盗みから始まる異類婚姻譚

XCX

文字の大きさ
上 下
39 / 87

39. まっさらな肌

しおりを挟む
 蘇芳の胸に顔を埋めて、リュカは感情に流されるままに泣いた。
 これまでも蘇芳が沙楼羅にきつい物言いをすることは何度かあった。だがそれは本当に親しいからこその軽口みたいなものだと思ってたし、言われた沙楼羅本人も気に障る様子はなかった。だが、先程のはこれまでと全く違う、戯れではない本気の殴り合いだった。恐ろしかったし、心底悲しかった。だから無我夢中で赤鬼の腰にしがみついていた。

「…ごめ、…すおぅ、…ごめん…っ!」
「リュカ、もう謝んな」
「でも、でもっ…俺のせ、で沙楼羅さん、っとケンカに、…っ。さ、るらさん、怒ったまま、出てったっ…!」
「次会ったら互いにケロッとした顔して、元に戻ってる。あんな喧嘩なんざ、日常茶飯事だ。心配することねえよ」
「……前にケンカしたの、いつ」
「…あー、まあそうだな…」

 蘇芳の言うことがいまいち信用できず、リュカは彼を見上げた。記憶を掘り返しているのか、赤鬼が口を濁しながら目を逸らす。すぐに答えられないと言うことは、直近であのような喧嘩をしていないということだ。日常茶飯事じゃないじゃん、と目を細めてじとりと睨みつける。

「とにかく、俺と沙楼羅のことは気にすんな。リュカ、お前な、泣きすぎて体中の水分なくなって干からびるぞ」
「んぶっ」

 呆れたように溜息を吐く蘇芳に、涙だらけの顔を袖で拭かれる。力任せに拭われて、顔がひりひりとした。
 気を遣われているのはわかる。だが、その気遣いや優しさが逆に胸に突き刺さる。自分の存在が罪深いように思えてしまうのだ。

「リュカ、山の中に逃げてから何があった。沙楼羅は見てただけで助けてないって言ってたが、そうなるとリュカがまた暴走して襲撃者を追い払ったのか?」
「わから、ない…。俺、逃げるのに必死で…。仮面をつけた奴ら、仲間が山の異形にやられても、全然諦めてくれなくって。刺された肩が痛くて、足もすげえ重たくなってきて…」

 蘇芳が眉をひそめたのに気づかず、リュカは話を続けた。

「そしたら小動物の巣穴みたいなの見つけて、そこに逃げこんだんだ。奴らが全員異形にやられるまで、やりすごそうと思った。だけどその穴すごく深くて、何も見えなくて、洞穴みたいなとこに落ちた。酷く寒くて、落ちた衝撃で強く打ちつけたせいで全身痛くて……そこから何も覚えてな、ギャッ!」

 言い終わる前に突然服を剥かれて、少年は情けない悲鳴を上げた。条件反射で抵抗しようとするも、いつの間にか接近していたセキシに手首を掴まれて身動きを封じられてしまう。一体何をされているのかわからず目を白黒させている間に、リュカは下着姿にされていた。

「い、いきなり何するんだよっ!」

 抗議の声を上げるも、眉間に皺を寄せた蘇芳は険しい表情でリュカの全身に視線を滑らせている。

「リュカ、肩を刺されたって言ったな」
「え、う、うん」
「穴に入った時、全身も強打したんだよな?」
「そうだけど…」

 念押しするように確認されて、疑問符が頭の周りにたくさん浮かぶ。さっきそう話したと言うのに、何かまずいことでも口走ったのだろうか。状況を飲み込めていない少年をよそに、蘇芳とセキシは互いに顔を見合わせた。こわばった二人の表情に、途端に不安に見舞われる。

「傷…ひとつもねえな」
「きず?」
「刺し傷も打ち身も、痕すらねえ。綺麗なもんだ」
「妙ですね。あざは翌日出てもおかしくはないですが、刺し傷までもないとは」

 壊れ物にでも触れるかのように、肌の上を優しく滑る指に背筋がぞわぞわとする。くすぐったいのだが、それ以外の感覚もある。二人に全くそういうつもりはないのだと理解はしているが、気を抜くと変な声が漏れそうだった。
 リュカは手を伸ばして、暗器が刺さったはずの肩を自分でも確認した。二人が言う通りそこにはなにもなく、つるつるとした肌だけだ。不可解な出来事にぎょっとする。あれは夢だったのだろうか。だが、あの時感じた痛みは現実だったように思う。

「でも…、嘘じゃない。俺、本当に…」
「お前のことを疑ってるわけじゃねえよ」
「ええ、微塵も。リュカ様の言う通り、確かに着物の肩の部分の布地が裂けていますね。血の色もここが一番濃い」
「セキシ、リュカはどうやって屋敷に戻って来た」
「沙楼羅様が抱きかかえて、連れ帰ってくださいました。既にリュカ様は気を失われていて…その時に全身に怪我がないことは確認済みです。山に入ってすぐ沙楼羅様に保護して頂けたものと思い、着物に付着した血もてっきり返り血と思ったので、そこまで気に留めていませんでした」
「いい、気にすんな。沙楼羅のことだ。どうせリュカが怪我したことも、わざと言わなかったんだろ」

