盗みから始まる異類婚姻譚

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番外編

小さな嵐がもたらす確かな変化

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「…青藍、頼みがある」

 苦虫を嚙み潰したような顔で訪問してきた蘇芳に、青藍は目を瞬かせた。赤鬼の後ろには、膨れっ面のリュカが控えている。
 新頭領となり黒鳶を襲名した青藍は、青かった肌が真っ黒に変化していた。前頭領と同じように、親父と慕われているが、蘇芳は彼を前の名前である青藍と呼ぶ。互いの間にあるわだかまりはなくなったが、青藍を親父と呼ぶのには抵抗があるようだった。青藍としても、赤鬼に親父と呼ばれるのを想像しただけで鳥肌が立ったので、好きに呼ばせている。

「貴様が私に頼み事とは、珍しいな」

 青藍は居室に二人を案内した。すぐさま給仕が茶を出し、リュカの前には菓子が別で置かれた。革張りの長椅子に、赤鬼と距離を取って端に腰かける少年に、青藍は妙な違和感を内心首を傾げた。

「……リュカに、あの池の世話をさせてやってくれ」
「ああ、構わない」

 二つ返事で了承した青藍に、今度は蘇芳が目を瞬かせる番だった。
 拍子抜けしたのは青鬼も同じだった。神妙な顔で頼みがあると言うものだから、もっと承諾しがたいことかと思っていた。
 なるほど、蘇芳の表情が険しかったのはそのためか、と納得する。かつての恋人との思い出の場所である池に、足を踏み入れられるのを嫌がるだろうと思っていたのだろう。

「いいのか?」
「ああ、頭領の座についてから、前ほど足を運ぶのが難しくなってな。私の代わりに餌をやってくれるのであれば、助かる。だからと言って誰もかれもを立ち入らせたいわけではない。リュカならば、私としても願ったり叶ったりだ」

 蘇芳の機嫌を損ねるから、と断られたが、元より依頼を打診していたのは青鬼側なのだ。
 赤鬼は安堵したように溜息を吐くと、いまだにぶすくれて菓子を頬張っている竜の少年を一瞥した。

「リュカ、了承もらったぞ。機嫌直せよ」
「青藍、今ちょっと時間ある?餌のやり方とか、気をつけることとか教えて欲しい」
「ああ…構わないが」

 赤鬼を無視したリュカは青藍の承諾を得るや否や、茶をぐびーっと飲み干して立ち上がった。蘇芳の呼びかけにも反応せず、足早に玄関へと向かっていく。
 池までの道中、少年と並んで歩く。蘇芳は少し離れた後ろを、顔をしかめて歩いている。

「蘇芳さん、ちわーす」
「おー」
「蘇芳さん、稽古つけてください!」
「あー今度な」

 すれ違う若い鬼達に次々と声をかけられる。赤の族長はぞんざいに返事をしているが、若衆は気にしていないどころか、返事をしてもらえただけでも嬉しそうだった。以前の蘇芳からは想像できない光景だった。好んで孤立し、誰も寄せつけなかった。
 だがそれも今はどうだ。リュカを娶ったことで、少しずつ態度も雰囲気も軟化した。元より一族で最強の鬼なのだ。その強さに憧れている鬼も多いだろう。

「喧嘩でもしたのか」
「…竜に変身した俺の腹がプニプニモチモチだってからかって、顔埋めてきてさ。しまいにはその状態で寝やがったんだ。…むかつくだろ?」
「ば」
「ば?」
「いや、何でもない。…確かに、餓鬼のような振る舞いだな」
「だろーっ!?」

 馬鹿馬鹿しい、という言葉を慌てて飲みこむ。青藍はあまり失言をしない。頭でよく考えてから口に出すタイプだ。だが喧嘩の原因のあまりのくだらなさに、本音が口をついて出そうになっていた。くだらないと切り捨てたが最後、火の粉が自分に降りかかってくること必至だと判断し、無難に少年に同意しておいた。

