見習い薬師は臆病者を抱いて眠る

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10.狸のお願い

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「なあ、こんなところでどうしたんだ?どこか痛いのか?」

 声をかけられて目線を上げれば、青年が上体をかがめてこちらを覗き込んでいた。慌てて俯き、頭を左右に振って否定する。泣いているのを知られたくなかった。放っておいて欲しいという意思表示で、両膝を抱えて腕に顔を埋めるも、彼は去るどころかティオの隣に腰掛けた。

「俺はさあ、上官が厳しくて、訓練が辛くなって逃げ出してきちまったんだ」
「え、俺も…」

 自分と同じだ、とティオは思った。手の甲で涙を拭って顔を上げれば、青年が笑みを浮かべている。精悍な顔立ちが柔らかく変化する様に思わず目が奪われる。そこで漸く、ティオは青年の顔に見覚えがあることに気がついた。それは彼も同じだったらしく、澄んだ茶色の瞳を見開いていた。

「同期の…だよな?俺、兵士配属のソルダート」
「俺は、ティオ。薬師見習い」
「ティオ?ティオって、イェゼロ様が直々に弟子に選んだっていう…!」
「ちょ、ちょ、声大きい…!」

 ティオは咄嗟にソルダートの口を両手で覆った。人気の無い場所とは言え、いつ誰に聞かれるかも分からないのだ。静かにするよう目配せして、ソルダートが頷くのを確認して手を離す。

「悪い、つい興奮しちまった。あんたのことは噂で聞いてる。薬師に配属されて間もなく、イェゼロ様に指名されて右腕になったって」
「右腕とか…そんな大層なものじゃないよ。させられてるの身の回りの世話とか、雑用ばっかだし…。成績だって良かったわけじゃないのに、なんで選ばれたのか謎でしかない」

 ティオは両腕で足を抱え、膝の上に顎を乗せた。同期とは言え、今日初めて言葉を交わした相手につい愚痴のようなものが漏れてしまう。気分が良いものではないだろうな、と内心自己嫌悪に陥っていると、頭をわしゃわしゃと撫でられた。

「え、な、何っ?」
「いや、綺麗な髪色してるなーと思って。植物の瑞々しい葉っぱみたいな、さ」

 今までそんなことを言われたことが無いティオは、驚きに目を丸くした。

「元気出せよ、って励ますつもりで頭を撫でたのに、触り心地が良かったからつい乱暴にかき回しちまった。悪い」

 謝罪の言葉を口にしながらも、ソルダートは全く悪びれる素振りもなく、快活な笑みを見せた。終いには、侘びとして自分の頭もぐしゃぐしゃにしてくれていい、と亜麻色の頭を突き出すソルダートにティオは笑いを堪えることができなかった。

「変な奴」
「よく言われる。お前は馬鹿だなーって」

 くつくつと喉を鳴らして笑っていると、落ち込んでいたことが馬鹿らしく思える。

「ティオ、笑ったほうがいいよ。腐った顔してるよりずっといい」
「…くっ、腐った顔ってなんだよっ」
「ティオ、今照れてる?耳真っ赤」
「うるさいっ」
「はは、怒るな怒るな」

 赤くなっているであろう顔を腕で隠そうとするも、容易く見抜かれてしまう。また大きな手が髪の毛を撫で混ぜる。照れ隠しに思わず乱暴な言葉遣いになるも、ソルダートは全く気に障った様子も無く、けらけらと笑っている。男らしいごつごつした手で撫でられるのを、ティオは不快に思うどころか、心地良いと感じていた。

