盗みから始まる異類婚姻譚

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番外編

続ハプニングダブル③

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 夢の中の自分とセックスをした蘇芳を浮気者だと非難してから約一週間が経った。だがその間二人が顔を合わせることはなかった。どう避けるかを考えるまでもなく、赤鬼がずっと不在だったからからだ。
 少し寝坊して起きれば既に会合に出かけていたり、急な派遣要請を受けていたり、これまで滅多になかった長期の遠征に駆り出されていたり。かなり多忙のようで、帰ってくるのはいつも夜中のようだった。リュカが眠っている間に帰宅し、彼が起床する前には既に外出している。そんな毎日が続いた。

「セキシ…えと、蘇芳は…?今日帰ってくるはずだよな…?」
「そのことなのですが、別の戦場への派遣要請があったらしく、帰宅はまた少し延びそうとの連絡がありました」
「え、あ…そう、なんだ」

 夕食の席でのセキシの発言は思ってもいなかった内容で、リュカは戸惑いを隠せなかった。ぼんやりとした相槌を返し、お行儀悪く箸で味噌汁をぐるぐるとかき混ぜてしまう。
 どれだけ浮かない表情をしているのか、本人は全く気がついていない。大人二人は互いに顔を見合わせ、微笑ましい表情で少年を眺めた。
 しばらくは父親と寝ると啖呵を切ったのはリュカだが、きちんと蘇芳と話をしなかったことを後悔し始めていた。まさかここまで顔を合わせない日が続くとは思わなかったのだ。
 連日戦場で命を懸けて戦う蘇芳のことを考えるだけで胸が痛む。鱗の御守りが自分の代わりに守ってくれると分かってはいるのだが、だからと言って不安が消える訳ではない。こんなふうに行き違いになったまま蘇芳に何かあったらと思うとぞっとして生きた心地がしなかった。
 その時、階下で戸が開く音がした。

「来客でしょうか。お二方は気になさらず、食事をなさってください」

 セキシが足早に玄関へと向かっていく。何となくいてもたってもいられなくて、リュカは彼を追いかけた。

「蘇芳様、お帰りなさいませ。帰宅は延びると伺っていましたが…」
「向こうもケリついたみたいでな。急遽要請取り消しになったんだが、連絡する暇がなかった。わりぃ」

 階段を下りていると蘇芳の声が聞こえて、リュカの心臓が大きく跳ねる。何故だか足が止まってしまう。

「いいえ。急ぎお風呂を準備しますので、少しお待ちいただけますか」
「ああ、悪いな。頼む」

 血みどろ羅刹の異名に違わぬ、返り血にまみれた姿を目にするのは久々だった。何度見ても心臓に悪くて、慣れることができない。パタパタと足音を立ててセキシが浴室へと向かっていくのが見えた。声に疲労が滲んでいるものの、姿を見る限りは怪我など負っていないようだった。無事な姿が見れてほっと胸を撫で下ろす。
 おもむろに蘇芳が動き、視線が交差する。無意識に肩がびくりと震えた。セキシのようにおかえりと声をかけたいのに、舌が上顎にぴったりと張り付いて動かない。
 たった一週間顔を合わせていなかっただけなのに、妙に懐かしい気がした。段上で固まって身動きできないでいると、蘇芳が視線を逸らした。赤い姿が視界から消える。

「──…ッ!?」

 蘇芳に無視されたことに、リュカは自分でも驚くくらいにショックを受けた。頭が真っ白になる。そもそも彼を突っぱねたのは自分なのに、いざ彼から拒絶されるとどうしていいのか分からなくなったのだ。

「リュカ、部屋に戻ろう。セキシのせっかくのご飯が冷めてしまうよ」

 レヴォルークは呆然自失で棒立ちになっている息子に優しく声をかけた。肩にそっと触れられて我に返ったリュカは、尚も戸惑いながらも、やがて小さく頷いた。父親に付き添われて自室へと戻る。しばらくしてセキシも戻って来た。
 食事を再開するも、先程のことをぐるぐると考えてしまい、あまり箸は進まなかった。

「リュカ、蘇芳くんが無事に帰ってきてくれて良かったね」
「うん……」
「明日はずっと家にいるみたいだよ。ここのところ働きづめだったから、当然だね。新しい黒鳶は人遣いが荒いみたいで困っちゃうね」
「うん……」

