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70. 死の舞踏
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「全く、蘇芳くんは無茶するねえ」
言葉とは裏腹に、レヴォルークの声色は面白がっているように聞こえた。リュカは父親に何の反応も返せなかった。目の前で広がる戦場の惨状に言葉を失っていた。死体がそこかしこに散らばっている。號斑陣営の亡骸が圧倒的に多いが、鬼族のも散見される。
少年は戦争を目にするのが初めてだった。恐怖以外の感情が浮かばない。いつ誰が命を落とすかもしれぬ、こんなにも危険な場所に一族総出で身を投じ、生業にしているなど信じられない。
弱肉強食の世界であることは嫌でも知っている。だが、目の前で起こっているのは予想を遥かに超えた命のやり取りだった。今まで何も考えずに蘇芳を見送っていたが、まさかこんなにも過酷だとは。何も知らずにぐうたらしていた過去の自分を殴りたくなった。
蘇芳、お願いだから、無事に戻ってきてくれ。
鱗の生えた小さな手を合わせ、リュカは心の底からそう願った。赤鬼にあげた己の鱗がきちんと彼を守るように、と必死に祈ったのだった。
「琥珀、一族を裏切り號斑と手を組むなど…良心の呵責はないのか」
「ないね~。全部ぶっ壊れちまえって感じ」
ヒャハハ、と甲高い声で笑いながらおちゃらける琥珀に、青藍は眉根を寄せる。
「蘇芳に選ばれなかったから何だと言うのだ。男は蘇芳だけではない。世の中には蘇芳よりも強く傲慢な奴が数多いるはずだ。失恋ごときで身を滅ぼすな。今ならまだ戻れる。一族に許しを乞え」
「ハァ?ご高説垂れてる自分はどうなんだよ?蘇芳の父親に見殺しにされた昔の女のこと、忘れられたのか?あれから何年経ったと思ってる?今だに浮いた噂一つないのは、今だってあの女のことを想ってるからじゃねーの?」
「それは…」
青鬼の説得に、飄々とした黄鬼の表情が崩れる。反論ができず、青藍は返答に窮した。
「な~青藍、お前もこっちについたら?」
「何を馬鹿なことを…!」
「だってさ、憎くねえの?親父だって、他の奴らだって青藍とあの子が想い合ってたのを知ってた。蘇芳の父親と正妻がどれほどのクズなのかも。蘇芳の父親があの子を娶ったとき、どんな扱いを受けるか誰もが分かってたはずだ。そんで予想通りの惨い結末。親父がさあ、バシっと言ってくれれば状況は違ったとは思わねえ?むしろ当時は親父だけがあの男に意見できた。他の奴らは奴の報復が怖くて皆口を閉ざしてたし、青藍は族長でもなくただの一兵卒で赤の族長に意見できる立場じゃなかったしさ。親父は、青藍や彼女よりも蘇芳の父親側についた。見捨てられたんだよ、親父にさ」
鍔迫り合う状態で、琥珀は語る。黄褐色の目は瞳孔が開き、激しい感情で爛々と燃えていた。怒りに荒ぶる黄鬼の力に、青藍は競り負けそうになっていた。元より青藍は近接戦よりも遠隔で術を用いた戦いを得意としていた。歯を食いしばり、必死で剣を押し返す。
だが拮抗していたはずが、圧倒的な力でぐんと押された。体幹を失った青鬼は尻もちをつく形になった。取り落とした剣に手を伸ばすも、喉元に切っ先を突きつけられ、身動きが取れなくなる。自分を見下ろす琥珀の瞳は、今や冷え切っていた。
「そんな奴に従う必要なんてなくね?むしろ青藍は親父のことを憎み、断罪する権利がある。当時そっぽ向いて知らぬ存ぜぬを通した一族の奴らにも。…なァ、青藍、俺達が一緒に仇討ちを手伝ってやる。だから、こっちについてよ」
剣先が離れ、代わりに手を差し出される。しかし青藍はその手を払い除けた。
「断る」
「は?」
「本当に復讐したい相手はもう死んでしまったと言うのに、今更親父を断罪してどうなる?彼女が生き返るわけでもあるまい。親父に報復したところで、頭を失ったことで統率が乱れ、混乱が起こるだけだ。誰も幸せにならない。私の中のしこりが消えるわけでもない」
「そんなことないって。少なくとも、自分の中で区切りをつけられる」