 *

「ソルダート…ッ!」

 ティオは自分の叫び声で目を覚ました。見慣れぬ天井の景色に向かって伸ばされた己の手。静けさに満ちた中で、自分の荒い息遣いだけが聞こえる。ティオは横になったまま、頭を動かして周囲を確認した。首元で狸姿のタータが丸くなって眠っている。ザクセンの姿は見当たらなかった。
 そこで青年は自分が置かれている状況を思い出した。探索隊の一員として森に来たものの、一人はぐれ、罠にかかったタータを看病すること数日、彼が元気になったのを確認した直後、突然気分が悪くなり倒れたのだ。
 タータの顔に乗っかった、ふわふわな尻尾を指で撫でつつ、ティオはゆっくりと上体を起こした。少し気怠く、関節がギシギシと固まっているが、頭はすっきりとしている。洞窟の入口から差し込んでくる光が強い。どれくらい寝ていたのだろうと、ティオは思った。
 ぐずり声をあげながら、タータが目を覚ました。何度か瞬きを繰り返し欠伸をしたところで、ティオの姿を視認したらしい子魔獣は、榛色の瞳を大きく見開いた。大きな尻尾が嬉しげに左右に激しく揺れている。

「ティオ、起きたの!?体、だいじょうぶ?三日間ずうっと目を覚まさないから、オイラすごく心配したんだよ!」

 三日も寝ていた事実に、ティオは言葉を失っていた。それと同時に、よくもその長い期間無事でいれたものだと驚いた。ザクセンがティオのことを良く思っていないのは明らかで、タータが回復したのであれば自分は用済みのはずだ。これ幸いとばかりに捨て置いてもおかしくないと言うのに。

「ティオ?やっぱり、まだどこか痛いの…?」

 考えに耽るティオの様子を不調と捉えたのか、太腿に前脚を乗せて、タータが心配そうな表情で顔を覗き込んでくる。

「ごめん、考え事してた。大丈夫、元気だよ。タータが看病してくれたのか?」
「ううん、父ちゃんだよ!でもオイラも水くんだり、毛皮かけてあげたり、お手伝いしたんだ~」
「そうか、ありがとうな」

 頭を撫でてやれば、タータが気持ち良いと言わんばかりに目を閉じて、頭を手のひらに擦り付けてくる。

「あ、ティオ、のど渇いてるよね?ちょっと待っててっ」

 タータは人型に変化すると、手のひら大の木の実でできた器に水を入れてティオの元まで運んだ。なみなみに注がれた水がこぼれてしまう前に器に口をつける。ひんやりとした水は少し甘く感じられ、体のすみずみにまで染み渡っていくようだった。

「おいしい、ありがとう」
「ん!」

 お礼を言う度に、タータの尻尾が振れる。言葉は無くても嬉しく思っているのが丸分かりで、心の中に愛おしさが生まれる。

「また、だっこしてほしい」
「うん、いいよ」

 つぶらな瞳で見上げられ、ティオは二つ返事で頷いた。タータは顔を輝かせると、青年の膝の上に乗り上げ抱きついた。彼の胸に耳を押し付け、ちゃんと動いてる、と小さな呟きを耳にする。どうやら心臓の鼓動を確認しているようだった。

「ティオがこのまま起きなかったら…どうしようって、すごく怖かった。オイラのこと…置いてっちゃ、やだ…っ」

 タータの瞳は見る見るうちに涙の膜で覆われてしまう。か細く震える声に、胸がちくりと痛む。泣き止ませようと頭を撫でるも、子魔獣の目から大粒の涙がぽろりとこぼれた。

「心配かけちゃったんだね、ごめん。でも本当に大丈夫だよ。タータが看病のお手伝いしてくれたおかげですっかり元気になっちゃった」
「ん…へへ、よかったあ」

 小さな腕が首元に回り、きつく抱きしめられる。鼻をすんすん鳴らすタータが泣き止むまで、背中を優しく撫でる。やがて落ち着いたらしい子狸は潤んだ瞳をティオに向けた。何かを訴えかけてくる視線に、ティオはどうしたのと声をかけた。

「あのね…オイラね、ティオにお願いがあるの…」
「うん、何かな?」

 もごもごと言いにくそうに俯くタータを、ティオは微笑ましく感じていた。もっと頭を撫でてほしいだとか、もっとぎゅっと抱きしめて欲しいだとか、そんな内容だと思ったのだ。
 なかなか言い出そうとしないタータを、ティオは辛抱強く待った。そのうちに、持ち手のついた木桶を手に戻ってきたザクセンと目が合う。子狸は父親の帰宅に気がついていないらしく、意を決した様子で顔を上げた。

「ティオ、オイラの母ちゃんになって!」
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