見習い薬師は臆病者を抱いて眠る

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11.向けられる敵意

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 タータの思わぬ発言にティオは固まってしまった。子魔獣越しに、親魔獣の視線が己に真っ直ぐ向けられているのが分かる。期待に満ちたタータの眼差しとは対照的に、ザクセンの方を見ずとも分かる、彼の鋭く冷たい視線。

「タータ、それは…できないよ」
「なんで?オイラのこと、きらい?オイラはティオのこと好きだよっ」

 予想通りに、タータの眉はへにょりと垂れ下がった。今にも泣き出しそうに顔を歪める子供に、ティオの胸も痛んでしまう。

「俺も、タータのこと好きだよ」
「じゃあ…っ!」
「タータ」

 子狸の後ろには、厳しい表情のザクセンが立っていた。彼はしゃがみこみ、我が子と目線の高さを合わせた。

「それは無理だ」
「どうして?」
「こいつと俺達とでは、生きる世界が違う。こいつは森の外から来た。それにこいつは人で、俺達とは相容れない存在だ。そう、教えてきただろう」

 タータの瞳に涙が潤んでいく。下唇を噛み、ティオの服を小さな手でぎゅうと握りこむ。

「母親が欲しいのであれば、もっとふさわしい相手を見つけて…」
「やだあーッ!オイラ、ティオがいいっ!」

 手に触れる父親の手を叩き落し、子魔獣はとうとう泣き出した。青年の胸に顔を埋め、離さないと言わんばかりに力いっぱいしがみついている。
 困惑するティオは、恐る恐るザクセンに視線を向けた。予想通り、ザクセンが憎しみのこもった目でこちらを見ている。強烈な殺意に、体中の血が凍るような感覚に陥る。

「貴様…よくも我が息子をたぶらかしてくれたな…。タータの懇願なぞ聞かず、あのまま放っておけば良かった…っ。貴様さえ現れなければ…!」

 地を這うが如く低い声でザクセンが喋る度に、鋭い牙がちらちらと見える。人型とは言え、鋭利なそれに噛みつかれれば即死してしまうだろう。原始的な恐怖に、体の芯から震えが止まらない。

「どうしてティオのこと、悪く言うの!父ちゃんのばかあ…っ!」

 剣呑な空気を、タータの泣き叫ぶ声が切り裂く。タータはティオにしがみつきながらも、片手をぶんぶん振り回してザクセンの腕を殴っている。父親はその腕を掴むと、力ずくで青年の体から引き剥がした。我が子の激しい抵抗に動じることなく、胸に抱き上げる。

「今すぐここから出て行け。二度と姿を見せるな」
「だめっ、ティオ、行っちゃだめっ、ここにいてっ!」

 ティオはゆっくりと立ち上がり、自分の鞄が置いてある場所へと歩を進めた。鞄が横倒しになったせいで溢れた中身を詰め込む。背中越しにタータの悲痛な泣き声が聞こえる。胸は痛むが、ザクセンの言い分は理解出来た。自力で森の入口まで戻れるだろうか、森の入口は開いているだろうか、と不安は尽きないが、これ以上彼ら親子に迷惑をかけられるはずもない。
 荷をまとめ終えて立ち上がろうとした瞬間、背中に大きな衝撃を受け、ティオはバランスを崩して地面に膝を突いた。何事かと振り返れば、真っ赤な顔を涙でぐしゃぐしゃに濡らしたタータだった。

「オイラ、…覚えてるもん。苦しかったときに、手、にぎってくれた。優しくて、あったかかった。頭いっぱいよしよししてくれたのも、抱きしめて寝てくれたのも、全部覚えてるっ!」
「タータ…」

 タータは手の甲で乱暴に涙を拭うと、くるりと体を反転させて父親と向き合った。ティオを背に庇い、まるで彼を守ろうとするかのように。

「森の入口は開いてないのに、ここから出て行ったら、ティオ死んじゃう!」
「タータ…我が儘ばかり言うな。入口は開いている。そうだろう?」
「開いてないもん!父ちゃんだって、わがままだ!それに、ティオはオイラのこと助けてくれたのに、ひどいことばかり言うっ。父ちゃんなんか、父ちゃんなんか……きらいだっ!」

 嫌いだとタータが言い放った瞬間、ザクセンが辛そうに顔を歪めたのをティオは見逃さなかった。と同時に、自分が言われたわけでも無いのに我が事のように傷ついてしまう。
 タータの看病の間、どれだけ彼が我が子を心配していたか隣で見て知っているからだ。片時も傍を離れず、ぐずる子供に声をかけて宥め、彼の望むことは何でもしてやっていた。大切な息子に嫌いと言われたザクセンの悲しみは想像だにできない。

「タータ、そんなこと言ったら、お父さんが傷つくよ」
「オイラだって、傷ついた、もん…っ。なんでもかんでもだめ、って…!」

 ティオは宥めようとするも、子狸は逆にわんわん泣き出してしまった。首元にしがみつく彼をあやしつつ、見習い薬師はザクセンが洞窟を後にするのを目にしていた。罪の意識がティオを苛む。
 どうすれば良いのだろう。どうすれば良かったのだろう。そんな思いが頭の中を巡っていた。
 幾ばくかの時間が経ち、ひっくひっくと体を震わせているがタータもようやく落ち着きを見せてきた。体温の高い体を撫でながら、ティオはゆっくりと話し始めた。

「ザクセンさん、戻って来ないね。どこに行ったんだろう」
「…知らない」

 肩に顔を埋めて抱きつくタータの声は、すっかりふてくれていた。

「ザクセンさんね、タータが苦しい時にずっと傍にいたんだよ。一睡もせずに、ずっと手を握ってあげてた。俺の手を覚えてるんだったら、ザクセンさんの手のことも覚えてる?」
「うん…父ちゃんの手、大きくて安心する」
「タータが目を覚ますと、良かったって笑ってた。隣で見てて、ザクセンさんはタータのことが大好きで、本当に大切なんだなあってすぐに分かったよ。なのに、タータに嫌いって言われて、すごく悲しかったと思うな。タータも、お父さんに嫌いって言われたら辛いだろ?」
「……うん」

 ティオはようやくタータの顔を見ることが出来た。泣き腫らして目の周りと鼻を真っ赤にしたその顔は、決まりが悪そうだ。冷静になって、さすがに言い過ぎてしまったという自負があるのか、後悔の色が瞳に浮かんでいる。素直なタータに自然と笑みが浮かぶ。

「ザクセンさんに謝りに行こうか」
「…父ちゃん、許してくれるかな…オイラのこと、きらいになってないかな…?」
「大丈夫だよ、きっと。それから、しばらくここに置いて欲しいって一緒にお願いしてくれる?」
「オイラの母ちゃんになってくれるの!?」

 ぱあっと顔を輝かせるタータに、ティオは苦笑する。

「それは難しいかな。取り敢えずは森の入口が開くまでは居候させもらえると助かる」
「でも、でも、ずっとずっと入口が開かなかったらどうするの?」
「うーん、どうしよう。…師匠とソルダートに会えないのは辛いなあ…」

 ソルダートと師匠であるイェゼロの顔が頭に浮かぶ。帰りを待ってくれているといいなと思う。だが自分が二人の元に帰りたいと願う気持ちの方がずっと強かった。
 悲しげな表情をしているように見えたのか、唇をぎゅっと引き結んで眉尻を垂らしたタータにぎゅっと抱き締められる。まるで慰めてくれているかのように思えて、幼子の気遣いにじんわりと胸が温かくなった。
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