青藍は静かに頭を振った。
「無用な悲しみや憎しみを生み出すだけだ。当時の私に勇気があれば、全てを犠牲にして抗っただろうが、今や青の族長として皆を率いる立場だ。私のことを信じてついて来てくれる者達を失望させたくはない」
「…ああそう」
「琥珀、お前も目を覚ませ。こんなことをして、たとえ勝ったとしても、お前の心は満たされることはない。ただ虚しいだけだ」
「うるさいなあ~。青藍ってさ、昔から自分は清廉潔癖です~間違ったことは絶対にしません~ってスタンスだよな。その優等生面がまじムカつくんだけど」
「……」
「ハア~…もういいや。じゃあね」
心底うざったいと言わんばかりに、琥珀は顔をしかめた。目を細め、侮蔑の表情でかつての友を見下ろす。黄鬼は大きく剣を振りかぶった。その瞬間、青藍は地面から掴みとった一握りの土を琥珀の目に投げつけた。突然の奇襲に黄鬼が怯む。素早く手で土を払うも、青藍の方が早かった。剣を拾い、胸元を斬りつける。
皮膚が裂け、鮮血が飛び散った。青鬼は友を引きずり倒し、術で生み出した氷の塊を楔として両手足首に打ち込み、身動きを封じた。痛みに、琥珀が呻く。
「青藍…!卑怯だぞ!」
「ああ。…優等生は、姑息な手口を使わないと思ったか?」
「…く、そ…っ!やるなら一思いに殺してくれ!」
「かつての友として、慈悲をかけてやりたいのは山々だがな。里に連れ帰り、皆の前で償わせる」
琥珀がやられたのを、蘇芳とバトーも闘いながら目の端で捉えていた。
「おい、相棒はやられたぜ。テメェもさっさと観念しろよ」
「ハッ。もう勝った気でいやがるのか、羅刹?お楽しみはまだ始まったばかりだろ!」
そう言うとバトーは両腕をだらりと下げ、前かがみになった。腕に走る紋様が発光し、まるで生き物のように動き始めた。肌の上から飛び出し、まるで触手のようにウネウネと動いている。
過去、號斑族が戦闘民族として恐れられた所以。普段はタトゥーとして擬態する寄生生物を体内に飼っている。それ自体が意志を持ち、触手の一本一本が鞭のように剣のように対象を攻撃すると言う。
「目、見えてねえのか?周り見ろよ。てめえらが雇った奴ら、ほとんど死んだか逃げ出してるぜ。万が一俺に勝ったところで、俺の一族に殺されるだけだぞ」
「退くなんざ、負け犬がすることだ。戦士なら戦場で散るのが華ってな」
退却する気の見えないバトーに、面倒だなと思いながら蘇芳は金砕棒を構える。號斑族の戦い方は話には聞いているが、実際に手合わせをしたことはない。触手がどのような動きを見せるのか、全くの未知だった。狂気めいた笑みを浮かべたバトーが地面を蹴り、距離を一気に詰めてくる。振り下ろされる半月刀を金砕棒で受け止める。だが次いで両腕を襲う痛みに、赤鬼は視線を下に向けた。バトーの腕から伸びる何本もの触手が腕に刺さっている。成程、これが噂に聞く厄介な触手か、とどこか冷めた気持ちで納得する。
振り払おうとするが、触手はびくともしなかった。力は強く、どんどん深く突き刺さって来る。羽交い絞めにしつつ、全身を貫通させる狙いのようだった。
「ハハッ、俺の剣は止められても、触手の攻撃は止めらンねェみたいだな?全身穴だらけになった羅刹を見て、リュカはどんな顔を見せてくれるンだろなァ?」
自分の勝利を確信したとばかりに、バトーはニタニタ笑って舌舐めずりをしている。バトーがリュカの名前を口にしたことに、無性に腹が立った。散々リュカを貶められて、腹の底が燃えるように熱くなる。怒りが燃料となって自分でも制御できないような力がこみ上げてくる。
「気やすくリュカの名前を呼ぶんじゃねえッ!」
蘇芳はガラ空きのバトーの腹に蹴りを繰り出した。赤鬼の腕に刺さっていた触手たちが防ごうとするも、蘇芳の方が速かった。バトーの両足が地面を離れ、後方に吹き飛ぶ。全ての触手が抜け、自由の身になった蘇芳は金砕棒を手離し、近くで倒れていた兵士の亡骸から剣を拾った。力をこめて地面を蹴り、號斑の男を追いかける。彼を守ろうと動く触手を全て切り捨て、懐に飛び込む。痛みに顔をしかめながらも剣を突き出すバトーをいなし、蘇芳は胸を剣で貫いた。
