盗みから始まる異類婚姻譚

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52. 畜生

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 それから、どうすることもなく日が過ぎていった。窓もなく、日がな一日暗い独房に閉じ込められているリュカにとって、時間の経過を知る術は食事の配膳だけだった。バトー達が代わるがわる食事を運んでくる。朝はステラ、昼はバトー、夜は琥珀だ。
 敵である彼らが出すものなど、何が入っているか得体が知れない。彼らへの反抗心も手伝って、最初、リュカは頑なに手を付けようとしなかったが、バトーと琥珀に言葉通り口に食べ物をねじこまれてからは、大人しく食べることにした。
 食事の間、彼らは傍に腰を下ろしてリュカのことを眺めていた。フォークやスプーンなどを隠したり、妙な行動をしないかどうか監視しているようだった。
 心底うざったそうに食事を急かすステラが気に食わなくて、リュカは朝食はわざとゆっくりと食べた。小鳥が餌を啄むように、一口を小さくゆっくりと咀嚼した。苛ついた表情を浮かべながらも、バトーの言いつけで手を出せずに悔しそうなステラを見て、小気味よかった。単にステラに嫌がらせしたかったのもあるが、わざと彼の神経を逆撫でして、重要な情報を吐露するのではないかとリュカは踏んでいた。だが最初とは違って、彼が機密情報を漏らすことは以後なかった。
 逆に、リュカはバトーと琥珀の前ではなるべく殊勝な態度でいた。蝶の少年とは違い、二人は直情型ではない。むしろ何倍にも増した報復を受け、煽り反抗したところで効果がないことを早々に学んだ。為す術もなく大人しくしているリュカに、彼らは満足そうだった。従順な態度はもちろんフリだ。へつらえば、情報を得られるのではないかと思ったからだ。琥珀とバトーはしばしば饒舌になるものの、肝心なことは何も話さなかった。
 正面に胡坐をかいて座る琥珀の視線を受けながら夜飯を食べていると、バトーが現れた。彼の手が黄鬼の頬を撫でる。顎を上げさせたかと思えば、バトーは腰をかがめて琥珀の唇を啄んだ。口づけが深くなり、ピチャピチャと舌を絡ませる音が聞こえてきて、リュカは驚きに食事の手を止めた。バトーと目が合う。男は止めるどころか、手を琥珀の着物の中へと手を差し入れ、まさぐった。リュカに視線を向けながら琥珀も微笑を浮かべ、わざとらしく甘ったるい声を上げている。

「琥珀、後で部屋に寄れよ。ヤろうぜ」
「また~?昨日もしたばっかじゃん」
「しゃあねえだろ。趣味の悪いトコにいさせられて、ストレス溜まんだよ」
「ステラちゃんに頼めば~?」
「あ~…お前の方がいいンだよな。ステラは演技くせえのがたまに鼻につく」
「分かったよ。人間ちゃんのご飯が終わったら行く」

 喉を鳴らして笑う琥珀からの口づけを受けたバトーは、少年に目をくれることもなく独房を後にした。
 二人の間に肉体関係があることを知り、驚きを隠せない。機嫌が良さそうに口角を吊り上げて鼻歌を歌う黄鬼に、疑問をぶつけてみる。

「…二人は、恋人なのか?だからバトーに手を貸して、自分の一族を裏切ってるのか?」

 リュカの問いに琥珀は一瞬目をみはり、腹を抱えて大爆笑した。目に涙を浮かべ、手を振って否定する。

「あ~おっかし…。違う違う。言ったじゃん。俺とバトーは利害関係で結ばれてるって」
「でも、二人はセックスしてるんだろ?」
「そうだよ。でも、ヤッてるからって付き合ってるわけじゃない。溜まったからヤる。欲を発散させるのに、お互いが都合の良い相手ってだけ。そんなの皆してることだし、おかしなことじゃないでしょ」
「あ…」

 琥珀の言葉がすとんと腑に落ちる。自分と蘇芳だって似たような関係だ。愛情で成り立った夫婦関係ではなく、伴侶となったのも事故のようなもので、所詮はかりそめ。たまたま自分が近くにいるから、性欲処理として使われているに過ぎない。蘇芳にとってはきっと、自分でなくてもいいのだろう。
 まぎれもない事実だが、考えただけで何故かしら胸がちくりと痛んだ。自分だって、この間何も考えたくなくて蘇芳に抱いてくれと懇願して、利己的に彼を利用した。赤鬼の屋敷に置いて欲しくて、体を差し出している。ステラのことをみっともないと蔑んだが、自分だって彼と何ら変わらない。卑しい男娼だ。
 胃がずんと重くなって、すっかり食欲を失ってしまう。食器を盆の上に置き、琥珀に差し出す。

「なになに?俺がバトーと寝てるって知ってショック受けちゃった?バトーにお願いすれば、一回くらいは抱いてもらえると思うよ~」
「はっ?」
「ああ、それとも俺に抱いて欲しい?嬉しいけど、人間ちゃんは俺の好みじゃないんだよねえ」
「ちがっ…そんなんじゃ…!」
「人間ちゃんって、蘇芳の好みとも外れてると思ったんだけどな~。もっと綺麗どころが好きだと思ってたけど」

