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1章 始まりの高2編
万能マン、八千代
しおりを挟む僕の手を引いている怖い人。それは、チンピラのようなガラの悪い、見知った人物。
「あの、啓吾のお母さんの彼氏さんですよね? えっと、なんで引っ張ってくんですか!?」
「お前、けーごの女なんだろ? 揃いも揃って大人をコケにしやがって。容赦しねぇつったよな。大人が本気出したらどうなんのか、教えてやるよ」
女····ではないのだが。大人の本気を教えてくれるって、どういうことだろう。これでは誘拐だ。連れ去る理由があるのなら説明してほしい。
母さんに、友達とご飯を食べて帰ると伝え、電話を切った直後の事だった。僕の目の前を横切る刹那、人混みに紛れて僕の腕を掴んで引っ張っていった。
本当に一瞬の出来事で、声をあげる間もなかった。あれよあれよと店の外に連れ出され、店の前に停めてあった車へと真っ直ぐ向かう。
助けを呼ぼうにも、片手でスマホを操作するなんて曲芸、僕には到底できない。これは、いよいよマズいかもしれない。
踏ん張って立ち止まり、なんとか手を振りほどいた。その瞬間、八千代が彼氏さんに飛び蹴りを入れて登場した。僕は何度助けられれば気が済むのだろう。と、吹っ飛んでゆく彼氏さんを目で追いながら思った。
「テメェ、島だな」
「八千代、たぶん島さんじゃないよ。啓吾のお母さんの彼氏さんだよ」
「そいつが島っつーんだよ。島 浩矢、鳳統會の下っ端も下っ端。ただのチンピラな」
「····が、なんで僕を連れてくの? ····あっ!」
僕は思い当たる心配事があったので、彼氏さんの所へ走ってゆき確認した。
「啓吾のお母さんとお話する為に連れに来たんですか? お話はいいですけど、もう啓吾は返しませんよ!」
強気な事を言ってやった。おそらく、啓吾を返せと言いに来たのだろう。諦めて帰ってくれればいいのだが。
(····あれ? もしかして、気絶してる?)
「······おい。お前なぁ、拉致られかけたんわかってんのか」
「え····だから、啓吾のお母さんと話をする為に連れに····」
「違ぇだろ。俺らに仕返ししたかったんだろ。あんだけコケにされたからな」
「えぇ!? そんな····。じゃなくて、彼氏さんノビてるよ! どうしよう····」
「放っとけ。流石に懲りただろ。さっさと買い物して帰んぞ」
「ちょ、彼氏さんどうするの?」
「起きたら帰んだろ。それより、アイツら心配してんぞ」
そう言って、八千代は僕の手を優しく引き、皆のもとへ連れて行ってくれた。
事情を説明すると、啓吾がこれでもかと言うくらい謝り倒してくれた。キリがないので、美味しい牛丼を作ってくれたらいいよと言った。
ちょっとした騒動なんてなかったかのように、普通に買い物を終え八千代の家に帰る。
「これからは、八千代と啓吾の家なんだね」
「いやいや、俺ん家って言うのは烏滸がましいわ。俺、ただの居候だかんね」
「別に何でもいいけどよぉ。最低限のルールだけは決めんぞ。俺、絶対いつかお前にキレるわ」
「え、同居2日目でそんな事言う? ちなみに、何で俺キレられんの?」
「まず、ワックスとスプレーの量な。アレどこに置くつもりだよ」
啓吾は髪のセットに拘りがあるらしく、ワックスだけで3つか4つは買っていた。スプレーも2種類くらい買っていたはずだ。
「洗面所しかなくない?」
「自分の部屋じゃねぇんだな。棚がお前の私物で埋まんのも、時間の問題だな」
「場野、ワックスとか1個もねぇもんな。それ、どうやってセットしてんの?」
「セットしてねぇけど。ワックスとか落とすんもめんどくせぇだろ。朝シャワー浴びた後、ドライヤーで乾かしながら流してるだけ」
八千代は、休みが明ける前に染め直した時、伸びて鬱陶しいからと短めのツーブロにしたのだ。良い感じに纏まっていて、僕もセットしているものだとばかり思っていた。
「それでそんなに良い感じに仕上がってるの? 凄いね。八千代、ホントに素のままでカッコイイんだね」
「お前····言ってて恥ずかしくねぇの?」
「え? ····あっ!! うん、だね。えへへっ。えっと、ほら、啓吾とりっくんは、髪のセットにいっぱい時間かけるよねぇ。オシャレだし、器用で凄いなぁって····。でも僕、セットしてない時の2人も好きだよ。してなくても充分カッコイイもんね」