 レヴォルークと共に布団に入りながら、リュカは父親の言葉に生返事をするのみ。心ここにあらずなのは明らかだ。
 慰めるかのように優しく頭を撫でられ、室内の灯りが消える。父親の腕に包まれながらも、リュカの目はぱっちりと開いたままだ。
 少年の頭の中では、赤鬼に無視されたときのことが絶えず再生されていた。
 蘇芳は夢の中で俺とセックスする夢を見ただけで、実際に浮気をしたわけではないのに、ろくに話も聞かずに怒ってしまったことを悔やむ。自分だって蘇芳二人に抱かれる夢を見た。それも毎日だ。自分の方が蘇芳以上の浮気者で、本当に責められてしかるべきなのは自分の方だとリュカは思った。
 一度深みにはまった思考はどんどんとネガティブなものになっていく。
 もう俺に愛想をつかしてしまったんだろうか。生意気で、すぐに父親の元に逃げこむようなガキ、面倒くさくなってしまったのだろうか。
 そう考えるとたまらなく悲しくなり、リュカはレヴォルークの腕の中から抜け出していた。

「…リュカ?」
「お、俺やっぱり蘇芳のとこで寝る!」

 もはや一緒に寝てくれる保証などないのだが、無意識の願望からそう口走っていた。父親の寝室を後にし、蘇芳の自室へと向かう。いつもならまだ起きているはずなのだが、灯りはついていなかった。ゆっくりと引き戸を開けると、背を向けて横になる赤鬼の姿があった。
 音を立てないように戸を閉め、同じく体を横たえて背中に触れる。

「蘇芳…もう寝た…?」
「…お前の足音で起きた」

 久しぶりに言葉を交わせて嬉しくなる。だが同時に悲しくもなる。声が刺々しい響きを持っているように思えたのだ。やっぱり、心の狭い俺に怒っているんだ。
 胸の奥底からこみあげる激しい感情を抑えきれず、少年は赤鬼の寝間着をきつく握った。

「…蘇芳…俺のこと、捨てないでえ…っ!」

 どうにか絞り出せた言葉はそれだけだった。涙があふれ、途端に呼吸が苦しくなってしまう。

「はァ!?怒ってんのはリュカだろ?なんでそんな話になんだよ」

 室内に灯りがつき、蘇芳が体を起こす。仰向けに転がされ、上から顔を覗きこまれているのが涙で歪む視界でかろうじて見えた。目尻を優しく指で撫でられる。久しぶりに触ってもらえた嬉しさで、涙が更にあふれた。

「…ひっ、…だ、て…だっ、て…ぇ…!」

 これ以上苛立たせないように、早く答えなきゃ。急いで呼吸を落ち着かせようと思えば思う程焦燥感に駆られて、涙が止まらない。金縛りにあってしまったかのように、全身が痺れて指一本動かせない。

「さ、さっき…!俺のこと、…無視したあ…っ!」
「あァ…?」

 拒絶されたことを改めて言葉にすると、想像以上の絶望感に襲われた。まるで子供のようにわんわんと声を上げて泣いてしまう。

「おいリュカ、ちょっと落ち着け…!」

 感情を制御できずに号泣していると、体を持ち上げられた。蘇芳の膝の上で抱きしめられる。
 背中を優しく叩く手が心地良い。よく知った温もりと匂いに包まれて、心と体が喜びで満たされていくのを感じる。

「…蘇芳くん…?僕の宝物の泣き声が聞こえてくるんだけど、まさか傷つけたりしてないよね…?いくら蘇芳くんと言えど、場合によっては許さないよ…?」

 蘇芳の匂いを肺いっぱいに吸いこむと、昂った感情が少しずつ落ち着いていくのが分かる。目を閉じて彼に身を委ねていると、戸の外から父親の声が聞こえてきた。
 伴侶の存在で頭がいっぱいのリュカは気づいていないが、レヴォルークの声は地を這う程に低く、室外から漂う雰囲気は剣呑なもので本気の殺意を孕んでいた。

「そんなつもり微塵もねえよ。何か勘違いしてるみてえだから、今から詳しく話聞くところだっつうの」

 並の異形なら恐怖のあまり死んでもおかしくない程の圧倒的な殺気にも、蘇芳は一切臆することはなかった。呆れたと言わんばかりの表情を浮かべ、シッシッと義父を追い払う。レヴォルークは無言で室外に佇んでいたが、やがてその場を後にした。

