51 / 87
51. 敵か味方か
しおりを挟む
助けに来てくれたのか、とリュカは思った。親友である蘇芳の伴侶である自分を、それほど関わりのない自分を。危険を顧みず来てくれたことに、泣きそうになった。
だが、次の瞬間一縷の期待は粉々に砕け散った。
「駄目じゃん、ステラちゃん。バトーに人間ちゃんを殺さないようにって言われてるだろ~?こんなに近づいて。また腕の骨折られちゃうよ~?」
「あ、琥珀…様。申し訳ございません、つい…っ!」
にっこりと笑みを浮かべた黄鬼はゆっくりと近づき、ステラの両手首を掴んだ。少年の首にかかっていた手が離れる。
リュカは己の耳を疑った。だが確かに、目の前の黄鬼はバトーの名前を呼んだ。ステラも旧知の仲であるかのように、受け答えをしている。
「人間ちゃんに煽られたんでしょ?大丈夫、ちゃ~んと分かってるよ~」
琥珀の言葉に、ステラは安堵に胸を撫で下ろした。鬼の黄褐色の瞳が、自分に向けられ条件反射で肩がびくりと跳ねる。
「人間ちゃん、ステラちゃんから盗ったもの、あるでしょ。出して」
「……」
「指の骨、全部折られたい?」
ニンマリと三日月形に細められた目に、ぞっとする。顔は笑っているが、全身からは凄まじい殺気が放たれている。リュカは下唇を噛み、俯いた。拳を突き出し、ゆっくりと開いて手中に握っていた、首枷の起動装置を見せた。
「…コイツっ、いつの間に…ッ!」
まさか装置を盗まれているとは思わなかった、ステラの目尻が怒りに吊り上がる。琥珀は起動装置を蝶の少年に手渡し、宥めるように肩を叩いた。
「手癖悪いね~意外と。他に隠してるものない?…例えば鍵、とか」
「…ない。他には盗ってない」
「本当かな~?」
「…やめ…っ!」
黄鬼は信じていないのか、リュカの着物に手をさし入れて体を弄る。否定して逃げようとしてもお構いなしだ。
「あ~、やっぱりあった。鍵」
したり顔で小さな銀色の鍵を掲げる鬼に、リュカは奥歯を食いしばる。それは腕を振り上げてバトーを殴ったどさくさにまぎれて、彼の懐からくすねたものだった。
「だけど残念。この鍵は足枷のなんだよねえ。手枷と首枷外すなら、全部違う鍵が必要。ちなみに、手枷の鍵は俺が持ってて、首のはどこかの地面に埋めてあるからね~」
琥珀は爽やかな笑顔で恐ろしいことをのたまう。リュカの狙いを見抜いているようだった。
「他にはもう無さそうだけど、悪さできないようにしとこっかな」
鬼はそう言うと、リュカの着物をひん剥いた。圧倒的な力で、蘇芳に買ってもらった高級な布地が音を立てて破れていく。下穿きのみの姿にされ、少年は着物を取り返そうと試みたが、あっさりと抑えつけられてしまった。
琥珀は雑巾同然となった布をステラに渡し、燃やすように指示した。憎き相手のみっともない姿に、蝶の少年は薄暗い笑みを浮かべて見下ろす。彼は与えられた命令を達成すべく、独房から姿を消した。
「…何で、バトーと…!」
「そりゃあ、利害が一致してるからだよ」
「アンタ、蘇芳と親友じゃ、ねえのかよ…!」
「そうだよ?」
「…っ何で、蘇芳を裏切るようなマネ…!それに、自分の父親だって…!」
「…何で?」
顔を掴まれ、石床に押しつけられながらも、リュカは指の隙間から琥珀を睨みつける。少年の問いに、黄鬼の表情が一変する。
「先に裏切ったのは向こうだ…。俺のことを踏みにじって…どいつもこいつも」
「いっ…」
軽薄な調子は完全に形を潜めていた。目は瞳孔が完全に開き、笑みは消え、冷え冷えとした憎悪まじりの声が空気を揺らす。手に力を込められて骨がきしむのが分かって、リュカは痛みに呻いた。まるで何か恐ろしいものが憑依しているかのような変わりように、ぞっとする。底の見えない暗い深淵を覗いたような気がした。
「逃げようなんて思わないでね。勿論、自殺するのも無し。下手な行動したら、人間ちゃんの大事な人が傷つくことになるよ?」
「お、俺に大事な人なんて、いない…っ」
「そう?えー誰だっけ、従者の……ああそうそう。セキシだ。彼にすごく懐いてるじゃん」
脅しには屈しない姿勢でいたリュカだが、思いがけずセキシの名前を出されて心が乱れた。
「一族が混乱に陥ってる今なら、彼の首を掻き切るくらい簡単なんだよね~。セキシの首、プレゼントしようか?」
先程までの怖い顔が嘘のように、黄鬼はにこやかに微笑んでいる。まるで今日の晩御飯は何にする?と聞いているかのような軽い調子で何ともおぞましいことを言う。単なる脅しではなく、本当に実行するだろう。心の底から、目の前の鬼に恐怖を抱いた。
リュカの脳裏には、優しく穏やかな表情のセキシの姿が浮かんでいた。
セキシ。大好きなセキシ。彼を失うなどと、考えただけで気が触れそうになる。
「…やめてくれ…セキシ、セキシには手を出さないで…っ!」
口から出た声は、震えていた。慈悲を乞うことしかできない、弱者の情けない姿がそこにはあった。だが、大切な人を守るためならば、なりふり構ってなどいられない。土下座だって何だってする。
