盗みから始まる異類婚姻譚

XCX

文字の大きさ
上 下
69 / 87

69. 血飛沫

しおりを挟む
 レヴォルークの炎に戦慄し我先にと逃げ出す傭兵が続出し、號斑陣営が混乱しているこの状況を、鬼一族は見逃すはずもなかった。弓隊が空に向かって矢を放つ。大量の矢は放物線を描き、敵陣に雨のように降り注いだ。身を守れなかった兵士たちが倒れていく。
 鬼達は野太い鬨の声を上げながら地を駆ける。蘇芳も青藍も例外ではない。鬼の突撃に、號斑側の荒くれ者どもが武器を振りかざして向かってくる。両陣営ぶつかり合い、古典的な殴り合い斬り合いが始まる。

「九鬼丸、蹴散らせッ!」
「まかせろおっ」

 赤鬼の呼び出しに応じた巨大な鬼が突如出現し、敵の傭兵たちを踏み潰していく。蘇芳は九鬼丸の体を駆け上り、大きな手のひらに乗った。単眼の異形は赤鬼の体を包みこみ、力の限りに放り投げた。まるで弾丸のように、バトーめがけて飛んでいく。
 まずは敵陣の頭をつぶす。それが蘇芳の戦法だった。
 空中でぐっと上体を反らし、金砕棒を両手で振りかざした。バトーめがけて、渾身の力で振り下ろす。だが、鉄塊は届かなかった。バトーと琥珀を覆うように特殊な膜のようなものが張られていた。弾力のあるそれは金砕棒の威力を殺し、弾き返した。バランスを崩した蘇芳だったが、くるりと一回転して地面に着地した。

「妙な殻に閉じこもってねえで出て来いよ。俺を殺して名を上げるんだろ?」
「…何で生きてんだァ?俺に刺されて死んだはずだろォ」
「確かに一度死んだけどな。お前らに借りを返すために地獄から這い戻って来たんだよ」

 バトーは興味津々と言った様子で、騎獣の上から身を乗り出した。余裕の笑みが顔に張り付いている。その隣に座る琥珀は冷たい表情で蘇芳を見下ろしている。

「…人間ちゃんの正体って竜?あの時飛来してきた竜のおかげで助かった?」

 黄鬼の問いに赤鬼は答えない。無言のまま、じっと琥珀を見据える。彼は丘陵に鎮座する白銀の竜を横目で一瞥した。

「もしかして、あれ、人間ちゃん?」
「…さあな」

 蘇芳は言及を避けた。レヴォルークをリュカだと勘違いしているなら、誤解を解く必要はないように思えた。リュカの竜姿は幼体でか弱く、恐らく本来の力をまだ十分に発揮できない。バトーと琥珀からすれば格好の餌だ。彼らの興味が子竜に向けられるのは避けたいと思った。

「カカッ。血みどろ羅刹を殺せるだけじゃなくて、竜まで手に入るかもしンねェとはな!俺の覇道達成も近いかァ?」

 バトーは高笑いをしながら、騎獣から地面へと降り立った。半月刀の刃の背部分を肩に乗せている。

「ほざけ。テメェなんかにあのじゃじゃ馬を手懐けられるわけねえだろ」
「そうかァ?そんなモン、心を壊しゃ一発だろ。例えば、瀕死のアンタの目の前であのお稚児ちゃんを犯すとかな?」

 瞬間、凄まじい怒りがマグマのように体内で湧き上がる。明らかな挑発だと分かっていても殺意を抑えられない。既に一度バトーはリュカの心を壊している。目の前で奴隷のイズルを残酷な方法で殺し、少年を泣かせ、一生消えない傷を残した。二度とこんな下衆野郎のためにリュカを泣かせてたまるか。

「竜かァ。監禁してたとき、食指が動かねえとか食わず嫌いせずに犯しちまえば良かったな。やっぱ、竜と他の異形だと具合違うのか?」

 下卑た笑みを浮かべるバトーを、蘇芳はただ睨みつける。目の前の男を金砕棒でただの肉塊になるまで滅多打ちにしてやりたかった。こいつだけは絶対にこの手で殺す。死よりも惨い苦痛を与えてやりたい。
 だが、今も両者の間には膜が張られている。掴みかかりたくてもかなわない。物理的な障壁が蘇芳に理性を取り戻させる。

「…俺を殺して自分で確かめてみろよ」
「違いねェッ!」

 両手に半月刀を構えたバトーが薄膜の中から飛び出してくる。振り下ろされる刀を金砕棒で受け止め、薙ぎ払う。読んでいたバトーは体勢を低くし、もう片方の偃月刀で脇を突いてくる。
 蘇芳とバトーによる剣戟が始まったのを、遠く離れた場所からリュカは見ていた。地面に腹這いになり、他で起こっている戦闘には目もくれず、一心に二人の様子を追いかける。離れていても彼らの斬り合いの激しさが生々しく伝わってくる。バトーが攻撃を繰り出す度に、少年の口からは声が漏れていた。心臓がどきどきと拍動する。無意識のうちに両手を合わせ、祈るような気持ちだった。
 その後ろでは父親も戦争の成り行きを眺めていた。忍び足で背後から急襲しようとするならず者たちを、リュカに気づかれないよう太く長い尾で始末する。息子の目に触れることのないよう、息絶えた死体を丘陵の下へと払い落としていた。
 大口を叩くだけあって、男の腕はなかなかのものだった。当たれば即死、かすっても致命傷を負う金砕棒を振るう蘇芳の猛攻を笑みを浮かべて凌いでいた。まるで軟体生物のように体をくねらせ、足取りは軽く、刀さばきも巧みで、半月刀をまるで己の腕のように扱っている。
 バトーの得物に比べれば愚鈍な金砕棒だが、蘇芳はそれを抜群の身体能力でカバーした。だが、素人目には分からないものの、僅かな隙が生まれていた。まるで棒切れのように軽々と振り回してはいるが、やはり鉄塊で、振り回す度に遠心力で少し重心が傾く。赤鬼の技術により巧妙に隠されているが。
 號斑の頭目はその隙を逃さず、ガードの甘くなった脇めがけて刀を繰り出した。蘇芳も視界の端にそれを捉えるも、長大な金砕棒の遠心力に抗えず、体がやや前傾していた。湾曲した刃が腕の付け根にぶすりと刺さり、蘇芳は顔を歪めた。

「蘇芳っ!」

 丘陵の上のリュカからは、バトーの刀が蘇芳の心臓を貫いたように見えた。既視感。悪い予感が当たってしまった。あの時のように、深い絶望の底に叩きつけられる気がした。こらえきれずに飛び出したのを、尾をひっ掴んだ父親によって引きずり戻される。

「リュカ、駄目だよ。ここにいる約束でしょう?」
「だって…蘇芳、蘇芳が…っ!」
「大丈夫だよ。御守りがあるんだし」
「…けど、けどっ…心臓…!」

 リュカの銀色の目から涙が溢れ出る。レヴォルークはそこで、聞く耳持たずに半狂乱でもがく息子との齟齬に気がついた。もう一度戦場に目を向ける。

「リュカ、落ち着いて。蘇芳くんが刺されたのは心臓じゃなくて腕の付け根さ」
「……んァ?」
「二人の体勢的にそう見えたとしてもおかしくはないけどね。もう一度、ちゃんと見てごらん」

 父親にたしなめられ、小さな手で涙を拭う。もう一度目を凝らして注意深く観察すれば、確かに脇のすぐ上の部分に半月刀の刀身が埋まっているのが見えた。胸ではないことは分かったものの、安心できるはずもない。苦しそうに眉間に皺を寄せる蘇芳と、ニタリと笑みを浮かべるバトー。號斑の男は刃を回転させ、肉を抉ろうとしている。
 次に起きた出来事に、リュカは驚きに目を見開いた。
 蘇芳は刀を抜くどころか、柄を握るバトーの手を掴んでさらにぐっと押しこんだ。號斑の頭目もさすがに目を丸くする。彼が一瞬怯んだのを逃さず、赤鬼はもう片方の手で体側を狙って金砕棒を振った。男は空いた手に持ったもう一本の半月刀で金砕棒を防ごうとしたが、薄い鉄一枚で止められるはずもなかった。音を立てて半月刀が折れる。金砕棒はバトーの体にめりこむかと思えた。

「……つッ!」

 半月刀の柄を握る手に強い衝撃が走った。痺れて感覚がなくなり、手が離れてしまう。拘束を解かれたバトーは金砕棒が当たる間一髪のところで後ろに跳躍し、事なきを得た。憎い相手をしとめそこなったことに、蘇芳は不快感を露に舌打ちをした。