「リュカ、話できるか?」

 二人きりに戻ると、赤鬼はふうと息を吐き、少年の頭を撫でた。リュカは男の肩に顔を埋めたまま、小さく頷いた。
 顔が見てえと言われて、少し体を離す。これ以上は離れたくないという意志表示で、蘇芳の寝間着を強く握りしめる。顎に指がかかり、そっと顔を上げさせられる。

「てっきりまだ俺に怒ってるかと思ったんだよ。それなのにむやみに話しかけたら火に油を注ぎかねねえなと思ったら、何も言えなくなった。そんなに傷つけることになるとは思わなかった、悪ィ」
「…俺のこと、面倒くさくなって…嫌い、になったわけじゃ、ねえ……?」
「ねえよ。ありえねえ。…ちょっと留守にした間に、ンなこと考えてたとか…生きた心地しねえっての」

 こつりと額同士が合わさる。きっぱりと否定されて嬉しくて、口元がにやけそうになった。

「蘇芳がいなくて、すげー寂しかった…。それに喧嘩したままで蘇芳に何かあったらと思ったら、めちゃくちゃ怖くなって、すごく後悔した…。ごめん」
「…まあ、デリカシーのねえ発言した俺にも非はあるしな」

 どちらからともなく顔を寄せ、唇を重ねる。唇を啄まれるだけで、快感がまるで電気のように全身を駆け巡る。これほど長くスキンシップをしていなかったのも久しぶりで、自分はこの熱が恋しかったんだと思い知らされる。

「ん、ぁ…」

 小さく口を開けば、待っていたとばかりに蘇芳の舌が入って来る。熱く湿ったそれが口の中を隅々まで舐め回す。舌も絡め取られて、唾液ごと吸われたり甘噛みされたりしている。舌が絡まる度に、下腹がきゅうと疼いてしかたがない。

「…は、ン、んぅ…う…」

 まるで貪るような性急さを伴った口づけにされるがまま。時折ついていけなくて、呼吸が乱れてしまい苦しい。それでももっとして欲しくて、リュカは蘇芳の首に両腕を巻きつけ、抱きついた。
 思う存分に互いの口を喰らい、体を離す。長い口づけから解放された口から、熱のこもった息が漏れた。

「…やっぱ、本物の方がずっといいや」
「何だよそれ。本物の方がいい、って」

 しみじみと実物の蘇芳を堪能したリュカは、彼の厚い胸に体を預けた。がっしりとした体にぐりぐりと顔を押しつける。リュカの謎の発言に、蘇芳は声を立てて笑っている。
 毎晩夢の中で蘇芳に抱かれていたが、充足感がまるで違う。所詮あの蘇芳はまやかしでしかないのだ。

「二人に分裂した俺とエッチなことする夢を見て幸せだったって蘇芳が言うからさ、俺も想像したんだ。蘇芳が二人になったらどうなるかなって。そしたら毎晩夢に見るようになってさ!」
「………は?」
「めちゃくちゃ大変だったんだぞ!俺はあんまり幸せには思わなかったな。体もたねーもん」

 仲直りが出来た嬉しさから、リュカは有頂天になっていた。饒舌に夢のことを語るも、興奮のあまり蘇芳の表情が一変したことに全く気がついていない。布団の上に押し倒されて初めて、己の失言に気づいた。
 目を爛々と光らせる蘇芳を目にして、リュカは慌てて口を噤んだ。口元は笑っているが、額には血管が浮き、怒っているのは明白だった。

「……リュカが激怒した気持ちがよーっく分かったぜ。確かに面白くねえな…。お前が怒るのも無理ねえわ……腸が煮えくりかえりそうだ」
「だ、だろ…っ?いい気持ちしないだろ?わ、分かってもらえて、俺うれしー…へへへ」

 リュカは取り繕うように笑った。この話題をうやむやにしようと、おちゃらけてみる。上半身を起こそうとするも胸に手をあてられ、再び布団に沈むことになった。

「…言え。夢の中の俺にされたこと全部。俺が上書きして記憶塗り替えてやる」
「…………はひ…」

 有無を言わせぬ凄まじい威圧感に圧倒され、リュカの喉からは引き攣った音しか出て来なかった。
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