見習い薬師は臆病者を抱いて眠る

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33. 再会

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翌朝、朝食を食べた後、三人と一匹は騎獣にまたがり、森へと出発した。

「師匠、俺とタータだけで行けますよ?」

 二匹の騎獣に、ティオとソルダート、タータとイェゼロという組み合わせで乗っている。青年は子狸と一緒に乗るつもりだったが、騎獣の手綱捌きに不安があり、ソルダートの後ろでしっかりと彼にしがみつくことになった。

「ばあっか、お前完治してねえんだぞ、何かあったらどうすんだよ。それに、ザクセンとも話をしたいしな。何より、お前が今後暮らすようになる森の中がどんな風なのか、この目できっちりと見ておかねえとな!」

 昨日から一体何度馬鹿呼ばわりされているのだろう、とティオは思った。
 イェゼロは一見、弟子のティオの身を案じて同行するように思えるが、実のところ森の植物の生態に興味津々なのは一目瞭然だった。まるで少年のように瞳がきらきらと輝いている。

「森はねえ、おいしいものでいっぱいだよ!魚も肉も、木の実も。その中でも、ティオが作ってくれた爆弾苺のジャムが、オイラ好きなんだ~」
「爆弾苺?なんだそりゃあ!」
「食べると口の中で、つぶつぶがぷちぷち弾けておいしいんだよ!」
「それ程うまいなら一度は食ってみねえとな!」
「タータ…!危ないからちゃんとつかまってて…っ」
「はーいっ」

 タータは爆弾苺に思いを馳せて、うっとりと両手を頬にあてた。手綱を引くイェゼロの足の間にいるとは言え、駆ける騎獣の背に伝わる振動はなかなかに激しい。ティオはタータが落ちてしまうのではないかと、気が気ではなかった。
 森に近づくと、タータによって入り口が開かれた。速度を緩やかに落としつつ、中へ足を踏み入れる。
 途端に視界が瑞々しい植物で覆われる。美しく、それでいて力強い命の息吹が感じられる。周囲を見渡すイェゼロとソルダートの口からは、自然と感嘆の声が漏れていた。

「すっ…げえな、こりゃ…」

 自分の森ではないと言うのに、そうだろうそうだろう、と何故か誇らしい気持ちになる。
 タータの道案内に従って騎獣を歩かせる。その間ずっと、イェゼロの視線はもの珍しい植物に釘づけだった。ティオとタータを質問攻めにして安全性を確かめては、葉や実や蔦などをもぎ取っては、己のカバンに突っこんでいる。
 やがて、見慣れた野原へとたどり着いた。

「着いたよーっ」
「あん?着いたって…綺麗な野原が広がってるだけじゃないか。こんな開けた場所をすみかにしてるのか?」
「ちゃんとおうち、あるよ。オシショウたちには見えてないだけ」

 タータの説明に、イェゼロとソルダートはますます混乱した様子だった。怪訝な顔で首を傾げている。自分たちは化かされているのではないか、と言いたげだ。
 ティオは騎獣の背からおりると、皆にここで待ってて欲しいと告げた。

「オイラも行く!」
「タータ、ザクセンさんと一対一で話をさせて」
「でも…っ」
「お願いだから…ね?」

 今にも後をついてきそうな勢いのタータを手で制止して、にっこりと笑いかける。子狸は不安そうな表情を浮かべるも、渋々頷いた。
 目には見えない洞窟に向かって、一歩ずつ足を進める。離れていたのはたったの数週間だと言うのに、まるで故郷に帰って来たかのような、懐かしい気持ちで胸がいっぱいになる。
 洞窟の中に入れば、狐が大きな体を横たえて眠っていた。起こさないように、足先だけでこっそりと近づく。彼の傍で膝をつき、首元の豊かな毛並みに顔を埋めた。少し獣くさいが、陽の光の良い匂いがする。

「…タータ、やっと戻ってき…」

 目をゆっくりと開いたザクセンは頭だけを動かした。だがすぐに翡翠の瞳は大きく見開かれ、言葉も最後まで紡がれることはなかった。

「ザクセンさん」
「…夢、なのか…」
「夢じゃないよ、きちんと生身」

 呆然と固まる大狐に、ティオは思わず吹き出してしまった。太い首に腕を巻きつけ、頬擦りする。

「大丈夫なのか…!怪我は…ッ!」
「完治したわけじゃないけど、日常的な動作ができるくらいには回復したよ」

 ザクセンは勢い良く体を起こし、ティオの体に満遍なく鼻を這わせて匂いをかいだ。薬師見習いの青年の言葉の通り、無事だと分かると、彼の正面に座る。

「タータも一緒に帰ってきてるから、安心して。今は外で待ってもらってる」
「そうか…良かった」

 ティオの言葉に、ザクセンは明らかに安堵したようだった。

「きっとタータが、お前と一緒じゃないと帰らないとでも言ったのだろう。手を煩わせて悪かった。タータにはきつく言い聞かせておく。…お前を森の入り口まで送ろう」

 そう言ってザクセンは立ち上がり、ティオの横を通り過ぎ、洞窟の入り口へと向かった。待って、と声をかければ、大きな背中が足を止める。

「俺、タータを送りに来たわけじゃない…っ」
「…なら、何だと言うのだ」
「俺が、ここにいたいから、タータと一緒に戻って来たんだ!…それに、ザクセンさんも、俺に会いたがってるって聞いて…」
「まさか、信じたのか?そんな戯言を?…子供は自分の我儘を通すためなら嘘でもなんでも吐くぞ」