自分の言った事の恥ずかしさに気付き、慌てて啓吾とりっくんに話を振る。
「あははっ。めっちゃ焦ってんじゃん。俺ねぇ、結人に褒められんのめっちゃ嬉しい」
「えへへ。だってホントにカッコイイんだもん」
にへらと笑った瞬間、僕のお腹が盛大に鳴いた。
「へいへーい。腹の虫さん、ちょっと待っててね~」
啓吾は牛丼を作りに、そそくさとキッチンへ向かった。
「なぁ、俺も前にセットしてもらったぞ」
「あぁ、あはは。あれホンットにカッコ良かったよ。なんで啓吾と同じような髪型になったのに、あんなに雰囲気違うんだろうね。不思議だよねぇ」
わかり易く朔が妬く。このぶんだと八千代も何か言い出すだろう。と、思ったのだが、八千代は啓吾を手伝ってくると言って部屋を出て行ってしまった。
八千代だけ褒めなかったから拗ねてしまったのだろうか。あとで、髪結んでるの色っぽくて好きだよって、いい加減白状してあげようかと思う。そうしたら、また伸ばすのだろうか。
「ゆいぴ。こっちおいで」
暇を持て余したりっくんに呼ばれ、背中を預けて胡座に収まる。後ろからキュッと抱き締められ、首にちゅっちゅと這わせてくる唇の熱に身体が反応する。
「んっ····りっくん、首、後ろやだぁ····ゾワッてするの。軽イキしそうになるから····」
「知ってるよ。ゆいぴ、背中とか腰とか背面好きだよね。耳並みに敏感だもんね」
「え、そうなのかな····わかんないよぉ」
「結人····こっちと首、どっちが気持ち良い?」
朔が乳首を弄りながら聞く。しかし、キスをされてしまっては答えられない。
「ん····んぅ、んっ、ふぅ······ぷはぁ、ん····後ろ、かなぁ····触れられると思っただけで、勝手にゾワゾワしちゃうの」
触れるか触れないか、熱い吐息がかかる距離。触れられるんだと期待するだけで、僕の身体はビクビクと快感を拾ってしまう。
それを面白がって、2人はずっと僕の感度を確かめるように遊んでいた。やはり、耳と背面がめっぽう弱いらしく、重点的に責められる。
「あー····挿れたい」
「りっくん、身も蓋もないね····」
「ゆいぴのえっちな声聴いてたら、もっと啼かせたくなるんだもん。旅行中は声我慢してばっかりだったもんね。いっぱい喘いでる声聴きたい。あぁ····、ホンット可愛すぎるよ。お腹はずぅーっと鳴いてるけど。それも可愛い····」
「はぁ!? もう! 恥ずかしいからやめてよぉ····」
「にしても遅せぇな。牛丼作んのに何分かかってんだ」
確かに、もう40分くらい経っている。少し様子を見に行こうか、そう思っていたら啓吾が戻ってきた。
啓吾は何故か牛丼ではなく、ヘアスプレーを手に目を輝かせている。
「お前ら、場野がやべぇ」
「なに? 火傷でもした?」
「違うけど、アイツやべぇんだって」
「説明····。何がどうヤバいの?」
「とりあえず見て。って、場野? こっち来いって!」
啓吾に呼ばれて八千代が戻ってきた。ワックスでセットをしたらしく、いつもよりも毛先に遊びがあって、クシャッとしてて、もうなんと言えばいいのか分からないが兎に角カッコイイ!
「どう? ヤバくない!? 超カッコよくね?」
「腹立つなぁ····。キメ顔なのがさらにムカつく。モデル気取りかよ」
「まぁ、元が違うとこんなもんだよな」
「美形のこれはヤバいって。俺、セットしながらドキドキしたもん」
「あぁ、満も同じ事言ってたな。仕上がっていくにつれて胸の高鳴りがやべぇとか何とか」
「や、確かにカッコイイもんね。満さんの気持ちわかるよ。あ、待っ、八千代、あんまりこっち見ないで」
八千代の見慣れないカッコ良さに、僕は直視できなくなっていた。それを面白がるのが八千代の悪い所だ。
僕に近寄って来たかと思うと、顎をクイッと持ち上げて見つめてくる。僕の視線が泳ぎまくってるのを見て、笑うのを我慢しながらキスをする。
「お前、林檎みてぇだな。ははっ、真っ赤」
「やち、八千代のばかぁ····」
「涙目で困ってるお前、すげぇからかいたくなるんだけど。ワザと?」
「そんなわけないでしょ!? もう! なんでそんな良い匂いするの!? ····あっ、啓吾と同じ匂いだ」
「ワックスの匂いだろ。ベタベタして気持ち悪ぃ」
「お前がやれって言ったんだろ! 文句言うなよな」
「八千代、セットしてみたかったの?」
