見習い薬師は臆病者を抱いて眠る

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17.初めての狩り

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 朝、ティオは深い眠りの底から自分の意識が浮上するのを感じていた。洞窟の隙間から差し込む朝日で体が温かくなるのが分かる。
 頬に触れる柔らかな毛に自ら顔を寄せる。まどろむ意識の中、タータの毛の気持ち良さに頬が緩む。極上の毛並みに、ティオは顔を擦り付けて陽だまりのような匂いを胸に吸い込んだ。

「…きもち、ぃ…」

 だんだんと意識がはっきりしてくるなか、ティオは地面が上下に揺れていることに気がついた。妙だと一度思った途端、違和感で頭がいっぱいになり、目が覚めてしまう。
 目を開けて最初に視界に飛び込んできたのは、翡翠の色だった。透き通った深緑の美しい色。一対の瞳に凝視されていると認識した瞬間、ティオの脳は一気に覚醒した。慌てて上体を起こして初めて、自分が大狐の腹を枕に眠っていたことを知る。顔を舐められた後の記憶がない。
 無遠慮に彼の腹を撫で回し、あまつさえ顔を埋めてしまった。さあっと血の気が引く音が耳元で聞こえた。

「…えっ、あ、す、すみません…っ!俺…っ!」

 慌てて謝罪の言葉を口にするも、ザクセンは興味がないと言わんばかりに視線を逸らした。気分を害した様子はない。彼の視線の先を追えば、タータがもぞもぞと起き上がってあくびをしていた。
 眠たげな大きな目をしぱしぱと瞬かせながら、周囲をきょろきょろと見回す。やがて子狸は父親と青年の姿を視認すると、途端に満面の笑みで駆け寄ってきた。

「ティオ、父ちゃんのおなかで寝たの!?」
「はっ、えっ、あ」
「父ちゃんのおなか、気持ちいいよね!あったかくてふわふわで、オイラも大好き!」

 困惑するあまり言葉を失うティオをよそに、タータはザクセンの腹へと勢い良く跳ねた。丸いお尻をぷりぷりと振りながら、小さな体を擦りつける。

「でもね、もっと気持ちいいのは、父ちゃんの首のところなんだよっ!」

 そう言って子狸は、父親の首から胸元にかけて立派に蓄えられた毛の中に身を埋めた。白金の毛の間から、誇らしげな顔だけが覗く。ザクセンはくつくつと喉を鳴らして笑いながら、タータの頭を舐めた。
 仲睦まじい光景に、硬直していた体からふと力が抜ける。父親を心配して泣いていた昨夜とは一転、タータに笑顔が戻って安堵する。上機嫌なタータはザクセンの周りをちょろちょろ走って遊んでいたが、父親の前脚の怪我に気づき、足を止めた。

「…父ちゃん、ケガしたの…?」
「ああ。…だが手当てを受けた」
「…でも、傷、大きい…」
「縫合したせいでそう見えるだけだ。実際は大したことない。心配するな」

 子狸は明らかに元気を失くして、じっと父親の傷を見つめた。ザクセンは鼻先を、今にも泣き出しそうな息子の頬に擦りつける。声音は優しく、慈愛に満ちていた。
 納得していない、疑いに満ちたタータの視線がティオに向く。なんと答えればいいのか分からず、青年は苦笑いを浮かべることしか出来なかった。
 その後も、タータの機嫌は直らなかった。何も発さず、ぶすくれている。我が子を笑わせようと、大狐が子狸の体を転がし、ふっくらとした腹を鼻先でくすぐった。タータの顔が一瞬嬉しそうに緩むものの、すぐに我に返って口を引き結ぶ。

「やーっ!」

 子魔獣は後脚をぴんと天に向かって伸ばし、父親の顔を蹴りつけ、拒絶した。全く動じないザクセンがその脚を甘噛みすると、今度は素早く起き上がって、大狐の胸毛の中にヘッドスライディングした。丸く大きな尻尾とお尻だけが丸見えになっている。

「タータ、どうした。何が気に入らない?怪我のことなら大丈夫だと言っただろう?」

 父親の問いに、タータは脚をばたばたさせ、尾を地面に何度も叩きつけた。構うなと言わんばかりの不機嫌オーラが出ているものの、子魔獣は父親の傍を離れようとはしない。
 ティオも何と声をかけていいのかわからず、ただ見守ることしかできない。

「…狩りに出る」
「ダメーッ!」

 機嫌の直らない息子に小さく溜め息を吐いたザクセンは、ゆっくりと体を起こした。その瞬間、タータが人型に変化して父親の首にしがみついた。突然の衝撃に、魔獣が体勢を崩す。

「父ちゃん、ケガしてるから、出ちゃダメ!」
「タータ…だがな、食べるものが何もない」
「やだやだやだーっ!オイラおなかすいてないから、いらないもんっ」
「タータ…」

 ザクセンの力を以ってすれば、タータを引き剥がすことなど簡単だろう。だが彼がそうしないのは、自分が怪我をして帰ってきたせいでタータに心配をかけてしまったと理解してるからだ。首元に顔を埋めたまま動かない息子に、魔獣は天を仰いだ。

