盗みから始まる異類婚姻譚

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55. 銀色の目

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 意識を取り戻した蘇芳は、素早く周囲に視線を走らせた。緑豊かな地で木漏れ日を受けながら、淵に背を持たれて首から下が池に浸かっている。自分は死んだのだと悟った。息を細く吐き、茫然とする。

「蘇芳っ!」

 突然視界にリュカが現れ、ぎょっとする。見る見るうちに茶色い瞳に涙がにじんでいく。驚きのあまり何の反応もできないでいると、首元にぎゅうと抱きつかれた。苦しい程の締め付けだが、全く不快ではなかった。少年の体温が心地良い。リュカに応えるように、抱きしめ返す。
 どうしてここにリュカが、と疑問が生まれるも、それはすぐに解消した。そうか、リュカも死んだんだな。当然だ。付け焼刃の訓練を行っただけのリュカが、バトーと琥珀の二人を相手に逃げることなど不可能だ。俺が取り乱して隙を見せなければ、リュカだけでも救えたかもしれないが。
 己のふがいなさに後悔の念が押し寄せるも、今更どうにかなることでもない。もはや何だか全てがどうでもよく思えた。死後の世界でも、こうしてリュカが傍にいることが何より大切なことに思えた。
 首元に顔を埋めてすすり泣く少年の頭を撫でる。涙でぐしゃぐしゃの顔に、蘇芳は思わず吹き出した。頬を流れる大粒の涙を舌で舐め取れば、しょっぱい味が口内に広がる。死んでも五感は残るのか、と不思議な気分に陥る。
 蘇芳はわずかに上体を起こして、リュカの下唇を食んだ。柔らかな感触と、彼が漏らした小さな声に欲望があふれ出した。少年のうなじを掴み、唇に食らいつく。

「…んっ、ンう…!」

 性急に舌をねじこみ、口内を舐め回す。舌を捕らえて絡ませながら、赤鬼は少年と体勢をひっくり返した。両足の間に体を滑りこませ、その肌に手を這わせる。久方ぶりの触れ合いに、簡単に火が点く。

「…まっ、んく…すぉ、…!」

 口づけの合間に、息も絶え絶えなリュカが制止を求めて来る。体を押し返そうとしたり、身をよじらせて逃れようとしているせいで、ぱしゃぱしゃと水しぶきが起こる。たわいもない抵抗を抑えこみ、口づけをさらに濃厚なものにする。
 瞬間、襟首を掴まれ、凄まじい力で後ろに引っ張られた。咽喉を圧迫され、潰れた蛙のような無様な声が出る。無理矢理上体を後ろに反らされ、自然と上を向く顔を誰かに覗きこまれた。薄い茶色の瞳を三日月型に細め、ニマニマと面白がるような笑みを浮かべている。

「おはよう、赤鬼くん。起き抜けから元気だねえ」
「はっ…!?」
「話がしたいんだ。さあさ、離れて離れて」

 誰だお前、と問う暇すらなく、あっという間にリュカから力ずくで引き剥がされた。しまいには池の上に正座させられてしまう。そこらの異形に力負けしたことのない赤鬼だったが、男は蘇芳の抵抗などものともせずに易々とやってのけた。
 何者だ、こいつ。多少なりとも警戒心を抱きつつ、蘇芳は足を崩した。隣にリュカが、正面に男が腰を落ち着ける。

「本当は先にこの子と話を進めておきたかったんだけど、君が生き返るまでは離れたくないって振られちゃったから」
「は…?」

 目の前の男の言葉に、赤鬼は耳を疑った。生き返る?生き返ると言ったか、コイツ。

「生き返る…ってどういうことだ?ここは、死後の世界じゃねえのか?」

 男は幾度か目を瞬かせると、声を立てて笑った。今の発言のどこに笑う要素がある、と蘇芳は苦い顔をしながら、隣のリュカに目を向けた。眉間に力の入った、険しい顔をしている。

「死んでない。俺達、ちゃんと生きてる」
「ンなわけねえだろ。俺はバトーに背後から胸を刺されたってのに、傷跡すらねえ。妙だろ。それに、ここはどこだよ。どうやってあの屋敷から脱出したってんだ」

 質の悪い冗談を言われる意図が分からず、思わず責めるような口調になってしまう。少年はきゅっと唇を噛み、俯いた。嘘なんかついてない、という小さな囁きに、語気を荒げてしまったことに少し後悔した。
 俺が目覚めるまでずっと傍にいた、と男は言った。そうであれば、リュカも詳しくは分かっていないかもしれないというのに。

「まあまあ。確かに、君がそう思うのも無理はない。刺し傷の痕すら残らずに治癒しているのは、この池の水の成分によるものなんだ。カラクリについては追々話すとして。ここへは、僕の友人であるミーミルに連れて来てもらった。勿論、連れてきたのは君達二人だけ。あの場に羽虫が二匹いたようだが、生死は知らない」

