盗みから始まる異類婚姻譚

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3.鬼からくすねた謎の突起物

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「おい、奴隷。これ洗っておいてくれよ」
「あーあ、床も掃除しなきゃねえ」

 そう言って全身毛むくじゃらの男娼が、精液まみれの下着をリュカの足元に投げ捨てた。びしゃり、と気持ちの悪い音を放ち、白濁した液体がズボンにかかった。
 男娼の隣の、髪が荊の娼婦がはやしたてる。彼らはステラの件を聞いたのだろう。いつもであれば無視するだけで、ここまであからさまな嫌がらせはしない。
 奴隷、人間、お前、あんた、小僧、クソガキ。まだたくさんあるが、テル・メルでリュカはそう呼ばれていた。少年が自分でリュカという名前をつけたことを、誰も知らない。誰も聞かないし、そもそも興味などない。
 リュカが下着を拾うそぶりを見せると、二人は「やだーきたなーい」と愉しそうに笑った。

「ねえ、もう行こ。行商人、来てるらしいよ」
「頼んでた香水受け取らないと。俺、あの行商人苦手なんだよなあ、不気味で」

 早々に興味を失ったのか、彼らは足早に去っていった。姿が見えなくなり、リュカは廃棄袋からシーツを取り出し、精液まみれの下着を包んだ。床についた体液も拭って、再び廃棄袋に突っこむ。汚い下着を洗うなど、さらさらごめんだ。
 あの男娼は、後日きっとこの下着のことを尋ねて来るだろう。リュカが洗ってないことを知って、きっと憤慨する。
 もっと上手く振る舞うべきだと自分でも思う。だが、自分の心を殺すのも嫌だった。それならまだ殴られる方がマシだと、リュカは思っていた。
 リュカは廃棄袋を処理した後、自室へと駆け戻った。精液がかかったズボンを着替え、床下から小さな巾着を懐に、階下へ戻る。客が入れないようにしたサロンで、黒いヴェールで顔を隠した行商人を男娼や娼婦が取り囲んでいた。床にあぐらをかいた行商人は、我先にと欲しいものを口にする彼らの望むものを、いくつもの引き出しがついた木製の行李から次々に取り出した。望んでいたものを手に入れ、娼婦達は満足そうな顔で一人、また一人と去っていく。彼らがいなくなるまで、姿を見られないようにリュカは物陰に隠れていた。

「行商のおっちゃん!こっちこっち」

 誰もいなくなり、荷を片付けて行李を背負った行商人に、リュカは声をかけた。声のトーンを落とし、手招きする。

「今日はもう現れんかと思ったぞ、リュカ」
「ちょっと手間取っちゃってさ…」
「構わん。ほれ、どんなものがあるか見せてみろ」
「うん」

 行李を置き、床に腰を据える行商人に、リュカに笑みがこぼれる。彼が敷いた布の上に、巾着の中身を出した。

「指輪や首飾りなどの詰まらぬ金銀宝飾ばかりだな。…ん?ふむ、タルタリカの毛か。これは良い」

 行商は、糸で巻かれた金色の毛束を手に取った。

「珍しいのか?」
「ああ。タルタリカはそこらの羊と姿は変わらぬが、交尾時には白い毛並みが金に変わるのだ」
「へえ。金になる?」
「そこそこじゃな」

 行商人のしわがれた声や、ヴェールから透けて見える老樹のように筋の入ったミイラのような顔、異様に長い爪の容貌から、彼を不気味だと思っている娼婦は多い。だが、リュカは行商人のことが好きだった。何故なら、奴隷であるリュカを差別的に扱わないのだ。
 初めて会った時、買い取りをしてもらえるかどうか尋ねた。品物を見た彼は一発で、それが客からくすねたものだと気がついた。リーに言い付けられると怯える彼だったが、行商は興奮した様子で、珍しい物を売ってくれれば現金に色をつけてやる、と言った。行商人とっては、リュカがどうやって品物を調達しているのか一切興味がないらしい。彼の関心は、どれほどの珍品名品をお目にかけられるか。その一点のみだった。
 リュカが行商人を好きな理由は何より、名前を呼んでくれる、唯一の人物であるということだ。リュカ、という名前は、世界を壊したという竜、レヴォルークにあやかって名付けた。盗品の買い取りを幾度も続けて、ぽつぽつと会話をするようになった頃に、竜の名前を聞いた。自分も今置かれている状況を破壊したい、脱却したい、と心から願うゆえにレヴォルークに憧れを抱いた。流石に昔話の竜と同じ名前にするのはださいと思って、少し変えてリュカとしたのだった。