「違う違う。結人がセットしたんがカッコイイつったから、自分もしてカッコイイって言われたかったんだって」
「なんっで全部言うんだよ! お前、マジで何なんだよ」
八千代が赤面しているのなんて久々に見た。こんなにカッコイイのに、不意打ちで可愛いなんて狡いや。
「八千代····。あのね、すっごくカッコイイよ。直視できないくらいカッコイイ。いつものも好きだけど。あとね、伸びて結んでるのもね、なんかえっちで好きだよ」
僕はもう八千代の顔を見れず、りっくんの手で顔を覆って言った。
「へえ····。どの俺が好き?」
「へぇっ!? ······どれも?」
「ははっ。お前は欲張りだな」
欲張り····。確かにその通りだ。
「んじゃ、冬は伸ばして夏は切るか。んで、出かける時は大畠にセットさせるわ。そしたら、全部見れんだろ?」
なのに、こうやって僕の欲を満たしてくれる。
「うん」
「嬉しくねぇの? なに暗い顔してんだよ」
「僕、欲張り過ぎるなぁって····」
「はぁ? んな事気にしてたんか。お前は欲張りでいいんだよ。結果、丸く収まってんじゃねぇか」
「結人が欲張ってくんなかったら、俺今ここに居なかったかもね。まだ母ちゃんトコで我慢し続けてたかもだよ? だからさ、結人はそのままでいてよ」
「そうだぞ。結人の欲張りのおかげで、今こうして一緒に居れるんだ。もっと欲張って、俺たちに何でも言っていいんだぞ?」
「これ以上? まだ欲張ってもいいの?」
「いいよ。むしろ欲張りが足りてない。俺らにシてほしい事とか、俺らが欲しいとか、何でも言っていいんだよ? て言うかさ、俺らはゆいぴにもっと求められたいんだけど」
と、りっくんは僕の首筋を撫でながら、わざわざ耳元で言う。
「んぁっ······ そうなんだ····。が、頑張るねっ!」
──キュゥゥゥゥゥゥゥ····
僕の意気込みと同時に、お腹の虫が悲鳴をあげた。
「あはは、かーわい~。····あれ? ねぇ啓吾、場野のセットしてたって事はだよ? まさか牛丼作ってないの?」
「作ったよ。煮込んでる間に······あぁっ!!」
啓吾はキッチンへと走り出した。どうやら、火をつけっぱなしだったらしい。いくらトロ火だからって、目を離すのは危険だ。
啓吾が作ってくれた牛丼を皆で食べながら、八千代のお説教が続く。
「お前、マジで気ぃつけろよ。初っ端から何してくれてんだよ····」
「ごめんごめん。場野が予想以上にカッコ良くなってくの面白くってさ、夢中んなっちゃった」
「八千代がアレだから目立たないけど、啓吾もかなり器用だよね。僕、人の髪なんてセットできないよ」
「ははっ。結人はちょっと不器用すぎな。莉久も朔のセットしてたんだろ? 慣れりゃできんじゃねぇの?」
「俺、そんなに上手くできなかったよ。自分のするのとは勝手が違うからさ、思ってたより難しかったんだよね」
「えー、でもイイ感じだったじゃん。まぁ、朔の顔でカバーした感じはあったけど。朔の顔面偏差値の高さがすげぇもんなぁ」
「なんかムカつくなぁ····。て言うか啓吾さ、最近ゆいぴ以外も褒めすぎじゃない? ストレート過ぎて普通に照れるんだけど。なに? 俺らに惚れちゃった?」
りっくんが揶揄う。こういう類の揶揄い方は初めてで、どこまで本気で聞いているのか分からない。
「あはは。ないない。だって、お前らに可愛い要素ねぇもん。つぅか惚れたとか関係なしにさ、良いトコは見つけたら褒めたくなるじゃん? あと、莉久は褒めてねぇ」
「ほんっとムカつく····。俺の事もたまには褒めろよな」
確かに、啓吾が皆を褒める頻度は上がった思う。けれど、元々啓吾は人の長所を見つけるのが上手いし、それを口にする事に恥じらいなどないようだ。なんなら、啓吾にかかれば短所だって、見方を変えて長所に繋げてしまう。
そんな啓吾だから、人を褒めるのは息をするように普通の事だと思っていた。しかし、りっくんの指摘も尤もで、もし相手が可愛い女の子だったら僕は 、きっとまた不安になっていただろう。
「啓吾は、可愛いと好きになっちゃうの?」
「んぇ? まぁ、可愛いのは好きだよ。けど、人は別だからね。好きな子は結人だけ。ほら、ちっちゃいのとかモフモフしたのとか、女子が可愛い~って言ってんのが何となくわかる感じ」
「あっ、それは僕もわかる。サボテンとか可愛いよね」
「ちっちゃい丸いやつな。玄関にあるヤツとかだろ?」
