盗みから始まる異類婚姻譚

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13. 散策

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 赤鬼の許可も得たことだし、とリュカは気を取り直して赤い屋敷の外に出た。広大な敷地で一番に目につくのは会合のために足を運んだ黒塗りの屋敷だった。敷地の奥まった所に建っているというのに、どの建物よりも大きく、重厚な佇まいで自由に歩き回れると言われても近寄りたくない。その黒屋敷の両側に様々な色の屋根をした屋敷が方々に並んでいた。中でも多いのは黄色い屋根の屋敷だ。蘇芳とリュカの住まう屋敷は黒屋敷とは反対の端に位置している。
 何を言われようとも気にしない、と蘇芳に言ったものの、彼が不機嫌になったのがどうにも心に引っかかって、リュカはなるべく注目を浴びずに済むように塀沿いに歩いた。自分を伴侶に迎えたのは彼の本意ではない。暇潰しの伴侶だが、他の鬼に批判されると自分の顔に泥を塗られるようで嫌なのだろうか。確かに会合では青藍という青い鬼に対しては反抗的だった。

「でも、あれは俺が馬鹿にされたから、というか…青藍自体に敵意むき出しって感じだったしなあ」

 腕を組んで歩きながら物思いに浸っていたリュカだったが、目の前に現れた小さな池に意識を奪われた。石造りの池にはアーチ型の橋がかかり、橋の中央は円形に膨らんで、休憩所のようなこじんまりとした建物が設けられていた。橋も休憩所も朱塗りで美しい。
 辺りには誰もいないことを確認して、リュカは橋の中央へと駆けた。休憩所の長椅子に腰かけてみる。池の周りは高さのある植物や花があり、同じ敷地内でありながら少し空気が違う。石の上では複数の亀が日光浴をしている。欄干に近づき、隙間に顔を突っ込んで池を覗きこめば、鮮やかな模様の鯉が何匹も優雅に泳いでいた。

「おー、でっか。体ふっと」

 丸々と肥えた胴回りの太い鯉たちに、さぞたらふく餌を食ってるんだろうなと予測する。自分は毎日腐りかけのパンで飢えをしのいでいたと言うのに。鬼の庭で飼われている鯉よりも人間の自分は格下だと思うと、世界ってやっぱり狂ってるなと思う。
 指先を水につけてちょいちょいと動かすと、餌と勘違いしたのか鯉たちが寄ってくる。おもしれーと思いながら動かし続けていると、一匹の鯉が口を開け、鋭く小さな歯が並んでるのが見えた。え、と思った時には既に遅く、鯉はリュカの指に噛みついていた。

「いだーっ!」

 口内から引き抜こうとするも、指先には歯ががっちりと食い込んでいる。鯉も尾びれを激しく動かし、まるでリュカを水中に引きずり込もうとしているかのようだった。血が水中に溶け出していく。

「ごめん、ごめんって!俺の指、餌じゃないから!許して…っ」
「無理に引き抜くな。食いちぎられる」
「え?」

 鯉に泣きの入った懇願をしていると、凛とした声が聞こえた。頭上から伸びてきた長い腕が、リュカの手首を掴んだかと思うと、水中に押しこんだ。するとあれほどしっかりと食いついてきた鯉は嘘のように口を離し、どこかに泳いでいった。
 まさか魚に牙をむかれることになるとは思わず、リュカの腰が抜ける。噛まれた指先の安否を確認する。歯が食いこんだ部分は穴が開いて血が流れているが、千切れたりはしていない。良かった、ちゃんとついてる。
 お礼を言おうと顔を上げた少年は、そこにいる人物を目にして動きを止めた。青い髪に青みがかった白い肌の、青藍だった。冷たい氷のような目でリュカを見下ろしている。

「た、助けてくれてありがとう」
「ここで何をしている」
「散歩してたら見つけて、鯉と亀見てた」
「貴様の目は指先にでもついているのか。その顔についているものは何だ」
「う、ちょ、ちょっと出来心で突っこみました…。まさか狂暴だとは思わなかったから、ごめんなさい」
「いかにも人間らしい浅はかな考えだな。自分より小さいものは、自分よりも弱い筈だと?」
「…そういうつもりじゃ…っ!…ごめんなさい、もうしません」

 その場で正座をし、小さな体をさらに縮こまらせて、リュカは謝罪した。青藍はフンと鼻を鳴らすと、長椅子に腰を下ろした。不愉快そうではあるが、リュカに手を上げたり、追い出そうという様子は見られない。

「ここは、青藍…さん!の領域、ですか?」

 呼び捨てにしようとすると凍てつくような視線を向けられ、慌てて敬称をつける。慣れない丁寧語に舌がもつれそうになった。蘇芳とは違う威圧感だ。赤鬼は揶揄してくるから言い返しやすくて、ついつい反抗的な態度をとってしまうが、青藍にはとてもじゃないがそんなことはできそうにない。

「…いや、違う。もう、誰のものでもない。私がただ好きで来ているだけだ」

 青藍は池に視線を移した。その横顔が何だか寂しげで、思わず見入ってしまう。

「じゃあ、俺もたまに来てもいいか?…鯉と亀見るだけ、触らない。絶対」
「私の許可を得る必要などない。好きにすればいい」
「やった!ありがとう。邪魔になるから、俺戻るよ」