「あの…俺が食べ物を取ってきます。ザクセンさんみたいに、肉や魚は無理かもしれませんけど…」

 親子に笑いかけ、ティオは立ち上がる。最近は自分ばかりがタータを独占していたし、親子水入らずの時間を過ごしてもらう良い機会だと思った。

「ダメー!」
「え?」
「一人で外出たらあぶないから、行っちゃダメ!」
「遠くには行かないよ?」
「遠くなくてもあぶないの!」
「でもご飯食べないと、ザクセンさんの怪我治らないから…。すぐだよ。すぐ戻ってくるから」

 ティオは地面に膝をつき、父親に抱きついたまま駄々をこねるタータの頭を撫でた。子狸が安心できるよう、笑いかけ、優しい声音で言い聞かせる。
 だがタータはぶすくれたまま、頬を撫でるティオの指をぎゅうと握りこんだ。

「ティオもここにいて!」

 子狸は頑として自分の意見を曲げようとしない。今にも泣き出しそうに潤んだ瞳に、心が痛む。父親が大きな怪我を負って帰ってきたことに、余程のショックを受けたのだろう。彼を落ち着かせる言葉が見当たらない。
 するとザクセンが人型へと変化した。怪我をしていない腕でタータを抱き上げている。突然変化した父親に目を丸める息子の頭を撫で、彼は微笑んだ。

「タータには悪いが、父は腹が減って餓死しそうだ」
「…でも、でも、みんないっしょにいなきゃ…」
「離れなければいいのか?ならば皆で行くとするか」

 魔獣の発言に、幼獣は大きく目を見開いた。

「人型でいれば腕に負担をかけずに歩ける。狩りはタータとそこの薬師が手伝ってくれればいい」

 それならいいだろう?と問いかけられたタータは、頷いていた。意味を理解してと言うよりも、父親の雰囲気に流されて反射的にそうしたように見えた。
 呆然とする子を腕に抱き、ザクセンはついてくるようにティオに目で合図した。大きな歩幅で洞窟から出て行く魔獣の後を、己の鞄を手に薬師は慌てて追いかけた。

「タータ、肉と魚どちらがいい?」
「…おにく、がいい…」
「任せろ」

 タータは申し訳なさそうに小さな声で呟いた。父親が負傷していると言うのに、獣肉がいいというのに気がひけたのだろう。だが、ザクセンは素直な息子に声を上げて笑い、快く了承した。
 大狐は森の中をずんずん進んでいく。ティオからすればあてどなく歩いているように思える。だが森の住人である彼らにとっては、目印などなくてもどこに通じているかわかるのだろう。
 腰ほどの高さもある草が生えた場所に出ると、おもむろにザクセンが身を隠すようにしゃがみこんだ。ティオもその後に続き、彼の隣で身をかがめる。草むらの隙間から覗いてみれば、耳の長い魔獣が地面に落ちた木の実を齧っていた。兎に似ているが、より大きくずんぐりと身がついている。

「薬師、お前とタータでレプレの退路を塞ぎ、俺の所に追い込め」

 退路を塞ぐなんてどうすればいいのか分からず、ティオは戸惑った。だが、タータは慣れているのか、大きくしっかりと頷いた。子狸は固まったままの薬師の手を引き、草むらの中を音を立てないように慎重な足取りで歩いた。

「じゃあ、オイラが向こう側に回って、レプレのことおどろかすね。ティオのとこに来たら、同じようにして父ちゃんのとこにゆうどうしてね」

 声を潜めて言い終えた子魔獣は、青年の返事も聞かずに狸の姿で草の中に消える。狩りなどやったことのないティオは、一人心の中で慌てた。もし自分の不手際で今晩の食材を逃してしまったら、と悪い考えばかりが頭をよぎる。冷たく氷のようなザクセンの視線を想像して、ティオは震えた。

「わあーっ!」

 心の準備をする間もなく、人型のタータが草むらから飛び出す。彼の突然の出現に驚いた、レプレという魔獣は脱兎の如く駆け出し、ティオが潜む場所へと真っ直ぐ向かってくる。なるようになれ、と薬師見習いも無我夢中でレプレを脅かした。両手を上に挙げ、大きな声で叫ぶ。
 レプレは立ち止まり、引き返そうとするもタータが立ちはだかる。素早い動きで周囲を確認した魔獣は、唯一空いていた方向へと走り出す。ザクセンの元へ。
 草むらに到達した瞬間、魔獣型のザクセンがレプレの首に噛み付いた。巨大な狐となった彼の前では、レプレの抵抗など意味を成さない。ボキリ、とレプレの首が折れる音が妙に大きく響いた。息絶える魔獣の目から光が失われる光景を目の当たりにして、体が竦む。

「やったあ!」
「よくやった、タータ。上手だったぞ」
「へへー。ティオも上手だったよ!」
「あ、ありがとう」

 とりあえず失敗せずに済んで良かった、と安堵で心の中はいっぱいだった。
 ザクセンは人型に戻ると、レプレの脚を掴んで肩に背負った。

「よし、次だ」
「え、ま、まだ…?」
「当たり前だ。たったこれっぽちで腹が膨れる筈ないだろう。あと二、三匹は欲しい」

 同じことを何度か続けなければならないと知り、ティオは心の中で悲鳴をあげた。もはや空腹は感じていない。一刻も早く洞窟に戻りたいと思った。
 その場に立ち尽くす薬師の手を、タータがしっかりと掴む。小さいながらも強い力で引っ張られ、洞窟までの帰り道もわからない青年は父子の後をついていかざるを得なかった。
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