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第1章 卵の番人
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(梨央side)
朝ご飯はパン派だ。
毎日トーストを焼いていて、今日は目玉焼きを合わせてみた。
寝起きの動かない頭が災いしたのか、黄身は固くなってしまった。僕の家にはもう作ってくれる人はいない。だけども、いつまでも寂しさを感じるわけにはいかない。
目玉焼きに醤油をささっとかけて食べてしまった。
・・・
今日のランチタイムも「piyo-piyo」にお邪魔している。
渡されたメニューをパラパラとめくって、今日の気分で食べるのを決めるのが面白い。その中に、興味深いものを見つけたのだった。
<創作たまご料理 1,000円>
「あの、マスター?
創作メニューって一体......」
グラスに水を注いでいるマスターに質問してみると、彼女は動かしている手を止めて説明してくれた。
「冷蔵庫の中身を見て、私の独断で一品お出しします。
もしくは、お客様の要望をお聞きする形でございます。
食材のリクエストもできますが、当店にない場合もありますので予約をおすすめします」
ランダム性のあるメニューだということだった、なんだか面白そう。ちょっとした冒険心から、調子に乗って注文してみる。
「それでは、冷蔵庫にある食材からひとつ作って頂けませんか?」
「ありがとうございます。
それでは目玉商品だけに、目玉焼きを活かした料理はいかがでしょうか?」
ナシゴレンのようにチャーハンの上に乗せますね、と説明してくれて心が躍った。
「それでは私の腕によりをかけて、お望みの焼き加減にして差し上げましょう」
彼女はいかにも自信満々に目を輝かせている。ちなみに、"目玉商品だけに"というところは聞かなかったことにしよう。
メニューを受け取ったマスターはキッチンに入っていく。
フライパンを振るうマスターの姿を想像してみた。背丈の低い彼女のせいか、ちょっと可愛げのある姿だなあって思う。
でも、彼女はもっとすごいのを出してきたのだった。
「え、それって中華鍋ですよね」
僕は思わず声をかけてしまう。
彼女は右手で軽々と大ぶりの中華鍋を持ち上げて、左手を腰に当ててポーズを取った。まるで、料理をテーマに知っているアイドルが決めポーズを披露するみたいだった。
「そうです! 炒め物はこれで作るんですよ」
僕は目をぱちくりさせた。
マスターが料理をはじめると、小気味いい調理の音が店内に広がった。そのオーケストラの中にひとつの声が響く。
「そりゃ~!」
何だろうと思ったら、彼女の掛け声だった。中華鍋を振りながら、気合を込めた言葉を発している。本人は気づいているのかどうなのか、コミカルで面白かった。
僕の席に目玉焼きが乗ったチャーハンが届けられた。
「目玉焼きは卵料理の中でも最もシンプルなものとして考えてよいと思います。
ただし、その単純さから料理の初心者が作るにはうってつけですが、毎回同じように美味しく作るには熟練した技術が必要になります。
そう、私のように、です」
マスターはメニューの説明をしてくれた。その中にちょっと自慢が溢れた気がしたのは気のせいだろうか。
「調理器具、油の温度など繊細な違いによってまったく異なる違いが出るのが面白いともいえる料理です。
片面だけ焼くか、ひっくり返して両面焼くかなど家庭の食べ方も豊富ですね。
色んな性格を見ることができる、私の好きな食べものの一つです」
目玉焼きひとつでここまで語れるマスターがすごかった。
チャーハンはネギとハムが炒められているシンプルなもので、程よくパラパラとした仕上がりだ。うっすらショウガか何かの香りがしている。余計な味付けが一切ない仕上げは、僕の好みとマッチングしている。
目玉焼きの黄身は少しオレンジ色に輝いていて、まるで日の出のように太陽が昇ってくるみたいだ。
これは舌鼓を打たないわけにはいかない、そんなことを食べる前なのに考えてしまった。
「どうやって作っているのだろう......」
店内にこんな声が響いた。
・・・
食べようとした僕の前で、キッチンから声を掛けるのはマスターだ。さも面白いものを実況するように、僕の方に視線を注いでいる。
「作り方が気になる、という表情をされていたのでつい。
教えるわけにはいきませんよ、あなたに作られてもらっては癪ですから」
「実況中継じゃあるまいし、わざわざ茶々のコメントは止めてくださいよ。
"特徴がないのが特徴"の料理をするのが僕ですから。まあ、自炊はめったにしませんけどね」
これはどうも失礼しました、と彼女は口に手を置いて謝った。その表情はどこか楽しそうで、僕も悪い気はしなかった。
半分ほど食べたところで、そろそろあの時間が待っている。そう、<黄身>という名前の君とご飯を混ぜる瞬間。
僕は思い切ってスプーンを刺してみた。
チャーハンの上につぶした黄身が輝く川のように流れている......。その映像はまるでスローモーションだ。
ふあとろの卵が美味しいチャーハンを、僕はまたまた夢中になって食べきってしまった。