「教えた通りにしているだろうな?」

 行商人は全ての物を一つ一つ手に取って確認した後、リュカに目を向けた。出会った頃から、盗んだ物はすぐに売ろうとするな、とことあるごとに言われている。足がつきやすくなるから、少年にとっても行商人にとっても危険だと言う。

「大丈夫だって。俺だって命は惜しいんだ。言われたことはちゃんと守るよ」
「なら良い。何か欲しい物はあるのか?」
「干し肉三つと、それから靴ある?」

 行商は盗品をしまうと同時に、違う引き出しからリュカの望む物を取り出した。

「干し肉と靴の代金を引いた分じゃ」

 現金を受け取るが、いつもより少ない気がした。普段は物を売るだけで何も買わないか、買っても干し肉だけだ。やはり靴を買ったのが痛手のようだった。
 行商に礼を告げ、買ったものと現金を懐に、リュカは誰にも姿を見られないように慎重かつ早足で部屋に戻った。揉め事を起こした罰として、今日は飯の支給がなかった。こういう時ほど、自分で金を稼ぐ術を見つけていて良かった、とリュカは買ったばかりの干し肉をかじりながら思った。少しの量で満腹になるよう、できるだけ咀嚼回数を増やして、すぐに飲みこまないようにする。
 隠しておいた今日の戦利品を、いつものようにベッドに並べる。その中の小さな赤い包みが一際目を引いて、リュカは昼間見た鬼を思い出していた。
 サロンで見かけた後、部屋の清掃を終えて移動していると、あの鬼が両側に娼婦を侍らせて歩いていた。距離を空けて後ろをついていたのだが、鬼の衣服のポケットからこの赤い包みが見えていたのだ。鬼を一目見た時からこいつは何か危険な匂いがすると本能が告げていたのだが、つい魔が差して抜き取ってしまった。ステラやリーのこともあり、ムシャクシャして冷静な判断ができなかったのもある。

「今回はバレてないから良かったけど、次もそうとは限んねえよなあ。あ~、もっと気ぃつけなきゃ…」

 反省するところはしつつ、リュカは気持ちを切り替えた。いつまでもくよくよする暇などない。

「あの鬼から盗んだものは…、なんだこりゃ」

 赤い包みから出てきたものに、リュカは首を傾げた。薄いピンク色をした、小さな円錐だった。指で摘めるくらいに小さなそれは、存外に硬かった。
 これまでも魚人の鱗や、鳥獣の羽根など異形の体の一部を手に入れたことならある。これもそういった類だろうか、とリュカは思った。

「肉片か何かか?」

 リュカは何となしに、割れた鏡の破片を手に取った。前髪を耳にかけ鏡を覗きこむと、吊り上がった茶色い三白眼の、生意気そうな面のみすぼらしい少年が映る。

「こんな小さな突起でもついてれば、もう少しマシな暮らしを送ってたのかな…」

 そうつぶやきながら、リュカは円錐の底の部分を額にくっつけてみた。その瞬間、ぴりっとした痛みが走り、リュカは体を竦めた。鏡がベッドの上に落ちる。だが、落ちたのは鏡だけだった。円錐を持っていた手も離したはずなのに、薄いピンクの骨片のようなものはどこにもなかった。
 おかしい、と額に手をあててみれば、変な感触があった。慌てて鏡を見ると、先程の円錐がぴたりと額にくっついていた。

「はっ…!?な、なんだよこれ…っ!?」

 尖った部分を摘んで取ろうとするも、全くはがれない。何で何で、と躍起になるリュカをよそに、円錐状の何かは跡形もなく消えてなくなってしまった。何度鏡で見て、手で触って確認しても、つるりとした感触があるだけだ。足元にも、あの円錐はどこにもない。

「え、ま、まさか体内に吸収されたとか…!?」

 リュカの顔は青ざめた。あれが一体何なのかもわからないというのに、もし本当に体内に吸収されてしまったのだとしたら、体にどんな影響が現れるのかも知れない。死、という最悪の事態を想像して、その考えを振り払うように、リュカは頭を振った。きっと幻だったんだ。最初から、あんな物体なかったに違いない。
 リュカは自分にそう言い聞かせながら、部屋の中をうろうろと歩き回る。そのうちに呼び出しがかかり、落ち着かないまま、仕事に出る羽目になった。
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