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29.*****
しおりを挟む急いで仕事を片付け、タクシーを拾って帰宅した。見上げると、家の明かりがついている。
芯が待ってくれているんだ。そう思うと、部屋までの足取りがいやに軽い。
鍵を開け、扉を開いて気づく。玄関には、僕達の物ではない靴がある。嫌な予感がして、心臓が大きく跳ねた。胃の辺りはズクズクと重い。
その瞬間、芯の甘い声が聞こえた。脳が揺れそうなほど、勢い良く顔を上げる。
恐る恐る、声が聞こえた寝室の扉を開く。すると、目を疑う光景が飛び込んできた。
芯が、力無く上体をベッドに落としている。そして、そんな芯の腰を持ち上げ、バックで犯している奏斗さんが居た。芯は動かない。どうやら、意識を飛ばしているようだ。
気の強い芯の事だから、相当奏斗さんを煽ったはずだ。あれは、容赦など知らない快楽責めをしている時の顔。僕が騙された、最も甘い奏斗さんだ。
気絶しているから、お尻が緩んでいるのだろう。奏斗さんは指も一緒にねじ込んでいる。苦しそうだ。
それに、よく見ると芯のペニスは、射精できないように縛られている。きっと、余程辛い目にあったのだろう。玉も根元で縛られていて、少し腫れているように見える。
僕は呆然と立ち尽くし、肩に掛けていたバッグを落とした。奏斗さんは、うっすらと笑みを浮かべて芯を犯しながら、僕の方を見ずに声を掛ける。
「おかえり。遅かったね」
首元から耳へ、這うような声に身体が跳ねる。奏斗さんの、芯を見下ろす瞳は無機質で、その横顔からは全く感情が読めない。
けれど、この肌がビリビリと痺れるような感覚。奏斗さんが怒っている時の雰囲気だ。嬉々として犯しているのに、滲み出る空気が痛い。
どうして奏斗さんが此処に居るのだ。何故、芯を犯しているのだ。聞きたい事はあれこれ脳内を飛び交う。けれど、僕は声も出せずに固まったまま。恐怖で、声帯がピクリとも動かない。
僕がたじろいでいると、奏斗さんは芯の耳を噛んで囁いた。
「芯クーン、起きな」
ポケッとした顔で、僕を視界に入れる芯。表情が少し緩むと、芯は声を絞り出して呟いた。
「センセ····助けて」
けれど、芯は言葉を発した直後に“しまった····”という表情をした。そんな顔をさせてしまうなんて、恋人と名乗る資格もない。
一刻も早く、芯を助けなくては。奏斗さんから救い出すんだ。しかし、そんな理想はただの空想に過ぎなかった。
現実の僕は、情けなく震えて動けないでいる。奏斗さんの駄犬で逆う事を知らない僕に、何ができるのだろうか。
芯を助けなくてはと焦るほど、思考は高速で巡る。だが、震えは酷くなる一方で、声を押し出すだけで精一杯だった。
「か··奏斗さん····どうしてここに····芯を、離してください」
「やだ。俺ねぇ、お前に逢いに来たんだよ?」
奏斗さんは、ここまでの経緯を饒舌に語った。あまりのイカれ具合に、泥酔しているかの如く酷い吐き気を催した。
あの頃から何も変わっていない。傲慢で、相手を支配する事でしか快楽を得ることのできない、狂喜的なセックスを強いる奏斗さんだ。
逃げ出したい。しかし、そんな事はできない。奏斗さんを殴ってでも芯を助け出さなければ。力一杯、抱き締めて奪い返したい。
僕は唇を噛み締め、痛みで正気を取り戻す。そして、恐怖で痺れる足を一歩踏み出した瞬間──
「止まれ」
奏斗さんは横目に僕を見て、高圧的な低い声で命じる。過去に、散々僕を従わせた声だ。嫌が応にも身体が反応し、ビクッと跳ねて命令に従う。
「脱げ」
「ひっ······で、できません····。お願い··します。芯を離して──」
「ハァ····。できないじゃなくてやるんでしょ? このまま芯クン抱き潰してもいいんだけど。あと、名前··、呼んであげようか?」
威圧的な溜め息で言葉を遮られた。
名前····。トラウマを引き出されるのはマズい。それだけはダメだ。どんな責め苦よりも危険なのだから。
僕は歩みを止めてしまった。こんな情けなくて頼りにならない僕を、芯には見られたくなかったな。
僕は、おずおずとシャツのボタンに指を掛ける。すると、芯が弱々しい声を上げた。
「センセ····逃げろよ。俺、平気だから。こんなおっさんに堕ちねぇよ」
強がりな芯。顔から出る物を全部出して、ぐしゃぐしゃの汚い顔を晒していても格好つける。
芯を置いて、僕の家から何処に逃げろと言うのだ。本当に、優しくてバカなんだから。
そうだ。僕が守らなくては····。
僕は奮起する。どれほど奏斗さんが恐ろしくとも、何よりも大切な芯を置いて逃げるという選択肢は無いのだ。
意を決して、奏斗さんに交渉を持ち掛ける。けれどそれは、あまりにも打算的で自己犠牲をありきとしたものだ。きっと、芯は怒るだろう。
「今日だけ····、言う事を··聞きます。だから、芯は返してください。それで、もう··終わりにしてください」
僕は俯き、奏斗さんを見ないように言った。直視したままなど、とてもじゃないが怖くて言葉を投げられない。
「なんだよそれ。····ふーん、あっそ。あの頃みたいに、好きにシていいんだ?」
「······はい」
「い··いわけ、ねぇじゃん!! 何言ってんだよ! 先生はもう、俺のだつったじゃんか! コイビトなんだろ!? ふざけた事言ってんじゃねぇぞ。ンな助けられ方··したくねーよ!!」
芯が声を荒らげる。けれど、他に助けようがない。これだって苦渋の決断だ。
もっと、芯みたいに格好良く助けられればいいのだけど。僕にはこれが限界なのだ。
僕はシャツを脱ぎ、奏斗さんの前に立つ。
「下は? 自分でケツ差し出さないで、どうやって犯してもらうつもり?」
「ごめ··んなさい。でも、あの··先に、芯の拘束····解いてもいいですか」
僕は、後ろ手に縛られた手と、ベッドに繋がれた足の縄を解くよう頼んだ。流石に、芯の目の前で弄ばれるのは耐えられない。
けれど、奏斗さんは僕の言葉を鼻で笑った。そして、眉間に皺を寄せ、目を細めて言う。マズい、怒らせてしまった。
「あー、そうだよね。見られたくないよねぇ。けどダメ。芯クンにはここで見ててもらうからね。お前が俺を満足させられなかったら、芯クンにも手伝ってもらうから」
「なっ····そんな··こと····」
想定した最悪の展開へと進む。奏斗さんが僕の手首を掴み、芯の隣へ投げ倒した。
「ひぁっ····奏斗さ··待っ····」
涙が溢れる。芯の前で、なんと情けない姿を晒しているのだろう。····芯、こんな頼りない僕でごねんね。
僕はまた、全てを諦めた。奏斗さんを前にすると、諦め癖に歯止めが効かない。全てを支配していると言わんばかりの、煌々と輝く瞳を見ると心が折れるのだ。それはあの頃から、今でも変わらない。
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