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3章 希う大学生編
ライバルは5歳児
しおりを挟む再来週からの夏季休暇を目前に、僕は実習であたふたしていた。連日の幼稚園通い。懐かしい気持ちと、昔とは立場が逆になった責任感で、なんとも言えない気持ちを抱きながら通っている。
それも明日で終わるんだけど、僕は今日も色々ヘマをやらかしてヘコんでいた。毎日のようにドジをして、先生方に迷惑を掛けている。挙句、子供達にまで励まされてしまった。情けないったらないや。
優しい先生ばかりで、誰も僕を責めたりせずフォローしてくれる。それが余計に心苦しい。
今日も今日とて、夕飯を食べながら皆に失敗談を聞いてもらった。心配を掛けるかと思ったのだけれど、皆はそれほどでもなく笑って聞き流していた。
りっくんに真面目すぎると言われたけど、仕事だし子供達の命を預かっているんだから、真面目過ぎるくらいじゃないとダメなんだよ。啓吾からは、『そうやって気張りすぎてっから失敗すんじゃね?』と尤もな事を言われてしまった。
先生達にも、もう少し肩の力を抜いていいよと言われたのだけれど、これが存外難しい。
僕が実習に集中できるようにと、えっちは軽めに一周で終えてくれる。皆なりの気遣いらしい。
やらないという選択肢がないあたり、皆らしさが愛おしく思える。クタクタになっている僕を、気持ちイイままで寝かせてくれる優しい皆。僕を癒してくれるのは、やっぱり皆なのだ。
翌朝、朔は学校へ行く前に済ませたい仕事があるとかで、僕が起きるより先に出掛けてしまった。啓吾とりっくんは、午後からなのでまだ起こしていない。
昨日までは、皆揃って心配そうに見送ってくれていた。けれど、今日僕を見送ってくれるのは八千代だけだ。
八千代はでんと構えていて、それほど心配そうな素振りは見せずに見送ってくれる。それが僕にも移るのか、少し逞しくいられる気がするんだ。不思議だよね。
「気ぃつけて行けよ」
「うん、行ってきます。八千代も、この後すぐ出るんでしょ? 気をつけて行ってきてね」
「ん」
互いに行ってらっしゃいを伝え、互いの安全を願いキスをして家を出る。これが日課になって久しい。なのに、離れる寂しさには慣れない。こんなに幸せで寂しい瞬間があるだろうか。
大学に入ってから、一緒に過ごす時間が格段に減った。高校の頃みたいに、ずっと一緒だなんて無理なのは分かっていたけれど、やっぱり寂しいものは寂しい。
働くようになったらもっと離れ離れになるのかと思うと、かなり憂鬱になってしまう。
そんな気分を薙ぎ払い、園児に見せる笑顔を練習しながら、僕は1人で幼稚園へ向かう。久しぶりに1人で乗るバスは、思いのほか快適だった。
通勤ラッシュに巻き込まれないよう、時間をずらした甲斐があったというものだ。心配性なりっくんが、徹底的に人の少ない時間帯と車両を調べ、それ以外には乗っちゃダメだと進言してきた時は、本当にイカレてると思った。
けど、おかげで安心安全に通えてるのだ。今度お礼をしなくちゃ。
(投げキッスしてほしいとか言ってたから、それでいっか)
実習で来ているのは、僕とりっくんが通っていた幼稚園。思い出があちこちに散らばっている。
園庭の隅っこにある大きな木。りっくんが木登りしていて、先生にすっごく怒られたんだ。
僕が溺れかけていたプールなんて、今では膝下までの水位しかなくて笑ってしまった。りっくんも一緒に溺れそうになりながら、それでも助けてくれたのを覚えている。懐かしさに、今は愛おしさが乗っかって笑みが零れた。
思い返せば、僕の思い出にはいつだってりっくんが割り込んできている。本当に付き纏われていたんだ。
木を見上げ思い出に浸っていると、子供達のボスと思しき瑠衣くんがお尻に激突してきた。支えきれず一緒に転んでしまう。
「あーっ!! るいくん! ゆいとセンセーいじめちゃダメでしょ!」
瑠衣くんの仲良しさんで、お姉さんみたいな美春ちゃんが注意する。瑠衣くんは僕に乗っかったまま、ケタケタと笑っていて可愛い。
瑠衣くんは僕を凄く気に入ってくれていて、朝礼で今日が最後日だと言ったら泣いてしまった。美春ちゃんが慰めてくれていたんだけど、その時のちょっとした騒動で2人の関係は今、少し険悪なムードに包まれている。
瑠衣くんが『ゆいとセンセーとはなれたくない! ケッコンする~』と泣き出したのがきっかけだった。美春ちゃんが『アンタはみはるとケッコンするんでしょ!?』と怒りだし、痴話喧嘩が始まったのだ。
最近の子は幼稚園から恋人だ結婚だなんて、随分おませなんだね。僕は圧倒され、担任の先生が宥めてくれてその場は収まった。
けれど、お昼休みにも痴話喧嘩が始まり、今度は僕がなんとか宥めて園庭で遊ぼうと連れ出したのだ。そうして、今に至る。
