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15.胃袋つかみ
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「ティオー、こっちこっち!」
「あ、うん、今行くよー」
鬱蒼と茂った草の間からぴょこりと顔だけ覗かせるタータに返事をして、ティオは両膝に手を突いた。大きく息を吐いて、乱れた呼吸を整える。振り返ると、白金の大狐が離れたところでたたずんでいる。全く疲れた様子のない二匹に、種族の違いを感じる。
森の散歩が日課だと言うタータに、ティオも同行していた。そしてティオを見張る為か、最後尾にはザクセンを伴った状態だ。
散歩と言っても決まった道を歩くのではなく、タータの気分次第で行き先が変わる。足場の悪い道を行くこともしょっちゅうだ。だが、誰も知らない森のことを知れてティオも助かっていた。それに、深淵の森で生まれ育ったタータは森や群生する植物に関する知識も豊富で、ティオ自身も純粋にこの時間を楽しんでいた。
子狸に追いつくと、人型になったタータがしゃがみこんで何かを咀嚼していた。ティオも彼に倣い、隣に腰を下ろす。
「あーんして」
ティオが条件反射で口を開けると、小さな指で摘まれた黒い果実のようなものを差し出される。口を閉じた瞬間、それがぷちりと弾けて甘酸っぱい汁が舌の上に広がった。
「おいし?」
首を傾げて顔を覗き込んでくるタータに、何度も頷いて答えれば、照れくさそうな笑みを浮かべた。
「爆弾苺って言うんだよ。遠くにタネを飛ばせるように、苺の小さいつぶつぶがぱちぱち弾けるんだよ!」
「へええ、初めて食べたよ。果汁が濃厚で、すごくおいしい」
「好き?」
「うん、好きになった」
「じゃあ、いっぱい採ってかえろ」
そう言ってタータはたくさん実のなっている爆弾苺を片っ端からもぎ採り始めた。ティオが肩掛け鞄から保存瓶を差し出すと、あっという間に満杯になってしまった。
「これ、おやつにできる?」
「そうだなあ、これだけ味が濃いならジャムに出来るかも」
「じゃむ?」
「うん、この間作った木の実の餅に、爆弾苺を煮詰めた果汁をつけたらおいしそう。どうかな?」
「食べたい!」
間髪入れずに元気な返事が返ってくる。榛色の瞳は期待に満ちて輝き、口の端からはよだれが垂れそうになっていた。
「じゃあ、今日一緒に作ろっか」
「やったあ!オイラ、父ちゃんにも爆弾苺あげてくる!」
タータはお椀型にした両手に山盛りの爆弾苺を載せて、父親の元へと駆けて行く。ティオは鞄から小さな瓶を取り出し、研究用の爆弾苺を数粒中へと入れた。濃厚で芳醇な味の苺を堪能しつつ、父子に目をやる。
タータの手から苺を食したザクセンは目元を緩ませ、我が子に頬擦りをしている。子狸も喜んでもらえたことが嬉しいらしく、自分の体よりもずっと大きい父親にぎゅっと抱きついた。仲睦まじい親子の姿に、自然と笑みが浮かぶ。ザクセンはティオの視線に気がつくと、すぐに顔を顰めた。
*
「おいしーっ」
ほっぺたおちちゃう、とタータは自分の頬に手をあてて恍惚の表情を浮かべた。ころころと変わる表情は見ていて飽きず、見ている側をも笑顔にする。
「オイラ、爆弾苺をそのまま食べるのも好きだけど、こっちも好き!」
「気に入ってもらえて良かった」
子狸が頬張っているのは、ティオお手製の爆弾苺のジャムがかかった木の実餅だ。
二人は森に暮らすが故に獣の部分が強く、魚や木の実や果実などを生のままで食す。ザクセンが採って来るそれはどれも新鮮で、そのままで食べてももちろんおいしい。だが、魚や小魔獣の肉などはとても生では食べることが出来ず、焼いたり煮たりと調理をせねばならなかった。いつしかそれが普通になり、ティオはどの食材もひと工夫加えて食べるようになっていた。
薬師は、あらゆる植物や生物の成分や特性を分析して掛け合わせ、新しいものを生み出す作業を日常的に行っている。頭の中では常に、あの材料同士を混ぜたらどうなるだろう、面白いものが出来上がるのではないか、という新たな可能性を追い求めている。見習いとは言え、ティオも例外ではない。
