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4.出発

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 翌朝、目蓋の下がる目を擦りながら、ティオは玄関ホールにいた。あまり寝付けなかった。横一列に並ぶ他のメンバーにそんな様子は全く無く、ティオはこみ上げる欠伸を必死で噛み殺した。
 玄関ホールには、探索隊のメンバーだけでなく、イェゼロはもちろんゼルヴェストルとイヴァハにルルテラの姿があった。他にも第六階層の住人が大勢、見送りのために集まっている。

「皆、おはよう。昨夜はよく眠れたかな?」

 ゼルヴェストルが前に出ながら、にっこりと笑う。

「外に騎獣を準備している。森の入口までは、騎獣が連れて行ってくれる。改めて言うけど、己の身の安全を最優先で動くこと。入口には常に誰かを置いておくから、何かあれば速やかに戻ってきてくれ」
「戻って来ても構わんが、俺様の部下として恥ずかしい撤退はすンじゃねぇぞ!」

 イヴァハの腹から響く声に、ティオは圧倒された。ただの声だと言うのに風圧まで感じて、思わず体が後ろに傾ぐ。
 たった一言で、トウツとリンクスが緊張したのが目に見えてわかる。
 ティオは気づかれないよう、こっそりとイヴァハを見た。噂に違わぬ巨躯に、鬣のように広がった白金の長い髪。赤みを帯びた瞳は鋭い光を放っている。衣服の上からでも逞しい筋肉が盛り上がっているのがよくわかる。開いた口からは牙の如し八重歯が覗く。オーラが凄まじく、近づいただけで殺されるのではないかという思いをティオは抱いた。やはり彼がベッドの上では一変するなどとは信じがたい。
 イヴァハの視線が自分に向けられそうな予感がして、ティオは慌てて下を向いた。

「イヴァハ様なりの檄だから、額面通りに受け取っちゃダメだよ」

 耳元ではっきりとルルテラの声が聞こえたのだが、彼の姿は先程と変わらずイヴァハの隣にあった。長い尻尾をご機嫌そうに揺らして、にこにこと笑っている。
 一体何が起こったのだろうか、と視線を彷徨わせてみるも、戸惑っているのはティオただ一人だった。幻聴か?と首をひねる。

「さ、出発だ」

 ゼルヴェストルに促され、一行は玄関の外へと向かった。探索隊への激励に、大きな拍手が起こる。そんな中、ティオは誰かに呼ばれた気がした。立ち止まって振り返れば、何かが放物線を描いて飛んできた。
 慌てて両手を前に出して受け止めると、それは魔除けの首飾りだった。人だかりに目を凝らせば、ソルダートの姿があった。声は聞こえないが、頑張れよと言っているのがわかって、ティオは涙が出そうになるのを必死で堪えた。首飾りを両手で強く握り込み、大きく頷く。
 嬉しさで笑みが漏れるが、満面の笑みで親指を立てるソルダートの横に、彼が好きだと言う噂の侍女を見つけてしまい、ティオの心臓が大きく拍動した。足が縫い付けられてしまったかのように、動かない。

「ティオ、行くぞ」

 イェゼロに肩を叩かれ、半ば強制的に体の向きを変えられる。もつれそうになる足をどうにか動かし、ティオは師匠に連れられて玄関の外に出た。
 分かっていたものの、実際に目にしてしまうと駄目だった。頭の中を整理している間に、手の中に握り締めた首飾りはイェゼロに奪われていた。

「良かったじゃねえの」

 イェゼロは髪の毛がめちゃくちゃになる勢いで、弟子の頭を撫でた。だが、反応はない。彼は呆然とするティオの首に魔除けをかけ、騎獣に乗せた。後ろにイェゼロが跨り、手綱を取る。巨大な鳥である騎獣が走り出す。

「しっかりしねーか、バカティオ!」
「ぎゃうっ!」

 声量を抑えた恫喝が耳元で聞こえたかと思うと、昨日味わったばかりの痛みが首筋を襲った。振り返ればイェゼロの肩に、嫌と言うほどに見覚えのある斑模様の植物がいる。また吸血植物のヴァンピアに血を吸われたのだ。目を見開くティオをよそに、ヴァンピアは姿を消した。

