幸せの意味は、失ったあとに気づく。一度はつなぎ合った手を離してから、新しい大切なものを見つけよう。
 少しずつビルの景色が増えてきた。都会に戻ってきたんだ。
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