八千代の誕生日に、朔がプレゼントしたサボテンが玄関に飾られているのだ。てっぺんに濃いオレンジ色の小さい花が咲いている、八千代が好みそうもない可愛らしいやつだ。
「うん。頭にお花咲いてるの可愛いよね。そうだ。ずっと気になってたんだけどね、朔はなんでプレゼントにサボテン選んだの?」
「だって場野、植物好きだろ? それにあのサボテン、どことなく結人みたいだなと思って」
「あ? 何情報だよ。まぁ、結人っぽいつーのはわかる」
「え。頭に花が咲いてるトコとか言わないよね?」
「ふはっ····。お前、ベランダで苺育ててるじゃねぇか。だから、植物好きなのかと思って····」
「えっ!? 八千代、苺育ててるの? 見たーい」
「なんで知ってんだよ····」
「何気なく外見た時に見えた。凜人も育ててるから、葉っぱ見て苺だって分かったんだ」
ベランダに出てみると、室外機の上にちょこんと鉢が置かれている。寒いのに、青々とした葉っぱが元気にもっさりしている。
「まだ葉っぱだけだぞ。暖かくなって実が生ったら食わしてやるからな」
「えっと····、もしかして僕の為に?」
腕組みをして壁にもたれかかっている八千代が、優しい微笑みを浮かべている。
「好きだろ? 苺」
「····好き」
これは苺へ向けたものではない。僕の為に、1人で苺のお世話をしている八千代を想像して、胸が締めつけられるように愛おしく感じて溢れ出した「好き」だ。
「ショートケーキの苺。絶対最後に食うもんな。分かりやすくて助かるわ」
と、八千代は僕を、後ろからそっと抱き締めて言った。
「イチャついてねぇでさっさと食えよ~。ご飯ぶよぶよになんぞ」
「あっ、ごめんね」
せっかく啓吾が作ってくれた牛丼なのだ。最後まで美味しくいただきたい。
「啓吾、牛丼すっごく美味しいよ。ホントに料理上手なんだね」
「得意だつっただろ? どうよ、料理できる男は」
「俺もできるわ」
「場野はいちいち張り合ってくんなよな。お前みたいな万能マンと比べられる身にもなってほしいんですけどぉ~」
「あはは。2人とも凄いと思うよ。僕、どうしようもないくらい不器用だから羨ましい····」
「まぁ、結人の不器用は朔もビビるレベルだもんな」
「結人はそそっかしいだけだろ。落ち着いてやったらできる····はずだ」
「朔ぅ、フォローになってないよぉ。朔もりっくんも、大抵の事できるでしょ。何もできない僕の気持ちなんて····。あれ?」
「どした? 卵の殻でも入ってた?」
「違うの、大丈夫。あのね、僕、本当に何もできないなって思って····。料理は目玉焼きくらいしかできないし、掃除したら何か壊すし、洗濯したら縮むし····。僕、皆の奥さんできなくない?」
と、僕は真剣に言ったのに、皆の爆笑をかっさらってしまった。
「あっはは。そんな事····。大丈夫だよ。ゆいぴは存在が奥さんだから」
意味がわからない。何が大丈夫なのだろうか。
「お前、泊まった時朝飯作ってただろ。アレしかできねぇんなら、毎朝アレでいいわ。他の作りてぇなら、作れるようになるまで教えてやっから。しょうもねぇ心配すんな」
「洗濯なんか、最悪クリーニングに出せばいいだろ。俺はそもそもやった事ねぇしな。自分ができねぇことは強要しないぞ」
「朔は凜人さんが居るもんね。家事全般、啓吾が得意そうだからいいじゃん。ゆっくり教わっていけば。壊すのに関しては、ゆいぴが怪我しなかったらいいんだし。ね? できなくても困らないから大丈夫だよ」
「僕、皆の奥さんできる?」
「「「「できる」」」」
「良かったぁ。皆、色々教えてね? 僕、少しずつかもしれないけど、ちゃんとできるようになるから」
「結人、無理はすんなよ。なんか難しく考えてるみてぇだけどな、俺らはお前に色々してやりてぇんだよ。そもそもな、デロデロに甘やかすつっただろ」
「でも····、それじゃ僕、ホントにダメ人間まっしぐらだよ」
「結人は性格的にさ、ダメ人間にはなんねぇって。そんな心配だったらさ、明日の昼飯、一緒に何か作る?」
「作る!」
明日の土曜日、啓吾と一緒に昼食を作る約束をした。美味しい牛丼を食べ終え、僕はりっくんに送ってもらって帰宅する。
明日は朝から啓吾と買い出しに行って、美味しいお昼ご飯を皆に振る舞うんだ。せめて、食べられるレベルの物を作れるように頑張ろう。
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