盗みから始まる異類婚姻譚

XCX

文字の大きさ
上 下
67 / 87

67. 出立

しおりを挟む
「駄目に決まってんだろッ!」

 號斑族と琥珀と対峙する日。朝から蘇芳の怒号が屋敷中に響いていた。憤怒で顔は般若のように歪み、紅い髪は逆立っている。射殺すような鋭い視線の先にいる少年は、赤鬼のかもし出す雰囲気に負けじと睨み返している。
 蘇芳が戦に向かう間、竜の親子とセキシはレヴォルークの休息所に待機する手はずとなっていた。リュカたちだけでなく、里の非戦闘者全員が戦争が終結するまで各地に避難する運びだ。内情をよく知る琥珀によって、里が襲撃にあうのを避けるためだった。

「嫌だ!絶対についていく!相手はあのバトーと琥珀だ!どんな卑劣な手を使ってくるかわかんねえのに、大人しく待ってらんねえ!」
「リュカが戦場で出来ることなんざねえんだよ!足手まといなだけだ!」
「それは…そうだけど…。帰りを待ってるだけなんて、嫌だ…」

 役に立たないと詰られ、リュカの威勢は一気に弱まった。竜であることは判明したものの、幼生である自分に何の力も無いことは重々承知だった。戦場に行ったって、できることは何もない。ついて行きたいのは完全に感情論でしかないと、嫌と言う程に理解している。

「まあまあ。蘇芳くんの言うことはごもっともなんだけど、そう頭ごなしに怒らないでやって。君を心配しての発言なんだから」

 返す言葉もなく項垂れていると、背後から父親に抱きしめられる。慰めるように頭を優しく撫でられた。

「ンなことはわかってる…」

 レヴォルークの助け舟に気を削がれたのか、赤鬼はばつの悪い表情で頭を掻いた。

「悪ィ、ついカッとなった。意地悪したくて言ったんじゃねえ。俺への心配、そっくりそのままリュカにも当てはまるんだぞ」
「え…」
「リュカの言う通り、相手はあのバトーと琥珀だ。戦場にお前がいるのを知った途端、俺を陥れるためにどんな卑劣な手を使ってくるかわかんねえ」
「あ…」
「お前の身の安全が保障されてねえと、戦いに集中できねえんだよ。さすがの俺も、お前を守りながら戦えねえ。だから、聞き分けろ」

 俯いていると、赤鬼の指が頬に触れる。それから軽く頬肉をつままれた。
 蘇芳の言葉に、はっとする。確かにそうだ。バトーと琥珀からすれば、自分は格好のカモだ。蘇芳の動きを封じるために拉致されたばかりだと言うのに。
 リュカは無言のまま、蘇芳に抱きついた。腰に両腕を回し、ぎゅうとしがみつく。
 離れたくない。傍にいたい。ただ蘇芳の帰りや知らせを待つしかできないのは、恐怖だった。蘇芳を信じていない訳ではない。鱗の御守りだって渡したから、万が一の場合には自分の代わりに鱗がきっと守ってくれる。だが、言い知れぬ不安と恐怖で胸がつぶれそうだった。
 目が熱を持ち、きつく閉じた瞼の隙間から涙がにじみ出る。蘇芳の装束を濡らしていくのが分かっても、離れがたかった。自分の行動は、何も出来ないガキの駄々でしかない。蘇芳を困らせるだけなのに、手を放すことが出来ない。

「…そろそろ行かねえと」

 装束を固く握りこんでいた拳を掴まれ、力ずくで引き剥がされる。目尻に唇が落ちて、涙を吸われた。涙まみれの頬を指で優しく拭われる。

「さっさと終わらせて、すぐにお前の元に帰ってくる。心配すんな」

 赤鬼は少年の頭を撫でると、レヴォルークに目を向け、頼んだぞと声をかけた。

「待って蘇芳くん。やっぱり僕とリュカも戦場に行くよ」
「ハァッ!?」
「父ちゃん…っ!」

 伝説の竜の鶴の一声に、リュカは目を見開いた。驚きの表情だが、茶色い瞳の奥に微かに期待が滲んでいるのが見て取れる。その一方で、牙を剥き出しにした赤鬼は、不快感を全面に表情に押し出した。