純粋な鉄の塊は赤鬼にとって、ある種リミッターのようなものだった。圧倒的な攻撃力のために俊敏性をある程度まで制限せざるをえない。だが羽のように軽い剣を扱うとなれば、そのリミッターがはずれる。彼の本来の敏捷性が解放される。まさしく目にも留まらぬ速さに、バトーは対応することが出来なかった。
バトーが口から大量の血を吐き出す。ゴボゴボとまるで溺れるような音が出ている。顔は真っ赤になり、言葉すら話せないようだった。
「…てめえはここで終わりだ、バトー。焦って名を上げることに執着しすぎたな」
蘇芳は背中から倒れた男の上に乗りかかり、剣を更に深く突き立てた。冷たい目で見下ろす。
「地獄を楽しめよ」
そう声をかけると、バトーはえずいて血を吐き出しながらも、ニヤリと笑みを浮かべた。真っ赤だった顔が蒼白になる。やがて瞳から光が失われ、ピクリとも動かなくなった。憎い相手を倒せたものの、心は何故か晴れない。最後の最後まで余裕の笑みを浮かべる様はおぞましいとしか思えなかった。
蘇芳は体を起こし、周囲に目を走らせた。戦はほぼ終わったも同然だった。怖気づいた號斑側の傭兵は逃げ出し、それ以外は亡骸となってそこかしこに散乱している。
丘陵に目をやれば、端から今にも落ちそうな程に身を乗り出す小さな姿が見えた。無事であることを確認し、今すぐにでも駆け寄りたかったが、ぐっとこらえる。血まみれの汚い格好のままで、リュカを抱きしめたくなかった。
再び、バトーの遺体に視線を落とす。戦争一族として名を上げたいのであれば、鬼一族のように號斑族も時間をかけて着実に成果を上げるべきだった。蘇芳を敵視し、自分の代で一族の名を上げることに執着し逸った結果、結束も絆も無く不測の事態に対応できないただの寄せ集めの軍団にしかならなかった。だからこそ、こんなにも早く決着がついた。
蘇芳は九鬼丸を呼んだ。無事だったかあ、と安堵する彼に頷いて見せ、バトーの亡骸を運ぶように伝えた。金砕棒を拾い、赤鬼は撤収の為に仲間の元へと戻った。
「終わったね。僕たちも帰ろうか」
レヴォルークは、戦場を見つめたまま動かない息子に頬擦りをする。少年は一言も発さず、ただ小さく頷いた。
言葉とは裏腹に、レヴォルークの声色は面白がっているように聞こえた。リュカは父親に何の反応も返せなかった。目の前で広がる戦場の惨状に言葉を失っていた。死体がそこかしこに散らばっている。號斑陣営の亡骸が圧倒的に多いが、鬼族のも散見される。
少年は戦争を目にするのが初めてだった。恐怖以外の感情が浮かばない。いつ誰が命を落とすかもしれぬ、こんなにも危険な場所に一族総出で身を投じ、生業にしているなど信じられない。
弱肉強食の世界であることは嫌でも知っている。だが、目の前で起こっているのは予想を遥かに超えた命のやり取りだった。今まで何も考えずに蘇芳を見送っていたが、まさかこんなにも過酷だとは。何も知らずにぐうたらしていた過去の自分を殴りたくなった。
蘇芳、お願いだから、無事に戻ってきてくれ。
鱗の生えた小さな手を合わせ、リュカは心の底からそう願った。赤鬼にあげた己の鱗がきちんと彼を守るように、と必死に祈ったのだった。
「琥珀、一族を裏切り號斑と手を組むなど…良心の呵責はないのか」
「ないね~。全部ぶっ壊れちまえって感じ」
ヒャハハ、と甲高い声で笑いながらおちゃらける琥珀に、青藍は眉根を寄せる。
「蘇芳に選ばれなかったから何だと言うのだ。男は蘇芳だけではない。世の中には蘇芳よりも強く傲慢な奴が数多いるはずだ。失恋ごときで身を滅ぼすな。今ならまだ戻れる。一族に許しを乞え」
「ハァ?ご高説垂れてる自分はどうなんだよ?蘇芳の父親に見殺しにされた昔の女のこと、忘れられたのか?あれから何年経ったと思ってる?今だに浮いた噂一つないのは、今だってあの女のことを想ってるからじゃねーの?」
「それは…」
青鬼の説得に、飄々とした黄鬼の表情が崩れる。反論ができず、青藍は返答に窮した。
「な~青藍、お前もこっちについたら?」
「何を馬鹿なことを…!」