「有頂天になるのはわかるけど、気ィ引き締めろよ。深淵の森はきっと甘くねーぞ」
「…はい」

 嬉しさのあまり忘我している訳ではなかったのだが、ティオはただ頷いた。事情を話せば心配をかけてしまうし、何より思った以上にショックを受けている自分に対して困惑していた。侍女はソルダートの隣にただ立っていただけで、偶然その並びになったかもしれないと言うのに。ドッドッ、と心臓が大きく嫌な音を立てて鼓動している。
 ティオの心が整う間もなく、深淵の森の森の入り口に一行は到着した。真剣な眼差しを寄越すイェゼロに、大丈夫だと言わんばかりに精一杯の笑顔を取り繕う。何度も振り返りながらも屋敷へと戻っていく師匠に手を振り、ティオはメンバー達に続いて森の中へと足を踏み入れた。

「わあ…」

 目の前に広がる光景に、ティオは思わず感嘆の声を上げていた。
 入口は暗く、何者も寄せ付けない雰囲気を漂わせていたが、中は鬱蒼としていた。木々は青々と生い茂り、見たこともない花や植物が自生している。
 先程まで鬱々としていた気分が一気に上昇した。

「おい、置いてってまうで」
「あ、ご、ごめん」

 前を歩くトウツに声をかけられて、植物に見とれていたティオはハッと我に返る。気がつけば探索隊とは結構な距離があいていて、薬師見習いの青年は慌てて彼らに駆け寄った。
 一列となって森の中を進む。リンクスが先陣を切り、ネフ、ノイン、トウツと続き、しんがりはティオだ。リンクスとトウツは武器を手に周囲を警戒し、ネフとノインも己の魔獣を侍らせている。
 歩を進める傍ら、ティオは目に入った植物の葉や実を摘んでは、己の鞄へと突っ込んだ。彼の意識は完全に深淵の森の珍しい生態系に向けられていた。頭のどこかでは四名と同じく、警戒を怠ってはいけないと理解しつつも、溢れる好奇心に打ち克つことができずにいた。

「…あれ?」

 橙色の花を摘もうと伸ばした手が白い靄に包まれるのを目にして、ティオは立ち止まった。慌てて周囲を見渡すと、辺り一面霧に覆われていた。

「リンクス…?トウツ、ネフ、ノイン!?」

 全員の名前を呼ぶも、リンクス達の姿はなく応答はない。足音も声もなく、無音だ。
 ティオの心臓がドッとひときわ大きな音を立てて鼓動する。体の中から飛び出してしまうのではないかと思うほどに早鐘を打つ心臓に、全身からぶわっと汗が噴き出ている。地中深くに根を張る植物になってしまったかのように足を動かせない。
 そこでようやく、彼は己の失態に気がついた。だが今更悔やんでも後の祭りだ。皆とはぐれてしまった。引き返そうにも、霧のせいで方向がわからない。元来た道など尚更だ。
 彼らを探して闇雲に歩き回るのは良くないということだけわかる。どんな生物がいるかもわからないし、地形も未知だ。彼らが見つけてくれると信じて、この場に留まるのが最善だろうか。ネフとノインは知覚に優れた魔獣を連れているはずだ。匂いで居場所がわかるかもしれない。だが、はぐれた薬師見習いを切り捨てて自分達だけで森を脱出する可能性もある。
 声を殺して周囲の気配を探りながらも、ティオはパニックに陥っていた。己の置かれた状況を打破する何かがないか、その場にしゃがみこみ、鞄の中を漁る。傷や毒に効果のある薬草、先程採取した草花に、非常用の食料。どれだけ漁ろうと、この状況下で使えそうなものは一つとして無かった。
 どうしよう。どうすればいい?
 手は冷え切って、強張っている。脳裏に師匠のイェゼロとソルダートの顔が浮かぶ。もう彼らの元に戻れないかもしれないと思うと、恐怖と絶望がティオの体を包み込んだ。
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