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第一章 リコプリン編

3 騎士か勇者か

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「さっきはすみませんでした。怒鳴ったりして」

 莉子を助けてくれた少年は、礼儀正しくお辞儀をしている。
 隣には巨大な黒猫がお澄ましして座っていて、莉子は自分が乗っていたのはやはり猫だったのだと再確認した。

 蜘蛛の巣から遠く離れて、莉子は美しい小川のある、明るい丘に降ろしてもらった。
 安全な場所まで運んでもらって安心した莉子だったが、先ほどの蜘蛛の恐怖と猫のジェットコースターで興奮状態となっていて、少年の謝罪に受け答えができなかった。

「おっ、おっ、うおぉん」

 オットセイのような嗚咽を上げる莉子を、少年は頭を下げたままそっと見上げている。

「あ、あの……大丈夫ですか?」
「うっ、おお、うんっ、うんっ」

 必死で頷いて何とか落ち着こうとする莉子に、少年は何かを差し出した。瓶に入った飲み物だ。
 莉子はお礼を言葉にできずに頭を下げて受け取って、瓶の中の液体を口に流し込んだ。爽やかな甘さが喉を潤して、莉子はやっと冷静になった。どうやら緊張で喉が張り付いて、声が出なかったようだ。

「ご、ごめんなさい。た、助けもらったのに、私……」
「いえ。こちらこそ、焦って乱暴な救助になってしまって。お怪我はありませんでしたか?」

 申し訳なさそうな少年は掛けていたゴーグルを首元に下ろしていて、先ほどはわからなかった顔がよく見えた。賢そうな凛とした瞳と、整った品の良い顔をしている。黒髪と黒い瞳が自分と同じ日本人のように見えて、莉子は親近感を覚えた。
 隣の巨大な黒猫は少し毛長の綺麗な猫で、黄金色の大きな瞳でこちらを見下ろしている。莉子は猫が好きだが、あまりに大きいので後退りしてしまう迫力だ。

 莉子は自分が小さくなってしまったのかと思っていたが、少年の身長は自分より少し高いくらいなので、どうやらこの世界は人間以外が大きいらしい。

「あ、あの、あなたは……」
「僕はレオと申します」
「あ、わ、私は莉子です」
「リコさん」

 少年が爽やかに微笑んだので、莉子は思わず心が和んで、疑問を率直に口にしてしまった。

「レオ様はどこぞの騎士とか、勇者様でしょうか?」
「えっ!?」

 少年の目を丸くした顔を見て、莉子は「しまった」と口を塞いだ。川に転落してからあり得ないことが続いたので、莉子は自分がおかしな世界に来てしまったと自覚して、完全なるアニメ脳を発動してしまった。アニメでこういう場合、助けてくれるのは騎士か勇者という展開が殆どだからだ。

「あはははっ」

 レオと名乗る少年は朗らかに笑った。

「リコさんは面白い方ですね。僕は配達員ですよ」
「え? は、配達員?」
「ほら」

 レオは自分の胸元にあるエンブレムを指して見せた。
 莉子が前のめりで見ると、そこには金の刺繍でできた豪華な紋章があった。獅子と剣のモチーフだなんて、配送業の社章にしてはあまりに仰々しい。レオが着ている黒い制服もやたらに高級な素材だ。キチンとした詰襟に、金の刺繍が袖や襟に豪華に施されていた。
 よほどの一流企業かと感心した莉子が巨大猫を見上げると、猫も同じ紋章のネクタイをしていた。

「はあ……黒猫の……配達屋さん?」
「はい。そうです」

 少年は言いながら、莉子にタオルを手渡した。

「そこの小川は綺麗な水なので、蜘蛛の巣を落としてください」

 莉子は我に返って、真っ赤になった。蜘蛛の巣と泥と涙と鼻水に塗れて……自分は最悪な有様になっているはずだ。慌ててタオルを受け取って礼を言うと、小川に駆け寄った。
 レオに聞きたいことは山ほどあるが、まずは酷い身なりを整えてからだ。

 苔むした岩間には清水がさらさらと流れていて、透き通った水が手足についた蜘蛛の巣と泥を洗い流してくれた。
 冷たい水で泣きはらした顔も洗って、丘を囲む鳥の囀りや水音に耳を澄ませた。あまりに美しい場所なので、蜘蛛に襲われた恐怖心も洗われるようだった。

「あの、レオ様」

 小川から振り返ってレオに声を掛けると、レオは手元で見ていた金色の懐中時計をパチンと閉じた。

「レオでいいですよ」
「あ、レ、レオさん。ここはいったい、どこの世界でしょうか」
「え?」

 レオがキョトンとしたその時、丘の後ろの森から、か細い声が聞こえてきた。

「おーーい」

 レオが振り返り、莉子が慌てて立ち上がると、森の中から小柄なお爺さんがやって来た。まるで童話の世界に登場するような三角の帽子を被っていて、可愛らしい。

「あんたら、何か釣れたかい?」

 お爺さんはどうやらレオと莉子を釣り人と勘違いしているようで、釣竿を掲げている。
 レオはお爺さんを見て、ほっとした様子で声を掛けた。

「こんにちは。良かった、村の方ですね?」
「ああ、そうじゃよ」
「あちらのお嬢さんが道迷いをされているようなので、村に案内して頂けますか?」
「ほお、それは大変じゃ」

 レオとお爺さんが莉子に注目したので、莉子は慌てて二人のもとに駆け寄った。
 レオはひらりと黒猫に乗ると、営業スマイルで莉子を見下ろした。

「すみません。僕は配達の時間が押していて。村まで行けば町も近いので」
「えっ、あ、えっ」
「それでは失礼します」

 莉子がどもっている間に、レオを乗せた黒猫は颯爽と巨木の枝に飛び乗り、忍者のように木々を渡って行ってしまった。

「あ、ありがとうございました~!」

 大声で何とかお礼を述べたが、莉子は拍子抜けしていた。助けてくれたレオから色々聞きたかったのに、呆気なくいなくなってしまった。
 隣を見下ろすと、お爺さんは莉子を見上げて驚いた顔をしていた。

「何とまあ、ここらじゃ見ない顔じゃのぉ」
「あ、わ、私、川に流されて池に! それで蜘蛛に襲われて!」

 混乱している様子の莉子に、お爺さんは優しく頷いた。

「うんうん。うちに婆さんがいるから、とにかくおいでなさい。そんなずぶ濡れでは風邪をひいてしまうわい」

 莉子は自分が全身びしょ濡れのままであると気付いて、歩きだしたお爺さんにふらふらと着いて行くことにした。
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