幸い、愛用している乳鉢や鍋などの器具は常に鞄に携帯していたために困ることはなかった。見たこともない植物と生物の宝庫で、暇を持て余すほどに時間もある。それに可愛い狸の魔獣が助手としてお手伝いもしてくれる。澄んだ瞳をさらに輝かせて食い入るように見る姿に、薬師という仕事を知ったばかりの自分の姿に重なる。己が好きなことに興味を持ってもらえるのは純粋に嬉しいし、こちらまで楽しくなってしまう。
薬師であれば、誰もが羨む最高の研究環境が整っていた。…森からいつ出られるかわからない状況でなければ。
「父ちゃん、今日のおやつもすっごくおいしいよ!」
「あの、たくさん作ったので、もし良ければ」
「いや、いい。タータが摘んでくれた苺そのままで十分美味いからな」
ザクセンは爆弾苺を口に運びつつ、タータの頭を撫でた。褒められた子供は至極ご満悦の顔で尻尾を左右に振った。また今日も作ったものを食べてもらえず、ティオは落胆した。予想していたとは言え、悲しくなってしまう。ザクセンは、ティオが作った食事を頑なに口にしようとしない。
ティオが二人の住処に身を寄せて暫く経つが、大狐の態度は全く変わらない。毎日敵意を向けられ続けるのは、精神的にも辛く寂しい。他に方法が無かったとは言え、タータを盾に脅迫まがいの交渉をしたことに後悔の念が募る。幼い子狸に気を遣わせているのも分かるが故に、今の状況をどうにか変えたいものの、近寄るな話しかけるなというザクセンの放つ明らさまな雰囲気に尻込みしてしまう。仲良くして欲しいなどと幻想を抱いているわけではない。ただ、少しでもいいから警戒を解いてくれたら。
その夜、ティオは喉の渇きを感じて目を覚ました。胸元に縋りついて眠るタータに笑みがこぼれる。衣服を握りこむ指を、起こさないように慎重にはずし、飲み水を貯めた甕の元へと向かった。視界のきかない暗い中でも、隙間から差し込んでくる僅かな月明かりをたよりに、どこに何があるかわかるくらいに彼はここでの暮らしに慣れてしまっていた。
冷たい水で喉の渇きを癒す頃には、暗闇に慣れて夜目がきいてくる。そこでティオはザクセンの姿がどこにも見当たらないことに気がついた。いつもであれば、入口近くに大きな体を横たえている筈だ。
川で体を清めているのかもしれない、とティオは寝床に戻った。すぐに帰ってくるだろうとは思いつつも、何故だか気になって、すぐに目を閉じる気にはなれない。視線は洞窟の入口に向けつつ、薬師は無意識にタータの背中を撫でていた。
「ティオ…」
「え、ご、ごめんタータ。起こしちゃった…?」
自分を見上げてくるつぶらな瞳に、ティオは取り乱した。だが子狸は気にした様子もなく、洞窟内をぐるりと見回して大きな溜め息を吐いた。
「…父ちゃん、やっぱりいない」
「タータ、ザクセンさんがどこに行ったのか知ってるのか?」
ティオが覗き込んだタータの顔は、暗く悲しそうだった。
「ううん…どこに行ったのかはわかんない。でも今日みたいに、しょっちゅう夜にお出かけしてる。父ちゃんは、オイラたちの家を守るためだって言ってた」
「家を守る為に…?」
「うん…それにときどきケガして帰ってくるんだ。…オイラこわくて…父ちゃんが帰ってくるまで待ってようって思うけど、いつの間にか寝ちゃって…。起きたら、父ちゃんいなかったらどうしよう、ってすごくこわいの……。もし、もし父ちゃんまでいなくなったら、オイラ、ひとりぼっちになっちゃう…っ!」
目に涙を浮かべ、小さな体を震わせるタータをティオは抱き寄せた。大丈夫だと言い聞かせて、背中を撫でる。孤独に苛まれつつ、夜中に一人父親の帰りを待ち続ける子狸の姿を想像するだけで、胸が痛む。
「タータのことを置いていくわけないよ。ザクセンさん、タータのこと大好きだから」
彼を心底安心させたいと思うも、口から出てくるのはありきたりな慰めの言葉だけだ。それでも、言わずにはいられない。幼いタータに悲しい顔は似合わない。
「ほんとう…?」
「うん、絶対。ザクセンさん、きっと帰ってくるから、俺と一緒に待ってようね」
「うん…っ!」