つい、体の前で手を合わせて"ごちそうさまでした"と口にしてしまう。
「ふふっ、ありがとうございます」
マスターはホットコーヒーを置きながら、本当にウインクを飛ばしてきた。まるで、ここまでコントのようなやり取りだった。
一息ついた僕はちょっとした質問をしてみることにした。先日スマートフォンで見た記事があり、なんとなくマスターとの話題作りにブックマークしておいたのだ。
「マスター、"目玉焼きにかけるもの"っていうアンケートがあるんですが......」
「はい。
上からしょうゆ、塩コショウ、ソース、といったところでしょうか」
なんと、少し被せ気味に結果を言われてしまった。ベスト3が順番まで当たっている。ちなみに、競馬はやらないがこれでは三連単の的中だ。
「目玉焼きとトーストを注文される方もいますから、なんとなくわかりますよ」
マスターはくすくすと笑っている、その表情はまるでしてやったりと言わんばかりのものだ。自慢しようとしてたのに......ちょっとつまらなかった。
「じゃあ、マスターは目玉焼きには何をかけますか」
「私、ですか?」
彼女はポカンとした表情で自分に向かって指を指していた。
うーんと考えだして、まるで思い出したように答えてくれた。
「お醤油、ですかね」
「お! 一緒ですね」
「はい、お揃いですね」
彼女は少し微笑んでくれたような気がする。
僕も食の好みが一緒になるだけで、少し嬉しかった。なんとなく、今日はいい一日だな、彼女は素敵な人だなと思っていた。
・・・
その週の土曜日、ひとりの女性が僕のアパートを訪ねてきた。
「ふうん、元気にしているんだ」
アヤノだった。
彼女はドアの前に立ったまま、僕のことを上から下まで値踏みするように見ている。モデルみたいに腰に手を置く癖と軽く巻いた茶色の髪は今も変わっていなかった。
「悪いねえ......。
ネットショップで買ったものを間違ってここに送っちゃって」
「それは構わないけどね」
僕は部屋の隅から小包を持ってきて彼女に渡した。
アヤノとは専門学校からの付き合いだ。でも付き合ってほしいと言ったことも言われたこともなかった気がする。いつの間にか僕の部屋に転がり込んでいた彼女のことを邪魔だと思ったことはなかった。
久しぶりに会えたので、僕はなんだか懐かしくなってついこんなことを口走っていた。
「また君の料理が食べたいよ」
「何言ってるのよ、私たち目玉焼きの好みだって別々じゃん」
彼女はスプリングコートの裾をなびかせて颯爽と出ていってしまった。
......彼女が出て行った日もこんな些細な言葉のやり取りだったと思う。
朝ご飯はパン派だ。
毎日トーストを焼いていて、今日は目玉焼きを合わせてみた。
寝起きの動かない頭が災いしたのか、黄身は固くなってしまった。僕の家にはもう作ってくれる人はいない。だけども、いつまでも寂しさを感じるわけにはいかない。
目玉焼きに醤油をささっとかけて食べてしまった。
・・・
今日のランチタイムも「piyo-piyo」にお邪魔している。
渡されたメニューをパラパラとめくって、今日の気分で食べるのを決めるのが面白い。その中に、興味深いものを見つけたのだった。
<創作たまご料理 1,000円>
「あの、マスター?
創作メニューって一体......」
グラスに水を注いでいるマスターに質問してみると、彼女は動かしている手を止めて説明してくれた。
「冷蔵庫の中身を見て、私の独断で一品お出しします。
もしくは、お客様の要望をお聞きする形でございます。
食材のリクエストもできますが、当店にない場合もありますので予約をおすすめします」
ランダム性のあるメニューだということだった、なんだか面白そう。ちょっとした冒険心から、調子に乗って注文してみる。
「それでは、冷蔵庫にある食材からひとつ作って頂けませんか?」
「ありがとうございます。
それでは目玉商品だけに、目玉焼きを活かした料理はいかがでしょうか?」
ナシゴレンのようにチャーハンの上に乗せますね、と説明してくれて心が躍った。
「それでは私の腕によりをかけて、お望みの焼き加減にして差し上げましょう」
彼女はいかにも自信満々に目を輝かせている。ちなみに、"目玉商品だけに"というところは聞かなかったことにしよう。
メニューを受け取ったマスターはキッチンに入っていく。
フライパンを振るうマスターの姿を想像してみた。背丈の低い彼女のせいか、ちょっと可愛げのある姿だなあって思う。
でも、彼女はもっとすごいのを出してきたのだった。
「え、それって中華鍋ですよね」
僕は思わず声をかけてしまう。
彼女は右手で軽々と大ぶりの中華鍋を持ち上げて、左手を腰に当ててポーズを取った。まるで、料理をテーマに知っているアイドルが決めポーズを披露するみたいだった。
「そうです! 炒め物はこれで作るんですよ」
僕は目をぱちくりさせた。
マスターが料理をはじめると、小気味いい調理の音が店内に広がった。そのオーケストラの中にひとつの声が響く。
「そりゃ~!」
何だろうと思ったら、彼女の掛け声だった。中華鍋を振りながら、気合を込めた言葉を発している。本人は気づいているのかどうなのか、コミカルで面白かった。