「瑠衣くん、そろそろ降りてね」
5歳児と言えど、体重はそこそこある。抱っこするのが一苦労な重さだ。
それなのに、腰の辺りに座ってしまった瑠衣くん。正直、重くて苦しい。
「やだ。センセーがおれとケッコンするっていったらおりたげる」
「また! るいくんのバカ! もうしらない!」
「あっ、美春ちゃん!」
美春ちゃんは、怒って他のお友達の所へ行ってしまった。困ったなぁ。
「瑠衣くん、あのね、僕好きな人がいるんだ」
「おれ?」
「ううん。ごめんね、違う人が好きなの」
彼氏が4人もいるなんて言えないけど、こんなにまっすぐ想いを伝えてくれる子に、いい加減な返事なんてできない。
ちゃんと、真実を交えてお断りするんだ。
「うわきだ」
「····へ? えっと、あのね、僕と瑠衣くんは、お付き合いしてないから浮気にはならないと思うんだ」
「だってセンセー、ほかのおとこがすきなんでしょ? おれのこともすきって、きのういったのに」
「あぁ~····言ったね。えっと、瑠衣くんを好きなのとは違う好きなんだ。んー、難しいよね······あれ?」
瑠衣くんは、どうして僕の相手が男だと分かったのだろう。
「ねぇ瑠衣くん、なんで僕の好きな人が男の人だって思ったの?」
「え? だってセンセー、おんなのこでしょ?」
「え····ち、違うよ? 僕、男だよ」
なるほど、時々話が噛み合わないわけだ。瑠衣くんは、顔を真っ赤にして泣きそうな顔で叫んだ。
「うそだ!! こんなにカワイイおとこなんかいないもん! センセーはおんなのこだもん! それで、おれとケッコンするんだもん! ····ふぇ、うわぁぁぁぁぁぁん!!」
勘違いの末に大泣きしてしまった瑠衣くん。困り果てている僕を、担任の先生が助けてくれた。
長丁場の説得になったが、お帰りの時間までには理解してくれたようで安心した。それでも、帰る間際に『センセーがおとこでもかわいいからすき』だと言って結婚を申し込んでくれたので、僕には結婚を約束した人が居るからできないと言って断った。
帰ってこの話を皆にしたら、啓吾と八千代は大笑い。りっくんと朔はグラスを割りそうな勢いで握っていた。
「あっはは、んっとに大変だったんな~。けど、5歳児相手に真面目に答える結人かーわい~」
「可愛いけど笑い事じゃないでしょ。ゆいぴが誘惑····いやプロポーズされてたんだよ!? 俺らの居ない所で敵が増えてる····」
「保護者じゃなくて園児のほうが迫ってくるとはな。そっちは警戒してなかった。クソッ、考えが甘かった····」
5歳児相手に、真剣にヤキモチを妬くりっくんと朔。
「だからさ、ちゃんと断ったんだってば。それにさ、5歳児の恋なんて勘違······いじゃない場合もあるんだよね」
僕はハッとして、りっくんに視線を向けて言う。そう言えば、りっくんはそのくらいの頃から、ずっと僕だけを想ってくれていたんだ。
「りっくんって凄いね。めちゃくちゃ一途だよね」
「えへ~? なぁに急に♡ 俺がゆいぴ以外見るわけないでしょ~」
りっくんの豹変ぶりには驚く。さっきまでプンスコしていたとは思えないくらい、見事に機嫌が直ってデレデレしている。
「俺も、結人が初恋で、一生結人だけ愛してるぞ」
朔が、僕の目を真っ直ぐに見て、負けじと想いを伝えてくる。
「なっ、ふぇっ、あ、ありがと··? 僕もだよ」
突然の告白に、わたわたと返事してしまった。こうなると、あと2人も便乗してくるんだろうな。
「俺もだわ。結人しか愛したことねぇかんな。死ぬまで俺に愛されてろよ」
隣に座っていた八千代は、顎クイまでしてきた。なんなんだ、この突如として始まる告白大会は。時々、流れで開催される度、恥ずかしくて心臓が爆ぜそうになるんだぞ。
「俺はねぇ、経験を経て? 辿り着いたのが結人だかんね。愛する事を知った俺の怖さ、一生かけて教えてあげんね♡」
これまた隣に座っていた啓吾は、八千代から僕の顎を奪って軽い口調で告白をしてくる。けれど、内容は重めだ。
「もう! いつもなんなのコレ!? 僕の心臓爆発しちゃうから、急に告白するのやめてって言ってるでしょ!」
啓吾のイイ顔を見ていられなくなった僕は、目をギュッと固く瞑って喚いた。そんな僕に、啓吾が甘いキスをくれる。
「5歳児に、こんな蕩けた結人はまだ早いね。デッカくなっても見せてやんねぇけど」
「··も、ばかぁ····」
こうして、僕のドタバタな実習の日々は幕を閉じた。
そう言えば、八千代が夏季休暇初日から出掛けるって言ってたけど、何処へ行くのだろう。
また、僕に内緒の何かが計画されているらしい。不安と楽しみで、胸がいっぱいだ。
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