 あらぬ疑いを持たれ、否定しようとするも思考停止する。親友の彼が語る蘇芳の好みに、喉が引き攣って声が出ない。不思議そうな顔の琥珀にまじまじと全身を舐めるように見られて、酷く居心地が悪かった。
 胃もたれのような重たい気持ちは、琥珀がいなくなって一人になっても続いた。予期せず心を乱され、暗い思考に陥っていると、ステラが駆けこんできた。
 上等な衣服は見るも無残に破られ、ただの布切れとなって少年の細い肢体に絡みついている。真っ白な剥き出しの脚の間を白濁した液体が滴り落ちていた。目の周りは真っ赤に染まり、視線の焦点が定まっていない。明らかに乱暴されたとわかる様子に、リュカはぎょっとした。
 恐る恐る声をかけると、蝶の少年はリュカに飛びかかった。受け身を取れず、倒れこむ。ステラは馬乗りになると、枷の隙間から首に指を巻き付けてきた。ぐっと力をこめられる。

「…アイツら…っ、僕のご主人様を殺した…!血を流して、弱っていくご主人様の目の前で、…笑いながら、僕を代わるがわる犯した…ッ!」

 震えた声で言葉を紡ぐ少年の目からは、大粒の涙が流れていた。涙の粒がぼたぼたと顔に落ちて来る。リュカはステラの手から逃れようとするも、体重をかけられているせいでうまく力が入らない。

「クルクドゥア一族を、乗っ取るつもりだ…!僕、僕も、殺される…ッ!」

 それならいっそ、君のことを道連れにする。
 一層強くなった力で首を絞められ、リュカは呻いた。酸素をうまく取り込めず、思考に靄がかかっていく。
 濁っていく意識の中、リュカはステラのことを心底不憫に思った。テル・メルで人気だった男娼のはずなのに、買われたからって幸せになるわけではない。金持ちの愛人にしかなれず、取り入ろうとしたバトーにもいたぶられた。
 だが、最期に彼らに歯向かおうとする姿勢には好感を抱いた。自分も用済みになればきっと殺されるのだろうし、ならば今ここでステラに殺されるのも悪くないとリュカは思った、全身の力を抜き、目を閉じる。
 だが、苦しみは続かなかった。首を絞める手から突如力が抜けたのだ。急に気道を解放され、むせてしまう。咳をしながら酸素を取り入れたリュカは、目の前の光景に目を見開いた。
 頭部のない体が自分の上に乗っかっていた。リュカが身じろぎしたことで、その体はバランスを崩し、少年の胸へと倒れた。首の切断面から溢れ出る生温かい血に、たまらず悲鳴を上げた。

「あァ、良かった。生きてるな」

 リュカは、切れ味鋭そうな偃月刀を手にしたバトーに見下ろされていた。口元に跳ねた返り血を舌で舐め取る。上半身裸で、ズボンを寛げていた。その背後には、着衣の乱れた琥珀がニヤニヤと笑っている。情事の最中だったのは明らかだ。
 偃月刀の刃先からは血が滴り落ちているのを目にして、リュカはゆっくりと首を動かし、視線を巡らせた。少し離れたところに、頭部が転がっていた。薄っすらと開かれた、光のない瞳がこっちを向いている。

「あれだけ、人間ちゃんを殺すなって言ったのに、馬鹿だなあ」
「まァ、どのみち殺すつもりだったし、計画には何ら支障ねェ」

 刀を大きく振って血を飛ばしたバトーは、ステラの体が纏う衣服を掴んで持ち上げた。ただの肉塊となったものを引きずり、無造作に転がっている少年の頭を蹴りつけた。頭部は鈍い音を立てながら石床の上をバウンドして、琥珀の足元へと落ちた。

「やめろっ!」

 恐怖とあまりの衝撃に身動きできずにいたリュカだったが、たまらず叫んだ。
 ステラのことは憎んでいたし嫌いだったが、あんまりだと思った。背後から刀で首を落とされ、死してなお冒涜を受けている。いくらステラだからって、こんな扱いを受けるべきじゃない。
 バトーと琥珀は、金切り声を上げた少年を酷薄な笑みを浮かべて見た。彼らは一連の出来事を楽しんでいるようだった。動揺すると同時に怒りに沸くリュカを見て、愉悦に浸っている。琥珀はおもむろにステラの頭部を持ち上げると、血の気のなくなった唇に口づけた。
 正真正銘の悪人の狂気に触れた気がして、ぞっとした。指の先から血の気が引き、冷たく強張って動けなくなる。
 そんなリュカを一瞥した二人は、血まみれのステラの遺骸を手に出て行った。彼らの気配がしなくなってようやく、少年は大きく息を吐いた。心臓が早鐘を打つ。胸を突き破ってきそうな程に大きく拍動していて、呼吸が苦しい。全身の毛穴からにじみ出た嫌な汗が、背筋を伝い落ちていくのがわかって気持ち悪かった。
 視界が歪み、涙があふれる。イズルならずステラまでも、目の前で殺された。短期間の間に、残虐な方法での殺しを二度も目の当たりにし、リュカの精神は限界だった。過酷な状況に心が押し潰されそうになる。
 助けて。助けて、蘇芳。
 自分を抱きしめ、額を石床に擦りつけてうずくまる。涙が涸れるまで、リュカはむせび泣いた。
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