「おい、話が違ェだろ…っ!」

 額に青筋を浮かべて激昂する赤鬼に、竜は苦笑いを浮かべた。息子の手を引き、己の膝の上に座らせる。

「ずっと離れ離れだった影響かな。リュカのことが本当にたまらなく可愛くって。望むこと全てかなえてあげたくなっちゃうんだよね。蘇芳くんと離れている間、リュカが君を想ってずっと泣くのかと思うと、僕の胸まで苦しくなっちゃって、どうにかしてあげたいなって思うんだよ」
「…言いたいことは分かる。だが、アンタは戦に関わらない約束だろ。これは俺達鬼一族の戦争だ」
「それは十分承知しているよ。黒鳶殿からもきつく言い付けられているしね。争いには参戦しない。戦場から少し離れたところで俯瞰する。勿論、僕が傍にいる限り、リュカに怪我一つ負わせないと約束するよ」
「アンタは格好の標的になるぞ。一族の名を轟かせたいバトーにとってはな。大群が押し寄せるかもしれねえ」
「そうなったら応戦するさ。正当防衛だからね。その場合も障壁を張るから、リュカに危険が及ぶこともないよ」
「…セキシはどうする」
「彼には予定通り休息所で待機してもらう。守役として、ミーミルについててもらえばいいさ」

 不安材料を全て解消され、赤鬼はようやく諾と頷いた。納得はいってないようで、苦い顔をしたままだ。
 レヴォルークは未ださめざめと泣き続ける愛息子に目を向けた。

「大前提として、僕の言いつけを必ず守ること。我が儘は聞いてあげられない。リュカ、それでどうかな?もう泣き止んでくれる?」

 竜は、我が子の濡れた頬を手のひらで拭った。止まったかに見えた涙だったが、一瞬の後に茶色い瞳から滝のように流れ出した。先程よりも泣きじゃくる息子に、父親は困ったように眉を垂らした。ぎゅうと抱きしめて、頭を撫でる。

「あれれ、困ったなあ。泣き止んで欲しくての提案なのに、気に入らなかった?」
「…ちが…っ。これ、…嬉しくて…!」
「ええ~感激して泣いてるの?もう、可愛いなあ~。本当に世界一可愛い」

 レヴォルークはリュカをまるで赤ん坊みたいに抱えると、キスの雨を降らせた。目尻は垂れ下がり、全身から甘い雰囲気が漂っている。少年も過剰な触れ合いを嫌がることなく受け入れている。可視化できるのであれば、膨大な数のハートマークが飛び交っていることだろう。やがて満足したらしい竜は、決定事項を黒鳶に伝えるために、息子を赤鬼に預けた。
 子猿よろしく、両足を腰に絡めて、首元にひしと抱きついてくる少年を抱えて、赤鬼は座りこんだ。まるで嵐のようなリュカの父親に、呆気に取られる。

「…お前の親父さ、いくら親子とは言え、スキンシップが過激すぎやしねえか?」

 肩にぐりぐりと頭をこすりつけていたリュカが顔を上げ、視線を合わせてくる。涙は止まっているが、目の周りと鼻が赤くなっていた。

「…気持ちわりい?」
「ンなことはねえけどよ…。お前、そうゆうベタベタすんの好きじゃねえと思ってたから意外だった、っつうか…」
「そうか?父ちゃんからすげー愛情感じるから、嫌だと思ったことねえよ?俺、むしろ好きかもしんない」
「ふーん…」

 蘇芳の反応に、リュカは目を瞬かせた。普段通りに思えたが、声音にどことなく不満が滲んでいるように聞こえた。

「なあ、なんか気に障ること言った?俺」
「あ?言ってねーだろ」
「…でも、蘇芳怒ってるじゃん。ごめん。俺バカだから、もし怒らせたんならちゃんと言って欲しい。謝るから、機嫌直してよ。こんな形で見送りたくねえ…」

 しゅん、としおらしく眉尻を垂らす少年に、赤鬼は長く大きく溜息を吐いた。小さな体を抱きしめ、首元に顔を埋める。

「…悪かったよ。ただの嫉妬だ」
「嫉妬?なんで?」
「俺以外の男と親密そうにしてんのが面白くねえんだよ」
「相手が父ちゃんやセキシでも?」
「当たり前だ」
「恋愛感情なんてねえよ?」
「分かっちゃいるけど面白くねえもんは面白くねえ」

 予想だにしなかった理由に、リュカは目を瞬かせた。蘇芳の顔を見たいと思ったが、がっちりと抱えこむように体に腕を回されて身動きすら取れない。
 レヴォルークやセキシに対して何故嫉妬するのかは理解できない。自分は蘇芳のことが好きだと伝えたのに。けれども、本当にこの赤鬼は自分のことが大好きなんだなと思うと、不快に思うよりも何故だか笑いがこみ上げてくる。
 声を押し殺すも、肩の震えだけは止められなくて、即座に蘇芳に笑っていることがばれた。

