盗みから始まる異類婚姻譚

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68. 役者は揃った

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 蘇芳が鬼族の戦士一行と共に降り立ったのは、丘陵だった。緑はなく、地面は剥き出しで荒廃している。周囲に目を走らせ、警戒にあたるも號斑族はまだ来ていないようだった。罠が張り巡らされている可能性も考え、緊張は解かない。

「お出ましだ」

 程なくして黒い塊が現れた。巨大な騎獣に乗り、余裕の笑みを浮かべるバトーと琥珀の姿を目にして、鬼達が瞬時に殺気立つ。バトーと琥珀の後ろには大軍が続いていた。明らかに號斑族だけではなく、多種多様な厳つい異形が並んでいる。

「これはまた大勢連れてきたな。琥珀の奴め、既に勝った気でいる」
「どうせクルクドゥアの金を使って雇った連中だろ。数は多いが、見る限りどいつもこいつも雑魚だ」

 青藍の呟きに、隣に立つ蘇芳は舌打ちした。青鬼は彼に同意するように頷く。
 有象無象の異形たちには見覚えがあった。大方、鬼一族に私怨を持つ者を寄せ集めたのだろう。

「蘇芳の言う通りだ。所詮は金で集められた連中。烏合の衆に過ぎない。一族一丸となって戦争屋を生業としている我々とは比べるまでもない。敵側に琥珀がいようと、恐れるに足らん。我等の結束はそう簡単には崩れん」

 黒鳶の言葉に、血の気の多い荒くれの鬼達は武器を振りかざした。雄たけびを上げ、士気を鼓舞する。
 距離をあけ、バトー達は進軍を止めた。両軍互いに睨み合う。
 その瞬間、離れた場所で地面が隆起した。突然のことに號斑側は虚を突かれ、空より飛来した謎の生物に大きなどよめきの声が上がった。
 白く輝く美しい竜が大きな翼をはためかせ、隆起した場所へと降り立つ。優美な動きで翼を折りたたみ、悠々と鎮座している。鬼の戦士たちは事前に黒鳶からレヴォルークによる物見遊山を知らされていたものの、その圧倒的な存在感に気圧されていた。
 蘇芳は、竜の傍に小さな姿が寄り添っているのを視認した。

「あんなにいっぱい…」

 父の手中から地面に降り立ったリュカは、眼下に広がる大軍に息を呑んだ。明らかに軍勢が多い方がバトーと琥珀の側だろうと思った。鬼族の軍勢の少なさに、不安に駆り立てられる。

「父ちゃん、もうちょっと近くに行きたいっ!」
「だーめ。これ以上近いと戦禍に巻きこまれちゃうよ」
「でも…っ、人が多すぎて蘇芳がどこにいるのか分からない…」

 双眼鏡を持ってこなかったことをリュカは悔やんだ。まさかこんなに離れた場所とは思わなかった。
 蘇芳の姿を捉えられないのならば、来た意味がない。ただこの場で、蘇芳の無事も確認できずにぼんやりと戦況を見守るしかないなんて。

「リュカ、竜の姿になってごらん。それから、蘇芳くんのことを強く想うんだ」

 父親の助言通りにすると、今まで人は点にしか見えなかったのが鮮明になった。まるで双眼鏡を覗きこんでいるかのようだった。目を動かしているわけではないのに、自分の意志に従って視界が動く。慣れない感覚に気分が悪くなるのを感じつつも、真っ赤な装束を身に着けた赤鬼の姿を視界に捉えると、それも一瞬で気にならなくなった。蘇芳の顔は自分達に向いている。向こうから自分の姿が見えているといいな、とリュカは思った。
 これまで伝承でしか存在を知りえなかった竜の出現に、敵陣営は困惑を隠しきれずにいた。

「おい、なんだありゃあ!竜か!?」
「俺らの応援か!?そうなら先にいってくれや!」

 興奮に沸き立つ一部の傭兵から質問攻めを受け、琥珀は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。

「違うよ~。そもそも竜を味方につけているなら、こんなまどろっこしい戦争するわけねえじゃん」
「やっぱ、あのガキに関係あんのか?あの日も竜が乱入してきたしよ」
「さあね。けど、可能性としてはそうかもね」

 バトーと琥珀のやり取りを聞いていた一部の連中は、途端に焦りを露にした。

「話が違うじゃないか!こちとら鬼一族を蹂躙できるって聞いて来たんだ!奴さん側に竜がいるなんて聞いてない!」
「そうだ、絶対に勝てる戦というのは嘘だったのか!?」
「いくら莫大な報奨金が貰えると言っても、これじゃあ割りに合わねえ!俺ァ降りるぜ!」

 怖気づいた者達が一斉に不満を漏らした。不穏な空気は伝播し、多くの傭兵が逃げ腰になり始めた。

「ハッ!どいつもこいつも腰抜けばっかかよ。道理で鬼族に負けるわけだぜ。憎い仇敵を目の前にして、ピーピー小便垂らして逃げるってのかァ?帰りたきゃドーゾご自由に。家に帰って虚しく家畜とセックスしてろ」