 背を向けたままで冷たい言葉を浴びせる大狐の元に駆け寄り、ティオは彼を拳で叩いた。
 ザクセンは振り返り、威嚇のために牙を向いたが、青年の頬を伝う涙を目にして、動けなくなってしまった。

「嘘つきはザクセンさんだっ!タータが嘘をつかない、素直な子だって、一番わかってるのはザクセンさんじゃないかっ!」
「…ッ!」
「俺のことを何とも思ってないなら、どうして俺の道具を置いたままでいるの!?ザクセンさんたちには不要なものなのに、整理してまで残してくれてるじゃないか!」
「それは…」

 図星を突かれたザクセンが言葉を濁す。
 彼と話しながら、ふと視界の隅に捉えた、きちんと整理されて置かれた自分の道具。あの日、採取には不要だからと残していった調合道具だ。居候している間、ザクセンが触れることは一度もなかった。

「師匠に、俺のことを大切な存在だと言ったのも、嘘!?本心じゃないなら、なんでそんなこと言ったんだ!」
「おい…、やめろッ!血が…!」

 ティオは尚も泣きながら、弱々しく拳を打ちつけてくる。その彼の腕に赤いものがだんだんと滲んでいくのを目にして、ザクセンは青年を落ち着かせようと声をかける。だが、興奮状態のティオには、届かない。

「瀕死の俺に、死ぬなって…初めて名前を呼んで、キスしてくれた…!あれは、一体どう言うつもりだったんだよ…っ!」

 大きく振りかぶられた拳が叩きつけられることはなかった。代わりに、柔らかく全身を包まれる。ティオは、人型になったザクセンに抱きしめられていた。驚きのあまり、涙が引っこんでしまう。

「お前が四つ目の狼に襲われたのは、俺の責任だ。あの日、よりにもよってお前を一人で出歩かせた。言い合いになって洞窟を飛び出したタータのことも、すぐに追いかけなかった。少し頭を冷やすべきだと思ってな」

 肩に顔を埋められているせいで、ザクセンが喋る度に熱い息が首にかかる。

「血塗れでぐったりとしたティオを抱いた腕の感触を、今でも覚えている。もうお前の笑った顔や意志の強い瞳を見られないのかと思うと、ぞっとした。生きている意味などあるのかさえ思った。失いそうになって初めて気がついたんだ。…ティオ、お前が俺の心の深いところまで入りこんでいたことに。どれ程お前が俺にとって大切な存在だったのかと言うことに」

 少しずつ、大狐の声がかすれ、震えていく。それでも彼の気持ちが嬉しくて、ティオの心はじんわりと温かくなっていた。青年はそっと魔獣の背中に手を回し、抱きしめ返した。

「俺はいつもこうだ。結局、間に合わない。結局、誰も守れない。昔も今も。守りたいと思えば思うほど、するりと手からこぼれ落ちてしまう。もう一度、お前に何かあれば、俺はきっと狂ってしまう…っ!」

 ザクセンは自分を大切に思ってくれているからこそ、遠ざけようとしているのが分かって、鼻の奥がツンと痛む。
 力強く雄々しい姿とは裏腹に、臆病だ。そうなっても、彼の境遇を思えば仕方がないと思った。愛する者達を一度に目の前で失ったのだ。幼い子供を抱えて、きっと悲しみに浸る暇すらなかった。タータを守るためには、臆病なくらい慎重で排他的になるしかなかったのだ。
 ティオはそんな魔獣を、心底愛おしいと思った。

「心配かけて、ごめんなさい。ザクセンさんの心配ももっともだと思う。俺は、ザクセンさんみたいに牙も高い身体能力もないし、炎を吹ける能力もない。でも、知識と探究心だけは負けない。俺、自分の身は自分で守れるように、強くなるから。ザクセンさんとタータを逆に守れるくらい」

 ゆっくりと体が離れる。魔獣の翡翠の瞳は困惑で揺れていた。ティオは彼の頬を両手で包み、目尻に走る赤い隈取りを親指で撫でた。

「あんな惨い目に遭いながら、どうしてお前はそう真っ直ぐなんだ…。怖く、ないのか。ここにいる限り、同じような危険に晒され続けるんだぞ」
「怖いよ。でも、それ以上に二人と一緒にいたい。ザクセンさんとタータと離れたら、俺の方が狂っちゃう。ザクセンさんも、でしょ?最後に見た日から、痩せた気がする。ご飯、ちゃんと食べてないんだろ」
「…お前の手料理以外、何を口にしても味気ない気がしてな…。食欲がわかんのだ」

 ザクセンの言葉に、ティオは笑みを浮かべた。言い換えれば、自分がいないと駄目と言うことではないか。直接的ではないが、何より彼の本心を物語っている気がした。

「ザクセンさんの胃袋を掴めて良かった。じゃあ、俺、ここにいても、いいよね…?お願い」
「…俺も自分の気持ちに素直になるしかないな。…ティオ、俺達と家族になってくれ」
「もちろんっ!」

 ザクセンもようやく観念し、はにかんだ笑みを浮かべる。ティオは大きく頷くと、大狐の首元に腕を回した。そうして、彼の唇に口づけた。
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