「じゃあ大人しくしててね~。ステラちゃんを煽るのも無し」
分かった?と念押し押され、頷くほかない。琥珀は満足そうにニコリとすると、ようやく手を離した。
独房に一人残され、リュカは乱れた息を整えた。全身にじっとりと嫌な汗をかいている。バトーと琥珀、どちらにも似たような恐怖を覚えた。巧みに人の弱点を探し当て、抉ってくる。
琥珀がバトーと組んでいると分かって、疑問が晴れた気がした。妙な仮面をかぶった集団が里を襲ったのも、イズルに情報を引き出すように連れてきたのも、全て琥珀の手引きによるものだった。そもそも、イズルを里に招き入れたのにも手を貸したのだろう。一族の頭領である黒鳶の実子という立場は、立派な隠れ蓑として機能して、疑いをかけられる可能性も低い。
そんな危険な人物が、一族に紛れ込んでいる。親友面して蘇芳の隣に立ち、セキシにも手が届く。大事な人たちに危険が迫っているのに、彼の裏切りを知らせようにも手段が何もない。
歯がゆい。何もできない無力な自分が腹立たしく、悔しい。胸が苦しかった。
だが、次の瞬間一縷の期待は粉々に砕け散った。
「駄目じゃん、ステラちゃん。バトーに人間ちゃんを殺さないようにって言われてるだろ~?こんなに近づいて。また腕の骨折られちゃうよ~?」
「あ、琥珀…様。申し訳ございません、つい…っ!」
にっこりと笑みを浮かべた黄鬼はゆっくりと近づき、ステラの両手首を掴んだ。少年の首にかかっていた手が離れる。
リュカは己の耳を疑った。だが確かに、目の前の黄鬼はバトーの名前を呼んだ。ステラも旧知の仲であるかのように、受け答えをしている。
「人間ちゃんに煽られたんでしょ?大丈夫、ちゃ~んと分かってるよ~」
琥珀の言葉に、ステラは安堵に胸を撫で下ろした。鬼の黄褐色の瞳が、自分に向けられ条件反射で肩がびくりと跳ねる。
「人間ちゃん、ステラちゃんから盗ったもの、あるでしょ。出して」
「……」
「指の骨、全部折られたい?」
ニンマリと三日月形に細められた目に、ぞっとする。顔は笑っているが、全身からは凄まじい殺気が放たれている。リュカは下唇を噛み、俯いた。拳を突き出し、ゆっくりと開いて手中に握っていた、首枷の起動装置を見せた。
「…コイツっ、いつの間に…ッ!」
まさか装置を盗まれているとは思わなかった、ステラの目尻が怒りに吊り上がる。琥珀は起動装置を蝶の少年に手渡し、宥めるように肩を叩いた。
「手癖悪いね~意外と。他に隠してるものない?…例えば鍵、とか」
「…ない。他には盗ってない」
「本当かな~?」
「…やめ…っ!」
黄鬼は信じていないのか、リュカの着物に手をさし入れて体を弄る。否定して逃げようとしてもお構いなしだ。
「あ~、やっぱりあった。鍵」
したり顔で小さな銀色の鍵を掲げる鬼に、リュカは奥歯を食いしばる。それは腕を振り上げてバトーを殴ったどさくさにまぎれて、彼の懐からくすねたものだった。
「だけど残念。この鍵は足枷のなんだよねえ。手枷と首枷外すなら、全部違う鍵が必要。ちなみに、手枷の鍵は俺が持ってて、首のはどこかの地面に埋めてあるからね~」
琥珀は爽やかな笑顔で恐ろしいことをのたまう。リュカの狙いを見抜いているようだった。
「他にはもう無さそうだけど、悪さできないようにしとこっかな」
鬼はそう言うと、リュカの着物をひん剥いた。圧倒的な力で、蘇芳に買ってもらった高級な布地が音を立てて破れていく。下穿きのみの姿にされ、少年は着物を取り返そうと試みたが、あっさりと抑えつけられてしまった。
琥珀は雑巾同然となった布をステラに渡し、燃やすように指示した。憎き相手のみっともない姿に、蝶の少年は薄暗い笑みを浮かべて見下ろす。彼は与えられた命令を達成すべく、独房から姿を消した。
「…何で、バトーと…!」
「そりゃあ、利害が一致してるからだよ」
「アンタ、蘇芳と親友じゃ、ねえのかよ…!」
「そうだよ?」
「…っ何で、蘇芳を裏切るようなマネ…!それに、自分の父親だって…!」
「…何で?」
顔を掴まれ、石床に押しつけられながらも、リュカは指の隙間から琥珀を睨みつける。少年の問いに、黄鬼の表情が一変する。
「先に裏切ったのは向こうだ…。俺のことを踏みにじって…どいつもこいつも」
「いっ…」
軽薄な調子は完全に形を潜めていた。目は瞳孔が完全に開き、笑みは消え、冷え冷えとした憎悪まじりの声が空気を揺らす。手に力を込められて骨がきしむのが分かって、リュカは痛みに呻いた。まるで何か恐ろしいものが憑依しているかのような変わりように、ぞっとする。底の見えない暗い深淵を覗いたような気がした。
「逃げようなんて思わないでね。勿論、自殺するのも無し。下手な行動したら、人間ちゃんの大事な人が傷つくことになるよ?」
「お、俺に大事な人なんて、いない…っ」
「そう?えー誰だっけ、従者の……ああそうそう。セキシだ。彼にすごく懐いてるじゃん」