「二人だけで愉しいことしてんなよな~。俺のことも混ぜてくんない?」
「ハッ、やなこった」

 痺れの残る手をブラブラと振りながら、蘇芳は琥珀を見据えた。

「ふー。助かったぜ琥珀。危うく肉塊になるとこだった」
「全くだよ。あれだけ、蘇芳のこと舐めてかかると痛い目見るよって忠告したじゃん」
「悪ィ悪ィ。だってよ、ついこの間はチョロかったんだぜ?そりゃ油断もするって」

 何てことなかったかのように軽口を叩きながら、琥珀は予備らしき武器をバトーに渡した。茶番のようなやり取りを目にしながら、蘇芳は肩に刺さったままの半月刀を抜き、金砕棒で粉砕した。
 刺された部分からは血が流れ出し、じくじくと疼いたが、すぐにそれは引いていった。不審に思って傷口を見ると、刺し傷が跡形もなくなっていた。
 これが鱗の効果か。とんでもねえな。
 驚嘆するが、厄介だとも思った。鱗の効果が世に知れ渡れば、竜を巡って全種族間で戦争が起こるだろう。いくらヒエラルキーの頂点とは言え、対世界ではいくらなんでも分が悪いだろう。リュカを守るためには、何が何でも秘密を保持しなければならない。勿論、リュカ本人にもきつく言い聞かせないといけない。蘇芳は、そう心に固く誓った。

「おい…ンだよそれ。どんな仕掛けだァ…?」

 傷が塞がっていることにバトーも気がついたらしい。不愉快極まりないという顔で目を細めている。

「黄泉から戻って来た俺に、あんなチンケな攻撃が効くわけねえだろ」
「死んで不死身の屍人になったってか?カッ、傑作じゃねェか」

 より楽しくなってきやがったなァ、とバトーはニタリと口角を吊り上げた。戦意を喪失させるどころか、この狂った男に更に火をつけてしまったようだった。面倒くさいやつだ。
 舌打ちする蘇芳の隣に、青藍が現れた。

「蘇芳、加勢する」
「あ?いらねえよ」
「意地を張るな。バトーと言う男、かなりの手練れだろう。それに琥珀はお前の戦い方を熟知している。同時に相手するのは難しいはずだ」
「……」
「それに、琥珀は俺にとっては良い友人だった。親父に手を下させるのはあまりにも酷だ。やるなら俺の手で引導を渡したい」
「…分かった。琥珀をこっちに近づけさせんなよ」
「それはこちらの台詞だ」

 蘇芳の憎まれ口に、青藍は軽く口角を吊り上げて微笑んだ。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

復讐のための五つの方法

炭田おと
恋愛
 皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。  それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。  グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。  72話で完結です。

『これで最後だから』と、抱きしめた腕の中で泣いていた

和泉奏
BL
「…俺も、愛しています」と返した従者の表情は、泣きそうなのに綺麗で。 皇太子×従者

王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る

家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。 しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。 仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。 そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。

キサラギムツキ
BL
長い間アプローチし続け恋人同士になれたのはよかったが…………… 攻め視点から最後受け視点。 残酷な描写があります。気になる方はお気をつけください。

好きなあいつの嫉妬がすごい

カムカム
BL
新しいクラスで新しい友達ができることを楽しみにしていたが、特に気になる存在がいた。それは幼馴染のランだった。 ランはいつもクールで落ち着いていて、どこか遠くを見ているような眼差しが印象的だった。レンとは対照的に、内向的で多くの人と打ち解けることが少なかった。しかし、レンだけは違った。ランはレンに対してだけ心を開き、笑顔を見せることが多かった。 教室に入ると、運命的にレンとランは隣同士の席になった。レンは心の中でガッツポーズをしながら、ランに話しかけた。 「ラン、おはよう!今年も一緒のクラスだね。」 ランは少し驚いた表情を見せたが、すぐに微笑み返した。「おはよう、レン。そうだね、今年もよろしく。」

見ぃつけた。

茉莉花 香乃
BL
小学生の時、意地悪されて転校した。高校一年生の途中までは穏やかな生活だったのに、全寮制の学校に転入しなければならなくなった。そこで、出会ったのは… 他サイトにも公開しています

なんども濡れ衣で責められるので、いい加減諦めて崖から身を投げてみた

下菊みこと
恋愛
悪役令嬢の最後の抵抗は吉と出るか凶と出るか。 ご都合主義のハッピーエンドのSSです。 でも周りは全くハッピーじゃないです。 小説家になろう様でも投稿しています。

処理中です...