 申し訳なさそうに頭を垂れるセキシの肩を、蘇芳が慰めるかのように叩く。だが烏天狗に向けられた言葉は怒気を孕んでいて、棘を感じる。

「山の中を駆けずり回ったわりに、足も傷ひとつねえんだよな」
「靴を履く暇などなかったでしょうから、裸足だったはずです。それなのに足裏に汚れすらも全く見られませんね」
「きっと沙楼羅さんだ!」

 リュカの足首を掴んで舐めるように観察する二人に、少年は声を張り上げた。手から逃れ、体を起こす。

「沙楼羅さんは何もしてないって言ってたけど、本当は穴に落ちた俺を助けて、怪我を治してくれたんだ。でなきゃ、つじつまが合わねえもん」

 納得がいかないとばかりに怪訝な顔をする蘇芳とは対照的に、リュカの表情は輝いた。これでもう、蘇芳が沙楼羅と喧嘩する必要がないと分かって、嬉しくなる。
 赤鬼の怒りの矛先は、烏天狗が何もせずに傍観していたことに対してだが、実際は助けてくれていた。暗器が刺さったとき、彼は致命傷ではないと言った。リュカが死なないことを見越していたから、手出しをしなかっただけなのだ。見捨てたわけじゃない。

「…かもな」
「うん、絶対そうだ!」

 蘇芳に頭を撫でられる。まだ微妙な顔つきをしているのは気になったが、刺々しい雰囲気は感じられなくなり、少年はそっと安堵の息を吐いた。
 沙楼羅に暴走する姿が見たいと言われた時は確かにショックを受けたが、それで嫌いにはなれなかった。それに根っからの悪人とも思えない。御守りをくれて、優しく笑いかけてくる姿に嘘偽りは見えなかったのだ。リュカは、早く二人が和解してくれることを願った。

「…セキシ、リュカのことを頼めるか。外に行って、襲撃してきたのがどこの部族か確認したい」
「お、俺も行く!」

 承知しました、と頷く従者の横で、少年は腰を上げる赤鬼に縋りついた。

「駄目だ」
「何で!俺だって知りたいっ」
「お前な、命がけで逃げ回った挙句にあれだけの血を失ったんだぞ。傷が治ってるとは言え、相当な負担が体にかかってる」
「だいじょ」
「大丈夫とか言うなよ。今は興奮状態で感覚がぶっ飛んでて、わかんねえだけだ。気が抜けた時に無茶した反動で数日寝込みてえか?」
「ぐ…っ。それは嫌だ」
「なら大人しくしてろ。いいな」

 蘇芳の指が額を弾く。こんなにも活力にあふれて元気だと言うのに、大人しくしていろなど酷な話だ。だが数日身動きも取れずに寝込むのも嫌なので、渋々ながらリュカは従うことにした。

「リュカ様、お腹すいていませんか?」
「すいた…」
「滋養のあるものを何かお作りします。失った血を早く取り戻さないといけませんからね」

 赤鬼のいなくなった室内で、セキシに新しい着物を着せてもらう。質問されて初めて、リュカは自分が空腹であることに気がついた。認識した途端に腹の虫がぐうぐうと豪快に鳴きだす。少年の腹の音を耳にしたセキシは、心底嬉しそうに顔を綻ばせる。その表情に、いじけていた気持ちも少しだけ和らいだのだった。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

復讐のための五つの方法

炭田おと
恋愛
 皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。  それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。  グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。  72話で完結です。

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

『これで最後だから』と、抱きしめた腕の中で泣いていた

和泉奏
BL
「…俺も、愛しています」と返した従者の表情は、泣きそうなのに綺麗で。 皇太子×従者

王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る

家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。 しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。 仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。 そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。

キサラギムツキ
BL
長い間アプローチし続け恋人同士になれたのはよかったが…………… 攻め視点から最後受け視点。 残酷な描写があります。気になる方はお気をつけください。

好きなあいつの嫉妬がすごい

カムカム
BL
新しいクラスで新しい友達ができることを楽しみにしていたが、特に気になる存在がいた。それは幼馴染のランだった。 ランはいつもクールで落ち着いていて、どこか遠くを見ているような眼差しが印象的だった。レンとは対照的に、内向的で多くの人と打ち解けることが少なかった。しかし、レンだけは違った。ランはレンに対してだけ心を開き、笑顔を見せることが多かった。 教室に入ると、運命的にレンとランは隣同士の席になった。レンは心の中でガッツポーズをしながら、ランに話しかけた。 「ラン、おはよう!今年も一緒のクラスだね。」 ランは少し驚いた表情を見せたが、すぐに微笑み返した。「おはよう、レン。そうだね、今年もよろしく。」

見ぃつけた。

茉莉花 香乃
BL
小学生の時、意地悪されて転校した。高校一年生の途中までは穏やかな生活だったのに、全寮制の学校に転入しなければならなくなった。そこで、出会ったのは… 他サイトにも公開しています

処理中です...