脅しには屈しない姿勢でいたリュカだが、思いがけずセキシの名前を出されて心が乱れた。
「一族が混乱に陥ってる今なら、彼の首を掻き切るくらい簡単なんだよね~。セキシの首、プレゼントしようか?」
先程までの怖い顔が嘘のように、黄鬼はにこやかに微笑んでいる。まるで今日の晩御飯は何にする?と聞いているかのような軽い調子で何ともおぞましいことを言う。単なる脅しではなく、本当に実行するだろう。心の底から、目の前の鬼に恐怖を抱いた。
リュカの脳裏には、優しく穏やかな表情のセキシの姿が浮かんでいた。
セキシ。大好きなセキシ。彼を失うなどと、考えただけで気が触れそうになる。
「…やめてくれ…セキシ、セキシには手を出さないで…っ!」
口から出た声は、震えていた。慈悲を乞うことしかできない、弱者の情けない姿がそこにはあった。だが、大切な人を守るためならば、なりふり構ってなどいられない。土下座だって何だってする。
「じゃあ大人しくしててね~。ステラちゃんを煽るのも無し」
分かった?と念押し押され、頷くほかない。琥珀は満足そうにニコリとすると、ようやく手を離した。
独房に一人残され、リュカは乱れた息を整えた。全身にじっとりと嫌な汗をかいている。バトーと琥珀、どちらにも似たような恐怖を覚えた。巧みに人の弱点を探し当て、抉ってくる。
琥珀がバトーと組んでいると分かって、疑問が晴れた気がした。妙な仮面をかぶった集団が里を襲ったのも、イズルに情報を引き出すように連れてきたのも、全て琥珀の手引きによるものだった。そもそも、イズルを里に招き入れたのにも手を貸したのだろう。一族の頭領である黒鳶の実子という立場は、立派な隠れ蓑として機能して、疑いをかけられる可能性も低い。
そんな危険な人物が、一族に紛れ込んでいる。親友面して蘇芳の隣に立ち、セキシにも手が届く。大事な人たちに危険が迫っているのに、彼の裏切りを知らせようにも手段が何もない。
歯がゆい。何もできない無力な自分が腹立たしく、悔しい。胸が苦しかった。
0
お気に入りに追加
257
あなたにおすすめの小説
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
復讐のための五つの方法
炭田おと
恋愛
皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。
それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。
グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。
72話で完結です。

王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る
家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。
しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。
仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。
そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。

好きなあいつの嫉妬がすごい
カムカム
BL
新しいクラスで新しい友達ができることを楽しみにしていたが、特に気になる存在がいた。それは幼馴染のランだった。
ランはいつもクールで落ち着いていて、どこか遠くを見ているような眼差しが印象的だった。レンとは対照的に、内向的で多くの人と打ち解けることが少なかった。しかし、レンだけは違った。ランはレンに対してだけ心を開き、笑顔を見せることが多かった。
教室に入ると、運命的にレンとランは隣同士の席になった。レンは心の中でガッツポーズをしながら、ランに話しかけた。
「ラン、おはよう!今年も一緒のクラスだね。」
ランは少し驚いた表情を見せたが、すぐに微笑み返した。「おはよう、レン。そうだね、今年もよろしく。」

なんども濡れ衣で責められるので、いい加減諦めて崖から身を投げてみた
下菊みこと
恋愛
悪役令嬢の最後の抵抗は吉と出るか凶と出るか。
ご都合主義のハッピーエンドのSSです。
でも周りは全くハッピーじゃないです。
小説家になろう様でも投稿しています。
美人に告白されたがまたいつもの嫌がらせかと思ったので適当にOKした
亜桜黄身
BL
俺の学校では俺に付き合ってほしいと言う罰ゲームが流行ってる。
カースト底辺の卑屈くんがカースト頂点の強気ド美人敬語攻めと付き合う話。
(悪役モブ♀が出てきます)
(他サイトに2021年〜掲載済)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる