盗みから始まる異類婚姻譚

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29. 暴走

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 ステラの後を追って角を曲がったリュカだったが、何かに足を取られて派手に転んだ。反射的に両手を床についたものの、盛大に顔を打ち付けてしまう。
 慌てて顔を上げるも、ステラの姿は無かった。絶望にも似た気持ちに見舞われ、動けなくなっていると、背後からくすくすと笑い声が聞こえた。途端、腰にずしんと重いものが落ちてくる衝撃を感じて、リュカはうめき声を上げた。髪を鷲掴みにされ、喉が反るくらいに顔を上げさせられる。

「ねえ、随分と可愛がってもらってるみたいじゃん。塵虫のくせに」

 耳に絡みつくようなねっとりとした声の持ち主はステラだ。

「不相応な上等の服を着せられて、肉付きも肌艶もずっと良くなってるし。特別見目も良くない、何の能力もない君がどうして?ねえ、どうやって取り入ったわけ?」
「ぅ、ぐ…っ!」

 ステラが一言一言紡ぎ終える度に、顔を床に打ち付けられる。鈍い衝撃音に、頭がくらくらした。やられっぱなしでいる筈もなく、リュカは抵抗した。肘を振り上げた一瞬、ステラがたじろいだのを見逃さず、体を捻って床の上を転がる。体勢を崩した蝶の少年に蹴りを食らわせて、リュカは距離を取った。

「…知るかよ!取り入ってなんか、ねえしっ」

 リュカは口の中に流れ込む鼻血を吐き捨てた。袖で口元を拭う。錆びた鉄のような味が口内に広がり、少年は不快感に顔を歪めた。

「嘘吐き。絶対に何か秘密があるはず。でなきゃ、鬼一族の嫁として迎えられる筈がない」
「…それは」

 蘇芳の気まぐれだ、とはとても言えなかった。本当に秘密も何もない。
 確かに傍目から見れば、人間の奴隷としてはこれ以上ない程の待遇だろう。だが蘇芳の嫁とは言え、永遠に約束された立場ではない。赤鬼の機嫌一つで変わる、不安定で期限付きのものだ。いつ彼の気が変わって、捨てられ殺されるかもわからないのだ。取り入る秘密があるのなら、こっちが知りたい。
 ぎゅう、と胸が苦しくなるのを感じて、リュカは下唇を噛んだ。不安に苛まれ、下を向いていたリュカは、ステラが突進してくるのに気がつかなかった。

「い゛…っ」

 視界が反転し、少年はステラによって床の上に引きずり倒された。受け身も取れず、鈍い音と共に衝撃が走り、脳が揺れる感覚がした。

「答えられないってことは、やっぱり何か秘密があるんだ」
「知ら、ねえって…!」
「許せない!人間のくせに、奴隷のくせに…!」

 ステラはリュカの上に馬乗りになると、大きな目をさらに見開いた。据わった目に、ぞっとする。

「本当に自分があの人にふさわしいと思ってるの?たかが人間の分際で?ねえ、僕にちょうだいよ。蛆虫よりも僕が傍にいる方がよっぽど役に立つと思わない?代わりに、僕のご主人様あげるからさ」
「ふざけんな…っ」
「さっき会った時も、君に興味を示してたしさ。ね、君、セックス慣れてないでしょう?僕のご主人様、短小で入ってるのかどうかわからないくらいだからさ、きっと辛くないよ。お似合いだと思うなあ。醜男と人間の奴隷って」

 邪悪な笑みを浮かべたステラは少年の抵抗をものともせず、全体重をかけてくる。体勢的にリュカは圧倒的に不利だった。更に悪いことに、ステラは彼の腕に足を乗せて身動きすら封じてくる。リュカは足をばたつかせて逃れようとするも、大した効果はない。

「この角だって、似合ってないよ。取ってあげるね」
「やめろ、離せ!ステラ!やめろっ」

 ステラは彼の額から生えている契角に手をかけた。悪意を持って力いっぱい握られて、リュカの肌は粟立った。必死でもがくが、上に乗った蝶の少年はびくともしない。
 角を引っ張られ、頭に激痛が走った。リュカはたまらず叫んだ。涙がどっと溢れた。ミシミシと皮膚が悲鳴を上げているのが分かる。

「うるさいな。誰か来ちゃうじゃん」

 ステラは絶叫するリュカの口に手巾を詰めた。最後の抵抗だった悲鳴すらも封じられ、為す術もない。
 身を裂くような痛みと息苦しさの中、少年の脳裏をよぎったのは蘇芳の言葉だった。頭蓋に根を張った契角を無理に引き剥がせば、頭は弾けて脳みそがそこら中に散らばり、死ぬのだ、と。
 死に近づいているのが自分でもわかり、リュカは恐怖した。契角が生えている部分が燃えるように熱い。
 嫌だ、死にたくない。ましてやステラに殺されるなんて、まっぴらごめんだ。それに、まだ自分が何者かも分かっていない。沙楼羅はその内おのずと分かると言った。もし本当に自分が人間じゃないのだとしても、このまま死んでしまうのなら何の意味もない。異形として何らかの力を有しているのだとしたら、今ここで発現しろよ!助けろよ、くそが!
 恐怖と痛みと悔しさの中、リュカは何か分からない形のないものに必死で助けを求めた。