 バトーの一声に、號斑陣営は静まり返った。明らかな挑発とは頭では理解していても、怒りを抑えられない。

「俺みてーにワクワクしてる奴いねーのかァ?目の前には恨みを晴らせる相手、そこには伝説の生物の竜。名を上げるにはまたとねェ機会だ。何で今になって竜は人目に現れた?今まで姿を隠してたのには理由があるはずだ。世界が壊れたと言われてる大昔から生きてるンなら、衰えてるに決まってる。現に今だって手を出してくる様子はねえ。ただのブラフだ。つか、本当に竜かどうかも怪しい。鬼族の戦略にまんまと踊らされてどうすンだよ」

 早くも統制を失いつつあった號斑陣営だったが、バトーの演説に皆奮起した。迷いのない真っ直ぐな瞳と言葉に、感化されていく。

「キシッ、ならオラは竜狩りに専念させてもらうぜ。伝説の生物の体、隅から隅まで金になりそうな匂いがしやがる。構わねーよな、バトー?脅威は排除してやるぜ」
「あァ、好きにしろ」

 頭部が猪の異形は、手に持った物騒な武器をぶんぶんと振り回した。金に目のくらんだ彼に続き、多くの異形も竜退治に名乗りを上げた。彼らは早速とばかりにレヴォルークのいる場所へと駆けた。

「クソッ!言わんこっちゃねえ!」

 それを目にした蘇芳は舌打ちをし、竜父子の元へと向かおうとした。だがそれよりも早く青藍に腕を掴まれ、阻まれた。

「待て蘇芳」
「アァッ!?邪魔すんな!」
「様子がおかしい」

 赤鬼は青鬼を睨みつけたが、青藍の視線は隆起した地に注がれている。眉間に皺を寄せながらも、蘇芳はその視線の先を辿った。

「父ちゃん、奴らこっちに来てる!」
「あらら、本当だねえ」

 下卑た笑みを顔に貼り付けた屈強な異形達が大勢やって来るのに気づいたリュカは、父親を見上げた。焦る息子とは対照的に、父竜はのんきな態度だった。どうしよう、と慌てるリュカを宥めて、レヴォルークはぐっと上体を反らした。口を開け、息を大きく吸い込む。リュカはカチカチと妙な音を耳にしていた。次の瞬間、レヴォルークは灼熱の炎を吐き出した。真っ赤な炎は凄まじい速度で地を駆け、あっという間に異形達を飲みこみ、一瞬で消し炭にしてしまった。炎の筋は待機していた軍勢にまで及び、幾人かを焼いた。バトーや琥珀にも迫る勢いだった。
 丘陵は静寂に包まれた。まるで時が止まってしまったかのように、誰も身動きが取れなかった。

「…規格外すぎるだろ」
「マジで、味方で良かったわ…」

 呆気に取られる鬼族の面々がぽつりと本音をこぼす。蘇芳も呆然としていたが、リュカに危害が及ばないと分かり、安堵した。これで思う存分目の前のバトーと琥珀だけに心血を注ぐことができる。
 対して敵陣営は戦慄していた。先程まで息巻いていた傭兵たちは悲鳴を上げながら、蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。琥珀は引き留めようとしたが、内心では無理もないと思っていた。それでも彼らの軍勢は鬼一族よりも多い。予想外の事態にしては、不幸中の幸いだろう。

「ちょーっとやりすぎちゃったかな?黒鳶殿に怒られないといいけど」

 尚も野を焼く炎を目にしながら、レヴォルークは鉤爪でぽりぽりと頭を掻いた。

「す、すっげー!父ちゃん、今のどうやったんだ!?俺も父ちゃんみたいに火吹ける!?」

 竜は足元で興奮する息子に目を向けた。きらきらとした瞳の奥に憧憬の念が現れていて、微笑ましい。

「もちろん。だって僕の子だもの」
「どうやんの?」
「僕たち竜族は、首に石が入ってるんだ。左右に一つずつね。で、お腹の中には可燃性の体液がある。その火打石を打ち付けて火花を起こして、体液とよく撹拌した空気を勢いよく吐き出して引火させるんだ」

 父親の言っていることがわからないのか、リュカは首を傾げた。小さな手を首に当て、レヴォルークの言う石があるのかどうかを確認する。

「空気を体内にめいっぱい吸い込んで、ぐっと喉を絞めてごらん。自然と鳴ると思うよ」

 子竜は大きく口を開けて、できる限り息を吸って息を止めた。父の言う通り喉が締まって、小さくカチカチと音が鳴る。先程耳にした音はこれだったのか、と気づく。体内の液体と空気を混ぜるという感覚がよくわからない。とりあえず息を止めてみる。苦しくなったところで、リュカは取り込んだ空気を噴き出した。
 小さな火球が出た。だが火の玉はすぐに地面に落ち、消えてしまった。
 レヴォルークは息子の顔を覗きこんだ。少し焦げた地面に視線を落としたまま、無言でむすっとしかめっ面だ。予想通りの反応に、父親はクスッと笑った。

「最初は皆そんなものさ。大きくなるにつれて、空を飛べたり火を上手に噴けたりするんだよ。だからそんなに落ち込まないで」
「俺、早く大人になりたいな…何もできねえもん」

 親の気持ちとしてはゆっくり大きくなってもらいたいけどな、とレヴォルークは心の中で呟いたのだった。
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