盗みから始まる異類婚姻譚

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27. 奴隷

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 男は、蘇芳が返事をするよりも前に勝手に席に腰かけた。
 鋭さを感じさせる雰囲気の彼は水色の髪に、瞳孔と白目が逆転したような、妙な目をしていた。白目の部分が黒く、瞳孔が白いのだ。長く尖った耳より下は全て刈り上げ、少し長めの髪をその上で結わえている。顔中ピアスだらけだ。袖のない服を着ていて、両腕にはびっしりとタトゥーのような紋様が彫られている。下唇を貫通している太い棒状のピアスが何だか痛そうで、リュカは内心悲鳴をあげていた。

「なァ、アンタ、鬼族の蘇芳だろ。血みどろ羅刹って異名の」
「……」
「お噂はかねがね聞いてるぜ。敵陣に血みどろ羅刹のいる戦争は勝てっこねえってな。いやあ、まさかマジモンを拝めるなんて夢にも思わなかったぜ。なァ、烏天狗に育てられたって本当か?山みたくデケェ巨人を使役してるってのは?」
「…誰だてめえ」

 それまで男の存在を徹底的に無視していた蘇芳だが、ようやく謎の人物に顔を向けた。答える声は心底うざったそうで、怒気すら孕んでいる。

號斑ごうはん族のバトーだ。最近親父の跡を継いで頭目になった」

 バトーと名乗る男は、そう言って手を差し出した。だが蘇芳はその手を一瞥しただけで、無言を貫いた。赤鬼に握手する気がないと早々に悟ったバトーは、おどけた様子で肩を竦めた。

「戦争屋と言やあ、黒鳶率いる鬼一族ってくらいに、アンタら一族はここ百年程でかなり名を上げたよなァ。さぞかし儲かってンだろ?随分羽振りがいいって聞くぜ。いやさあ、今後の方向性について悩んでてよ。親父が穏健派だったせいで、血生臭いことを遠ざけるようになってンだ。戦闘民族として昔は恐れられてたってのに、今や形なし。子は増えても領土は拡大するどころか縮小して、ジリ貧だ。情けねェだろ」

 バトーは鼻を鳴らして自嘲する。蘇芳は一切関心が無いらしく、正面を向いて座ったままだ。
 さっきのゴブリン以上によく喋る。よくもまあ、そんなにも舌が回るものだ、とリュカは思った。蘇芳の膝の上で少しだけ身を乗り出して、バトーを見る。すると、まるで彼もこちらを見ていたかのように、ばっちりと視線が交わってしまった。慌てて体勢を戻して隠れるも、今度はバトーが前屈みになって、リュカのことを覗き込んでくる。

「あンだソイツ、アンタの餓鬼か?…ってよく見りゃ人間じゃねえか」

 自分は空気、もしくはいないものとして存在したかったのに、認識されてしまった。やばい予感しかしない。出来るものなら蘇芳の胸に埋まって一体化したい。

「ア……?ハハッ、傑作!人間の癖に鬼の角なんかつけてやがる!」

 無遠慮な視線が全身に突き刺さる。逃げたくても、どこにも逃げ場はない。

「その角、一体どういう原理でくっついてンだ?なァ、ちょっと見せろよ——」

 目を見開いて下卑た笑みを浮かべるバトーが手を伸ばしてくる。迫りくる大きな手が何かの生き物のように見えた。本能的な恐怖と嫌悪を感じて、リュカは喉がひくりと動くのを感じていた。自分の角ではないが、もはやすっかり自分の体の一部なのだ。残虐さしか窺えないバトーに触られるなど、心底嫌だった。だけれども恐怖で体が硬直してしまい、角を庇うことさえ叶わない。リュカはぎゅっと目を閉じた。
 途端、響き渡った甲高い音に、少年は恐る恐る目を開いた。バトーの顔からは笑みが消え、こっちに伸ばされていたはずの手は、空中で行き場を失くしていた。

「人の物に勝手に触ろうとしてんじゃねえよ」

 上から降り注ぐ不機嫌な声に、リュカは自分を抱いている鬼を見上げた。眉間には深い皺が寄り、顔を歪めている。全身からバトーへの殺意がだだ漏れになっている。一触即発の雰囲気に、周囲の空気がずんと重くなる。
 蘇芳が守ってくれたと知り、リュカは全身の緊張が和らぐのを感じた。赤鬼はそんなつもりはなく、ただバトーのことが気に入らなくて手を叩き落としたのだろうが。それでもリュカは安堵して、己の腹に回された腕をぎゅっと胸に抱いた。

「悪ィ悪ィ、不快にさせるつもりはこれっぽっちもなかった。ただ、種族が違えば人間への扱いも随分違うモンだなと思ったら、面白くてよォ」
「あ?」
「俺も飼ってンだよ、人間の奴隷。ホラ、これ」