胸に顔を埋めるほどに、きつく抱きついてくるタータの頭をひと撫でする。ふわふわした丸い獣耳に口づけを落として、ティオはその体の上に獣の毛皮を被せた。
「あ、うん、今行くよー」
鬱蒼と茂った草の間からぴょこりと顔だけ覗かせるタータに返事をして、ティオは両膝に手を突いた。大きく息を吐いて、乱れた呼吸を整える。振り返ると、白金の大狐が離れたところでたたずんでいる。全く疲れた様子のない二匹に、種族の違いを感じる。
森の散歩が日課だと言うタータに、ティオも同行していた。そしてティオを見張る為か、最後尾にはザクセンを伴った状態だ。
散歩と言っても決まった道を歩くのではなく、タータの気分次第で行き先が変わる。足場の悪い道を行くこともしょっちゅうだ。だが、誰も知らない森のことを知れてティオも助かっていた。それに、深淵の森で生まれ育ったタータは森や群生する植物に関する知識も豊富で、ティオ自身も純粋にこの時間を楽しんでいた。
子狸に追いつくと、人型になったタータがしゃがみこんで何かを咀嚼していた。ティオも彼に倣い、隣に腰を下ろす。
「あーんして」
ティオが条件反射で口を開けると、小さな指で摘まれた黒い果実のようなものを差し出される。口を閉じた瞬間、それがぷちりと弾けて甘酸っぱい汁が舌の上に広がった。
「おいし?」
首を傾げて顔を覗き込んでくるタータに、何度も頷いて答えれば、照れくさそうな笑みを浮かべた。
「爆弾苺って言うんだよ。遠くにタネを飛ばせるように、苺の小さいつぶつぶがぱちぱち弾けるんだよ!」
「へええ、初めて食べたよ。果汁が濃厚で、すごくおいしい」
「好き?」
「うん、好きになった」
「じゃあ、いっぱい採ってかえろ」
そう言ってタータはたくさん実のなっている爆弾苺を片っ端からもぎ採り始めた。ティオが肩掛け鞄から保存瓶を差し出すと、あっという間に満杯になってしまった。
「これ、おやつにできる?」
「そうだなあ、これだけ味が濃いならジャムに出来るかも」
「じゃむ?」
「うん、この間作った木の実の餅に、爆弾苺を煮詰めた果汁をつけたらおいしそう。どうかな?」
「食べたい!」
間髪入れずに元気な返事が返ってくる。榛色の瞳は期待に満ちて輝き、口の端からはよだれが垂れそうになっていた。
「じゃあ、今日一緒に作ろっか」
「やったあ!オイラ、父ちゃんにも爆弾苺あげてくる!」
タータはお椀型にした両手に山盛りの爆弾苺を載せて、父親の元へと駆けて行く。ティオは鞄から小さな瓶を取り出し、研究用の爆弾苺を数粒中へと入れた。濃厚で芳醇な味の苺を堪能しつつ、父子に目をやる。
タータの手から苺を食したザクセンは目元を緩ませ、我が子に頬擦りをしている。子狸も喜んでもらえたことが嬉しいらしく、自分の体よりもずっと大きい父親にぎゅっと抱きついた。仲睦まじい親子の姿に、自然と笑みが浮かぶ。ザクセンはティオの視線に気がつくと、すぐに顔を顰めた。
*
「おいしーっ」
ほっぺたおちちゃう、とタータは自分の頬に手をあてて恍惚の表情を浮かべた。ころころと変わる表情は見ていて飽きず、見ている側をも笑顔にする。
「オイラ、爆弾苺をそのまま食べるのも好きだけど、こっちも好き!」
「気に入ってもらえて良かった」
子狸が頬張っているのは、ティオお手製の爆弾苺のジャムがかかった木の実餅だ。
二人は森に暮らすが故に獣の部分が強く、魚や木の実や果実などを生のままで食す。ザクセンが採って来るそれはどれも新鮮で、そのままで食べてももちろんおいしい。だが、魚や小魔獣の肉などはとても生では食べることが出来ず、焼いたり煮たりと調理をせねばならなかった。いつしかそれが普通になり、ティオはどの食材もひと工夫加えて食べるようになっていた。
薬師は、あらゆる植物や生物の成分や特性を分析して掛け合わせ、新しいものを生み出す作業を日常的に行っている。頭の中では常に、あの材料同士を混ぜたらどうなるだろう、面白いものが出来上がるのではないか、という新たな可能性を追い求めている。見習いとは言え、ティオも例外ではない。