「だってさ、憎くねえの?親父だって、他の奴らだって青藍とあの子が想い合ってたのを知ってた。蘇芳の父親と正妻がどれほどのクズなのかも。蘇芳の父親があの子を娶ったとき、どんな扱いを受けるか誰もが分かってたはずだ。そんで予想通りの惨い結末。親父がさあ、バシっと言ってくれれば状況は違ったとは思わねえ?むしろ当時は親父だけがあの男に意見できた。他の奴らは奴の報復が怖くて皆口を閉ざしてたし、青藍は族長でもなくただの一兵卒で赤の族長に意見できる立場じゃなかったしさ。親父は、青藍や彼女よりも蘇芳の父親側についた。見捨てられたんだよ、親父にさ」
鍔迫り合う状態で、琥珀は語る。黄褐色の目は瞳孔が開き、激しい感情で爛々と燃えていた。怒りに荒ぶる黄鬼の力に、青藍は競り負けそうになっていた。元より青藍は近接戦よりも遠隔で術を用いた戦いを得意としていた。歯を食いしばり、必死で剣を押し返す。
だが拮抗していたはずが、圧倒的な力でぐんと押された。体幹を失った青鬼は尻もちをつく形になった。取り落とした剣に手を伸ばすも、喉元に切っ先を突きつけられ、身動きが取れなくなる。自分を見下ろす琥珀の瞳は、今や冷え切っていた。
「そんな奴に従う必要なんてなくね?むしろ青藍は親父のことを憎み、断罪する権利がある。当時そっぽ向いて知らぬ存ぜぬを通した一族の奴らにも。…なァ、青藍、俺達が一緒に仇討ちを手伝ってやる。だから、こっちについてよ」
剣先が離れ、代わりに手を差し出される。しかし青藍はその手を払い除けた。
「断る」
「は?」
「本当に復讐したい相手はもう死んでしまったと言うのに、今更親父を断罪してどうなる?彼女が生き返るわけでもあるまい。親父に報復したところで、頭を失ったことで統率が乱れ、混乱が起こるだけだ。誰も幸せにならない。私の中のしこりが消えるわけでもない」
「そんなことないって。少なくとも、自分の中で区切りをつけられる」
青藍は静かに頭を振った。
「無用な悲しみや憎しみを生み出すだけだ。当時の私に勇気があれば、全てを犠牲にして抗っただろうが、今や青の族長として皆を率いる立場だ。私のことを信じてついて来てくれる者達を失望させたくはない」
「…ああそう」
「琥珀、お前も目を覚ませ。こんなことをして、たとえ勝ったとしても、お前の心は満たされることはない。ただ虚しいだけだ」
「うるさいなあ~。青藍ってさ、昔から自分は清廉潔癖です~間違ったことは絶対にしません~ってスタンスだよな。その優等生面がまじムカつくんだけど」
「……」
「ハア~…もういいや。じゃあね」
心底うざったいと言わんばかりに、琥珀は顔をしかめた。目を細め、侮蔑の表情でかつての友を見下ろす。黄鬼は大きく剣を振りかぶった。その瞬間、青藍は地面から掴みとった一握りの土を琥珀の目に投げつけた。突然の奇襲に黄鬼が怯む。素早く手で土を払うも、青藍の方が早かった。剣を拾い、胸元を斬りつける。
皮膚が裂け、鮮血が飛び散った。青鬼は友を引きずり倒し、術で生み出した氷の塊を楔として両手足首に打ち込み、身動きを封じた。痛みに、琥珀が呻く。
「青藍…!卑怯だぞ!」
「ああ。…優等生は、姑息な手口を使わないと思ったか?」
「…く、そ…っ!やるなら一思いに殺してくれ!」
「かつての友として、慈悲をかけてやりたいのは山々だがな。里に連れ帰り、皆の前で償わせる」
琥珀がやられたのを、蘇芳とバトーも闘いながら目の端で捉えていた。
「おい、相棒はやられたぜ。テメェもさっさと観念しろよ」
「ハッ。もう勝った気でいやがるのか、羅刹?お楽しみはまだ始まったばかりだろ!」
そう言うとバトーは両腕をだらりと下げ、前かがみになった。腕に走る紋様が発光し、まるで生き物のように動き始めた。肌の上から飛び出し、まるで触手のようにウネウネと動いている。
過去、號斑族が戦闘民族として恐れられた所以。普段はタトゥーとして擬態する寄生生物を体内に飼っている。それ自体が意志を持ち、触手の一本一本が鞭のように剣のように対象を攻撃すると言う。
「目、見えてねえのか?周り見ろよ。てめえらが雇った奴ら、ほとんど死んだか逃げ出してるぜ。万が一俺に勝ったところで、俺の一族に殺されるだけだぞ」