「おい、笑うな」
「ごめ…っ!だって…」

 腕の力が緩んで、ようやく顔が見れた。ぶすっとした膨れっ面で、拗ねているようにも見える。まるで自分よりも子供みたいな顔がますますおかしく思えてしまう。
 唇を閉じたままでくふくふ笑っていると、口を舐められた。それから唇が触れて、啄まれる。目を閉じて口を開くと、舌が侵入してきた。

「…ン、…ふ…」

 口内を激しく貪られて頭がくらくらした。でもそれが気持ち良くて、首元に巻きつけた腕に力をこめて応える。散々舌を吸われて甘噛みされ、唇が離れる頃には息があがってしまう。

「絶対にレヴォルークの傍を離れるなよ。いいか、何があってもだぞ」
「……」
「返事」
「…わかった。でも、蘇芳も怪我なく戻って来いよな…っ!無事に帰ってきてくれないと、困る…」
「俺を誰だと思ってやがる。簡単にやられる気ねーよ」

 蘇芳は余裕だと言ってのけるが、不安は一向に拭えなかった。蘇芳が強いというのは聞いている。負けなしで、血みどろ羅刹という異名で恐れられていることも。けれども、リュカは赤鬼の戦いぶりをこの目で見たことはない。油断して、バトーから背中を刺されたところしか。
 蘇芳の言葉を信じたい。だが、目の前で瀕死の状態に陥った強烈なイメージがどうしてもこびりついて離れない。もう二度とあんな思いをしたくない。絶対に蘇芳を失いたくない。

「リュカからもらった鱗の御守りだってある。そう不安になるなよ。リュカらしくねーぞ」
「…んなこと言われても…」

 蘇芳は首元に見える紐をたぐり寄せ、首飾りを少年に見せた。リュカの鱗を挟んだ薄い硝子に穴を開け、組み紐を通したものだ。苦笑いをする彼に唇をまた啄まれる。いっそ、ずっとこのままでいられればいいのに、とリュカは思った。だが父親の声で無情にも現実に引き戻された。

「蘇芳くん、黒鳶殿が呼んでいるよ。もう出発だって」

 戸口に寄りかかるレヴォルークに短く答え、蘇芳は立ち上がった。最後にもう一度口づけを受け、髪の毛をかき混ぜられる。屋敷から出て行く赤い後ろ姿をただ目で追うことしか出来なかった。

「さ、僕たちも準備しようか」

 父親に肩を叩かれ、リュカは小さく頷いた。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

壁乳

リリーブルー
BL
俺は後輩に「壁乳」に行こうと誘われた。 (作者の挿絵付きです。)

復讐のための五つの方法

炭田おと
恋愛
 皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。  それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。  グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。  72話で完結です。

『これで最後だから』と、抱きしめた腕の中で泣いていた

和泉奏
BL
「…俺も、愛しています」と返した従者の表情は、泣きそうなのに綺麗で。 皇太子×従者

王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る

家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。 しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。 仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。 そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。

キサラギムツキ
BL
長い間アプローチし続け恋人同士になれたのはよかったが…………… 攻め視点から最後受け視点。 残酷な描写があります。気になる方はお気をつけください。

好きなあいつの嫉妬がすごい

カムカム
BL
新しいクラスで新しい友達ができることを楽しみにしていたが、特に気になる存在がいた。それは幼馴染のランだった。 ランはいつもクールで落ち着いていて、どこか遠くを見ているような眼差しが印象的だった。レンとは対照的に、内向的で多くの人と打ち解けることが少なかった。しかし、レンだけは違った。ランはレンに対してだけ心を開き、笑顔を見せることが多かった。 教室に入ると、運命的にレンとランは隣同士の席になった。レンは心の中でガッツポーズをしながら、ランに話しかけた。 「ラン、おはよう!今年も一緒のクラスだね。」 ランは少し驚いた表情を見せたが、すぐに微笑み返した。「おはよう、レン。そうだね、今年もよろしく。」

見ぃつけた。

茉莉花 香乃
BL
小学生の時、意地悪されて転校した。高校一年生の途中までは穏やかな生活だったのに、全寮制の学校に転入しなければならなくなった。そこで、出会ったのは… 他サイトにも公開しています

処理中です...