僕の席に目玉焼きが乗ったチャーハンが届けられた。
「目玉焼きは卵料理の中でも最もシンプルなものとして考えてよいと思います。
ただし、その単純さから料理の初心者が作るにはうってつけですが、毎回同じように美味しく作るには熟練した技術が必要になります。
そう、私のように、です」
マスターはメニューの説明をしてくれた。その中にちょっと自慢が溢れた気がしたのは気のせいだろうか。
「調理器具、油の温度など繊細な違いによってまったく異なる違いが出るのが面白いともいえる料理です。
片面だけ焼くか、ひっくり返して両面焼くかなど家庭の食べ方も豊富ですね。
色んな性格を見ることができる、私の好きな食べものの一つです」
目玉焼きひとつでここまで語れるマスターがすごかった。
チャーハンはネギとハムが炒められているシンプルなもので、程よくパラパラとした仕上がりだ。うっすらショウガか何かの香りがしている。余計な味付けが一切ない仕上げは、僕の好みとマッチングしている。
目玉焼きの黄身は少しオレンジ色に輝いていて、まるで日の出のように太陽が昇ってくるみたいだ。
これは舌鼓を打たないわけにはいかない、そんなことを食べる前なのに考えてしまった。
「どうやって作っているのだろう......」
店内にこんな声が響いた。
・・・
食べようとした僕の前で、キッチンから声を掛けるのはマスターだ。さも面白いものを実況するように、僕の方に視線を注いでいる。
「作り方が気になる、という表情をされていたのでつい。
教えるわけにはいきませんよ、あなたに作られてもらっては癪ですから」
「実況中継じゃあるまいし、わざわざ茶々のコメントは止めてくださいよ。
"特徴がないのが特徴"の料理をするのが僕ですから。まあ、自炊はめったにしませんけどね」
これはどうも失礼しました、と彼女は口に手を置いて謝った。その表情はどこか楽しそうで、僕も悪い気はしなかった。
半分ほど食べたところで、そろそろあの時間が待っている。そう、<黄身>という名前の君とご飯を混ぜる瞬間。
僕は思い切ってスプーンを刺してみた。
チャーハンの上につぶした黄身が輝く川のように流れている......。その映像はまるでスローモーションだ。
ふあとろの卵が美味しいチャーハンを、僕はまたまた夢中になって食べきってしまった。
つい、体の前で手を合わせて"ごちそうさまでした"と口にしてしまう。
「ふふっ、ありがとうございます」
マスターはホットコーヒーを置きながら、本当にウインクを飛ばしてきた。まるで、ここまでコントのようなやり取りだった。
一息ついた僕はちょっとした質問をしてみることにした。先日スマートフォンで見た記事があり、なんとなくマスターとの話題作りにブックマークしておいたのだ。
「マスター、"目玉焼きにかけるもの"っていうアンケートがあるんですが......」
「はい。
上からしょうゆ、塩コショウ、ソース、といったところでしょうか」
なんと、少し被せ気味に結果を言われてしまった。ベスト3が順番まで当たっている。ちなみに、競馬はやらないがこれでは三連単の的中だ。
「目玉焼きとトーストを注文される方もいますから、なんとなくわかりますよ」
マスターはくすくすと笑っている、その表情はまるでしてやったりと言わんばかりのものだ。自慢しようとしてたのに......ちょっとつまらなかった。
「じゃあ、マスターは目玉焼きには何をかけますか」
「私、ですか?」
彼女はポカンとした表情で自分に向かって指を指していた。
うーんと考えだして、まるで思い出したように答えてくれた。
「お醤油、ですかね」
「お! 一緒ですね」
「はい、お揃いですね」
彼女は少し微笑んでくれたような気がする。
僕も食の好みが一緒になるだけで、少し嬉しかった。なんとなく、今日はいい一日だな、彼女は素敵な人だなと思っていた。
・・・
その週の土曜日、ひとりの女性が僕のアパートを訪ねてきた。
「ふうん、元気にしているんだ」
アヤノだった。
彼女はドアの前に立ったまま、僕のことを上から下まで値踏みするように見ている。モデルみたいに腰に手を置く癖と軽く巻いた茶色の髪は今も変わっていなかった。
「悪いねえ......。
ネットショップで買ったものを間違ってここに送っちゃって」
「それは構わないけどね」
僕は部屋の隅から小包を持ってきて彼女に渡した。
アヤノとは専門学校からの付き合いだ。でも付き合ってほしいと言ったことも言われたこともなかった気がする。いつの間にか僕の部屋に転がり込んでいた彼女のことを邪魔だと思ったことはなかった。
久しぶりに会えたので、僕はなんだか懐かしくなってついこんなことを口走っていた。
「また君の料理が食べたいよ」
「何言ってるのよ、私たち目玉焼きの好みだって別々じゃん」
彼女はスプリングコートの裾をなびかせて颯爽と出ていってしまった。
......彼女が出て行った日もこんな些細な言葉のやり取りだったと思う。
応援ありがとうございます!
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