盗みから始まる異類婚姻譚

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12. 春画

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 蘇芳の屋敷に来て以来、リュカは暇を持て余すようになった。テル・メルにいた頃は休憩などあってないようなもので、四六時中清掃業務に駆り出されていた。物心ついてからはそれが彼の日常で、普通だった。だが今は何も頼まれないし、いくら惰眠を貪っても咎められない。ご飯をどれだけ食べようとも許される。夢のような生活だが、リュカは早々に飽きてしまった。
 生来の気性もあって、ただじっとしているのが苦手だったリュカはセキシに何か自分にできることがないか尋ねた。清掃が得意だが時間は有り余っているし、清掃以外でも言われれば何でもやる、と。だが、セキシは驚きに一瞬目を丸くするもすぐさま微笑んで、ゆっくりしてもらって構わないと言った。屋敷のことは、自分たちにまかせてほしいとも。少年は食い下がろうとしたが、セキシの柔らかな笑みの向こうに有無を言わせぬ威圧感を感じ取り、泣く泣く諦めるしかなかった。
 そこでリュカは気が進まないながらも、蘇芳に掛け合ってみることにした。セキシに彼の部屋を教えてもらい、入るなり小刀を手に赤鬼に襲いかかる。だが背中を向けて座椅子に座っていた蘇芳は、まるで背中に目でもついているかのように、易々と避けた。勢いあまって前方に倒れそうになる少年の手首を掴み、己の膝の上に引きずり倒す。

「だから、殺気だだ漏れだっての。お前、娼館でスリ繰り返してたんだから、もちっとうまくやれよ」
「う゛…くそ」
「あと考えすぎて、体がっちがちな」

 手首を解放されて、リュカは体を起こして赤鬼の膝から降りた。何か用か、と座卓に頬杖をつく彼に、自分に何かできることがないか尋ねる。手持ち無沙汰で何かしないと気持ちが悪い、と正直に話した。

「お前つくづく奴隷根性しみついてんな」
「うるさいなっ。仕方ないだろ」
「そんなに暇なら、俺に奉仕しろよ」
「…奉仕って?」

 若干嫌な予感がしたが、リュカはあえて聞いてみた。己の股間を一瞥した蘇芳の口角がニヤリと吊り上がる。

「俺のをしゃぶる、とか」
「はー!?バッカじゃねえのっ」
「やることが欲しいって言ったのリュカだろ」
「そういう意味で言ったんじゃねえ!」

 顔を真っ赤にしてキャンキャン吠えるリュカに、蘇芳はくつくつとのどを鳴らして笑った。

「じゃあ、本でも読めよ。まあまあな数あるから、しばらくは退屈せずに済むぞ」
「…俺、文字読めない」
「問題ねえよ。絵がメインだからな。餓鬼でも読める」

 赤鬼に促されて、リュカは部屋の隅に置かれている小さな棚から、黒い背表紙の冊子を取り出した。ぱらりと中を開いて、リュカは仰天した。春画本だった。全項に渡って、様々な異形がまぐわっている卑猥な絵が描かれている。少年は悲鳴を上げて書物を手放した。春画本は弧を描いて宙を飛び、蘇芳の手に収まった。赤鬼は腹を抱えてゲラゲラと笑っている。
 リュカは棚に収められた他の本を出して中身を確認した。まさかとは思ったがそのまさかで、冊子は全て春画本だった。

「もういい。あんたに相談した俺が馬鹿だった」
「待て待て。からかって悪かった。まあ座れよ」

 蘇芳の部屋から出ていこうとすると、手首を掴まれた。全身を震わせて笑う赤鬼に良い気はしないものの、リュカはその場に座った。

「趣味、わる。こんなので興奮してんのかよ」
「これで抜く程相手に苦労してねえよ。ただの興味本位で集めてるだけだ。種族によって生殖器の形や場所が違って、面白いんだよ。例えばこいつ、性器は下半身じゃなくて頭にある」