幸い、愛用している乳鉢や鍋などの器具は常に鞄に携帯していたために困ることはなかった。見たこともない植物と生物の宝庫で、暇を持て余すほどに時間もある。それに可愛い狸の魔獣が助手としてお手伝いもしてくれる。澄んだ瞳をさらに輝かせて食い入るように見る姿に、薬師という仕事を知ったばかりの自分の姿に重なる。己が好きなことに興味を持ってもらえるのは純粋に嬉しいし、こちらまで楽しくなってしまう。
薬師であれば、誰もが羨む最高の研究環境が整っていた。…森からいつ出られるかわからない状況でなければ。
「父ちゃん、今日のおやつもすっごくおいしいよ!」
「あの、たくさん作ったので、もし良ければ」
「いや、いい。タータが摘んでくれた苺そのままで十分美味いからな」
ザクセンは爆弾苺を口に運びつつ、タータの頭を撫でた。褒められた子供は至極ご満悦の顔で尻尾を左右に振った。また今日も作ったものを食べてもらえず、ティオは落胆した。予想していたとは言え、悲しくなってしまう。ザクセンは、ティオが作った食事を頑なに口にしようとしない。
ティオが二人の住処に身を寄せて暫く経つが、大狐の態度は全く変わらない。毎日敵意を向けられ続けるのは、精神的にも辛く寂しい。他に方法が無かったとは言え、タータを盾に脅迫まがいの交渉をしたことに後悔の念が募る。幼い子狸に気を遣わせているのも分かるが故に、今の状況をどうにか変えたいものの、近寄るな話しかけるなというザクセンの放つ明らさまな雰囲気に尻込みしてしまう。仲良くして欲しいなどと幻想を抱いているわけではない。ただ、少しでもいいから警戒を解いてくれたら。
その夜、ティオは喉の渇きを感じて目を覚ました。胸元に縋りついて眠るタータに笑みがこぼれる。衣服を握りこむ指を、起こさないように慎重にはずし、飲み水を貯めた甕の元へと向かった。視界のきかない暗い中でも、隙間から差し込んでくる僅かな月明かりをたよりに、どこに何があるかわかるくらいに彼はここでの暮らしに慣れてしまっていた。
冷たい水で喉の渇きを癒す頃には、暗闇に慣れて夜目がきいてくる。そこでティオはザクセンの姿がどこにも見当たらないことに気がついた。いつもであれば、入口近くに大きな体を横たえている筈だ。
川で体を清めているのかもしれない、とティオは寝床に戻った。すぐに帰ってくるだろうとは思いつつも、何故だか気になって、すぐに目を閉じる気にはなれない。視線は洞窟の入口に向けつつ、薬師は無意識にタータの背中を撫でていた。
「ティオ…」
「え、ご、ごめんタータ。起こしちゃった…?」
自分を見上げてくるつぶらな瞳に、ティオは取り乱した。だが子狸は気にした様子もなく、洞窟内をぐるりと見回して大きな溜め息を吐いた。
「…父ちゃん、やっぱりいない」
「タータ、ザクセンさんがどこに行ったのか知ってるのか?」
ティオが覗き込んだタータの顔は、暗く悲しそうだった。
「ううん…どこに行ったのかはわかんない。でも今日みたいに、しょっちゅう夜にお出かけしてる。父ちゃんは、オイラたちの家を守るためだって言ってた」
「家を守る為に…?」
「うん…それにときどきケガして帰ってくるんだ。…オイラこわくて…父ちゃんが帰ってくるまで待ってようって思うけど、いつの間にか寝ちゃって…。起きたら、父ちゃんいなかったらどうしよう、ってすごくこわいの……。もし、もし父ちゃんまでいなくなったら、オイラ、ひとりぼっちになっちゃう…っ!」
目に涙を浮かべ、小さな体を震わせるタータをティオは抱き寄せた。大丈夫だと言い聞かせて、背中を撫でる。孤独に苛まれつつ、夜中に一人父親の帰りを待ち続ける子狸の姿を想像するだけで、胸が痛む。
「タータのことを置いていくわけないよ。ザクセンさん、タータのこと大好きだから」
彼を心底安心させたいと思うも、口から出てくるのはありきたりな慰めの言葉だけだ。それでも、言わずにはいられない。幼いタータに悲しい顔は似合わない。
「ほんとう…?」
「うん、絶対。ザクセンさん、きっと帰ってくるから、俺と一緒に待ってようね」
「うん…っ!」
胸に顔を埋めるほどに、きつく抱きついてくるタータの頭をひと撫でする。ふわふわした丸い獣耳に口づけを落として、ティオはその体の上に獣の毛皮を被せた。
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