上 下
24 / 52
第3章 変わってゆくものばかり

14

しおりを挟む
(たまきside)

 私はお店の鍵を閉めて歩き出した。
 普段「piyo-piyo」に出勤しているのはバスを使うけれど、今日は電車に乗って遠出をしないといけない。だから、いつものローファーじゃなくてスニーカーを履いている。
 私は歩くのは嫌いじゃない。天気の良い日も、雨の降る日も、色んな景色を見ていられるから。

 ・・・

 駅前のカフェチェーンの前を通りかかったら、女子高生たちが店舗の中で話している姿が目についた。笑っている様子から、楽しそうにしているのが伝わってくる。なんだか羨ましくなった。
 私には親友と言えるそういう相手が居なかったと思う。人付き合いが下手だったのが災いして、入学当初のタイミングも、部活を決めるタイミングもすべて周りとの会話を逃してきた。
 だから高校生の私を一言で言うなら、誰とも話さずにただ真面目に授業だけを受ける少女、というところだろうか。ブレザーの制服を綺麗に着こなしていたっけ。
 だけども、覚えている一日があるんだ。
 私の印象が一気に変わったのは、調理実習の時間だった。
 学校に古くからある、<グループの皆でお昼ご飯を食べよう>という伝統的な授業だった。私のいるグループは何故か野菜炒めを作ることになった。高校生らしくないメニューだと苦笑したけれど、家庭的で面白いという意見に押し切られた格好になった。とはいえ、手を動かすことができる機会はなんだか楽しかった。
 残念なことに、みんな野菜の切り方ひとつ分からなかった。時間内に終わらないかもしれないと私は焦って、色々仕切りだした。こうやって野菜は切るんだよ、下ごしらえはこうするんだよって。
 そして私はフライパンで炒める役に回った。家でもやっていたから、私一人で出来るだろう。実のところ、ガスコンロじゃなくてIHなのには残念だったけれど、使い勝手を何とかその場で学んで炒めることにした。
 そして、作業をしながら洗い物とお弁当箱に詰める指示を出した。ほかのメンバーは私の様子に驚いているみたいだけど、素直に従ってくれた。当初の遅れをあっという間に覆して、一番初めに食べることに成功した。
 仕上げた一皿は、家庭科の先生も驚くような仕上がりだった。作業の手つきやチームワークも採点してくれたそうで、高校生の手際とは思えないと評価をしてくれた。
 グループのみんなも感動して食べていたし、クラスメイトのみんなもつまみにきた具合だった。
「たまき、すごいじゃん!」
 こうして褒められた私は一気に人気者になってしまった。その日は照れくさい一日を過ごすことになったんだ。
 今思えば、それが料理に魅せられた出来事だった。

 ・・・

 地下鉄の駅に向かって通路を歩いている。
 この駅はJRの他に、何本もの地下鉄が停車する。だから、通路はまるで迷宮のように伸びていて、色んな人が通り抜けていく。
 ここに来ていつも思うのは、息苦しいということだ。天井が低いからだし、なんにしても空が見えないから。
 地下鉄の切符を改札に通した。
そこから下へ続くエスカレーターに乗った。まだまだ深いところへ進んでいく、まるで地中の世界に吸い込まれて行きそうだった。
 小さい頃の私は、とあるファミレスの窓際の席に座っていた。
 母親はなんだか難しい話をしている。その話の重要性を分かるはずもなく、私はメロンソーダを飲んで外に映る空を見上げていたっけ。
 やがて父親は私の方を見て優しい顔を見せた。
 ゆっくり手を伸ばしてくる"あの人"に私はどんな表情を見せたのだっけ。
 あのメロンソーダは不思議と苦い味がしたんだ。

 ・・・

 とある駅を降りた私はあるところまで歩いていった。
 庭ではたくさんの園児たちがはしゃいで遊んでいる。門の前に立って呼び鈴を鳴らそうとしたら、子供たちの内の一人がこちらに気づいた。
「あー、お姉ちゃん!」
 すると、外で遊んでいる子供のほとんどがこちらを向いて黄色い歓声を上げた。お姉ちゃん、久しぶり! って代わる代わるに声が飛んでくる。
 聖徳太子じゃないんだから、全部聞き取れないって。
「こら! 脚触らないのー」
 スカートを履いてきたのが失敗だったわ。門は柵みたいになっているから、腕を出すことができるのだ。
 私は息をコホンとならして用件を告げた。
「......えっと、先生を呼んできてくれるかな?」
 すると、建物からひとりの女性が現れた。お互いに会釈をする。ここは児童養護施設だ。
 事務室に通された私はやっと肩の荷が下りた気がした。

 女性の職員にお茶を出してもらった私は、代わりに紙袋を差し出した。卵の殻で作ったチョークと、メレンゲで作ったクッキーを焼いてきたのだ。
「たまきさん、今日もありがとうございます。
毎度助かっていますよー。
それに、あなたは今日もお洒落ですね」
 そうやって語る彼女は、半袖のカットソーに深緑のカーゴパンツで、30代になるかならないか、の年齢だったと思う。
 長めのポニーテールが利発な印象を与えるのに、なんだかエプロンがそれを丸くしているような感じがする。
 ボランティア活動で知り合ったのが縁で、こうした交流が続いている。
「ありがとうございます。今日はお気に入りのスカートにしましたよ」
 こう返しても、お互いに忙しいのが本音だと思う。ファッションに気を遣うなんて難しいものなのだ。
「子供たち、チョークもらったら喜ぶわよ。
ホント、あなたは何でもできるのね」
 彼女は目を輝かせて喜んでいる。その姿を見て、私も嬉しくなった。
 自然と微笑みが顔に出てくる。
「ホント、子供たちに黒板でお絵かきさせたらはまっちゃって。
どんどんチョークがなくなっていくわ」
 彼女はボランティアの際にもこういう声を漏らしていた。それだったら私が作りましょうか、って声をかけたんだ。
「ホント、あなたが作ってくれたチョークは使いやすいわ。
子供たちが雑に扱っても折れないし、それでいて滑らかな書き味なのね。
消したときに粉が飛び散りにくいのが凄いわあ」
 私はありがとうございます、と頭を下げた。
「ふふ。
元気いっぱいで良いじゃないですか」
 そうね、と彼女は安心の意味を込めて息を吐きだした。
 お互いに窓の外を見た。窓に映る顔に気づいたのか、お互いに笑い合ってしまった。
「子供が素敵に成長してくれればいいなあ」
 私はこうつぶやいた。これは本音だけど、嘘でもあるんだ。
 そもそも論ではあるが、こういう施設があるのが切なさを感じさせるのだから......。
 子供と言うのは、両親の手の中で愛されるものだと思っている。それをないがしろにされた子供たちの集まりが児童養護施設だから。
 私は自分の子供の頃を思い出してみた。だけども、母親が泣いているシーンしか浮かばなかった。
 ......私も泣いたんだっけ?
 私の行動はだいぶ小さいのかもしれない。でも、悲しい家庭がなくなればいいんだと願っている。

 ・・・

 私はを施設を後にした。
 少し熱を帯びる風は微かに夏を帯びてきていた。この太陽の下、子供たちは元気いっぱいに遊んでくれたらいいと思う。
 卵の殻が再利用できるように、無駄なものは一切ない。子供たちだってそうだ。悲しいことを経験するのは、私一人でいいんだ、そう思っている。
 この子たちの黒い瞳が見つめる先が、素晴らしいものになれば良いな。
しおりを挟む

処理中です...