 パキン。

 祈りに呼応するかのように、硝子が割れるような音をリュカは耳にしていた。心臓が大きく拍動する。

「…え、何で目が銀色に…っ!?」

 目を丸くしたステラの体から一瞬力が抜ける。その隙を逃さず、リュカは蝶の少年を腕力で押し退けた。途轍もない力で体勢をひっくり返され、今度はリュカが馬乗りになる番だった。

「退けっ!」

 ステラは拳を振り上げ、少年の頬を殴った。リュカの体は一瞬ふらついたものの、即座に持ち直し振り上げられた腕を掴んだ。嫌な予感を察知したステラが声を上げる前に、彼の腕は本来とは逆の方向に曲がっていた。ボキッ、とまるで太い枝が折れる音がした。

「腕が…!僕の腕がああああァァァァァ……ッ!」

 耳をつんざくような絶叫が辺りに響き渡った。だがリュカは顔色一つ変えず、口内の血を彼の顔に吐きかけた。殴られたせいで口内が切れ、血が溜まっていたのだ。
 痛みに瞳孔を見開き泣き喚くステラを押さえつけ、リュカは彼の首に両手を巻き付けた。指に、腕に全体重を乗せ、力を込める。残った片腕で、蝶の少年は抵抗した。だが顔や手を引っかかれても、リュカは表情を変えず、ただただステラの首を締め付けた。
 酸素を断たれ、ステラの顔色がみるみる赤く変わっていく。顔には血管が浮かび上がり、白目を剥いていた。長い間悲鳴を上げていた口は、耳障りな音を立てていた。

「リュカ!」

 悲鳴を聞きつけたらしい蘇芳が二人のもとに駆けつけた。その後ろには琥珀と青藍の姿もあった。
 だがリュカは露程も気にしないようだった。視線すら向けようとせず、ひたすらにステラの息の根を止めようとしている。

「リュカ、やめろ!」

 蘇芳はリュカを抱き上げ、ステラから引き離した。そこで赤鬼は少年の瞳が銀色に変化していることに気がついた。
 その傍らでは、激しく咳き込むステラに青藍が声をかけている。

「お前…、目が」

 その銀の瞳がギョロリと蘇芳に向く。少年は赤鬼の顔に肘鉄を食らわせた。獣のような雄叫びをあげ、彼の腕の中から逃れようとする。それはリュカではなく、全く別の何かが彼の体を乗っ取っているかのようだった。

「リュカ、落ち着け。俺を見ろ。リュカ、俺だ」

 蘇芳はリュカの頬を両手で掴み、呼びかけた。少年は牙を剥き出しに赤鬼を威嚇していたが、必死の呼びかけに応えるかのように、それは少しずつ形を潜めていく。

「す、ぉ…?」
「ああ」
「ぁ、…おれ、俺…なんで…?」

 リュカの呼吸は荒く、怯えた様子で瞳が揺れている。意識を取り戻した少年に、蘇芳は一瞬安堵したものの、彼の目の色が戻らないことに眉をひそめた。

「ステラ、儂の可愛いステラ…ッ!」

 顔面蒼白のステラの主人がたるんだ腹を揺らしながらやって来た。青藍はすっと身を引き、彼に場所を譲った。主人に抱き起こされたステラは彼に泣きつき、リュカを指差した。

「化け物…ッ!銀の目をした化け物…っ!僕を、…僕の腕を折って…いたいけな、無抵抗の僕を、殺そうとした…!」
「…違うっ!お前が、…俺を殺そうとし…!」
「リュカ、無理するな」

 リュカは言い返そうとしたが、咳のせいで言い終えることはできなかった。

「小僧、許さぬぞ!人間の分際で、この儂の物を傷物にしおって…。その矮小な命をもって償え!」
「黙れ。てめえこそ誰に向かって口を聞いてる。一族郎党皆殺しにされてえか」

 怒りに目を血走らせ、真っ赤な顔で唾を飛び散らす小太りの男を、蘇芳は鋭い眼光で睨みつけた。全身から溢れる凄まじい殺気に、男はたじろぐ。
 一連の騒ぎを聞きつけて、彼らの周囲には野次馬が集まり始めていた。蘇芳は舌打ちをすると、リュカを抱き上げた。カタカタと体を震わせているリュカは、彼に縋るようにしがみついた。

「…リュカ、隠れてろ。ここにいる奴らに顔を見られるな」

 赤鬼の言う通り、少年は彼の肩に顔を埋めた。良い子だと言わんばかりに優しく頭を撫でられる。

「退け。帰る」

 蘇芳は野次馬を押し退け、出口へと向かった。青藍の隣に、琥珀が並ぶ。

「いや~びっくりしたねえ。ねえ青藍、銀の瞳なんて見たことある?」
「…初めて見る」
「しかもさ、あの人間ちゃん、リュカって言うんだねえ。名前なんかない、って言ってたけどやっぱ嘘だったか~」

 親友だってのに、寂しいねえ。
 おどけた様子で肩を竦める琥珀の嘆きを耳にしながら、青藍は去りゆく二人の姿を見えなくなるまで目で追っていたのだった。
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