「退くなんざ、負け犬がすることだ。戦士なら戦場で散るのが華ってな」
退却する気の見えないバトーに、面倒だなと思いながら蘇芳は金砕棒を構える。號斑族の戦い方は話には聞いているが、実際に手合わせをしたことはない。触手がどのような動きを見せるのか、全くの未知だった。狂気めいた笑みを浮かべたバトーが地面を蹴り、距離を一気に詰めてくる。振り下ろされる半月刀を金砕棒で受け止める。だが次いで両腕を襲う痛みに、赤鬼は視線を下に向けた。バトーの腕から伸びる何本もの触手が腕に刺さっている。成程、これが噂に聞く厄介な触手か、とどこか冷めた気持ちで納得する。
振り払おうとするが、触手はびくともしなかった。力は強く、どんどん深く突き刺さって来る。羽交い絞めにしつつ、全身を貫通させる狙いのようだった。
「ハハッ、俺の剣は止められても、触手の攻撃は止めらンねェみたいだな?全身穴だらけになった羅刹を見て、リュカはどんな顔を見せてくれるンだろなァ?」
自分の勝利を確信したとばかりに、バトーはニタニタ笑って舌舐めずりをしている。バトーがリュカの名前を口にしたことに、無性に腹が立った。散々リュカを貶められて、腹の底が燃えるように熱くなる。怒りが燃料となって自分でも制御できないような力がこみ上げてくる。
「気やすくリュカの名前を呼ぶんじゃねえッ!」
蘇芳はガラ空きのバトーの腹に蹴りを繰り出した。赤鬼の腕に刺さっていた触手たちが防ごうとするも、蘇芳の方が速かった。バトーの両足が地面を離れ、後方に吹き飛ぶ。全ての触手が抜け、自由の身になった蘇芳は金砕棒を手離し、近くで倒れていた兵士の亡骸から剣を拾った。力をこめて地面を蹴り、號斑の男を追いかける。彼を守ろうと動く触手を全て切り捨て、懐に飛び込む。痛みに顔をしかめながらも剣を突き出すバトーをいなし、蘇芳は胸を剣で貫いた。
純粋な鉄の塊は赤鬼にとって、ある種リミッターのようなものだった。圧倒的な攻撃力のために俊敏性をある程度まで制限せざるをえない。だが羽のように軽い剣を扱うとなれば、そのリミッターがはずれる。彼の本来の敏捷性が解放される。まさしく目にも留まらぬ速さに、バトーは対応することが出来なかった。
バトーが口から大量の血を吐き出す。ゴボゴボとまるで溺れるような音が出ている。顔は真っ赤になり、言葉すら話せないようだった。
「…てめえはここで終わりだ、バトー。焦って名を上げることに執着しすぎたな」
蘇芳は背中から倒れた男の上に乗りかかり、剣を更に深く突き立てた。冷たい目で見下ろす。
「地獄を楽しめよ」
そう声をかけると、バトーはえずいて血を吐き出しながらも、ニヤリと笑みを浮かべた。真っ赤だった顔が蒼白になる。やがて瞳から光が失われ、ピクリとも動かなくなった。憎い相手を倒せたものの、心は何故か晴れない。最後の最後まで余裕の笑みを浮かべる様はおぞましいとしか思えなかった。
蘇芳は体を起こし、周囲に目を走らせた。戦はほぼ終わったも同然だった。怖気づいた號斑側の傭兵は逃げ出し、それ以外は亡骸となってそこかしこに散乱している。
丘陵に目をやれば、端から今にも落ちそうな程に身を乗り出す小さな姿が見えた。無事であることを確認し、今すぐにでも駆け寄りたかったが、ぐっとこらえる。血まみれの汚い格好のままで、リュカを抱きしめたくなかった。
再び、バトーの遺体に視線を落とす。戦争一族として名を上げたいのであれば、鬼一族のように號斑族も時間をかけて着実に成果を上げるべきだった。蘇芳を敵視し、自分の代で一族の名を上げることに執着し逸った結果、結束も絆も無く不測の事態に対応できないただの寄せ集めの軍団にしかならなかった。だからこそ、こんなにも早く決着がついた。
蘇芳は九鬼丸を呼んだ。無事だったかあ、と安堵する彼に頷いて見せ、バトーの亡骸を運ぶように伝えた。金砕棒を拾い、赤鬼は撤収の為に仲間の元へと戻った。
「終わったね。僕たちも帰ろうか」
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