 バトーはそう言うと上半身をかがめ、何かを引きずり出した。
 それは、人間の少年だった。リュカとそう年齢は変わらないように見える。首輪は言わずもがな、両手首と足首には革の拘束具が、口には口枷がつけられている。黒い髪は伸び放題で腰に届きそうな程に長く、体は極度に痩せていて骨と皮だけのように見えた。肉がないせいで落ち窪んでいる目は、片目が潰れていた。うす汚れた肌を埋めつくすかのようにミミズ腫れが酷く、見るからに痛々しい。一応布切れは身に纏っているが、ゴブリンの方がマシなものを着ていると思ってしまうくらいにはみすぼらしかった。
 リュカは悲鳴を上げそうになったが、何とか飲み込んだ。彼にとって自分以外の人間を目にするのはこれが初めてだった。想像以上の凄惨な扱いに、血まで凍りつきそうな感覚に陥る。
 リュカと少年の視線が交差する。生気のなかった黒い瞳が、リュカの姿を目にした途端に驚きに見開かれた。だが、それも長くは続かなかった。バトーが首輪に指を引っかけて、後ろにぐっと引っ張ったからだ。奴隷の少年の顔が苦痛に歪む。自分がされた訳ではないのに、リュカは己の喉がぐっと締まる気がした。

「犬、お前も可哀想になァ。俺じゃなく、血みどろ羅刹に拾われてたら、アイツみたいに可愛がってもらえてたかもしれねェのになァ」

 バトーは少年の耳に唇を押し当てた。主人の蔑む声に、彼は奴隷は目を見開いて激しく頭を左右に振った。口枷の隙間から呻き声が聞こえる。

「あン?聞こえねー」
「…っは、…ぼ、僕は…っ、バトー様の奴隷でいられて、幸せ、です…っ!バトー様でなきゃ、ぼく、僕は…っ!」
「ハハッ、よく分かってンじゃねーか」

 一瞬だけ枷を外された奴隷は、早口にまくし立てた。懇願するような、でも恐怖に満ちた声は所々割れて聞きづらい。少年の目からは涙が溢れていた。彼はまだ何か言いかけていたが、満足したらしいバトーによって再び口枷をつけられてしまった。
 目の前の光景に、リュカは衝撃を隠せないでいた。呼吸をするのが苦しい。この世界で人間がどういう存在なのか。現実を突きつけられ、思い知らされる。
 自分は人間ではない、とは沙楼羅や蘇芳から聞かされている。だが、銀の目になっているのを見たことはないし、体の変化も全く感じられない。どこからどう見ても人間でしかない。
 そんな自分も、蘇芳に飽きられ捨てられてしまったら、こうなる末路なのだろうか。赤鬼の言う通り、生きたまま頭を開かれ、内臓を引きずり出されるのだろうか。

「…悪趣味だな」
「アンタも同じ穴の貉だろ。人間の奴隷に鬼の角をつけて愛でるとか、大概だぜ」

 蘇芳は嫌悪感を露に吐き捨てたが、バトーは全く意に介さないようだった。余裕すら感じさせる表情で、ニンマリと口角を吊り上げている。彼の足元では、奴隷の少年が小さく嗚咽をもらしながら、バトーの足に縋りついていた。だが男はそれをうっとうしそうに振り払い、蹴りつけた。

「皆様、大変お待たせしました!これよりオークションを開催致します!」

 舞台にライトがつき、犬の頭の異形が大きく手を広げ、お辞儀をした。すると掛け声と同時に、客席の間から間仕切りが現れた。仕切りは黒く高く、隣の客の姿は完全に見えないようになっている。
 バトー達のことが見えなくなっても、リュカは視線を逸らせないでいた。奴隷の少年の姿が残像のように頭にこびりついて離れない。

「チッ、…胸糞悪い」

 舌打ちを耳にして、ようやく意識が逸れる。蘇芳は忌々しいと言わんばかりに呟き、頭を乱雑に掻いた。

「あの人間を助けてやれ、とは言わねえんだな」

 赤鬼を見上げると、静かにこちらを見下ろしていた。

「哀れに思って、助けてやって欲しいとでも言いだすんじゃねえかと思ってた」
「…言わ、ない。助けたい、って思ったけど、それを蘇芳に頼むのは、何か違うと思った。万が一助けられたとしても、あのバトーってやつ、きっとすぐに新しい人間の奴隷を手に入れる。全員なんて、助けられない。今の奴だって、助けた後の人生、俺が責任を取れるわけでもない。だから口出しも手出しもできないし、する資格もない」
「…よく分かってんじゃねえか」

 蘇芳に頭を撫でられる。まるで慰めるかのような、優しい手つきだった。
 腿の上に置いた手を握って、拳を作る。大した物言いをしたが、リュカの本心は打算的だった。
 奴隷の少年を助けたとして、蘇芳の関心が彼に向くことが怖かったのだ。暇潰しは一人いれば事足りる。そうなれば、捨てられるのは自分かもしれない。もしバトーに売られでもしたら……と想像するだけでも心底恐ろしかった。バトーに比べたら、蘇芳の元にいる方が何百倍もいい。衣食住に困ることはないし、暴力を振るわれたのだって、あの夜だけだ。セックスはしなければならないが、あの奴隷の少年のようにいたぶられるよりはずっとマシだ。
 きっといつかは飽きられる。だが、リュカは気づいてしまった。今の生活を手放したくない。セキシのことも大好きだし、離れたくない。蘇芳のことも嫌いじゃない。どうにかして、飽きられないようにしなければ。
 リュカはきゅっと唇を噛みしめた。
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