 男が腕を伸ばした先では、巨大な生物が体を横たえていた。深緑色の鱗に全身を覆われた竜。伝説上の生き物としてしか認知されていない異形が、見るからに強靭そうな顎を地面につけ、爛々と輝く目でこちらを見ている。開いた口が塞がらない。本当に生きているのか、と疑問に思った蘇芳だが、規則的な鼻腔の収縮に合わせて大きな体が上下をしているのを目の当たりにした。紛うことなく、生きている。

「で、だ。僕が一体全体何者か、疑問に思っていると思う」

 隣でリュカが頷く。蘇芳は、男への警戒をますます強めていた。竜を友人に持ち、死に至る怪我も跡形もなく治す池に生息する知り合いなどいない。沙楼羅の知人という可能性が一瞬頭をよぎる。でなければ、わざわざ自分とリュカを助けに来る理由が見当たらない。

「単刀直入に言うと、僕は君の父親なんだ」

 男がそう告げた瞬間、リュカの視線を感じた。横を向き、見つめ合う形になる。丸く見開かれた目は、蘇芳の父親?、と雄弁に物語っていた。衝撃の発言に思考停止に陥っていた蘇芳だったが、少年の表情にすぐさま我に返る。

「俺の親父は死んだって言ったろ。だから、アイツはお前の父親だって主張してんだよ」
「えっ」

 リュカは、赤鬼に言われてようやく意味を理解したようだった。だがまだ混乱の最中なのか、自分を指さしながら、男を見る。父親と名乗る男は、膝に頬杖をついた状態で、頷くかわりににっこりと笑った。
 少年の体が傾くのを目の端に捉えて、蘇芳は慌てて彼の肩を抱き寄せた。理解が追いついていないらしく、目を白黒させて硬直している。頭から煙が立ち昇るのが見えるようだった。

「証拠は」
「ん?」
「アンタがリュカの父親だっつう証拠を見せろ」
「酷いなあ。疑ってるの?」
「当たり前だ。いきなり現れて父親って言われて、はいそうですか、って信じられるわけねえだろ」
「ん~、それもそうか」

 男は天を仰ぎながら、思案するように顎を撫でた。かと思えば目を閉じ、それからゆっくりと瞼を上げた。露になった瞳に、二人はぎょっとした。

「銀の…目…」

 リュカがぽつりとこぼす。男の薄い茶色の瞳が、銀色に変わっていた。

「今までも、何度かこの目になってたんじゃないかな?」
「なった…。俺は、自分の目では見たことないけど…」
「今なら、自分の意志で目の色を変えられるはずだよ。封印が解けたからね」

 目の色を変えるなんてどうやって、とリュカが疑問を口にする前に、男が口を開く。

「ただ心の中で望めばいいんだ。目を閉じて。そう」

 男に導かれ、リュカは言う通りに目を閉じた。蘇芳に寄り添ったままの体勢で、彼は赤鬼の服の裾をぎゅっと掴んだ。少年が怖がっているように思えて、肩を抱く手に力をこめた。
 無理もない。リュカは以前、暴走してステラを殺しかけた。怖いと思うのも致し方ないように思えた。

「蘇芳、俺の目…どう?本当に、銀色になってるのか?」

 目を開けたリュカが見上げて来る。不安げな顔についた一対の瞳は、男と同じく銀色に輝いていた。赤鬼が頷けば、少年の瞳が困惑に揺れる。
 彼は池の水面に視線を落とした。透明度の高いそれは鏡のように作用し、リュカもようやく己の銀の瞳を視認した。

「おい、アンタは一体なんだ。銀の目を持つ異形なんざ、聞いたことも見たこともねえ。封印ってどういう意味だ。それに、今更リュカに会いに来てどういうつもりだ。何が目的だ」
「アハハ。質問責めされてる」
「笑いごとじゃねえよ」
「ごめんごめん。茶化そうとしたわけじゃないんだ。そう怖い顔しないでよ。全部、ちゃんと疑問に答えるから」

 そう言って男は茶目っ気たっぷりに片目をつむってみせた。大の男のぶりっこに本能的な嫌悪感を覚えて、全身に鳥肌が立つのが分かる。どうにも苦手な種類の人種だ。

「僕が何なのか言葉にするよりも、見せた方が早いかな」

 男は身を乗り出し、池の底に両手を突いた。瞬く間に姿形、大きさが変わっていく。蘇芳とリュカは限界まで頭を反らさないといけない程に、彼は巨大化していた。口から生えた歯は鋭く尖り、背中からは翼が生え、太くがっしりとした体躯は白く輝く鱗にびっしりと覆われている。
 二人の前には、一匹の竜が悠然とした佇まいで存在していた。

「改めて自己紹介をしようか。僕の名前は、レヴォルーク。ご覧の通り、竜族の者だ」
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