「おー今日も元気!」

 久々に餌のやり方を教えると、仏頂面だったリュカの顔に笑みが戻った。橋の欄干に足をかけ、勢いよく餌に食いつく鯉の様子を眺めている。

「名前とかあんの?」
「いや」
「じゃあ俺、つけちゃおっかな~。よく見ると一匹一匹模様が違ってたりするし」
「好きにしてもらって構わない」
「おい、近すぎやしねえか。もう少し離れろよ」

 不機嫌丸出しの声に、振り返る。眉間にしわを寄せた蘇芳が木製の長椅子に座り、苛ついた様子で貧乏ゆすりをしていた。
 確かに少年と寄り添ってはいるが、文句を言われる程に近くはない。リュカも思うところは同じのようで、じっと赤鬼を見ている。だが何を思ったのか、彼は無言のまま距離を詰めてきた。体が触れ合う。
 蘇芳のつり上がった眉毛がぴくりと動き、表情が更に険しくなった。わざと焚きつけようとするリュカに、青藍も眉をひそめた。
 以前、逆上した赤鬼が抵抗する少年の口を無理やり封じて、連れ帰ったことを思い出す。また同じことが起こるかもしれないと言うのに、命知らずな子供だと思った。
 だが蘇芳は腰かけたまま、舌打ちをするだけで動かない。それに青藍は驚いた。

「青藍、ちょっと耳貸して」

 そう言われて彼の方へ少し体を傾ける。背後で赤鬼がピクリと反応しているのが横目に見えた。

「本当はさ、俺怒ってないんだ。でもこうでもしないと、餌やりするの許してもらえないと思って、わざと怒ったフリしたんだ。あの時は蘇芳の機嫌損ねたくなかったから断ったけど、本当はめちゃくちゃやりたかったんだ。前にやらせてもらったの、すごく楽しかったから。だから俺、頑張るな!」

 完全に彼らの関係が逆転していることに気づく。戦場で無類の強さを発揮し、血みどろ羅刹と恐れられる鬼が、一人の少年の手のひらの上でいいように転がされている。あの、横暴で傲慢で唯我独尊の塊のような男が、だ。その少年もまた最強の種族である竜族の者ではあるが。
 蘇芳に散々手を焼かされ、敵視してきた老齢の鬼達が知ったらどうなるだろう。俄かには信じないだろうが、この光景を見て鳩が豆鉄砲を食らったような顔をするだろうなと思った。驚愕のあまり、顎が外れてしまう者もいるかもしれない。

「父ちゃんとセキシも連れて来てもいい?」
「構わない」
「……蘇芳も?」

 茶色い瞳が不安そうに揺れる。

「…くれぐれも鯉や亀をいじめるな、と伝えておけ」

 元は蘇芳の母親の憩いの場所だった。息子が来てくれれば、彼女も喜ぶだろう。
 ぱあ、と太陽のように屈託のない笑みを浮かべる少年の頭を撫でてやる。リュカは力強く頷き、欄干からひょいと飛び降りた。赤鬼の元へと駆け寄り、額に口づけを降らせる。

「蘇芳、青藍にかけあってくれてありがとな!」
「あ?…ああ」
「帰ろ」
「おう」

 まるで何事もなかったかのように笑顔で話しかけられ、予想外だったらしい。彼には珍しく、たじろいでいる。だが次の瞬間には、表情が柔らかくなった。愛おしそうに少年の契角を撫でる。蘇芳を立ち上がらせたリュカは彼の手をぎゅっと握り、こちらを振り返った。

「青藍、ありがとう!じゃあなー」

 手を大きく振りながら歩き去る少年に、小さく手を上げて応える。二人の姿が見えなくなると、青藍も屋敷へ踵を返す。面白いものを見せてもらった、と口元にはうっすらと笑みが浮かんでいたのだった。
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