 見てみ、と言われたページには、頭から幾重にも触手が生えた生物だった。雄型は触手の先が男性器になっていて、雌型の触手がそれを受け入れている。

「うええ、グロ…」
「確かにグロいけど、おもしれーだろ」

 快活な笑みに、少年は思わず頷く。確かに春画としてではなく、異形の生態を観察する観点で見れば悪くないかもしれない。だが好きに持っていけと言われても、あまり乗り気になれなかった。結局は春画本なのだ。眺めていると、やはりむずむずと居心地の悪さが先行してしまう。

「なら、好きに外を散策してもいいぜ」
「いいのかっ?」

 リュカの弾んだ声に、途端に蘇芳の表情は険しくなった。

「身の保証はしねえぞ。鬼の敷地内を人間のお前がうろついて、良い顔する奴は一人もいねえ。あと塀の外には出んな」

 駄目だと言われれば言われるほど、外に出たくなるのは何故なのか。

「外には何があるんだ?窓から見た感じは山しかなさそうだったけど」
「山しかねえよ。だけどな、ただの森じゃねえ。魑魅魍魎が跋扈ばっこする山だ。噂じゃ、竜もいるらしい。鬼の俺らでも近づかねえんだ。人間のお前なんか入った途端に首を掻き切られるぞ」
「竜!?俺、見たことない…」
「おい、目きらきらさせんな。絶対行くなよ……まあいい。どうせ出れねえようになってるしな」

 蘇芳はガシガシと乱雑に頭を掻いた。彼の脅し文句は一切リュカの耳に入っていなかった。少年はすっかり、竜という単語に心奪われていた。テル・メルで働いているときも、トカゲや蛇などの爬虫類系はしょっちゅう目にしていたものの、竜種系は一度も拝んだことがない。世界を壊した、力強さの象徴であり、彼の憧れの対象。それが鬼の敷地を囲う山の中にいるのかと思うと、それだけでわくわくした。

「じゃあ、俺はこれで…」

 口元が緩んでしまうのを隠しきれてないリュカはそそくさと立ち上がった。いても立ってもいられない気持ちだった。敷地内を歩き回ってもいいのであれば、山が良く見える場所を探したくてそわそわしてしまう。

「おい、俺の言うこと聞いてたか?」
「聞いてたよ。外に出ちゃだめなんだろ?」
「それもだが、リュカが敷地内をうろつくのを快く思う奴はいねえって言ったろ。罵詈雑言浴びることになるぞ」

 リュカはきょとん、と首を傾げた。その反応に、蘇芳は訝し気に眉根を寄せる。

「俺、別に何とも思わないけど…。だって、生まれたときからずっと、人間だってことで疎まれて生きてきたんだ。悪態なんて空気と同じくらい当たり前のものだったし、数えきれないほど嫌がらせも受けた。慣れてるから平気」

 淡々と何でもないことのように話す少年に、赤鬼は目を丸くした。
 傷ついていない訳ではない。日々浴びせられる侮蔑的な言葉をいちいち受け止めて、くよくよするのが阿保らしくなっただけだ。自分の人生はそれほど暇ではないし、傷つくことで加害者たちを喜ばせるのも嫌だった。負けず嫌いな性格は厄介事を起こすこともしばしばだったが、良い方向に作用することもあった。

「何だそれ」

 てっきり蘇芳は嘲笑するのかと思ったが、予想に反し、彼は不機嫌になった。ぶすくれて、頬杖をついたままそっぽを向く。

「何で怒ってんの?」
「怒ってねえよ」
「でも急に機嫌悪いじゃん」
「うるせえな」

 しっしっ、と野良犬でも追い払うかのように手を動かされて、リュカは納得のいかないまま鬼の部屋を後にした。リュカは蘇芳をとても気分屋だと思った。ころころと機嫌が変わるし、一体何をきっかけに怒るのかが全くわからない。会って数日の自分でも苦労しているくらいだ。彼の従者をしているセキシはきっと大変だろうなと思った。
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