盗みから始まる異類婚姻譚

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51. 敵か味方か

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 助けに来てくれたのか、とリュカは思った。親友である蘇芳の伴侶である自分を、それほど関わりのない自分を。危険を顧みず来てくれたことに、泣きそうになった。
 だが、次の瞬間一縷の期待は粉々に砕け散った。

「駄目じゃん、ステラちゃん。バトーに人間ちゃんを殺さないようにって言われてるだろ~?こんなに近づいて。また腕の骨折られちゃうよ~?」
「あ、琥珀…様。申し訳ございません、つい…っ!」

 にっこりと笑みを浮かべた黄鬼はゆっくりと近づき、ステラの両手首を掴んだ。少年の首にかかっていた手が離れる。
 リュカは己の耳を疑った。だが確かに、目の前の黄鬼はバトーの名前を呼んだ。ステラも旧知の仲であるかのように、受け答えをしている。

「人間ちゃんに煽られたんでしょ?大丈夫、ちゃ~んと分かってるよ~」

 琥珀の言葉に、ステラは安堵に胸を撫で下ろした。鬼の黄褐色の瞳が、自分に向けられ条件反射で肩がびくりと跳ねる。

「人間ちゃん、ステラちゃんから盗ったもの、あるでしょ。出して」
「……」
「指の骨、全部折られたい?」

 ニンマリと三日月形に細められた目に、ぞっとする。顔は笑っているが、全身からは凄まじい殺気が放たれている。リュカは下唇を噛み、俯いた。拳を突き出し、ゆっくりと開いて手中に握っていた、首枷の起動装置を見せた。

「…コイツっ、いつの間に…ッ!」

 まさか装置を盗まれているとは思わなかった、ステラの目尻が怒りに吊り上がる。琥珀は起動装置を蝶の少年に手渡し、宥めるように肩を叩いた。

「手癖悪いね~意外と。他に隠してるものない?…例えば鍵、とか」
「…ない。他には盗ってない」
「本当かな~?」
「…やめ…っ!」

 黄鬼は信じていないのか、リュカの着物に手をさし入れて体を弄る。否定して逃げようとしてもお構いなしだ。

「あ~、やっぱりあった。鍵」

 したり顔で小さな銀色の鍵を掲げる鬼に、リュカは奥歯を食いしばる。それは腕を振り上げてバトーを殴ったどさくさにまぎれて、彼の懐からくすねたものだった。

「だけど残念。この鍵は足枷のなんだよねえ。手枷と首枷外すなら、全部違う鍵が必要。ちなみに、手枷の鍵は俺が持ってて、首のはどこかの地面に埋めてあるからね~」

 琥珀は爽やかな笑顔で恐ろしいことをのたまう。リュカの狙いを見抜いているようだった。

「他にはもう無さそうだけど、悪さできないようにしとこっかな」

 鬼はそう言うと、リュカの着物をひん剥いた。圧倒的な力で、蘇芳に買ってもらった高級な布地が音を立てて破れていく。下穿きのみの姿にされ、少年は着物を取り返そうと試みたが、あっさりと抑えつけられてしまった。
 琥珀は雑巾同然となった布をステラに渡し、燃やすように指示した。憎き相手のみっともない姿に、蝶の少年は薄暗い笑みを浮かべて見下ろす。彼は与えられた命令を達成すべく、独房から姿を消した。

「…何で、バトーと…!」
「そりゃあ、利害が一致してるからだよ」
「アンタ、蘇芳と親友じゃ、ねえのかよ…!」
「そうだよ?」
「…っ何で、蘇芳を裏切るようなマネ…!それに、自分の父親だって…!」
「…何で?」

 顔を掴まれ、石床に押しつけられながらも、リュカは指の隙間から琥珀を睨みつける。少年の問いに、黄鬼の表情が一変する。

「先に裏切ったのは向こうだ…。俺のことを踏みにじって…どいつもこいつも」
「いっ…」

 軽薄な調子は完全に形を潜めていた。目は瞳孔が完全に開き、笑みは消え、冷え冷えとした憎悪まじりの声が空気を揺らす。手に力を込められて骨がきしむのが分かって、リュカは痛みに呻いた。まるで何か恐ろしいものが憑依しているかのような変わりように、ぞっとする。底の見えない暗い深淵を覗いたような気がした。

「逃げようなんて思わないでね。勿論、自殺するのも無し。下手な行動したら、人間ちゃんの大事な人が傷つくことになるよ?」
「お、俺に大事な人なんて、いない…っ」
「そう?えー誰だっけ、従者の……ああそうそう。セキシだ。彼にすごく懐いてるじゃん」

 脅しには屈しない姿勢でいたリュカだが、思いがけずセキシの名前を出されて心が乱れた。

「一族が混乱に陥ってる今なら、彼の首を掻き切るくらい簡単なんだよね~。セキシの首、プレゼントしようか?」

 先程までの怖い顔が嘘のように、黄鬼はにこやかに微笑んでいる。まるで今日の晩御飯は何にする?と聞いているかのような軽い調子で何ともおぞましいことを言う。単なる脅しではなく、本当に実行するだろう。心の底から、目の前の鬼に恐怖を抱いた。
 リュカの脳裏には、優しく穏やかな表情のセキシの姿が浮かんでいた。
 セキシ。大好きなセキシ。彼を失うなどと、考えただけで気が触れそうになる。

「…やめてくれ…セキシ、セキシには手を出さないで…っ!」

 口から出た声は、震えていた。慈悲を乞うことしかできない、弱者の情けない姿がそこにはあった。だが、大切な人を守るためならば、なりふり構ってなどいられない。土下座だって何だってする。

「じゃあ大人しくしててね~。ステラちゃんを煽るのも無し」

 分かった?と念押し押され、頷くほかない。琥珀は満足そうにニコリとすると、ようやく手を離した。
 独房に一人残され、リュカは乱れた息を整えた。全身にじっとりと嫌な汗をかいている。バトーと琥珀、どちらにも似たような恐怖を覚えた。巧みに人の弱点を探し当て、抉ってくる。
 琥珀がバトーと組んでいると分かって、疑問が晴れた気がした。妙な仮面をかぶった集団が里を襲ったのも、イズルに情報を引き出すように連れてきたのも、全て琥珀の手引きによるものだった。そもそも、イズルを里に招き入れたのにも手を貸したのだろう。一族の頭領である黒鳶の実子という立場は、立派な隠れ蓑として機能して、疑いをかけられる可能性も低い。
 そんな危険な人物が、一族に紛れ込んでいる。親友面して蘇芳の隣に立ち、セキシにも手が届く。大事な人たちに危険が迫っているのに、彼の裏切りを知らせようにも手段が何もない。
 歯がゆい。何もできない無力な自分が腹立たしく、悔しい。胸が苦しかった。
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