見習い薬師は臆病者を抱いて眠る

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20.父子の過去

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 ザクセンが洞窟周辺の安全の確保の為に見回りに出る夜、ティオは彼の帰りを起きて待つようになった。不安に駆られたタータが夜中にぐずりだすせいもあるが、青年もまた大狐の身を案じていたからだ。
 しんと静まり返った暗い洞窟の中で、いつ戻ってくるかも知れない彼の帰りをただ待つのは予想以上に堪えた。タータはこの小さな体で、何度この寂しく辛い夜を過ごしてきたのだろう。ティオはようやく寝付いた子狸を見下ろした。小さな手が青年の服を強く握りこんでいる。その手にそっと触れる。
 ヴァンピアの植樹だけでしか力になれない自分の無力さに腹が立つと同時に、気分が滅入ってしまう。ソルダートのように腕っ節に自信があれば、イェゼロのような斬新な発想力があれば、父子のためにもっとできることがあるかもしれないのに。ザクセンのいない夜は、ティオはきまって自己嫌悪に苛まれていた。
 ザクセンが戻るなり、ティオはすぐさま駆け寄り、怪我を負っていないかどうか確認するのが恒例となっていた。白金の毛並みの巨体が月の光を浴びつつ、洞窟に入ってくる様は優美さすら感じさせる。悠然とした姿を目にする度、安堵からティオの頬は緩み、自然と笑みが浮かぶ。
 油断した、と語っていた通り、あれから大狐は擦り傷や打撲はあれど大きな怪我を負ってくることはなかった。無事に帰ってきてくれることが嬉しく、薬師は火の前に腰を下ろすザクセンの腹を満たすものを振る舞った。ティオが作ったものを拒否することなく、黙って食する大狐。嫌な気持ちは全くしない。タータのような大きな反応はなくとも食べてもらえるだけで嬉しい限りだ。
 ザクセンが食事を終えても、ティオはその場から動かなかった。寝床に戻ったほうがいいだろうか、と考えたが、大狐が何も言わず嫌な素振りも見せないので、傍で座っていることにした。

「…タータは、今夜も泣いていたのか」

 静かに呟かれた言葉に、ティオは魔獣の顔を見た。火のせいで、顔が橙色に染まっている。
 正直に答えるべきか、ティオは一瞬躊躇した。ザクセンが悲しむのが分かっていたからだ。だが、泣いていないと嘘を吐いたところで彼にはすぐに見破られてしまうだろう、と思い直して、薬師は頷いた。

「…そうか」

 再び二人の間に沈黙が流れ、パチパチと火の粉が爆ぜる音だけが聞こえる。だが、気まずい嫌な空気では無かった。
 二人の視線の先には、魔獣の毛皮に包まれて眠るタータの姿がある。時折唇をむにゅむにゅと動かして、寝返りをうつ。

「でも怪我なく戻ってきたザクセンさんを見て、タータ、きっと喜びますね」

 狸姿でそこらじゅうを駆け回り、ころころと跳ねる様子が頭に浮かんで、ティオはついつい笑ってしまう。
 ふと視線を感じて顔を向ければ、ザクセンがじっとこちらを見ていた。笑い声が耳障りだったかもしれない、と慌てて口を噤む。

「口調が違うのは何故だ?」
「え?」
「タータに対する口調と俺への口調が違う。タータを治療させてくれ、この洞窟にいさせろ、と迫るお前は俺を恐れつつも堂々としていた。だが今は、俺に対して媚びるかのような話し方をする」

 ザクセンの指摘に、ティオは虚を突かれた。全くの無意識だった。だが、、というのはあながち間違いではないかもしれないとも思った。大狐の機嫌を損ねたくない、とは思っているからだ。森の入り口が開くまで、ここにいさせてもらわねばならないのだ。それに自分達が険悪だと、タータに気を使わせてしまう。それが嫌だった。

「すみません…不快にさせるつもりじゃ…」
「不快だとは言っていない」

 ぴしゃりと言葉を遮られて、ティオは困ってしまった。声音が冷たく聞こえて、思わず体が縮こまってしまう。

「…畏まった口調でなくていい。タータに対するのと同じ話し方で構わない」

 視線を上げれば、大狐は決まりの悪そうな顔をしていた。焚き火のせいで顔に影ができ、はっきりとは見えないが。予想外の言葉だったが、ティオは胸がじんわりと温かくなるのを感じていた。

「わかりました。ありがとうござ……ありがとう」

 じろりと睨みつけられ、青年は慌てて言い直した。へらりと笑うティオに、ザクセンは視線をすぐに逸らし、ふんと鼻を鳴らした。


 *************


「あのね、母ちゃんはオイラと同じ狸だったんだよ」

 ザクセンが留守にしている夜、ティオの腕の中でタータがぽつりと呟いた。今夜も例に漏れず不安に駆られて泣き出した子狸を抱いてあやして、ようやく落ち着きを取り戻していた。
 そうだったのか、とティオは納得した。良くないとは思いつつも、父親が狐なのに子供が狸なのは何故なのだろう、もしや血が繋がっていないのだろうか、と思っていたのだ。

「父ちゃんには、家族がいっぱいいたんだって。父ちゃんの父ちゃんや母ちゃん、狐の家族がたくさん。でもね、父ちゃんは狸の母ちゃんのことが好きになったから、みんなすごく怒って反対したって。でも、父ちゃんは母ちゃんのことが本当に好きだったから、家を出て二人で暮らすようになったの」
「…タータは、ザクセンさんの家族には会ったことないのか?」

 タータは頭を横に振った。

「会ったことない。それにね、もう会えないの。みんな、殺されちゃったから」

 予想だにしていなかった言葉に、ティオはひゅっと息を呑んだ。
 タータは薬師の服をきつく握り、小さな声で「母ちゃんも」と呟いた。

「大きな狼たちに殺されたって父ちゃん言ってた。父ちゃんに助けを求めに来たけど、父ちゃん狩りに行ってて…だから母ちゃんが代わりに行って、一緒に…」

 タータの声が小さく、涙混じりになっていく。胸に顔を埋められているせいで、表情は見えないがきっと泣いている。
 辛いなら、それ以上口にしなくていい。思い出さなくていい。ティオはそう叫びたくなるのを堪えて、ただ子狸をきつく抱きしめた。聞いている方が辛くて胸が張り裂けそうになる。突然タータは母を、ザクセンは妻とかつての仲間や家族を。大事な人を失った悲しみは想像を絶する。
 かつて人間界でヘルガだった頃は、既にみなしごで親はいなかった。地獄の住人として生まれ変わってからも、親はいないが大事な人が出来た。
 イェゼロとソルダート。大切な二人を失ってしまったら、きっと正気でいられない。鼻の奥がつんとして、涙が溢れた。唇を噛んでも、隙間から嗚咽が漏れてしまう。
 森で暮らす魔獣たちにとって、それは日常茶飯事なのだろう。弱肉強食の世界。自分達が腹を満たす為に狩っている小さな魔獣達だって、父母や子がいるはずだ。自分達だってきっと、顔も知らない魔獣の大事な者を奪って、辛い思いをさせているのだ。
 生きていく為には仕方がない。頭でわかってはいても、酷く悲しかった。
 抱きしめることで、寂しさと悲しみでぽっかり空いた穴を埋められたらいいのに、とティオは思った。
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