 リュカはにこりと笑うと、じゃあねと青藍に声をかけ、その場を後にした。屋敷に戻った少年はセキシを探して、手当てをお願いした。たかが指の怪我だと言うのに、従者の青年は今までになく取り乱し、リュカを質問攻めにした。どこに行っていたのか。何をしてこんな怪我をしたのか。
 穏やかな笑みを浮かべてどこか飄々とした彼しか見たことがないために、リュカはたじろいでしまって言葉が出ない。質問に答えずに、ただ口をぱくぱくさせる少年に業を煮やしたのか、セキシは彼を自室に引きずりこんだ。

「いたっ。痛い!しみる!」
「当たり前です」

 水でよく洗った傷口に、消毒液がたっぷり染みこんだ脱脂綿を押し当てられ、リュカは悶絶した。手足をばたばた動かして抵抗していたら、セキシに実力行使に出られてしまった。彼の膝の上に抱き上げられて、羽交い締めだ。極めつけに、良い子にできればお菓子をあげます、と言われてリュカは陥落した。
 まるで幼子に対する扱いだが、気分は悪くない。お菓子ってどんなのだろう。痛みと葛藤しながらも、リュカの頭の中は食べ物のことでいっぱいだった。

「騒がしいな。何があった」

 リュカの悲鳴を聞きつけたのか、気怠げな蘇芳が部屋に入って来た。セキシが主人に少年の怪我のことを話すと、赤鬼は器用に片眉を跳ね上げた。

「あ?何で怪我した」
「全くです。この傷、まるで噛み跡のようですよ」
「…鯉に噛まれた」

 リュカは赤鬼二人の迫力に逆らえず、リュカはぼそりと呟いた。大事のように騒がれているが、負傷の理由は何とも情けないものだ。

「何です?リュカ様もう少し大きな声で…」
「指を水面で動かしてたら、鯉に噛まれたんだよッ!」

 耳を口元に寄せるしぐさをするセキシに、リュカはやけくそとばかりに大きな声で叫んだ。とんでもない羞恥プレイである。

「鯉…?」

 セキシは呆気に取られて目を丸くし、勢いよく息を吹き出した蘇芳はその場に膝をついた。そのまま腹を抱えてゲラゲラ笑い、床の上を転げ回る。豊かな赤髪が床に広がる。あまりにも激しく笑う赤鬼に、リュカはセキシの膝の上で顔を真っ赤にして体を震わせていた。

「リュカ様、どこで鯉に噛まれたんです?」
「え?池」
「どこの池です?」
「石造りの、長椅子が置いてあって橋がかかってる池だけど…。他にも池あるのか?」

 リュカの発言に、主人と従者は顔を見合わせた。蘇芳の顔からは笑みが消えている。沈黙が流れているが、二人の間に漂うただならぬ雰囲気に、少年も眉を潜めた。蘇芳とセキシの顔を交互に見る。

「…リュカ、そこで誰かに会ったか」
「うん、青藍に」

 自分を膝の上に抱き上げているセキシが息を飲んだ。彼の反応に、リュカも戸惑ってしまう。

「何かされたか」
「ううん。むしろ、鯉に噛まれて池に引きずりこまれそうになった俺のこと助けてくれた。…なあ、何なんだ?あの場所、行っちゃいけない場所なのか?」

 あの池にまた行く約束をしたことは黙っていた。青藍の名前を出しただけでこのありさまなのだ。言えば最後、セキシの呼吸は完全に止まってしまうのではないかと少年は思った。

「別に行っちゃいけねえことはないけどな…。鯉に噛まれて怖い思いしたんだろ。行くのやめとけ」
「べっつに、怖くなんてなかったし!」
「それっぽっちの怪我の手当てでピーピー騒いでたくせに、よく言うぜ」
「ぐ…っ」
「それにあの池にはな、主と呼ばれる鯉よりもでけえのがいるんだよ。狂暴も狂暴。驚異の力で池を覗きこむ奴を水中に引きずり込むらしい。しかも好物は活きのいい餓鬼らしいぜ」
「ひえっ…」

 あの鯉より狂暴だなんて全く想像ができず、リュカは思わずセキシにしがみついた。青ざめる少年のビビリ具合に満足したらしい蘇芳は、ニヤリと笑った。

「あと、俺と青藍はめちゃくちゃ仲が悪い。…原因は奴が何でもかんでも突っかかってくるからだが」
「…それは俺には関係ないじゃん」
「ばーか。俺を敵視してるってことは、俺の嫁であるリュカのことも気に喰わないに決まってるだろ。何をしてくるかわからねえから、もう近づくな。…ほら行くぞ。セキシは忙しいんだ。いつまでも引っ付いてんな」

 蘇芳は立ち上がると、セキシに抱きついたままのリュカの首根っこを掴んで引き離した。まるで犬か猫へするかのような運び方に、リュカは手足を振り回して暴れた。

「嫌だ、俺セキシといる!おやつもらうんだっ」
「後でお持ちしますよ、リュカ様。ご心配なさらず」

 セキシに向かって手を伸ばしたリュカだったが、正座したまま笑顔で手を振る彼に見送られたのだった。
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